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気象予報士 【第3部】  作者: 235
コンタクト
24/60

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 一日が長い。

 朝起きて、身支度をすませ、朝食をとり、家を出る。扉を開けても大好きな人がいないことは百も承知だから、なんとなく、わざとテンションを上げて、元気に笑う。それでも時間は穏やかな波を作り、楽しいこともあるし、心から笑えることもあった。けれどもベースを出る時に、今日も一日が無事に過ぎた、とほっとして。その長さをうんざりする気分で改めて感じたりする。


 そうかと思えば、何かに熱中していると、あっというまに時間が過ぎていて、びっくりする事がある。一昨日の水曜日、三時過ぎからベースの床板を磨き始めたベリルを何気なく手伝い始めて。夕飯はできているから後はシンを待つだけだ、今日の夕飯はグラタンだ、などと初めはそうやって取り留めのない会話を二人で交わしていたら。自分の磨いた床板の面積が広がっていくにつれ、蒼羽は今何をしているのだろう、向こうは朝の何時だろう、と頭の中で引き算をしたりしている内に、お互い黙って自分の考え事に没頭していたらしい。五時を過ぎて、帰ってきたシンの扉を開ける音で、ベリルと共に我に返った。

 立ち上がり、腰の痛みに眉をしかめて。茫然自失、といった表情のベリルと目が合った。途中からベリルも物思いに耽っていた事が一目で分かり、そんな珍しい彼に驚いた。苦笑を見せて、それから磨きこまれた床を晴れ晴れとした笑顔で見渡す頃には、いつものベリルに戻っていたのだが。



「あ、そうだ。さっき思いついたんだけどさ。明日緋天ちゃん泊まりにおいでよ。その方が思いきり騒げるでしょ?」

「え、でも・・・」

「夜道を帰る方が危ないしね。何だったらお母さんに電話してあげるし」

 明日の土曜日は、シンの歓迎会がベースで開かれることになっていた。一週間が過ぎて、そろそろ落ち着いただろうとベリルが判断し、仕事で関る人々との交流を、という名目で。休日にあたるけれど、その大量に用意する料理の手伝いの為に、午後から来ることにもなっていて。開始は夜の六時から。終わるのが九時を過ぎれば電車も少なくなる。それを考えて、ベリルの言葉に甘えることにした。

「じゃあ、お願いします。あ、でもどこで寝ればいいんですか?」

「何言ってるの。蒼羽の部屋に決まってるでしょう」

 にやりと笑う彼に、どう返せばいいか分からなくて。恥ずかしさを抑えて口を開いた。

「・・・じゃあ明日はお泊まりセットも持ってきます。他に買ってくるものあったら電話して下さいね」

「了解。はい、どうぞお姫様」

 優雅にお辞儀をしてみせて。ガラス扉を開けてくれるベリルの方が王子様のようだ。もともと金髪に青い目で、正統派なルックスなのに。

「ありがとうございます・・・」

 どこからそんな服を調達してくるのだろう。夏の間は暑かったせいか、普通の服を着ていたけれど。チャイナ服のような合わせの上着に、同系色で裾に切り込みと刺繍が入ったズボン。ここ二、三日、ずっとこのパターンの服で。けれども日毎に形も色も違うものを着ていて。似合っているのだからいいのだが、コンセプトは何かと聞いた初日に返ってきた答えは、日本のアニメの題名で、脱力した。

「気をつけてね」

「はい。お疲れ様でした」

 にっこり笑うその笑顔に、どうこう言う気にもなれず。

 同じように笑顔を返して、ベースを後にした。





「ベリル、肉も入れろよ。今見てるの、魚料理じゃん」

 ソファで緋天が来るのを待ちながら、和食の料理本を眺めていると。だらしなくソファに寝転がってビデオを見ていたシンが、嫌そうな顔で口を開いた。

「・・・シン、魚も食べないと背、伸びないんだよ」

「ウソだね。だって欧米人は肉ばっか食べてるのに、魚食う日本人より、背が高いじゃん」

 小憎らしい顔で得意げに言って、彼は覗き込んでいた料理本から目を離す。頭のいい所は蒼羽に引けを取らないのだが、その態度は本当に子供のままだ。

「なぁ。何であいつは、蒼羽に選ばれてんの?」

 不服そうな顔で仰向けにまた寝転んで。彼は突然話題を変える。

「あいつ、って・・・そう言っていいのは蒼羽だけだよ。そういう言い方を君がしたら蒼羽は怒るよ、多分」

 話題の中身は緋天の事だ。とりあえず、先に言葉遣いを注意すると、分かってはいたが彼は余計頬を膨らます。

「シンは何で緋天ちゃんを避けるんだ? 昨日だって緋天ちゃんが帰った頃見計らって、それで帰ってきただろ。大した用事もないのに」

 蒼羽がいない、この一週間は。シンは緋天とあまり顔を合わせないように、あちこち移動を繰り返していた。予報士であるシンが緋天と仲が悪いというのは由々しき事態だ。かと言って無理やりそれを押し付けて、取り返しのつかない事になるのも困る。その内、緋天の柔らかな笑みに敵対心も消えるだろうと思い、放っておいたのだが。シンが避けているせいで、一向に好転する気配がない。

