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3話 カミラという者

「ここは広いよな! 広すぎてどこに何があるのか全然覚えられない!」


「うんうん。そこらじゅう広いよねー、まるで人間の内臓みたい!」


 スタンリーとビルが船を出たその頃、廊下を歩くニコライとヘクターはそう言って今自身が居る『島』を評価していた。先ほどからずっと大きい声で話していたというのに今まで人と会わなかったのは奇跡と言えるだろう。


 実際の所、無警戒に見えて彼らは無意識の内に周囲を警戒していたのだが、にも関わらずそれだけ大きい声で話してしまっているのだ。全てが無意味になっている。


「ヘクター? 人間の内臓なんて見たのか!? ちなみにどんな感じだった?」


「あ、ごめん。実際は見たこと無いぜ。そんな気がしただけなんだ」


 自身の行動を無にする二人はそんな事には全く気づかず、ひたすら周囲を見回しながら話し合っていた。そんな事をしていても、やはり見つからずに済むのは彼らの運と、ほんの少しの実力がなせる技なのだろう。


「気がした、かぁ……今度見る機会があったら確認してみようか……ん、んんんんんん?」


 その調子のまま二人はやはり楽しそうに歩き続けていたが、話を続けていたニコライは唐突に何かを感じたような声を上げて周囲を眺めるとすぐに足を止め、どこか焦ったような、しかしそれでも笑顔のままで首を傾げたヘクターの方を向いた。


 その行動に疑問を抱いたヘクターは首を傾げ、ニコライに話しかけようとした。が、その前にニコライは自分の口に指を一本置いて静かにするように伝えると、ヘクターはそれに一瞬黙り込み、彼も同じく何かに気づいて自らもまた自分の口に指を置く。


 彼がそうする事を見るまでもなく分かっていたのか、ニコライはヘクターが反応する前に廊下の突き当たりに顔を突きだした。どうやら、彼らが歩いていた廊下の先に何者かが居るらしい、それも、ヘクターには察知出来ないほどの距離に。


 ニコライが廊下の向こう側を見始めるとヘクターもそれに気づいて顔だけを突き出すと、視覚的には少し離れた所に警備員の服を着た何者かが見えた。その姿は警備員と言うには様々な違和感があったのだが、二人はそれに気づく事は無い。


「隠れようぜ! 見つかったら面白くないしな!」


 どちらともなくそんな言葉を、ただしどこまでも楽しそうに、気分良く呟くと、それに合わせるようにもう一方は廊下にある柱に身を隠した。柱は大きめで、何とか人間二人を完全に隠してくれそうに見える。


 彼らは警備員に先ほど聞いた『悪い奴ら』の話をする気など毛頭無かった。むしろ、警備員に見つかれば自分達が掴まると判断していたのだ。実際には間違っているようで間違っていない行動である。彼らの運は本当に良かった。


「なあなあニコライ、やっぱお前凄いよな。あんな遠くに居る奴が近づいてくるのに気づくなんて、これが噂に聞く人間レーダー? ……いやまさか、頭の中にレーダーが搭載されてるのか!?」


 どこかずれたヘクターの発言に、ニコライはまったく疑問を抱く事も無く真剣な顔で自分の頭を何度か叩いたり、触っていたかと思うと首を傾げ、まったく真剣なままでヘクターに頭を近づけた。


「自分じゃどうにも確認できないみたいだから、ちょっと頭の音を確かめて見てくれないか? もしかしたら機械の音がするのかも……」


 そう言われたヘクターはあくまで真剣にニコライの頭に耳をやった。奇妙な光景だが二人は気にしない。喋っていてはいけないと思ったのか、自身の印象に合わないほどヘクターは静かになっている。それに集中していたからか、二人は近づいてくる人間に気づいていない。


 当然、ニコライの頭から機械の音などしない。何度か確認する事で確信したヘクターは少し残念そうにニコライの頭から離れた。そうしている間に向こう側の廊下を歩いていた警備員は自分達を通り過ぎて行ったのだが、二人は気づいていない。


「んー……残念だけど音は聞こえないなあ。噂の生体サイボーグ……いや、もしかして、エィストとかいう奴の言ってた『怪物』に改造されたとかか!?」


「あー、うーん、『怪物』って、確か、世界を好きなように出来るとか人を不老不死にしたり不思議な能力を与えたり出来るっていう、アレ? それは多分違うと思うんだよなあ」


