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気象予報士 【第3部】  作者: 235
与えられる恩恵は、全て君のもの
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「フェン」

「・・・何あっさり追いかけてきてんだよ。怒ってんだろ、お前」


 ベースの領域、丘を下った先の門を抜けて。

 街へと入ってしばらくした頃。後ろから聞きなれた声がかかった。

 聞きなれた、と言うには少しおかしいかもしれない。彼の戸惑いを含んだ声、それからこちらを窺うような目線を向ける蒼羽は、珍しい。


「血の封印の事を口にした事に対しては、まだ怒ってる」

「んじゃ、追いかける意味ねーじゃん、早く帰れば? 緋天ちゃん放ってていいんだ?」

 どこかで。

 余計なことを口にした、とか。言い過ぎた、とか。

 分かってはいたが、苛々は依然収まっていなかったから。自分でも、嫌な響きだと思える声音で言葉を紡ぐ。蒼羽の目が途端に伏せられて、言った先から後悔した。


「・・・ごめん」


 一瞬、自分の口から出たものだと思った。

 耳を疑って、それから。たった今、空気にとけていったその言葉を反芻する。

 間違いなく、蒼羽の声で響いたそれ。


「今までずっとお前に甘えていたと思う。だから、ごめん」


「・・・っ、なんで謝ってんだよ! なんでお前が謝るんだよ!?」

 蒼羽との間に見える、ほんの少しの石畳。それが、ものすごく長いものに感じた。

 彼に、これで線を引かれたような気がして。

「謝んのはオレだろ!? なあ、そうだよな!?」

 突き放して、遠くに行って、蒼羽の記憶から自分は簡単に抹消される。

 蒼羽なら、それが容易にできる。ただ、緋天だけを領域に迎え入れていれば満足なのだろう。

「フェン」

 早鐘を打つ心臓と、額に浮かぶ冷や汗。

 半ば叫ぶように言い募る自分に、蒼羽は静かに名前を呼んで。


「・・・お前は俺の事を友達だと思っているのか?」


「・・・っ」

 友達だなどと口にするな、そんな関係ではない、と。

 単調なその声は、そう言っているようにしか聞こえなかった。

 蒼羽に嫌がらせをしていた自分を悔いて、付き纏ったのが始まり。

 そう認識していたけれど、蒼羽の始まりは、どこにもなかったのだろうか。


「俺はそう思ってる。だから謝った」


「謝って当然の態度をお前に取り続けてた。感謝の言葉も何も持ってなかった」


 ざわざわと色んな音が聞こえるはずの、この場所。

 それなのに、蒼羽の言葉だけが耳に届く。

 相変わらず静かなトーンで響いているのに、どこか切ない色を伴うのは、蒼羽が初めて自分を真正面から捉えてくるから。そんな風に自分の中で音色が変わるのは、きっと気のせいじゃない。