「だってなんかムカつくんだよ。あいつの顔見てたら。でも何かしたら蒼羽がキレると思って。それでなるべく顔合わせないようにしてんの」

 悪びれもせずに、舌を出してそう言う、彼と。避けられている事に気付いてしょんぼりする緋天の関係を、少しでも良くしようというのが、今日の歓迎会の真の目的でもある。

「だから、あいつって言うな。ちゃんと名前で呼ぶこと」

「・・・ちっ、仕方ねーな」

 少し厳しく言うと、彼は一応了解の意を見せる。

「で? 何で蒼羽は緋天を選んだんだよ?」

「呼び捨てですか・・・。君、なんていうか、あれだね、ある意味大物だよ。蒼羽より偉そう」

「いいから。早く教えろよ。何であんなに馬鹿みたいに大事にしてんの?」

「・・・うーん、うまく言えないけどさ、何だろう、ほら、緋天ちゃんはもう蒼羽の一部になってるんだよ。緋天ちゃんがいないと、蒼羽は落ち着かないし、もし彼女が傷つけられたり、蒼羽を好きでなくなったら、きっと自分がまともに生きられない、って分かっているんだ。だから、いつも自分の目が届く所に置いておきたいし、離れていかないように、あれだけ大事にする」

 シンに話していて、それが事実だと改めて確認した。恐ろしく、危うい床板。少しでも踏み外せば、一気に地の底まで届いてしまう。

「ふーん。精神安定剤みたいなもんか。何がそんなにいいんだろ? あんなガキくせーのにさ。オレ、同じ女ならアルジェの方がいいな」

 寝転んだまま、今度は顔をこちらに向けて。シンがにやりと笑う。

 その口から出た名前に、少しどきりとした。あの日以来、顔を合わせる事はあっても、誰かしら周りに人がいたので。挨拶を交わすか、仕事上の話をする程度の事しかしていない。

「ベリルもそう思うだろ? アルジェは美人だし。緋天みたいにトロくないしさ。お菓子くれるし。いい事尽くめじゃん。な?」

「な、って言われても・・・それにどう答えればいいんだよ」

 シンがアルジェを気に入っている理由には、子供らしいものも含まれているが。確かに美人で人当たりも良く、仕事もしっかりこなすとなれば、誰の目にも魅力的だ。その内面は複雑だけれど。

「今日もさ、オレにプレゼント持ってくる、って言ってたし。気がきくよな、緋天じゃ絶対そんな事思いつかねーよ」

 顔をテレビに戻して、見逃した部分を巻き戻しながらシンが呟く。

「君は・・・そこまで言って、後で後悔しても知らないよ。緋天ちゃん、結構人気あるし、それにあの子の頭の良さと言うか、考え方と言うか、それは叔父さんも驚くくらいなんだよ」

「はぁ!? オーキッドが!? 冗談やめろよ」

 リモコンをいじるのを止めて、シンの顔が再びこちらを向く。そこには驚きの表情。少し嬉しくなって先を続けた。

「嘘じゃないって。叔父さん、かなり緋天ちゃんの事気に入っているしね。ここだけの話、大通りで緋天ちゃんが襲われた時の事後処理をさ、叔父さんが自ら指揮取ってたんだよ。情報が漏れないように、わざわざ自分で手を回したしね。念押しもしっかりしてさ」

「マジかよ・・・オレ、蒼羽がキレたから、あそこまで厳重に口止めされてんのかと思ってた」

 身を起こし、呆然とした顔で言う彼の、緋天への見方がこれで少し変わる気がした。

「まぁ、それも少し関係あるけどね。でも、何だかんだ言って、緋天ちゃんがセンターに行く時は、ほとんど必ず顔を見に行っているみたいだしね。マルベリーが緋天ちゃん係みたいにくっついているのも、多分、叔父さんの命令だよ、あれ。そうでなきゃ、あそこまで知らないと思うよ。緋天ちゃんのスケジュール」