 約二百年前の歴史に載っているような言葉をそれとは無縁そうなこの二人が普通に知っていて、何故詳細の部分まで話せているのか、という点は奇妙だったが、誰も気にしなかった。そう、誰も。


「なあそこのガキ共、そろそろ俺に気づけよ」


 二人の妙な雑談の間に、口を挟む男が居た。どうやら、ヘクターがニコライの頭の音を確認する時には既に居たようだ。声をかけずとも無視され続けていたからか、声にはどこか苛立ちが見て取れる。


 その男に対して二人は一瞬首を傾げたが、やっとそれが警備員、の服を着た人間だと気づくと男に気づかれない程度に目配せをして、いかにも機嫌が良さそうに挨拶をした。


「あ、こんにちはー。おじゃましてまーす」


「おじゃましてまーす!」


「おう、ゆっくりしていけ……じゃねえや、ここで何をしてる?」


 二人の元気な挨拶に、男は一瞬同じくらい楽しそうな調子で返事をしそうになって、慌てて言い直した。男の見かけから来る物騒な雰囲気と反してノリの良い奴なのかもしれない。二人はそう感じた。


 それでも、二人はその場を離れなければならない。やはり警備員に見つかるのはまずいのだ。それが目の前のいかにも強そうな男ならば、なおさらだった。二人は別に好きで痛い思いをしたいわけではない。


 二人は楽しそうな顔のままで互いの顔を見て笑いだした。それに釣られたのか、そこに居た男も笑みを作る。それだけでその場は何となく穏やかな雰囲気になった。


「で、お前等は誰だ?」


 だが、男は油断しなかった。アベリーの部下の中でも実力的には最上位に居る彼は、それなりに人を見る目もある。この二人が何かをごまかしている事にも彼は気づけていた。その為、彼らには見えないように銃を持った手を背中に隠している。


「ははは、いやその、俺達は……逃げるぞヘクター!」


「逃げるぞぉー!」


 射抜くような男の目を見た二人はほんの少し笑ってごまかしたが、即座に叫ぶと素早く逃げ出した。その早さはアベリーの部下の男をして少し驚嘆するほどの物だ。だが、それでも彼は背後に回していた手を前に出す事をためらわなかった。


「やっべ、銃だ! 銃を向けてきたぞ!」


 それを見たヘクターが慌てて足をさらに早め、ニコライもまたそれに続いた。だが、それでも男にとっては遅すぎる。そもそも、銃弾より早く走る事など出来ないし、彼の銃の腕はかなり良いのだ。二人がどれだけ早く走ろうと、無意味な事だった。


 しかし当たったとしても別に二人は死ぬわけではない。アベリーと同じく、彼も無抵抗の人間を撃ち殺すのは禁忌としている。時には自分の命よりも優先すべきだと認識している程に。


 実弾を射出するように見えている銃は、実の所、殺傷性を極限まで、例え急所に当たったとしても致命傷を与えない、とんでもなく高性能な麻酔弾が入っている。ゴム弾の他にも、アベリー達は『殺さない手段』を手に入れていた。


----まあ、こいつの性で俺達の資金はいつもギリギリなんだけどな


 内心でそんな事を考えつつ、彼の指は引き金を引いていた。つい先日、同じような状況下で引き金を引こうとした彼の仲間と同じように。



 同じように、麻酔弾は逃げる少年達に当たる事はなかった。男が引き金を引いたその瞬間、唐突に現れた女が銃を掴むと同時に銃の方向をそらして見せたのだ。一切の気配も感じさせずに現れた女に、彼は不覚にも混乱してしまう。


 少年達に銃弾が当たらなかった事を確認した女は、やけに機嫌の良さそうな顔で男を見た。外見に反してどこか少女のような雰囲気を放つ彼女に男はほんの少しだが見とれてしまう。


「ハハッ、銃か。いや、少年二人を撃とうなんて酷いじゃないか! それはカッコよくないね、ああ、クールじゃない」


「さてさてそんな事は……私が止めるしかないだろう?」


 とても高揚した口調でまくし立てたと同時に、彼女はそのままの笑顔で、自然体のまま、銃を鉄屑に変えた。


「……は?」


 あまりにも非現実的な光景に、男は思考を停止させてしまった。だが、それも仕方がない事だ。女は恐ろしいほどの握力に任せて、銃を握り潰したのだから。大して力を込めた様子も無く、あっさりと鉄の塊を握り潰す、それはまさしく人間業では無かった。


