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気象予報士 【第3部】  作者: 235
布石
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 センターに辿り着いて、背を向けるアルジェの前で蒼羽にキスをしてもらった。軽く唇を触れさせて離れて行こうとする蒼羽の、藍色のシャツの裾を無意識につかんでしまっていて。驚いた顔で反転しかけた体を停止した彼は一拍置いて、ふ、と目を和ませた。

「ちゃんと迎えに来るから。そんな顔をされたらこのまま連れて帰って、そのままずっとベースに閉じ込めて置きたくなる」

 ごくごく小さなささやき声を右耳の上から落として。きゅ、と心臓に甘い痺れを感じていると、柔らかく回されていた蒼羽の腕に力が入ってもう一度唇を覆われた。食べられている、という表現がぴったりと合うようなキスをしばらく続けられたら、自分の中にぽかりと空いた穴を埋められた様な感覚に満たされて。蒼羽が唇を離した瞬間、ほんの数時間、彼が傍にいない不安を今の口付けに払拭させたかったのだと、そんな自分の厄介な思いに気付いた。



「前からそんな不安な気持ちになっているの? それとも・・・ごめんなさい、嫌な事を思い出させてしまうけれど、六月のあの事が原因?」

 ゆったりとソファに座ってから、先程の蒼羽との別れる様子を背中で聞いていたアルジェが心配そうな顔で、そう切り出した。いきなり始まったその話に、それを予期していなかった頭が拒否反応を起こせと警告した。やはり彼女は自分の何もかもを知り尽くしているのだと、改めて認識してまともにアルジェに視線を合わせられない。

「・・・ごめんなさい。不躾だったわ。・・・でもね。私は緋天さんの事を色々知っているけど、だからと言って弱みを握ったとか、これを材料に脅かすとか。そういう事をするつもりは全く無いの。出来る事ならあなたのその不安を取り除きたいと思って。だって、そんな風にいつまでも過ごすのは、緋天さんだって嫌でしょう?」


 だっていつまでも怖いのが続くと嫌でしょ?

 アルジェの最後の言葉を聞いた時、ふいに頭の中にそんな声が聞こえた。どこかで聞いた事のある言葉、それの初めの発信源はベリルだったはずだ。二人の声が重なったように感じて思わず笑みがこぼれた。

「・・・あ、前にそれ、同じ事ベリルさんにも言われたな、って思い出したんです。なんか、昨日も思ったけど。アルジェさんとベリルさん、似てる気がする」

 急に笑ったせいでアルジェがいぶかしげにこちらを見ていて、そう説明した。するとほんの少し目を細めて固い声が返ってきた。

「それって・・・サー・クロムの事よね」

「え、サー・クロムって? ベリルさんの苗字ですか?」

 初めて聞くその名前に驚いて聞き返すと、アルジェが逆に驚いた顔をした。

「・・・驚いた。ここの人たちは蒼羽の事も所長の事も名前で呼ぶし・・・こだわりが無いのかしら・・・? あ、サー・クロムというのはあの方の通り名、かしら。称号と言うか、・・・家名は別にあるの。ごめんなさい、何て説明すればいいのか良く分からない。でも普通はそう気軽に上層にいる方々の名前を口にするものではないわ。だから、とてもびっくりしていたの」

 アルジェが今言った、上層にいる方々、というのは蒼羽とベリルも含まれているのだと分かり、そして彼女が所長、と言ったのはオーキッドの事だと。顔合わせの時から何故名前を呼ばないのかと不思議に思っていた謎が解けた。

「まあ、それは置いといて。その、蒼羽と一緒にいるのは大丈夫なのね?」

 再び視線を合わせたアルジェがそう口にする。あの男達に襲われかけたせいで、いつも不安に怯えているのだと解釈されたようだ。実際は、ただ蒼羽がイギリスにしばらく行ってしまうと知ったせいで、いつも以上に彼の腕に囲われていたいせいなのに。

「自分でもおかしいと思うんですけど・・・でも、なんだか本当に蒼羽さんが傍にいないとすごく・・・もやもやするって言うか、落ち着かないんです」

 ようやくそう答えるとアルジェが首を傾げた。

「なんか昨日、蒼羽さんがイギリスに行く、って聞いてから。ダメ、って分かってるのに、蒼羽さんに近くにいて欲しい、って思う。でも一緒に付いて行くのは、それだけはしちゃいけない気がして。最近ずっとワガママばっかり・・・」

