エピローグ
※本作はガールズラブなどの要素を含みませんが、このエピローグに限定してそう取れる描写が多少あります。注意。
『世界』のどこか
「……と、まあ、こんな話があったのさ」
話を終えたカイムは一度息を吐く。いかにも話疲れたかのように見える態度だが、人ではなく、疲れという物とは縁の遠い彼らには無意味な行動でしかない。
しかし、それに物申す者は居なかった。当然だ、そこにはエィストを除き、誰も居ないのだから。そのエィストもただ不気味な笑顔でカイムを見つめ続けているだけなのだから、やはり誰もカイムの行動を気にする者は居ない。
そんなエィストの視線を鬱陶しげに受け入れつつも、カイムは半ば、というかほぼ完全に知った上でエィストに問いかける。
「他の連中はどこへ行った?」
「分かってるだろう? カミラさんの所さ」
エィストの言葉には当然の事を聞いてくるカイムに対する嘲笑の類は感じられなかった。むしろ、楽しそうにカイムの言葉を聞いているようにさえ見える。
カイムはそんなエィストの態度を、何故かおかしい物とは思えなかった。そういう反応なのではないか、と彼自身予想が出来ていたのだ。とはいえ、今は関係ないとカイムは一度首を振る。
「会いに行ったのか、あいつ……カミラの反応が気になる所だな」
それを言った途端、エィストの表情は一変した。それまでのカイムをただ見つめていただけのそれが、何かを期待するような物に変わり、目も比喩ではなく輝いている。
「ああ、確かに気になるよね。泣くのかな? 笑うのかな? それとも、例えば……」
「お前が恐らく最後に考えたのだけはありえないと思うぞ」
エィストが最後の言葉を詰まらせつつ顔を赤くして両手を頬にやり、見悶えしている姿を見たカイムは、何を言わんとして飲み込んだのか理解して、心理的に距離をとりながら盛大にため息をついた。
そんな風に話を遮られたというのにエィストはそれがまったく聞こえなかったかのように小首を傾げ、関係の無い疑問を口にする。
「ところで、どうしてカミラさんと会ったんだ?」
「ああ、実はな。元々お前の足跡を辿ってあの町に入ったらな、ニルの名前を聞いたんだ。で、調べてみたというわけだ。これが理由だ」
カイムはそう言って強引に話を終わらせる。カイムが偶然カミラとぶつかった時、彼はそのカミラを探していたのだ。その時は、相手の外見を知らなかったのだが。
彼女がニルという名の女性を尊敬している事や、それがどのような人物だったのか、有名ではないが知っている者は知っているのである。マーカスが知っていたそれを、カイムが知る事は容易だった。
「んー、分かった。よく分かったよ。じゃあさじゃあさ! ……あの宝箱の中身、見た?」
話を理解して何度か頷いていたエィストは、唐突に身を乗り出してそんな事を言う。それが何を指しているのかは分かった。『島』にあった宝が入っていると言う箱だ。
眉唾物だとカイムは考えていたのだが、どうやら違うらしい。少なくとも、エィストにとっての大事な何かが入っているようだ。それを察しつつ、カイムは返答をする。
「いや、見ていないとも。見たいとも思わなかったしな。で、何が入ってるんだ?」
それを聞かれたエィストの反応こそ見事な物だった。先ほどの赤面すら比べ物にならない程の照れが伺える顔になり、座り込んだまま足をばたつかせ、何やら外見まで様々な物に変貌していく。
「そ、それを私に言わせる気なの!? いや無理! 恥ずかしくってもう言えないというかそういう感じで、そういうのなんだ!」
青年から少女へ、少女から猫に、猫から竜に、竜から巨大な蛸のような生き物に変貌しながらエィストは言葉を発し続け、最後にはやはり普段の虹色の髪をした青年に戻る。
正気を失いかねないおぞましさすら感じる光景だ、が、カイムはそれを直視しつつもどうでもいいという感情を全身から発し、エィストの相手をするのが面倒だったのか、話題の方向を変える。
「まあ中身が何だろうがどうでもいい、で? お前は行かないのか?」
「え? どこに?」
エィストはきょとん、とした表情でカイムを見た。どうやら本気で何を言われているのか分かっていないらしい。カイムはまた一度ため息をついて、言葉を続けた。
「ビル達が、待ってるんだろう?」
そう、話が終わると同時に親友二人を連れて消えたニルと同じく、エィストにもマーカスとビルという待たせている者が居るのだ。
先ほど黙ってカイムの話を聞いていたエィストが、ビルとマーカスの名前が出る度にどこか懐かしそうな顔をする所からも、彼らの事を嫌ってはいないのは明白だった。しかし、エィストはカイムの言葉を聞いた途端、クスクスと笑っていた。
カイムが眉をしかめていると、エィストは少しばかり馬鹿にするような嘲笑混じりの笑顔を浮かべてカイムに向けた。
「ああ、そういう事か。それなら簡単さ、用事を片づけてから行くつもりなんだよ」
笑いながら、エィストはカイムにそれを話した。嘲笑混じりではあったが、朗らかな口調ではある。しかし、それはカイムにとって警戒をするに値する程の悪寒を感じさせる物だ。
その悪寒の正体が、何となくカイムには理解できた。
「……怒ってるのか、お前」
「……ああ、すっごく怒ってる」
そう言うエィストは笑っていたが、全身から何やら剣呑な雰囲気が漂っている。明らかに、怒っていた。そうなったのかも、やはりカイムは予想出来た。何故なら、彼はエィストがそうなるという事を分かっていたのだ。
「……ねー、君が居たお陰で私は彼らの事件を見逃しちゃったんだよねー、楽しそうだったのに」
そう、エィストは確かに『島』に何かが起きた時は気づけるようにしていた。それが、カイムが居た事によって察知する事が出来ず、結果的にマーカスとの約束を破る事になってしまったのだ。
少し前、ニル達と再会するまで彼はエィストに対して身を隠していた。マーカスがエィストの言葉を嘘と判断したその時から、カイムにはエィストが現れない理由が分かっていたのだ。
しかし、エィストがここまで怒る、いや、怒っているような雰囲気になるのだけは予想外だった。どうやら、カイムが思う以上にエィストは『島』の事を気に入っていたらしい。それを知りつつ、カイムはあえて挑発するような口調で話しかけた。