「テメぇは……『何』だ?」


 数秒固まっていた男は何とか内心の驚愕を退けると、握り潰された麻酔銃をさっさと捨て、懐から実弾入りの銃を取り出しながらいかにも化け物を見るような目で女を見つめ、全身から視覚に現れそうな警戒心を吹き出した。


 どれほどの経験があったとしても、そのような化け物との戦いなど彼には無い。普通の人間ならば怯むであろうほとんど威圧しているかのような警戒心を受けても、女の表情は全く変わらない。いや、むしろより楽しそうになっている。


「はは、そんな目をしないでくれると良いね。私は人間だし、私程度を化け物とするなら本物に失礼じゃないか! 本物に会った時はちゃんと謝っておく事が大事だと忠告しておこう、ああ、大事だとも」


 男の目を見てほんの少し不満げに、だが楽しげにあくまで自分は人間だ、と女はやけに高揚した口調のままで主張してみせる。その目には爛々と輝く希望と、まるで目的を達成したかのような雰囲気、そしてついでに、狂気も見て取れた。


 それに対し、男は目の前の女を怪人と認め、どうするべきか考えながら口を開いた。が、声が出る前に女が「それよりも、だな」と言って話題を転換する。


「少年を撃つなんてこう、クールじゃないな、まああれらがシリアルキラーか何かなら別なのかもしれないが……そうは見えないんだよな私には、残念ながら」


 さも残念そうに、しかし面白そうに笑う彼女の体から、どこか剣呑な気配が発せられていた。男には理解出来た。それが、自身を敵として扱っているのだ、と。


 だが、同時にそれが『少年を撃とうとした』事への義憤などという感情から来る物ではない事も男には理解できる。女は怒っているのでは無い、ただ、体の良い遊び道具を見るような目を彼に向けているのだ。敵意は感じられないが、それが余計に不気味に感じられる。



 だから、男は目の前の女が何かをする前に額を狙って銃弾を放った。正真正銘本物の実弾だ。抵抗する人間は撃たない彼だが、『人間だと認められない』相手に対する手加減など微塵もしようとは思えない。


「お、危ない危ない。当たったらどうしてくれるんだ? 死ぬんだぞ私は、私はだな死ぬんだ。何せ人間だからね」


 女は銃弾を当然のように避けていた。だが、男は驚かない。予想通りの光景である。というより、彼がボスとするアベリーも似たような事が出来るから、驚かなかった。


 男は即座に次の弾丸を放った。そのような勢いだというのに狙いは正確である。どうせ当たらないという思考はあったのだが、それ以外にはどうしようも無いのだから、仕方がない。


 予想通り、銃弾は女に当たることなくかわされた。そこで男の優れた感覚が気づかせた。女が、こちらの狙いを見て避けているのではなく、発砲されてから銃弾を見て避けているのだと。それに気づいた男は少し唖然としながらも呟いた。


「本当に人間じゃねえよお前は、ぶっとんでやがる」


「はは、これくらいなら君にも出来るさ。私も頑張ったら出来たんだからね、うん。私の大切な人は銃弾に当たっても死ななかったけどね、しかし私には無理なわけだ」


 男の呟いた言葉に返事をしながら、女はまた飛んできた銃弾を避けてみせる。一方的に避けているだけの状態だったが、女の表情には余裕は無い、かといって焦りも無い。ただただ、楽しそうなままそこに居る。


 それを確認した男は覚悟を決めて、再び発砲した。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 男が覚悟を決めたその時、彼のボスであるアベリーは部下の危機など露知らず、老人に銃を向けて佇んでいた。アベリーの部下達はこの広間に進入した時よりも人数が少ない。


 既に観光客達は一纏めにされ、彼の部下達が持つ、銃、ただし殺傷性の低いゴム弾が入っているのだが、を向けられて怯えたような様子で老人、マーカスを見守っている。そう、アベリー達は完全に『島』を制圧していた。