「・・・何で駄目なの。蒼羽はいいって言っているのでしょう?」

 ため息交じりの声に、ついにアルジェに呆れられてしまったと思って目を向けたら、意外にも柔らかい笑顔。

「だ、って・・・そんな事。あたしがここにいられる意味がなくなっちゃう。お金を貰っておいてそんな事するのは、仕事じゃないです。こうしてここに来られる様にしてくれた、色んな人達をがっかりさせるだけです。・・・蒼羽さんがいなくても、ちゃんとやらなきゃ」

 昨夜蒼羽に上手く説明できなかった分、一気に言い切ると目の前に破顔したアルジェがいた。

「・・・・・・。蒼羽があなたを大事にしている訳が分かった気がする。私が男なら、緋天さん、あなたに結婚を申し込むわね」

「え・・・」

 思わぬ言葉に頬に朱が上る。

 嬉しそうに微笑むアルジェに何と答えればいいのか分からなくて、窓の外に視線を移した。


「蒼羽が総会に行っている間の、・・・代わりの人間はいつ来るか聞いた?」

「えっと、蒼羽さんが行く前の一週間位で引継ぎしたいから、って言ってたので・・・再来週の、二十日過ぎには。まだはっきり決まってないみたいです」

 視線を戻して答えると、眉を寄せて何か考え込むアルジェ。

「緋天さんが蒼羽と一緒には行かないという事、サー・クロムは何か言っていたかしら?」

「え、ううん。そっか、って。でもやっぱり蒼羽さんがいないと忙しくなるのは確かみたいです。そろそろ計画書作らなきゃー、みたいな事は言ってました」

 耳に馴染まないその名前を、ベリルだと理解するのに反応が遅れる。きっとアルジェは他所から来たばかりだから、いくらこのセンターの人間がベリルの名前を気安く呼んでも、すぐそれに倣う事は難しいのだ。

「そうね。計画は綿密に練らないと。本当にしばらく忙しくなりそうね。多分、私も蒼羽の総会行きのフォローメンバーだから。一人で研究する時間はあまり持てそうにないかも」

「アルジェさんはそういう研修会みたいのないんですか?」

「あるわよ。それもうんざりするほど。でも蒼羽みたいな予報士がいなくなるわけではないから、別に代わりの人とか下準備とかは全くいらないけれどね」

 ウィンクをして笑う彼女にしばらく見とれる。こんなに明るく笑うのに、何が彼女の中に影を生むのだろう。

「素敵な人が来るといいわね。それとも緋天さんは女の子の方がいい? と言っても女性の予報士はあまりいないけれど」

「んー、あんまりかっこいい男の人だと緊張しちゃうかも。女の人の方がいいなぁ」

「あら、そうなの? どうして?」

 不思議そうに首をかしげるその姿にまた見とれてしまう。これだけ美人のアルジェにどう説明しればいいかしばらく悩んだ。

「・・・うー、なんかあまりに完璧にきれいな人とか、かっこいい人って何もなくてもどきどきしちゃうし。蒼羽さんもそうだけど。ベリルさんだってかなりかっこいいし。でもそれだけじゃなくて」

 目の前でアルジェが先を促すようにうなずく。

「近寄りやすい空気の人っていますよね。蒼羽さんは全く逆で、ものすごーく近づき難いと思いません? 普通の人にとって。外見だけじゃなくて空気も」

「ふふ、そうね」

「でも同じ様に外見が整ってても、ベリルさんはすっごく話しかけやすい。いつも心が開いてる感じ、みんな自然と頼りにしちゃうって言うか。そういう人ならすごくやりやすいんです」

 こういう事を誰かに説明した事があるのは、大好きな友達だけ。微妙なこの自分の気持ちをアルジェが理解してくれるかどうか、少し不安になった。

「・・・なんかあたし。初めて会う人とか、あまり慣れない人が相手だと、うまく喋れないみたいで。特に大勢の中だとそう。周りの友達が言うには、そういう相手の空気を感じ取ってるらしいです。だから良く、緋天は人見知りする、って言われるんです」

 言葉を切るとアルジェが大きく頷いていた。

「よく分かるわ、それ。緋天さんはお友達とか、少人数の中で深い絆を作るタイプね。例えば大人数で遊んだりするのは苦手? あと、そうね・・・知り合ったばかりの人達が大勢集まって、何かするのってちょっぴり苦痛、とか。でもそれは誰かと仲良くなるまでの話で」

「そう!! そんな感じです」

「私も人付き合いは少人数派だわ。蒼羽は間違いなく少人数派ね。それも、極々少数。サー・クロムは大人数派、かしら」

 蒼羽は、極々少数。その言葉に思わず頷いたけれど、その中に自分が入る事ができて良かった、とふいに幸せをかみしめた。


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