「しかしなあ……それは俺が悪いのか? 俺はただ、あそこに居ただけだぞ?」
「うん、私の目が悪いのさ……しかしそれで納得出来るかと言われれば……嘘になるよね。まあ八つ当たりだと思って、諦めてくれると嬉しい」
エィストがそう言った瞬間、彼の身体、に見える物から危険を感じさせる何かが現れたかと思うと、カイムの上半身が一瞬で消し飛んだ。
ただ物理的に消し飛んだだけではない、見る者が見れば、カイムという存在そのものの半分が弾けた瞬間が見えただろう。
「先制攻撃とは珍しいな」
しかし、カイムは当然のように完全な状態でエィストの目の前に居た。そしてエィストが何かを言う前に、カイムはエィストを殴る。触れたと同時に、エィストの上半身が同じように弾けた。
「ははは、なんかカイム、楽しそうじゃないか」
やはりエィストは完全な状態で、カイムから少し離れた場所に立っていた。一度攻撃した事で気が晴れたのだろう、彼は楽しそうに笑っていた。
気が晴れないのはカイムだ。反撃こそ出来たが、特に何とも思わない程度の物でしかない。しかし、そうであってもカイムは自分が笑っている事を指摘され、不満げな顔をする。
「まあ……お前を殴る機会なんて割と少ないからな」
「ごもっともだね。喧嘩は出来る時にしておかないと」
カイムとエィストはそう言って笑いあった。互いから発せられる空気は剣呑で、今にも相手の事を消し去ろうとしている様にも見える。が、それでも二人はまるで親友を見るような目で笑っているのだ。
二人の剣呑な気配は相手が笑う度に強くなっていく。やがてそれが気配ではなく、視認可能な何かに変じた時、カイムが何かを思い出したのか、質問がある事を気配で伝えてから口を開く。
「ああ、一つ聞いておくんだった」
「んん?」
「お前……どうしてあの『島』から離れたんだ?」
カイムの質問を聞いたエィストは少し寂しそうな顔をする。それでも楽しそうな雰囲気も笑みも崩れてはいなかったが、急にそのようならしくない顔をされた為にカイムは余計に疑問を強めた。
数秒間エィストはそのまま固まっていたが、答える気になったらしく、少し性質の違う笑みを浮かべた。
「本当の意味で何でも出来る奴が隣に居たら、人の足は止まるだろう? それじゃいけない面白くない、皆大好きだけどね」
自分の言葉に何度か頷いているエィストの姿を見て、カイムは少しだけ彼の気持ちが理解出来た。結局は面白いか面白くないかだという部分に、エィストらしさを覚えて苦笑はしたのだが。
そして、彼が苦笑した瞬間、カイムの元にエィストの拳が飛んで来る。が、予想外のそれをカイムは何でもないかのように受け止めた。その流れだけで人知を越えた力が幾つも使われていたのだが、どちらもそれを当然の事としている。
相手の攻撃を受けきったカイムは、面白い事を見たように笑う。
「今度は不意打ちか! 珍しいな本当に」
そう言って、カイムもまたエィストを殴りつける。やはり人知を越えた何かが使われて、彼らが居る『世界』が一瞬にして数えられないほど何度も消滅しては数えられないほどまた作られていく、『世界』に住む者達全員がそれを察知していたが誰も気にしない、「ああ、またあいつらか」と。
そう、そこは『世界』、異常すぎる何かが集まる、『世界』なのだから。
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「スリーカード」
「ああはいはい、ツーペアだ。負けだよ負け」
そんな『世界』で起きた怪物二人の殴り合いの喧嘩など知りもせず、男達、アベリー達は賭事に興じている。
数日前に『島』から脱出した後、彼らはある人物の協力を得て何とか弾薬や武器を補充し、怪我人を病院に運び込み、それを終えると普段通りに賭事を始めていたのだ。気楽そうな態度だったが、そこには全員が無事に戻れた事への安堵が見て取れた。
そうして賭事をしている者達の中に、アベリーは居た。隣で仲間が盛り上がっているというのに、相変わらず『賭事専用の』無表情で二人の持っていたカードを見つめている。それに気づいた二人は、アベリーに言葉をかけた。
「ボスは?」
「フルハウス」
二人は思わず呻き声を上げる。これでアベリーと『もう一人』に負けたのは七回目だった。アベリーは無表情で手札を読ませず、もう一人は強烈な運で圧倒してくるのだ。
そう、幾つかのグループになって賭事をしている者達の内、四人でグループを作ったアベリーの隣の椅子には彼らの日常には居なかった者が座っていた。その者は、アベリーの手を見ると得意げな顔で自分の手札を見せる。
「フォーカード。おや、私の勝ちかな?」
そこに居たのは、数日前の『島』で彼らにとっての悪夢でもあり、恩人でもあるカミラだった。そう、彼らに協力を申し出た人間とはカミラの事だったのだ。
彼らが宝を置いてきたと聞いて笑い転げていた彼女は、笑い終えると腹を抱えながらも彼らに協力すると申し出たのだ。何故かと聞くと、彼女はあっさりと答えた、「君達は面白すぎる、仲間にしてくれ」と。勿論、断らせる気など毛頭無いのが嫌でも理解出来る言葉遣いだった。
そんな勢いのまま彼らの仲間に加わった彼女は、相変わらず不敵な笑みを浮かべ、唖然としている他の三人の賭金を手元に手繰り寄せて愉快そうな顔をする。そこでやっと気がついたアベリーが思わず声をかけた。
「……イカサマか? さっきからでかいのばっかりだが」
「とんでもない! ただの運さ」
何を言うかとばかりにカミラが怒った風な口調で話していた。しかし、周囲の者達は怪しい物だと彼女を見つめている。何せ、彼女がその気になれば全員に気づかれる事無くイカサマをする事も可能なのだから。
それを分かっているカミラは不機嫌そうな顔をして、少しばかり殺気のような物を発し始めた。すると、一部を除く大半の者達が黙り込んで、カミラの方を見た。 どうやら、彼女の放つ物を彼らは恐れているらしい。
長身の美女が屈強そうな者達と共に賭事をして、彼らに恐れられている。アベリーは彼女の殺気らしき物を柳に風と受け流しつつ、呆れたような表情をする。
「そうビビるなよ、お前等」
「……そうだな、そんなに怖がられると悲しい」