「何それ。お前はそれを知らされてないって事?」

 少し真剣な顔になって、シンが手の中のリモコンを見る。

「いやさ、だから。そこまで表向きの辞令にする程じゃなくて。叔父さんが個人的に気になるから、マルベリーに仕事やりながら、ちょこちょこ緋天ちゃんの様子見てあげて、って言う位の軽さなんだよ。このニュアンス、分かる?つまり、それを仕事にする程大げさにしたくない訳。それをしたら緋天ちゃんが四六時中見られていると思って、嫌になるだろうから」

 シンの顔はもう完全に真剣なものに変わっていた。彼の頭の中では今、この話を裏付けする事例を探って、真偽を見極めているのだろう。

「・・・あのさ、じゃあ聞きたくないけど、まさか緋天が本部に召喚されてないのもそのせい? 本部から調査が一回しか行かなかったのも? 蒼羽が今回連れて行かなかったのも?」

 見た目は子供だけれど、本当に目聡い。

 矢継ぎ早に出された質問は、そのどれもが的を射ていた。

「だいたいはね。蒼羽が珍しく嫌がるせいもあって、叔父さんも張り切って徹底的に戦っちゃってさぁ。結局は蒼羽の意見を尊重している所が大きいかな。何にせよ、蒼羽は緋天ちゃん関連の事はうるさくチェック入れるよ。今まで私達のやり方に、口出しなんかした事なかったけど」

「マジで? どっか、頭のネジ飛んでるんじゃねーの? 蒼羽もオーキッドも。絶対おかしいだろ、過保護じゃん」

「だけどね、それ位やらないと駄目なんだよ。そうじゃないと緋天ちゃんが壊されそうだしね。興味本位で近付く奴もいるから。身の安全も保障できないし」

「だから、さっさと本部に送れば良かったんだよ。一番初めに拾った時にさ。そしたらこんな面倒な事になってなかっただろ」

 また不服そうな顔に戻って、シンが言う。

「だいたい、アルジェ呼んだのもオーキッドだよな。それでうるさい奴は黙らせよう、って事なんだ、違う?」

 にやっと笑ってこちらを見上げる彼につられて笑みがこぼれる。

「はは。正解。あ、でもこの手の事は緋天ちゃんに言うなよ」

「何だよそれ。そこまで内緒にする意味あんの?」

「あるんだって。裏の事を把握するのは影のボスだけで充分。だから、絶対言うなよ。言ったら君の首が蒼羽に飛ばされるからね」

「・・・分かったよ」

 蒼羽の名を出して言い聞かせると、大人しく彼は頷いて。

「よしよし」

「うわっ、やめろよ」

 思わず手を伸ばして頭を撫でてやると、案の定、ものすごく嫌そうな顔で何とか逃れようとする。それが面白くてついつい力の差にものを言わせ、無理やりその頭を撫でる。

「やめろって! 卑怯だぞっ、押さえるなよ、うー」

「ははっ、ああ、なんか反応が新鮮だなぁ」

「何しみじみ浸ってんだよ、放せってば!」

「こんにちはー。わ、ベリルさん何してるんですか!?」

 シンが蒼羽と違い、素直に反応するので。あまりに楽しく。嫌がる彼を押さえていると、緋天が顔を出す。

「あ、緋天ちゃん、いい所に。ほらほら、シン、緋天ちゃんが来たよ」

「えぇ!? シン君、どうしたの?」

「うるせー、見るなっ。ベリルの変態!」

 買い物袋とカバンを床に置いて、びっくりした顔でシンを見つめる彼女から、彼は顔を背けた。

「口の悪い子にはおしおきをしないとね。はい、くすぐりの刑」

「やはは、やめろって」

 身を捩じらせて笑うシンを、ひとしきりくすぐってから。手を離し、呆然とする緋天の足元のビニール袋を持ち上げる。

「さて。それじゃ作ろうか」

「・・・うー、ベリル、てめー、このやろう」

「あ、緋天ちゃん、これ何?」

「・・・生ワサビです。っていうかベリルさん、シン君が」

 袋から緑色の見覚えのない野菜を取り出して、緋天に問うと、彼女はソファのシンを気にする。

「ぜってー、復讐してやる・・・」

「いいんだよ。あれは・・・何ていうか・・・愛情の裏返しだから」

「ああ。そっか」

 笑顔を見せて素直に頷く緋天の頭を撫でて。

「こら、緋天。納得すんなよ!!」

「ほらね」

 緋天の名前を呼んで、抗議するシンに気付いて。


 久しぶりに彼女の顔が輝くのを目にした。


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