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気象予報士 【第3部】  作者: 235
隙間から手を伸ばして
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「・・・大丈夫?」

 何故、こうも簡単に。

 彼は自分の殻を壊そうとするのだろう。

「今日は、あまりにも急だったから・・・ほっぺた、叩いてごめん」

 優しい言葉をかけないで欲しい。泣いて縋りたくなるから。それでなくとも、外見が似ているのに。

 夜の匂いは、ひっそりとベリルと自分を包み込んでいた。蒼羽が緋天をベースから連れて行った後、諸々の現状把握、事情説明、事後処理に追われた。最後にセンターでオーキッドを交え会議を終えて。とっくに日の落ちた帰り道、ベリルがナイト役を申し受けたのは、これを言う為だったのだろうか。

「・・・怖かったのは、分かってるよ」

 家の、玄関前。

 黙って歩いてきて、口を開いた第一声が、優しい響きだったから。

 その後の言葉も、全部が優しく奏でられるから。

「・・・無理しなくてもいい。今は泣いていいんだ」

 そっと頬に触れてきた指が、思いがけず、温かくて。

「・・・・・・っ」

 零れ落ちたそれを、止めたいのに止められない。流れる涙は、先日の蒼羽の部屋での不注意だった自分、今日の何もできずに情けない姿を晒した自分、そして今の、ベリルの前で我慢できずに泣く自分。その全てを悔いる、贖罪。

「・・・何でそんなに強がるんだよ・・・唇、噛まないで」

 上から降ってくる声は、苦笑まじりに響いた。それでも充分優しく浸透して、頭を撫でる彼の手を感じる。

「噛むなって・・・血が出るよ?」

 頬を包んでいた手が涙をぬぐって滑っていく。

 今すぐ、彼から離れなければいけない。警告を発する脳に、体が追いつかない、動けない。

「全く・・・君には参るね」

 背中に下ろされた手、唇の上を撫でる親指。

 駄目だと、頭の奥から信号が送られてくるのに。

「・・・っ」

「そんなに怯えないで・・・」

 一番近くで聞こえた甘い囁きは、あっさりと自分を引き込んだ。

 優しく啄んでくるベリルの唇を受け入れて、自分ではない誰かが、彼のキスを心地いいと感じる。


「・・・おやすみ」


 気がつけば。

 ふ、と微笑んだ後、耳元で小さくそう囁いたベリルを、ぼんやり見送っている自分がいた。





 一言も、口を開かずに。

 じっと黙って、センターで起きた事件についての説明を聞く蒼羽が怖かった。

 怖いという感覚は、昨日、緋天が自分に言葉をぶつけた時から、ずっとこの身を這いまわっている。蒼羽が悲しむからそんな事は言うなと、そう口にした彼女を放って、外に飛び出した。ベリルに言われた事を破った罰、予報士の仕事を放棄した罰、緋天を守る事ができなかった罰。

 自分にふりかかるはずの災厄が、何故、彼女に向かったのだろう。

 穴の近くで起きた殺人事件。それが二体の怪物へと変わり緋天を襲った、それが結果だ。予想できなかった突発的なケースとはいえ、ベースに留まっていれば、その場で対処できた事。雨に狂ったように、恐怖に支配され現実を拒否して泣き続ける緋天を目にした時、全てを後悔した。そんな思いに気付いたのは、あまりにも遅すぎたけれど。


「・・・犯人は確定してない。ただ、緋天ちゃんにまとわりついてた匂いが気になってる」

 一晩を緋天の家で過ごした蒼羽が、現状を把握する為にベースに戻っていた。彼に完全に嫌われたと思ったのに、昨日、緋天が泣くベッドの前で、気にするなと言った彼の真意は何だろう。何にせよ、今も。蒼羽の顔をまともに見る事はできないままだ。

「見つかったら、すぐに知らせろ。しばらくは緋天のところにいる」

「分かった・・・緋天ちゃんは何か食べてる?」

 用件のみ、短く言葉を紡いだ蒼羽にベリルが心配そうな顔を浮かべて聞く。蒼羽が静かに首を振る気配がした。

「・・・水分しか摂ってないのに・・・夜に目を覚ました時に吐いたから。・・・今朝も食べられなかった。薬も飲ませられない」

「そう・・・これ持っていってみて。緋天ちゃんの具合によるけど、これなら食べられるかも」

 ベリルの手渡した紙袋を受け取って、蒼羽が扉へと向かう。

 一生、このまま。蒼羽の顔を見上げる事ができないまま、自分は下を見続けるのだろうか。


「・・・シン」


 扉を半分開けて。

 自分を呼ぶ声。蒼羽が自分の名前を音にした。


「あとはお前に任せる」


 必死で上げた目は、蒼羽の鋭い双眸に射抜かれる。

 強い光を放つそれに、頷くのが精一杯で。

 見送る背中は、とても大きかった。


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