絶対に嘘だ、カミラの大げさな態度に全員がそう感じたが、あえて口にする者は居ない。
「絶対に嘘だろ、それ」
いや、居た。いつの間にかカミラの隣に立っていた男が苦笑を浮かべてそれをカミラに告げたのだ。その声に反応したカミラが隣を見て、嬉しそうな顔で声を上げた。
「やあダグラス! 君もやるか?」
「いや、やめておく」
その男、ダグラスは笑いながら手を振ってカミラの提案を遠慮するかのような態度で拒否すると、彼女から離れてアベリーの方へと歩いていく。その頼もしげな姿を見て、周囲の人間は安堵の息をついた。
「一応、全員おかしな病気になった奴も居ません、来週には戻ってこれそうですよ」
ダグラスは楽しそうな顔でアベリー達に報告した。彼は、病院へ仲間の様子を見に行っていたのだ。それに対する報告をアベリーは頼んでいた。
アベリーはそれを聞くと、嬉しそうな顔をする。
「ああ、ご苦労さん。それで、お前自身の体調は?」
意外な言葉にダグラスは一瞬目を丸くして、少し柔らかな笑みを浮かべた。確かに彼はカミラとの戦いなどで若干の傷を負っていたが、本人は医者に見せるのも不要だと考える程の軽傷だと感じてたのだ。
それでも、アベリーは心配だったらしい。そんな彼を大げさだと思いつつも、ダグラスは嬉しそうに返事をする。
「いや、大丈夫だ。そこのそいつも本気じゃなかったしな……ところで、あいつはどこだ?」
一瞬だけカミラを見て、微笑む彼女を確認したダグラスは、すぐに周囲を見回して首を傾げた。その言葉の意味に気づいたアベリーは苦笑を浮かべる。
「ビルか?」
「ああ、あいつ、靴でぶっ叩いてやったからな、大丈夫だったか?」
『島』から戻ったその夜、寝ていたビルを一人一回靴で叩くというアベリーの宣言をそのまま実行した彼らは少しやりすぎたと考えているのか、小さくため息をつく。
無論、ビル自身もそれが行われる事を分かっていた為に怒ってはいなかったが、身体が痣だらけになったとぼやいていたのをダグラスとアベリーは知っている。
「まあ、大丈夫だ。気にする事はない、痣はほとんど直った、あの野郎どんな傷でも次の日には直ってるからな」
アベリーは出来るだけ気楽に答える事にした。隣でカミラがビルの名前を聞くなり興味深げな表情でこちらを見ているのがアベリーには分かっていたが、出来るだけ見ないようにしてダグラスへの話を続けた。
「で、居場所だが……あいつなら、スタンリーとかいう奴のところだ。ほら、『島』の話が聞きたいとか何とか、言ってただろう?」
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町の中でもっとも治安が悪いとされる地区、その人通りが多い場所に建てられたレストラン『アンダースイージ』。それなりに広いというのにコックが一人で全てを賄っているこの店では、何故だか強盗も、悪人も、皆平等に大人しくしていた。
それを不思議に思う者は居ない、この店が出来た時から、ここはある意味であらゆる勢力や個人にとってもっとも安らげる場であり、もっとも動きにくい場でもあるのだから。
そんな店の隅の席に、スタンリーとビルは居た。二人はしきりに周囲を気にしながらも、ビルは懐かしそうに、スタンリーは興味深げに話し合っている。どちらも、『島』での傷を思わせない程快調な雰囲気だ。
「何故、ただ単に『島』と呼ばれるのかというとだな……エィストさんは基本的に変な所で恥ずかしがるから、『エィスト島』なんて言ったら、俺たちはあの人が泣き出す所を見る事になったかもしれなかったからなんだ」
ビルは一息でそこまで言い切ると、既に運ばれてきていた料理に口を付ける。期待通り、そしてこの町にはもったいない程に素晴らしい味だ。二百年生きてきたビルだからこそ、その気持ちは本当に強い物だった。
「ああ、本当にうまい。靴底食ってても気づかないような連中の巣窟にこの味はおかしいね」
スタンリーも同意見なのか、しきりに頷きながら自分の料理に手を付けていた。ビルの暴言を耳聡く聞きつけた二つ隣のテーブル席に座った集団の一人が立ち上がったが、即座に隣に居た男に殴られて気絶する。
そんな光景にも平然としつつ、二人は話し合いを続ける。この店で暴力行為を行う者は居ない、もしそんな命知らずが居たとしても、周囲がすぐに止めるのである。
「ところで、エィストという物は外見を変えられるんだったな? 例えばどんな風に?」
「エィストさんのあれは変身とかそういうのじゃない、『存在ごと』なんだ。だから変わってるのは外見だけじゃなく中身も」
「その辺には興味ないぞ、で、どんな風になったんだ?」
スタンリーが口を挟んだ事で、ビルの顔は少し不機嫌な物になる。しかし、一度飲み物に口を付けると機嫌を直したのか、話を続けた。その時、隣に何者かが立っていたのだが、二人とも何故かそれを意識する事は無い。
「ね、あなたたち」
「……あぁー……アレだ。まず、外見は色々だが女になった。そもそもあの人に性別があるのかは微妙な所だがな」
ビルの口振りから、スタンリーはビル自身があまり分かっていない事を察する。
しかし、それは当然の事なのだ、人の寿命を軽々と操作し、死んだ人間を死んでいなかった事にする、少なくとも通常の人間ではありえないだろう。所詮は普通の人間であるビルに理解出来ないのは自然な事だ。
そんな事を考えつつ、スタンリーは自分でも知らない内に口を開いていた。
「まあ、生命体じゃない、と」
「だろうな」
スタンリーの大雑把な言葉にビルは同意して頷く、そんな事をしつつも、ビルは気づかれない程度にスタンリーに疑いの眼を向けていた。しかし、勘の良いスタンリーにはすぐ気づかれる。
「どうしたんだ?」
「……いやその、何で俺の話を信じるのかと。他の連中ならまだしも、アンタはそういうのを信じそうにないタイプに見える」
つまり、それがビルの疑いに繋がっている物だった。『島』に居た時は全員が全員疲れていた為に意識しなかったが、今は違うのだ。スタンリーはそれを聞いて、数秒間だけ何かを考えるような顔をすると、すぐに笑ってみせた。
「勘、じゃないか? それに、エィストの事を語るお前の姿は真に迫ってるしな、嘘とは思えないさ」
「ほんとうにそう?」