「・・・そんなの、とっくに分かってるって」

 重たくて、押しつぶされそうだった全身から。

 ふわりと力が抜けていった。同時に出てきた、自分の声は。いつも通りに軽く響かず、安堵と不安を含む。

「分かってんだよ、蒼羽の性格なんて。ガキの頃から見てきたのを、今更どうこう言う気もねーんだよ」

 急いで取り繕った言葉は、今度こそ本来の調子を取り戻せた。

 口を閉ざした蒼羽の反応は、まだ見て取れない。と言うよりも、あまり彼をまっすぐ見れない。

「ああ、もう!! だから、お前が謝るなら、オレだってそうしなきゃおかしいじゃん!」


「緋天ちゃんにバラして悪かったよ。・・・ごめん」


 吹き抜けていく風が、涼しくて。

 若干恥ずかしさに熱をもった頬に心地良かった。

「・・・でもな、お前が何でも一人でやろうとするから悪いんだからなっ! 何にも言わないくせして、あんなボロボロになってるから。心配すんだろ。相談くらいしろよ」

「そうだな・・・今度からはそうする」

 音を立てて、不満の山が崩れていく。

 勢い付いたまま出た本音は、思いもかけず、あっさりと蒼羽に迎え入れられた。

「なん、だよ・・・なんか素直すぎて怖ぇよ、お前」

「・・・」

「あ、今ムカついただろ?ほら、シワ寄せてんじゃん」

「別に。・・・俺は多分、反省している」

 真面目な顔で告げる彼。そんな素直な蒼羽を見るのは何となく居心地が悪かった。

 自分の言葉にムっとしたのは事実だろうに、それを口にしないのも、線を引いている証拠ではないだろうか。


「なーんか、オレが微妙にムカつくなぁ・・・やっぱ殴らせろ」

「っ!?」



 納まる所に納まらない。

 少しでも距離を置いたら、男としてのプライドや誇りや、お互いへの気持ちが薄れるだけ。


「・・・こんな日が来るなんてなぁ・・・」


 自然と綻んでしまう口元を抑えつつ、一歩前に踏み込んだ。

 それだけ、蒼羽が近くなる。何故だという顔を、一瞬見せた彼だけれど。足を進めた時にはもう、諦めた視線を投げていた。蒼羽にも、この気持ちが届いていればいい。


「んじゃ、遠慮なくっ!」


 真昼の大通り。

 明るいこの場所には全く似合わない音が、確かに耳に届いた。喧騒に掻き消されそうだったけれど、右手に返った痛みと共に、自分の中に刻まれた、蒼羽を殴った音。


「・・・痛い」

 避けることなく自分の拳を受け止めた蒼羽が、ぼそりと呟いた。

 その声も、顔も。血の滲んだ口元を拭った仕草も。

 あまりに憮然としていて、それが笑いを誘う。


「当たり前じゃん、生きてんだからさ。人間だっつー証拠?」


 蒼羽の肩を乱暴に叩けば、眉をしかめながらも、浮かぶのは華やかな笑み。

 眩しいほどに爽やかなそれが、色濃く視界を染め上げる。


「今度から一人で抱え込んでたら、問答無用で殴るからな!!」

「ああ・・・次は当たらないけどな」


 笑いながらそう言った蒼羽は、今までで見た中で一番。

 晴れやかな顔をしていた。





 来た道を逆戻り、再びベースに向かいながら。

 ここ二週間ほど、何が起きていたかを聞いた。順を追って話をする蒼羽の目には、緋天の待つベースに近付くにつれ、鋭い光が灯る。今朝起きたばかりの、彼女への攻撃、それを口にした途端。凶悪としか言えない空気を纏っていた。


「シュイってあれだろ? あの、暗そうなヤツ。ったく、ふざけた事しやがって」

 記憶にあるのは、確か蒼羽が正式にこの街の予報士として着任した頃のこと。蒼羽と変わらない年齢のセンター関連の人間だから、とわざわざ覗きに行った覚えがある。

「オレ、一般人のくせに蒼羽にちょっかい出すな、って言われたことあるぞ?」

「何だそれは。・・・で、何て返したんだ?」

「いや、面白かったからさー、蒼羽が好きなら早く告白すれば、ってからかった」

「・・・」

 あの頃のシュイは、今のシンに近いものがあった。

 強いものへの憧れ、独占欲。

 それが分かったからと言って、気軽に聞き逃せる程、自分も大人ではなく。軽口を叩いて存分にいたぶった後、勝ったと思いながら帰路についたのだ。どこかで、自分が蒼羽の友人だという事をひけらかしたかったから。

「・・・オレが思うに、あいつはただお前が好きなだけだよ。まあ、ちょっとどころか、かなり屈折してっけど」

「知るか。緋天に手を出したから、もう許す気もない」


 ベリルが急にセンターへと出かけた詳細を知ると同時に、泣いた目をしていた緋天が脳裏に浮かぶ。家へと帰る自分を追いかけてきた彼女は、本当は蒼羽に抱き込まれて安心を得ているはずだったのに。傷を癒す為の時間を、自分のせいで妨げてしまった。


「・・・向こうで石のついた指輪を手に入れたんだ。今回は間に合わなかったけど、次はお前に紋章を刻んで欲しい」


 緋天の立場と、蒼羽に付随する面倒についてあれこれと考えていたら。

 ベースの煉瓦が見えたところで、シュイへの怒りを募らせていた蒼羽が唐突に口を開く。


「っな!? おまっ、紋章貰ったのか!? そういう事は早く言えよ!! っつーかいきなりそっち飛ぶのかよ!?」

 至極日常的で、当たり前の事だ、とでも言うような涼しい顔で。

 一般人にとってはとても壮大な事を、それから人としての生涯で重大なイベント事を。さらりと言い出した蒼羽を遠慮なく小突く。どちらから問い質していいか迷いつつ、とにかく自分に大きく関わりありそうな方を先に言葉にした。

「・・・お前の親父さんのお下がり、じゃないよな?」

「ああ・・・とりあえずそっちは前から貰っていたようなものだったし。もうひとつ新しく」

「うっわー、二重装備かよ、かっこいーじゃん。ベリルさん知ってんの? 当然、祝い酒しなきゃな」

 首を振る蒼羽に、今の状況を思い出す。

 一番に祝うべき、ベリルもオーキッドも。きっと忙殺され、しばらくはそれどころじゃないのだろう。

 予報士が手にする最高の誉れ、と言うべき紋章。全ての予報士が手にするとも限らず、優れた者に贈られる貴族に並ぶ称号。

 蒼羽が紋章を持っていた父親の名前を名乗るのも、それに匹敵する権力ではあったが。父の名前を、正統に仕事として受け継ぐ者としての実力公開。それに加え、新しく自分の名を知らしめる紋章というのは、相当なインパクトがある。