 彼らの計画はほぼ全てに置いて順調だった。後は、なんとかして金を手に入れて逃げるだけだ。船の上で、または『島』の廊下で起きている事を知らない彼らは、ただ楽観的にそう考えていた。


「さて、そろそろ答えてくれないか? この島に有るらしい、財宝の場所を」


 アベリーは、少し丁寧な調子でマーカスに話しかけた。銃を突きつけていても警戒は全く怠っていないらしく、彼の目は他の者達とは違い、楽観的な物は何一つ感じられない。勿論、杖をついている老人から感じられる何かが、彼に警戒させていたというのもあった。


「このような状況下で正直に言う奴がどこに居るのかね?」


 まったくだ、アベリーは内心でそう思った。自身が同じ状況下に置かれたなら、自分は反撃の手を考える為に嘘を言って相手を誘導するだろう。マーカスが真実を言うとは彼も思っていない。


 だが、それでもアベリーはマーカスに聞いた。情報が必要だったというよりも、『せっかくだから』情報を聞きたかった、というのが大きい。それに、嘘を言われたとしても気にならないのだ、何故なら、彼には保険があった。


----まあ、奴が見つけられるかどうかが勝負所だよなあ……


 そう、彼は自分の持っていた地図を部下に渡していた。どこかにあるだろうと考えていた彼は、共にこの場に来た者達の一人にマーカスや観光客には見えないように地図を渡し、その場を離れさせていたのだ。この場に彼らが居ないのは『島』を探索させていたからである。


 しかし、これは最初から計画していた事では無い、広間に入ってから考えた事だ。唐突な思いつきに、彼は少し迷ってから実行する事に決めたのだ。


「ふむふむ、これはアレかな? 私が吐かないと足から撃っていったりするのかな? それとも、観光客の方々を一人ずつ撃ち殺すのかね?」


 そういう状況だと知ってか知らずかマーカスは苦笑しながら物騒な内容を言った。その言葉に対してアベリーは同じように苦笑する。


「安心して欲しいね、抵抗しない奴を撃ち殺すのは俺達の信条に反するんでな、前者はともかく、後者はありえないとだけ言っておこう」


 マーカスはその発言の意味に思い至って笑いだした。アベリーは不審そうにマーカスを見ていたが、彼はそのような事を気にしなかった。


「おお、もしかすると君は……昨日の若者のボスとやらかね?」


 怪しげに笑う老人を見ていたアベリーは、その言葉に首を傾げる。話の内容に聞き覚えがあったというのもあるが、何より老人の雰囲気が先ほどまでとは違う物になっていたのが気になっていた。そう、『安堵』しているように見えるのだ。自身の主義を聞いたからかと考えたが、彼の勘は何故か、違うと言っている気がした。


 それへの若干の警戒と同時に、彼は老人の話の内容を考えていた。老人の言った『昨日、若者、抵抗しない奴は殺さない』という三つのキーワードと昨日ビルから聞いた話を組み合わせてみると、想像出来るのは一つしか無かった。


「……まさかアンタ、ビルが脅したっていう爺さんか?」


「ああ、やはりか! だと思ったよ。いやいや昨日は君の部下に怪我をさせてしまったね、ああ、あれはお嬢さんがやった事だが」


 そう言って昨日を振り返るマーカスはやけに上機嫌だった。どうやら、二人は同じ人間を知っているらしい。互いにそれに気づいてアベリーは申し訳なさそうに、マーカスは楽しそうな顔をする。


「いや、俺の部下が馬鹿をやったな。悪かったよ」


 マーカスの頭と顔はあまりにも予想外の発言に数秒固まっていた。どう聞いても、現在の状況にはそぐわない内容である。なんとか困惑から抜け出すと、笑みはそのままでマーカスの頭は再び動き出した。


「かまわんかまわん、というか、今こんな事をしている君らの言う事じゃないだろう」


「はっ……違いない」


 それだけ言うと、アベリーは銃を微かにマーカスから逸らして苦笑する。その笑みの中には二つの意味が含まれていた。一つは、老人の発言に。もう一つは、降って沸いた疑問に。


 彼の疑問は、偶然ビルが脅迫した相手は今日の彼らが脅迫している老人でもあるという事だった。それは偶然と言うには、少しばかり遭遇するのが難しい出来事だろう。とはいえ、それほどあり得ない事でもないのでアベリーはその疑問を隅に追いやると、先ほどより幾分か親しげにマーカスに話しかけた。