笑いながら話すスタンリーの隣で、小さな声がまた響いた。しかし、それでも二人は何故か気づかない。ビルはスタンリーの言葉に納得していたが、それでもはっきりとそれだけが真実であるとは思えずに居た。
そんな彼の思考を悟ったのだろう、スタンリーはもう一度笑う。何も、彼は勘だけでビルの全てを信じたわけではない、あえて言わなかったが、真の理由は別にある。
「お前の、マーカスに刺された傷。もう無いだろ」
ギクリ、と言う表現が正しいと思える程、ビルの体は一瞬にして硬直する。自身の言った言葉の正しさを理解したスタンリーは、更に言葉を続けた。
「聞いたぞ、前日にカミラに殴られたんだろう? 手を踏まれたんだろう? 何故次の日にあそこまで活発に動ける? 手の傷はどこにある?」
「……まいったな、バレてたのかぁ……」
スタンリーの言葉を最後まで聞いたビルは、少し困ったような表情を浮かべて先日カミラに踏まれた方の手を振った、やはりその手には傷一つ無い。それこそが彼の異常性の証明になるのだ。
「ふふーん、大事にしてくれたんだねー」
ビルの手をじっと見つめて何者かが小さく呟いたが、やはり二人はそれに気づかない。視界に入っている筈だというのに気づいていないのだ。周囲の客達もその存在に気づいた様子はない。
何者かが見ている間、二人はしばらく無言で料理に手を着けていた。その途中、ビルが指先を小さく切ってしまったが、スタンリーはひたすらその指を見つめ続けている。
「そんなに見つめても治らないぞ?」
視線の正体にビルは気づいた。スタンリーは、その指の傷が一瞬で直るのではないか、と考えているらしい。ビルからすればとんでもない事だった。が、そうとは知らないスタンリーが少し首を傾げる。
「その手の奴は基本的にすぐ治るのがセオリーじゃないか?」
「それは知らないが、俺の場合は寝て起きたら治るのさ」
ビルはそう言って話を終えると、自分の分の料理を食べ終えた。本当に旨かったのか、表情には満足げな物が見えた。スタンリーもそれを見て、自身の料理を食べ終える。
「うまかったな、ああ、うまかった」
食べ終えたスタンリーは一言だけ呟き、息を吐いてビルを見る。そうしている内に、彼はやっと気づいた。ビルの隣に何者か、山ほどの包帯を体中に巻いた小さな少女が立っているのだ。
「……?」
「ん、何だ何だ?」
急に黙り込んだビルに適当な返事を返しつつ、スタンリーは少女を観察する。目以外の全てが白い少女の素肌に巻き付けられた包帯には大量の血が付着していて、見るからに痛々しい。だが、その傷よりもスタンリーはビルが少女に気づいていない事に疑問を覚えた。
改めて周囲を見回すと、そんな少女が居るというのに周囲の客は誰も気にしていないらしく、誰もが自身の料理に手を付けている。
そんな誰もが気にしない少女は、自身の唇に指を一本当てた。どうやら、黙っていて欲しいという意味のようだ。それを受け取ったスタンリーは、ビルに気づかれないように口を閉ざす。
「ど、どうしたんだ? 何かあったのか?」
急にスタンリーが黙った事を疑問に思ったのだろう、ビルが訝しげに彼を見ていた。そんなビルに向かって、少女は片手をビルに近づけて行き、思い切った風な調子でビルの頬を抓った。
「何か……って、痛って! 痛ててて! な、何だ!?」
急に何者かに抓られたので驚いたのだろう、ビルは思い切り立ち上がり、周囲の客の視線を受けて慌てて座り込む。
そんな姿を少女はクスクスと、楽しそうに眺めていた。包帯だらけの痛々しい外見からは似合わない明るさを纏った少女は、笑いながらもスカートの両端を摘み、優雅な挙動で挨拶をする。
「こんにちは、スタンリーさんに、ビル『君』ですね」
その時、初めて二人は『意識して』少女の声を聞いた。透き通るような美しい声だ、それは少女の外見と組み合わさって、どこか神秘的な物を感じさせる物になっている。
スタンリーが少し困った様子でビルを見た。少なくとも、スタンリーにそのような外見の知人は居ない。ならばビルの知人だと考えるのは自然の流れだった。なぜ少女に気づかなかったのかという、根本的な疑問には至らなかったにせよ。
「……」
「おい、どうしたそんな、何だその顔?」
スタンリーが目をやった先に居るビルは、完全に硬直していた。その目には、少女以外の何も写っていないように見える。スタンリーは「そういう趣味なのか」とからかおうとして、止めた。ビルの目は、真剣そのものだったのだ。
少女はビルの目を見て、また嬉しそうな笑みを浮かべる。それでも彼女の目は、またビルと同じく真剣だ。その奥深くに懐かしそうな色がある事を、スタンリーは見逃さなかった。
「……あの、エ」
「ね! こっち、来て? こっち。向こうで楽しい事をしよう?」
「待て、食い逃げか? 言っておくが金は一人分しか出したくないぞ?」
ビルが何かを言う前に、少女がいつの間にかビルと腕を組んで店の外に出ようとしていた。スタンリーは慌ててそれを止めようとして、ビルの居た場所に置いてあった物を見てやめる。
「……ああ、楽しんでこい。お前の趣味趣向には何も言わないからな、ただ、あんまり酷い事はするなよ」
ビルの居た場所には二人分の料金が置いてあったのだ。少女がこちらに向かってウインクをしたのを見たスタンリーは大人しく金を手元に引き寄せて、ビル達に生暖かい目を向けて笑う。。
「待て、待てスタンリー! 勘違いだ! この人はエィ……」
「ぁはあぁははぁー! ああ腕がいたいよぉ! お願いだから腕を組まないでー!」
「組んでるのアンタでしょうがぁー!」
必死な様子のビルを余所に、少女は走り出す。少女の顔は愉快さと体の苦痛が入り交じった物に見えて、その実、底には恐ろしい何かを感じさせた。
「……まあ、頑張れ」
スタンリーは、その状況を気にしない事に決め、もう一度メニューに目を通し始めた。二人分の料金が置いてあった為、自分が払うつもりだった分が余ったのだ。
周囲を見てみると、これだけ騒いだというのに誰もが少女達を気にした様子がない。やはり、そういう存在なのだろうな、とスタンリーは一度頷いて、どれを食べるか選ぶ事に専念する事にした。
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「はぁ……ああもう、勘弁してくださいよ。なんですかその外見」