「っていうかもっと突っ込みたいのは指輪だよ!!・・・意味分かってる、よな?」

 涼しい顔を保っていたくせに、指輪、と口にしたら蒼羽の顔は綻ぶ。

「俺の物だという印だろう? まだ緋天にその気がないのは分かってるから、ただの予約だ」

「どこがただの予約だ!! どうせ貰ったばっかの紋章入れて、おまけに石はまた危険物なんだろーが」

 薄く笑う彼を、最早止める術はない。自分の紋章を何かに刻むという事は、それだけで蒼羽の力を示す事になる。加えて刻む対象は美しいだけの宝石ではなく、蒼羽が本部界隈で自ら選び手に入れたもの。

 当然その石が何かしらの力を持つもので、それに紋章を刻めば蒼羽の力で石は強くなる。

 かつて、彼の父親が母親に贈ったピアスのように。

 緋天を生涯の伴侶とする、と宣言しているのと同義。それが例え、予約だとしても。蒼羽の紋章、更に言えば雄傑の予報士のウィスタリアの紋章、それらを重ねて身に着ける緋天に、誰もおいそれと手を出せないはずだ。ましてや、そのひとつが左薬指にあるのだとすれば、死を覚悟して横槍を入れるしかない。


「ま、緋天ちゃんが頷くとは限らないし? いつになるか賭けたら面白いかもな」


 笑みを消して口を引き結んだ蒼羽。

 彼にも自信の持てない事はある。それが見えて笑ってしまう。

「・・・その時が来たら、オレが最高の出来にしてやるからな。楽しみにしとけよ」

 今でなくて、良かったのかもしれない。

 正直、そんな大きな仕事に手をつけた事はない。石に直接紋章を刻むという技は、熟練した職人にしかできないことだ。寸分の違いもなく、紋章の模様をそっくりそのまま縮小して刻み込む器用さ。それから、強い力の石を扱う危険を回避できる術と経験。

 出来るかと問われれば、見栄を張って出来ると言うが。実際は師事する男にどやしつけられるレベルのもの。

 ただ、蒼羽の言うように。

 彼が次に緋天に贈る小さな輪に篭められる誓いは、自分の手で仕上げを施したい。


 緋天が、同じ想いの誓約を口にする時まで。

 蒼羽が、自信満々で緋天を手にする時まで。

 自分が、一流の細工師だと扱われる時まで。


 年齢的には大人だと言いつつも、まだ時間が足りないから。

 想いを積み重ねる、諸々の災いを取り除く、腕を磨く。その時間は確かに必要だった。

 行き着くのを、それぞれ近くで見ていたい。

 自分にとっては、友情。彼らにとっては、それと、愛情と。



「ああ・・・フェン、・・・仕返し」

「っっっぐぉ!!?」


 背中に衝撃、それが突き抜けて、腹部にも痛みが這う。

 視界一杯に、青空が見えた。


「ただ殴られるだけなのは、俺は好きじゃない」


 ひとり、感慨に耽っていたら。いつの間にか到着していたベースの入り口。

 庭に足を踏み入れたところで、右肩に蒼羽の手が軽くかかったと思えば、両足の裏側に感じた小さな打撃。打撃と言うよりも、ただ単に蒼羽の足に軽く薙ぎ払われただけだが。

 それに気付く暇など無かった。あったとしても、絶対に避けられない距離とスピードだった。

 咄嗟に受身を取る能力も、技も。予報士ではなく、街の武器屋の息子の、小間物細工で名声を収めたい、ただの男に。つまりは一般人に。


「っんな事できるか!! っ卑怯者!! くそっ、蒼羽の色ボケ大魔王!!!」


 とっくに玄関の中へと入った蒼羽に悪態を吐いて、寝転がったまま空を見る。

 澄みきった青は、蒼羽の父親が好きな色だ。

 母親に捧げたピアスも、授かった命に与えた色もそうだったから。

 勝手な思い込みだが、あながち外れてはいないと思う。


「・・・強く優しい子に育ちますように、か」


 昔、オーキッドに聞いた蒼羽の名前の由来。

 強い、という条件は間違いなくクリアしているだろう。優しい、も緋天限定ならば、それは際限なく。


「友情にも、優しさ発揮してくれよ・・・」


 痛む腰を庇いながら、のそりと起き上がる。

 手加減せずにやった蒼羽は、自分の本気の拳に対しての義理立てだろうか。

 だとしたら、最高だ。

 予報士としても、それから、一人の男としても。


「・・・最高に笑えるけど、っ痛ぇよ、腰に響く!!」


 扉を乱暴に開けて、中の蒼羽に叫ぶ。

 どうしても口元が笑みの形を取って、怒りの声が作れなかったのは。

 蒼羽のせいだ、と頭の中で呟いた。


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