「まあ、ともかくだな……俺達はその、あれだ。そういう集団なのさ、教えてくれるか?」


 少し唐突で、わかりにくい発言だったがマーカスはその意味をきちんと理解して笑う。つまり、アベリーは少し穏やかに彼から宝の在処を聞こうとしているのだ。


「分かっているとも。うむ、これは話してやるべきかな?」


 楽しそうに、本当に楽しそうにマーカスは言っていた。それはまるで観光客達を人質に脅されている事も、自らの管理する『島』を乗っ取られた事も、全てが気になっていないかのようだ。


「実はね、あの若者……ビル君と言ったかな? 彼に財布をやろうかと思っていたんだが、残念ながらどこかのお嬢さんがその前に彼を叩きのめしてしまってね……」


 だから、その分君に教えてもいいかなと思うのだよ。マーカスはそう続けてニヤリと、先ほどとは質の違う笑みを浮かべる。彼は本当に教えるつもりのようだ。そこまで気づいて、アベリーは明らかな好奇心を秘めた目をマーカスに向ける。


 その反応にマーカスは心底嬉しそうにすると、指で自身の背後を指してみせる。宝物を見せびらかすような態度で行われたそれに、アベリーと部下達の一部は興味を持った。


「『出来るだけ面白い方に肩入れしろ』エィストさんはこんな事を言っていたよ。つまり、それは此処で腐らせておくよりは君らの手元にあった方が素敵だと思うのでね」


 言葉を背にしたアベリー達が歩いていくと、そこには壁があるのみだった。古ぼけた写真や落書きがあったが、特に怪しさは感じられない物だ。アベリーの部下は皆揃って首を傾げていた。


 だがアベリーの反応は少し違う物だった。彼はある一点を見つめつつ壁に手を触れ、腰からナイフを取り出して壁の繋ぎ目にそれを当てる。背後から見ていたマーカスが楽しそうにそれを見つめる中、壁の繋ぎ目にあっさりとナイフが突き刺さった。


 完全に固まっているように見える繋ぎ目にナイフはどんどんと入って行き、それを確認したアベリーはさらに腕を動かしていく。そして、最後には壁の一点が四角形の箱のような形になるように切り取っていた。


「おお、正解だよ君。やるじゃないか」


 マーカスの賛辞を余所に、アベリーと部下達はそれの横に手を入れると、無言のままゆっくりと取り出していった。その目には、どこか未知への好奇心のような物が見て取れる。


「……なんだこりゃ?」


 その箱のような物を確認した部下の一人がポツリと呟いた。確かに、それは箱のようだったが、どこをどう見ても開けられそうな場所が無かったのだ。部下達は首を捻っていた。


 だが、やはりそこでもアベリーは何かを見つけていたらしい。


「お前等、これを見てみろ」


 静かな様子でかけられた言葉に、彼の部下達は内心で疑問を持ちながらも彼が見つけた『これ』に目を向けた。猫の模様だ。それもデフォルメされた可愛らしい物である。それが何なのかと彼らは困惑したが、その中の一人がそれを触ると態度は一変する。


「……これ、鍵穴だ。カモフラージュされてるけど、なんとなくそんな感じがする」


 それを聞くと、残りの部下達はその部分を見つめ、アベリーとマーカスはその通りと頷いていた。デフォルメされた猫の形の鍵穴を見つめながら、マーカスは彼らに話しかける。


「それの鍵はエィストさんが離れる時に、誰かに渡してしまったらしくてね。金で出来た物だったそうだよ。まあ、君らならこじ開けることも出来るだろう」


 言いつつも、鍵を開ける事を期待するかのような、挑発的な表情を浮かべるマーカスを無視しつつアベリー達は顔を見合わせる。全員が何らかの確信を抱いたような、それでいて困った表情をしていた。もちろん、彼らはその鍵の事を見た事があるのだ。それも今日この日の内に。


 困惑が見て取れる表情のままでアベリーが部下達に声をかける。そこには普段の彼とは違い、少し何かを疑うかのような色があった。


「……これ、お前等見たよな。絶対、アレだよな」


「アレですよね、賭金代わりになってたの」


 すぐにアベリーと部下達はそれを持っていた男の居場所を思いだそうと首を捻った。顔は覚えている。やろうと思えばすぐに、とは言えないが、思い出せるのだ。実際、思い出すことが出来た。