走り去っていった少女と、それに引きずられていったビルはどこかの路地裏に行き着いていた。人通りは一切無く、人以外の気配すらほとんど感じられない不自然な場所だった。
しかし、ビルはそれを当然の事として受け取った。目の前の少女がそれくらいの事を出来ないとは思っていない、何せ、二百年前までは生まれてからずっと目にしてきた存在なのだから。
「んんー……そうだねー、可愛い?」
「怖いです」
自身の外見を見せつけるように踊り始めた少女の言葉をビルはあっさりと切り捨てる。少女は確かに愛らしいと言える外見をしてはいたが、血が付いた包帯と、全身から発せられる背筋が寒くなるような異様さが全てを台無しにしているとビルは感じていた。
そんなビルの言葉を聞いて少女は頬を膨らませ、不満である事を表現する。明らかに過剰な表現だ、ビルはそれで少女の正体を完全に確信し、懐かしそうに眺めていた。
「そ、その表情……まさか二百年見ない間に……っ!」
「無い無い、何言ってるんですか」
何かに気づいた顔でビルから一歩下がり、身を守るように自分の体を抱きしめた少女にビルは冷めたような一言をぶつける。そんな態度を予想していたのだろう、少女は小さく舌を出して微笑んだ。
「うんうん、変わってるようで変わってないね! 昔はもっと良い子だったような気もするけど」
「そっちはそっちで何ですかその外見、昔はもっと親しみやすい感じでしたよ」
言葉の中のちょっとした毒に、ビルは苦笑しながら『反撃』をする。
それを聞いた少女は、曖昧に微笑んだ。しかし、何を考えているのかは一瞬で理解出来る。何故なら、ビルの言葉が出た瞬間、少女の髪の色は白から虹色に輝いていたのだ。
これは来るな、と、ビルは経験から来る確信を持って一挙動すらも見逃さぬとばかりに少女を見つめた。
「じゃあこれはどう?」
それだけ見つめていたにも関わらず、少女の姿はいつの間にか青年に変わっていた。髪色が相変わらず虹である事を除けば、特に不気味でも何でもない雰囲気の青年だ。しかし、ビルの表情は心からの歓喜を表していた。
「ええ、それですよそれ。それが一番アナタらしい。ね、エィストさん?」
青年の形をしたエィストは、その言葉にニヤリと笑みを浮かべた。その姿、性格、笑い方に至るまで、その全てがビルに懐かしさと幸せを体中に注ぎ込んでくる。そう、二百年前から何も変わって居ないこの存在こそ、彼が再会を待っていた者なのだから。
「久しぶりだね、ビル君。ははっ、元気にしてたかな? してたみたいだね」
そんなビルの表情が余程面白かったのか、エィストは愉快そうに笑う。ビルは、二百年前に戻ったような気持ちになりつつ、話を続けるエィストの声に集中する事にした。
「そうそう、マーカス君にも会ってきたよ? 泣かれちゃった。……あれ? 君は泣いてくれないね?」
「再会が唐突な上に外見がアレだったんで、まあ、泣く暇が無いというのが答えですけどね」
死んだ筈の人間と話をしたというエィストを、ビルはまったく疑わなかった。それを可能とするのに充分すぎる力を持っている事をしっている為に。それどころか、マーカス以外の二百年前の『島』に居た者達にも会ってきたのではないかとすら考えられた。
「うん、正解」
ビルの思考を読んだかのように、エィストは一言囁くと、説明をしようと考えたのか話を続ける。
「正確に言うと、今日再開した人で肉体を持って生きてるのはマーカス君とビル君だけだよ」
「いやマーカスは前に……ああ、そういう事ですか」
「そういう事なのさ」
二百年と少し前、ビルはエィストによって『死んでから死んでいなかった』事にされて、復活している。『島』の歴史書にすら載っているその出来事の当事者であるビルは、マーカスが現在は生きている事が心から納得出来た。
ビルの思考を理解したエィストは、より気分良く笑みを浮かべる。機嫌の良さそうな彼の表情は、何やら悪戯を考えたかのような色がある。勿論ビルもその事に気づき、少しばかり警戒したが即座に無意味だと悟って諦めた。
「実は、マーカス君。今ここに連れてきてるんだ」
「連れてこられてるんだよ、ビル君」
エィストが言葉を終えるより早く、路地裏の角から杖をついた老人が現れて素早くビルの隣に立った。言うまでもなくマーカスである。彼はビルを見ると、少し申し訳なさそうな顔をした。
「やあビル君。忘れていて悪かったよ」
どうやらマーカスはビルの事を思い出したらしく、エィストと再会した事への喜びとは別に、自身の記憶力について思う所があるのか、少し落ち込んでいるようだった。
「まあ忘れられていようが別にかまわないけどな……エィストさんは?」
「私の事は忘れていなかったし、大丈夫だと思うよ?」
ビルが話を振ると、エィストは柔らかな口調でマーカスを励ました。しかしその優しさが逆効果だったのか、マーカスは一層落ち込んだ顔になる。
彼の顔を見て失敗した事を察したビルは、話を変える事にした。そこで、エィストの方へ目を向けて話題を考えようとすると、エィストの格好について今更ながら疑問が浮かび上がってくる。
エィストは、青年の姿となった状態でも体の一部に包帯を巻いているのだ。少女の姿をしていた時と同じく、血が滲んでいるのもそのままで。怪我、というのは考えにくかった、何せ、エィストなのだから。
「その包帯、どうしたんですか?」
「ん? ああ、喧嘩したんだ。それで、まあこんな感じに」
エィストから返ってきた言葉に、ビルは一層首を傾げた。横から話を聞いていたのであろうマーカスも同じように首を傾げている。彼らは生まれてから今まで、エィストが怪我をするという光景を見た事が無いのだ。赤い血が出る事すら今知った事だった。
自身の中の疑問に従って、ビルはじっとエィストの包帯を見つめる。そうしていると、何故だか滲んでいる血は本物ではなくまるで特殊メイクのような、そんな雰囲気が感じられた。
「ああ、この血は本物だけど偽物。実際に自分からは流れてないから、気にしないでね……」
ビルの勘を肯定する言葉をエィストは発していた。が、ビルとマーカスは更に混乱する。怪我をしたというのは納得する事にしても、エィストが包帯を付ける意味が感じられなかった。