 部下の内数人が鍵を回収する為に体を広間の出口に向けたが、その前にアベリーが何かに気づいたような顔で首を勢い良く横の出口に視線を送ると部下の行動を手で制止し、彼らが疑問を向ける前に声を出していた。


「待て。誰か来る」


「誰か……ですか?」


「ああ、誰かだ」


 部下の言葉に頷きつつも、アベリーの首は同じ方向へ向いている。まるでそこから敵が押し寄せて来るとでも言うかのような雰囲気に、部下達、の中の観光客を見張る者以外は即座に困惑を捨ててそちらに銃を向ける。見事な動きに、マーカスが関心して隣で頷いていた。


 その数秒後、近寄ってくる足音が聞こえ始めた。だが、アベリー達は緊張している様子も無く、あくまで冷静に警戒を向けている。だが、実は何故これほど警戒しているのかをアベリーの部下達は知らない。それでもアベリーが凝視するほどの者が居るという事だけは分かる。


 彼らが無言でその出口を見つめている間、足音はどんどんと近くなっていく。その足はどうやら急いでいるらしく、走っているような音を立てている。


「ボス! 報告が、報告が報告です! ……じゃねえ! 報告が有ります!」


 汗一つこぼさず佇むアベリー達の前に現れたのは汗を流して焦った声を上げる、アベリーの部下だった。それも、彼が地図を渡して宝を探させていた男である。


「どうした? 何があった? お前一人か?」


 言外に「落ち着け」という意志が込められている事を認識した男は、アベリーの最後の言葉に首を傾げながら深呼吸を一つし、彼の耳元で何事かをささやく。それを聞いたアベリーの顔は、あまりにも酷い内容に顔をひきつらせる。


 それを見た彼の部下達が何事かとアベリーに近づいていった。が、アベリーはそれをまた手で制し、少し焦ったような雰囲気を見せつつも指示をする。


「見張り以外の全員、他の連中を呼んで来てくれ。目的らしき物を確保した以上、ここに用事は無いからな」


 アベリーの言葉の内容に、報告に来た男以外の部下達は嫌な予感を覚えていた。計画とは違う事を言うアベリーの顔は、どこまでも真剣だ。彼がこうなるという事は余程危険な状態なのだろうと彼らは判断していた。


 それでも、アベリーから理由を聞かなければ行動に移すのは危険だ。彼らのボスとて、間違いはするのである。その旨を伝えられた上で、状況説明を要求されたアベリーは、小さくため息をついて彼らに告げる。


「どうやらカミラが来てるらしい。しかも、奴が鍵を持っていったんだとよ」


 それを聞いた男達は思わず頭を抱える。彼女の『悪名』は確かに彼らにも届いていた。実際に相対した事がある者もここには居るのだ。その為に、彼らは噂を抜きにしてカミラがどれほど危険なのかが理解出来た。


 しかし、頭を抱えた男達は、それでも冷静に物を考えることが出来ていた。アベリーの言っている事とは違う計画を思いついた彼らは、それを彼に言う。


「ボス、それなら船に戻るべきじゃないですか?」


「……少なくとも殺しすぎるような奴じゃない、俺たち以外が居れば銃で全滅は逃れられる。それに、逃げるにしても全員で逃げた方がいいからな」


 しばらくの沈黙の後に帰ってきた言葉に、彼らは納得して頷く。実際、彼らは『カミラ』という女を噂と顔くらいしか知らなかったので、それ以上言える事がないのだ。彼女の情報に感じては、アベリーに頼りきりだった。


 急いで警備を制圧した仲間達の居場所を確認し合う彼らを見ながら、アベリーは何事かを考えつつ周囲を警戒している。そうしている間に何かに気づいたのか、アベリーは部下の方を見て注意をする。