「何故、包帯なのですか?」
「んー……そうだね、喧嘩記念って奴? 分かりやすいから、ね?」
マーカスの問いに答えたエィストの言葉に、二人は心から納得した。そう、エィストはこういう存在である事を思い出したのだ。気分ときまぐれと愉快さで行動する、それがエィストであると。
二人が何故か安堵したような顔をするのでエィストは小首を傾げたが、数秒すると気にしない事にしたのか笑い出す。
「ははっ、うん。まあそれよりも! 折角再会した訳だし……何か楽しい事は無いかな?」
「……あれ? 我々に会う為だけに戻って来たんですか?」
ビルは、エィストの言葉に疑問を抱いた。エィストがただビルとマーカスに再会する為だけに戻ってくるというのは考えられなかった。最初に姿を確認した時から、エィストは何らかの用事があって戻ってきたのだと理解していたのだ。
しかし、エィストはそれが無いと言う。考え過ぎかとビルは理解しようとしたが、どうにもそれは出来なかった。エィストの顔が、何かを企むような色を持っていた為に。
「あ、そうだね。実は用事があって来たんだ。でも流石だよねぇあの子は」
急に出てきた『あの子』が何者なのかビルとマーカスは考えて、何となく近い答えを予想出来たが、それ以上エィストに質問しようとは思わない。疑問は全て解決された以上、再会を喜ぶ方が二人の中では優先された。
「でも、ちょっと何もしないのはアレだし……やっぱり、何かやっておこうかな」
そんな二人の気持ちを知ってか知らでか、エィストは愉しそうな顔をし、一瞬だけどこか別の場所を見て悪戯っぽい表情をすると、すぐにそれを引っ込めて二人の方へ笑顔を見せる。
その笑顔を向けられた二人はエィストの気まぐれの犠牲になるであろう『女性』の事を少しだけ考えて、止めた。エィストが何かを企んだ時、その当事者は困るが、最後には幸福を手にする事が出来るように仕向けられているのだ。
それでも、二人は少し同情の念を抱いていた。最後がどうあれ、基本的に困らされる事には変わりない。
「うんうん、とりあえず楽しい結果が出るだろうけど……見に行きたくても行けない訳だし……そうだ」
二人が表情を変化させている間に、エィストは楽しそうな独り言を呟いていた。そして、それを数秒続けた後、エィストは何かを思いついたのだろう。何故かエィストの頭から電球が現れた。
それを認識した時には、既に二人の手が何時の間にか握られていた。慌てて隣に居る手を握っている存在を確認すると、そこにはやはり、エィストが居た。ただし、最初に再会した時の少女の姿で。
「これから三人で『島』に戻らないかい? マーカスの部下を驚かせたいね!」
透き通るような美しい声が耳に届いた時には、二人は思わず頷いていた。それを確認するよりも早く、エィストは走り出す。
マーカスとビルは、少女らしいおぼつかない走り方をするエィストの姿を見て、笑いながらそれに従って走り出す。エィストと共に『島』へ戻る、それは二人が共通して考えていた願望でもあったからだ。
そして、例えそうでなかったとしても、二人がエィストの頼みに否を唱えるなど、ありえないのである。
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彼らが歓喜の表情でエィストに連れ回されているその時、アベリー達のアジトではカミラとアベリーを除いた残り二人の男が下着一枚で賭事をし、また負けては肩を落としていた。
負け続けた二人の賭金は全てアベリーとカミラに持っていかれた後だった。最後には服まで賭始めたが、それも既にほとんど無くなっている。
情けない表情を浮かべて落ち込み、周囲に笑われている二人の男とは別に、カミラとアベリーは自分の手元にある賭金をどうするべきか、困り顔で考えていた。この二人、別に金が必要という訳でもなく、男の服が必要な訳でも無いのである。
「もう、いいから服着ろよ服。見てるこっちが悲しくなる……ん?」
そんな中、二人の男に賭で奪った服を投げ返したカミラが急に立ち上がり、困惑した顔でどこか別の場所を見ている様な目をし始めた。自分達には分からない物が見えているのではないかと、アベリーは少し警戒する。
「……ん? あれ?」
「どうしたんだよカミラよぉ……まさかまだやるのか? 俺達二人はもう、ケツの毛一本すらアンタらに持って行かれたんだぜ?」
「……いや、そうじゃない。そうじゃないんだ……何だろう、これ」
二人の男がそれに気づかず、服を着ながらも情けない表情を浮かべてカミラに言葉をかけた。が、カミラは困惑した顔をまったく崩さず独り言のような口調で返事をすると、自分の心臓がある辺りに片手を置いた。
「ドキドキで、ワクワクで、幸せ? 何だ、これ……?」
独り言を呟くカミラの顔は、少し紅潮していた。まるでとびきりのプレゼントを前にした子供のような表情に。しかし、カミラにはどうして自身がそう感じているのか分からないらしい。
男達はカミラの異変に少しずつ警戒を表していった。恐らくは、カミラが『こうなった』原因が近くにあるのだろう、と。そして、そんな彼らの行動など構わずカミラは考え込む。
「何だ? 一体、何が……」
カミラがそう呟いた瞬間、アジトの扉に何者かの気配を感じたアベリー達は即座に銃を構え、机を蹴り飛ばして盾を作る。下着姿で情けない姿を晒していた二人も、彼らを笑い飛ばした者達も、一瞬で真剣な表情になると盾になりそうな場所へ飛び込み、銃を扉に向かって構えた。
そんな行動をしているというのに、何故かカミラはそれに対して全く反応する事無く、扉をじっと見つめて、何事かを考えている。
「おい……何があった?」
「……これは……ああっなんて……」
盾にした机ごとカミラの側に近寄ったアベリーが声をかけたが、カミラはそれが聞こえていないかのようにやはり扉を見つめ続ける。しかし、その表情はそれまでとは一変していた。
それまで浮かべていた何事かを考えるような表情は消え去り、輝かんばかりの歓喜と多幸感を浮かべ、不敵な笑みは幸せを表す物に。声は弾み、目尻には涙が見え、力強い雰囲気は、今この瞬間では乙女の如きそれに変わっている。
異常事態だ、全員がそう感じた。数日間程度の付き合いではあったが、アベリー達は既にカミラの性格を大まかではあるが理解している。少なくとも、このような状態になるなど想像も出来ない人物だという事くらいは。
あまりに珍しい光景にアベリー達の心は硬直していたが、銃を持つ体は油断無く扉を警戒し続けていた。すると、扉はゆっくりと開き出す。
その時、アベリー以外の持っていた銃が落ちた。腕が落ちたのでも、誰かに叩き落とされたのでもなく、自分から、誰に操られたのでもない自然な動きで銃を手から離したのだ。
「銃を向けられたままじゃ怖くて話も出来ないとでも言っておくべきか? ……まあ、嘘だが」
その事に驚愕するよりも早く扉は開ききって、その先には一人の女、のように見える存在があった。長身に、それと合わせたかのような黒く流れるような長髪、細身だが力強さを感じさせる姿をして、スーツを着こなしている。
整い過ぎて一周回り、おぞましくなるほど美しいその女性、らしき者を見て、アベリーは銃を降ろした。
その者が美しかったからではない。浮かべていた表情が、カミラと良く似た、いや、『カミラが似るように努力している』不敵な笑みだった為に、アベリーは銃を降ろしたのだ。
「ん、それで良い。さて、お邪魔するよ」
「……ニ、ルさ……ん?」
アベリー達の行動に満足げな顔をしたその存在は、カミラが発したか細い声に反応して、彼女に微笑みかける。
やはり、とアベリーは納得した。顔立ちこそそれほど似ているとは言えないが、その存在は雰囲気や口調、格好までがカミラに似ているのだ。顔と髪型の違いが無ければ、同一人物に思える程に。
カミラと良く似た人物、という点でアベリーはすぐに女の正体に辿り着いていた。今この部屋に居るこれこそが、数日前に聴かされたカミラが敬愛する存在、ニルなのであろう、と。
アベリーの思考を余所に、その存在、ニルは周囲を一度見回し、何度か頷くとカミラの顔を見る。途端に、カミラは嬉しさと恥ずかしさが入り交じったような表情になった。
「やあ、カミラ。久しぶりだね、当たり障りのない質問をするが……元気だったかな?」
「は、はいっ! とても元気です! ニ、ニルさんはどう、ですか?」
「君と再会する前も元気だったけど、今はもっと元気かな」
明らかにからかい混じりのニルの言葉を聞いたカミラは両手を頬に当てて、小さく唸り声を上げた。獣のようなそれではなく、恥ずかしさを堪えるようなそれを。
「か、からかわないでください……」
「ところがそうでもない、君が元気で居てくれて嬉しいのは本当だ」
カミラには似合わない筈だというのに何故か似合っているしおらしい声に、ニルは面白がるような口調で返答する。その度に、カミラはより一層幸せさと恥ずかしさが入り交じった色を強めていった。
ニルは誰にも認識できないくらいの時間、カミラがおかしな状態にある事に首を傾げていた。だが、認識出来なくとも直感が理解させたのだろう、カミラが少し真顔に戻る。
「……何やら、先程から私の感情を大げさにしようと何かが動いている気がします……あ、もちろんニルさんと再会したのは幸せすぎて、泣くのを堪えるのが大変なのは本当なんですよ」
「有りすぎるほどだな……後、別に泣くなとは言わない、我慢しなくてもいいんだ」
そう、有る。そのような事をしようと考える存在など、ニルはこの地では一人しか知らない。同行しようとする奴を殴り飛ばして来たのがいけなかったのか、とニルは心の中でため息をつく。
ニルは、この再会をそれなりに大事にしようと考えていた。何せ二人の親友をカミラ達からは見えない扉の外で待っている程だ、それをエィストに台無しにされるのは避けたかった。
それを知ってか知らでか、カミラは更に何かを堪えるような顔になり、今度は服の裾を握りしめる。
「カミラ? どうしたんだ?」
「いえ、その……あの……」
相当に言い辛い事なのか、カミラは口を閉ざす。しかし、無意味な事だ。彼女の心理状態くらい、見抜けないニルではない。
「ああ、つまり、アレか。夢じゃないか、とか、幻覚だったらどうしよう、とか、そう考えているんだな?」
カミラは悲しそうな顔で頷く。どうやら、その手の夢を見た事があるらしい。そんな不安そうな顔を周囲の人間が呆気に取られた風に眺めていても、彼女は気づく様子がなかった。
さてどうした物か、とニルは考える。カミラの感情は明らかに何者か、というより間違いなくエィストに操作され、通常抱くそれよりも大きな感情になっているらしい。
先程からの反応は、事前に想定していたそれよりも遙かに大きな物だった。長年、彼女が再会を望んでいたにせよ、明らかに大きすぎるのである。
だからこそ、ニルは考える。カミラが、自分自身の感覚を信じ切れていないのが彼女には伝わってくる。ただ言葉を交わしただけではカミラは自身を疑ったままだとニルは理解していた。
「それは、少し寂しいか」
カミラに聞こえない程度の声で、ニルは呟く。折角の再会なのだから、もっと派手な物にしたいと思っていた。が、カミラ自身が喜べないなら意味が無い。
彼女が考えていたその時、全員に伝わらない程度の声が背後からニルへとやってきた。どうやら待たせていた親友の一人が、声をかけてきたらしい。
「……私に良い考えがあります、つまり、カミラさんの顔を……」
耳を傾けると、それは助言だった。普段なら聴いた瞬間実行する所だが、その内容にニルは実行すべきかどうか考え込んだ。感情の動きが大きくなっているカミラにやっても良い物か、とも考えられた。
「あ、あの……ニルさん……?」
そのまま黙り込んで何かを考えているニルの姿を不安に思ったらしく、カミラが心配そうな表情で話しかける。
「ん? ああ、そうだね、実行すべきだね」
不安そうなカミラの声を聴いて、ニルは実行する事を決めた。どの道、考え続けても仕方のない事だと思い至って。そして、その瞬間カミラの目の前にニルは現れた。周囲には瞬間移動に見えただろうが、ニルはただ歩いただけだ。しかし、カミラはそれとは別に困惑した。
「え?」
ニルにはカミラの困惑が強く伝わってきたが、気にしなかった。むしろそれで良いとも思えた。そしてニルは両手でカミラの頬を掴み、互いの顔が接触する寸前まで近づけた。
「え? わ、うぇ、あ、え……え?」