「ああ、奴と遭遇したら逃げろよ。お前等くらいじゃ新鮮な死体になるだけだ、俺も含めてな。まあ、死ぬかどうかは奴の気分次第だが……期待するべきじゃないな」


 言われるまでもない、と部下達は視線で返し、観光客達を監視する数人以外はその場を後にした。


「何かあったのかね? 皆随分と、急いでいるようだが?」


 いつの間にか自分の隣に立っていた老人、マーカスの声に、アベリーは少なくとも外見上はまったく驚いていない風に笑ってみせる。


「あぁ、どうやら色々と、まあ、情報収集不足だったようでな」


 言われたマーカスは、ただ、「そうか」と頷いて元の場所に戻っていった。が、アベリーはそちらにまったく意識を割いて居ない。彼には、それ以上に疑問があったのだ。少なくとも、カミラよりもより「間近に迫る」危険になるかもしれない、そんな疑問が。


 先ほど、足音が近づいていた時、足音は一つだったが彼には何故か「三人」の気配が感じられていた。他の者達は足音の主が仲間だった安堵で騙されてしまったようだが、彼だけは気づいていた。


 だが、カミラの事で彼が気を逸らしている間に、その気配は消え去っていたのだ。まるで、はじめからそこに居なかったとでも言うように。


「……誰が居たんだ?」


 首を捻りつつ、カミラへの対策を考えながら、少々の不安を込めた呟き、それはどこに響くでもなく消えていった。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「……どうした物かねえ……?」


 そんなアベリーの事を気にしつつ、柱に体を張り付けたビルはこれからどうするべきか悩み倒していた。そう、彼らは既に広間のすぐ近くまで来ていたのだ。だが、会いに行くことはしなかった。隣に、厄介な男が居る為に。


「どうしたもこうしたも、俺が飛び込むのが最善だと思うがね……」


 そう、隣にスタンリーが居る為に彼はアベリーに会いに行く事が出来なかった。最初はスタンリーを排除する為に彼の手を借りようとしていたビルだったが、ようやく広間についたかと思うと仲間が報告した内容を聞き、すぐに他の仲間を外に出したのだ。


 明らかに、計画とは違う行動だった。


「なあビル君、なんでまた、あそこから離れたんだ?」


「……銃を持った連中だぞ? 危ないと思ったんだ。警備員が気づくまで待つべきだ」


 スタンリーをごまかしながら、ビルはどうするべきか考え続ける。彼の部下達が慌てた様子で外へ行った、という事を考えると、何やら不足の事態が起きたらしいという事は理解出来ている。


 それ事態は珍しい事ではない。彼らはかなり無計画な集団であり、「不足の事態」で危険な目に遭うなどほとんど毎回の事だった。だが、今回は異常だった。彼らの表情に、余裕が無かったのだ。


 余程の異常事態らしい。だからこそ、ビルはアベリーにスタンリーを倒してもらう、という計画を即座に中止してスタンリーを引っ張り、広間から離れた場所に来たのだ。


「あー……まあ、俺が無理をする事も無いんだけどな。早いとこ、解放してやりたかったのさ。それに、『あいつ』任せだと大変な事になりそうだしな」


 スタンリーの独り言のような発言をビルはほとんど聞いていなかった。その為、彼が誰か自分よりもこの状況を『なんとか』出来る人物が居る事を示唆するような発言に気がつかない。


 そんなビルが考え事を続けている間、スタンリーもまた、喋りながら考え事をしていた。強盗組織らしき者達についてではなく、それよりももっと小さな違和感だったが、それは彼にとって、無視できる事でもないのだ。


----居なかった、一体、どこへ?


 そんな疑問を向けている相手は、船から降りてきたあの「フードを被った何者か」だ。強盗達が観光客達を見張っていたのだが、アベリーはそこにフードの何者かが居ない事に気づいていた。


 勿論、その場に居ないという事は強盗達の仲間だという可能性もあるのだろうが、何故か、それは無いと彼の勘が告げている。


 気になった事はもう一つあった。彼はコーヒーを回収する為に広間を離れるまでは観光客と共に居たのだ。その場に、確かにフードの何者かも居た筈なのだが、彼は、まったく意識する事がなかった。「まるで意識を操作された」かのように。


「……ははっ、あるわけ無いよな。そんな事」


 カミラとは違い、彼はそのような事が出来る者が居るとはあまり考えていない。優先すべきは強盗集団の事だ、とようやく思い至った彼はすぐに自分の考えを忘れ去った。


 そして、ふと隣の男を見る。自分が置いていったコーヒーを飲んでしまった若者。その存在は少々怪しかったが、彼はあまり心配していない。何せ、自分がどうなろうと、「カミラ」ならどうにか出来るのだから。