「……どう思う?」
カミラが更に困惑した声を上げたが、それは無視してニルは声をかける。目と目が完全に合った状態だ、ニルの声で正気に戻されたカミラは、落ち着き自体は取り戻せなくとも返事をするくらいは出来る様になり、静かにニルと目を合わせた。
「……あの、とても……」
「とても?」
「怖い……」
そう、カミラから見たニルの目は恐ろしい物だった。何かが居た訳でもなく、直接被害を受けた訳でもないが、それでも人外たるニルの目の底に恐ろしい物がある事はすぐに理解出来た。そんな彼女の言葉に、ニルは頷いた。
「ああ、そうだな。それで、そんな怖い私が、夢か幻に見えるか?」
「……いえ、見えません。本当に、本当にニルさんなんですね……」
それだけ言うと、カミラは自身の感覚を信じる事にしたのか、また目尻に涙を溜め始める。何とか我慢しているようだが、溢れるのは時間の問題だろう。そこで、ニルは自分の中の悪戯心が少しばかり揺れ動いたのを理解して笑った。
今度は、やるべきかやらざるべきか考えなかった。それどころか、考えた時には体が動いていた。つまり、ニルはカミラの顔から手を離して、半歩分だけ距離を取り----思い切り、カミラを抱きしめたのである。
「に、ニ、ニニにルさん!? 一体何を」
「抱きしめているんだが、何だ?」
困惑を通り越して混乱しているカミラの声を、ニルは面白がって聴いた。元々エィストの仕業で感情が強く出ているのだろう、カミラの顔は先程までのあらゆる感情を吹き飛ばして、ただ恥ずかしさと喜びだけを浮かべている。
嫌がっている訳ではない事がニルにはすぐ理解出来た。何せ、抱きしめた瞬間にカミラは手を背中に回してきたのだ。恐らくは無意識の行いなのだろう、が、ニルはそれを面白がった。
彼女に他意は無い。家族---ニルを家族と呼べる物が現在は居ないが---にするような気持ちでの行いだ。
しかし、アベリー達の視線は間違いなく『そういう』意味の二人だと認識している事を伝えてきた。が、ニルは更に面白がって笑みを浮かべた。「きっと、カミラは後でこいつらに必死で説明するんだろうなぁ」と。
一方、カミラはやっとニルが本物だと完全に認識する事が出来て、心から幸せな気持ちを抱いていた。何せ、今カミラの顔の隣にはニルの顔があるのだ。
密着したニルの身体は冷たいとも暖かいとも感じられず、匂いも無く、体温や香りなどの視覚と第六感以外で人間の存在を察知させる物が、記憶通りニルには一切無かった。それが、決定付けたのだ。
「まあ何にしても、大きくなったなカミラ。昔はもっとこう……小さな子供だったと思ったが、月日の流れは人を変えるんだな、まあ、君の場合は頑張って外見は維持しているみたいだが」
「はいっ! そうなんです、アナタがここに戻ってきたら、私の存在に気づいてくれるように、って外見だけは維持しました! ……って、あ」
カミラは満足げな顔でニルとの会話を楽しんでいたが、やがて自身がどういう状態にあるのか完全に認識した。ニルに抱きしめられて、自身は腕を回しているのだ。認識した瞬間に、あらゆる感情が複雑に現れてカミラは一瞬混乱したが、すぐに止めた。ニルの声を聴いて、すぐにそれらは吹き飛んだ。
「まあ、とりあえず……また私と会えたのは、嬉しいかな? お、頭が触りやすい場所に来てる、やっぱり伸びたんだな、うん、他人の背丈を気にするなんて母親か姉妹にでもなった気分だ」
ニルはそう言いつつ、柔らかな手つきでカミラの頭を撫でる。昔は、もしもニルとカミラがこのような事をすればニルの首に行かないくらいの身長だった。が、今ではニルとほぼ同じくらいになっているのだ。
カミラはその事実を嬉しくも、懐かしくも思いつつ、万感の思いを込めて、無意識の内に涙を流しながらもニルの言葉に返事をした。
「……はいっ! もちろん、私は今幸せです! 最高に、嬉しい!」
その言葉を、ニルは嬉しそうに、少し悪戯っぽく笑って受け取った。
「なあなあ、やっぱあいつらってそういう……」
「いや、違うだろ……俺をあそこまでボッコボコにした奴がそんな……なぁ?」
「写真でも撮っておくか? 記念にさ」
「記念……そりゃいい、記念に撮って、後で盛大にからかうとしよう」
「……それをしたら、俺達に明日は無いな、多分」
カミラが幸せの余り聞き流してしまったこの会話を聞いていたからこそ、ニルは面白がって笑っていたというのも、その表情の中にはあった。が、親友二人以外の誰も気づかなかった。それが良い事だったのか悪い事だったのかは、誰も知らない。
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『世界』のどこか
二人の少年が、誰も知らないどこかに居た。迷い込んだのであろう、二人はきょろきょろと物珍しそうな目で周囲を見回している。
「なぁ、どこだろうここ?」
「これは……! 異次元!」
「ここが!? ……面白い!」
「探索しようぜ!」
「OK!」
それだけ言うと、二人の少年はそこがどこなのかも、何故自身がそこに居るのかも知らずに走りだそうとする。が、その瞬間、二人の耳に背後から声が届いていた。
「……お前等、確か」
その声に、二人の少年は振り向く。そこには、身体に少し包帯を巻いた男が立っていた。何やら恐ろしい雰囲気のそれに対し、二人は不気味さも恐ろしさも覚える事無く、その存在を見つめる。
数日前、何故か同じ場所に居た気がするその存在に、二人は-----
ここから『世界』を舞台に二人の少年の戦いが……続きません。プロットがほとんど出来ているので、今更別の物は書けません。
いやあ、終盤はっちゃけました。ちょっと百合臭くなったり、映画ネタも色々仕込みました。(最終話の六発の銃弾とか、レストランの名前とか俺達に明日は無いとかその他色々……異次元云々は映画ネタで行きたかったんですけどね……
さて、次回作はクローン少女と『まだ決まっていない話』の恭助が主人公で、本作の一年後くらいが舞台になります。本作登場の人物がかなり出ますね……プロットは粗方完成しましたが、しかし、文体に色々不満が出てきたので、ちょっと修行してから書き始めます
ところで、設定とか必要なんでしょうか?
2012/6/22