 内心に少々の余裕を含みながらも、スタンリーは隣のビルの様子を窺った。彼も何かまずい事があったらしく、うまく隠しては居るがスタンリーの目には焦っている彼の姿が見えていた。


「どうしたんだ?」


 思わず、スタンリーはビルに声をかけていた。


「……いや、なんでもないさ。気にしないでくれよ」


 ビルは彼の声に、出来るだけ「なんともない」ように答える。当然、バレる訳には行かない。アベリー達が緊急事態であるならば、余計に隠さなければならないのだ。幸い、スタンリーの目には疑いが見えるが確信は無い。


 なんとかして隠せそうだとビルは考えて、ごまかす為にとりあえず移動する事にする。広間から離れたとは言っても、急いで来た場所だけにそこまで遠いわけでは無い。


 そこまで考えるとビルはスタンリーの方を向き、それを言う。勿論、疑われないように真意は隠しつつ。


「よし、俺は警備員達を探して助けを求めたいんだが……アンタ、来るか?」


 その言葉に、スタンリーはしばらく考え込むフリをしつつ、ビルの様子を窺う。彼の口調にも表情にも、特に怪しい物は見あたらない。そして、罠であっても問題はない。ならば、とスタンリーは決心する。


「OK、わかった。とりあえず警備員がどこに居るのかわからないからな、そこら辺を回って、見つけるしかないか」


「よし! ……そうと決まれば行動だな!」


 思わず、内心の言葉を口に出してしまったビルはほんの少し沈黙したが、すぐに言葉を続け、勢いで動かしてしまおうとスタンリーを置いていくかのような勢いで広間とは逆方向へ歩いていく。


「おいおい、そんなに急いでどうするんだ……」


 呆れたように呟くスタンリーも、またビルと同じくらいの早さで歩いている。



 その勢いのまま、二人はその場を後にした。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 殴る。ただひたすらに殴りかかる。鍛えられた拳は常人では反応する事が困難な速度で放たれている上に、当たれば一撃一撃が必殺となりうるだろう。実際、彼は今までこの銃と拳でどんな難局も乗り切ってきたのだ。その拳には、彼の誇りがあった。 


 だが、それも今日限りなのかもしれない。彼は、自身の拳を当然のように見切り、時にはあえて受け、その上で面白がるような、真剣さとは無縁の笑みを浮かべる女に殴りかかりながらそんな事を考えていた。


「いやぁ、凄いな君は! どうやったらそんなパンチが出せるんだ?」


 そう、男をからかうような口調で話しかけているこの女こそ、彼の自信を消失させている原因だった。


「ああクソッ、噂通りの化け物だよお前は!」


 男は既に、その女が何者なのか思い出していた。彼はあまり噂などを聞かない性格だったが為に、他の仲間ならすぐに出せるであろう、彼女の名前にすら先ほどまで辿りつけないで居たのだ。


「ああ、そうだよなあカミラちゃんよぉ! お前にとっちゃ俺なんざただのカスだよなぁ!」


 言いながら彼はカミラに銃弾を撃ち込み、同じ手で即座に弾を補充する。当然、カミラはそれを避けた。が、彼女が避けた時とほぼ同時に、彼女の顔面に拳が迫ってきていた。


「わお!」


 さも驚いたという風に声を上げながらカミラは屈む事で拳を避ける。その目には、関心したような色があった。


 男は片手で発砲しつつも銃弾を補充し、それと同時に「カミラが銃弾を避けた先であろう場所」を読みとって、余った手を殴りかかる事に使ったのだ。カミラが関心するのも無理はない。ほとんど一瞬の間に彼は三つの行動をするその姿はどう考えても常人とはかけ離れて居たのだから。


 だが、それもカミラには避けられてしまった。男は内心で肩を落としながら、それでも即座に銃弾をカミラに向かって撃ち込んだ。ほんの少しの可能性だが、屈んでいる状態からであれば当たるかもしれない、と。


 当然、カミラは銃弾を避ける。しかも、最小限の動きでもなく、屈んだ状態から空中に跳ぶ事によって。その動きにはどこか見せつけるような、得意げな色が見て取れた。


「ははは! 君も凄いが私も凄いだろう? いや凄くない気もするが、多分きっと普通の人間からすれば凄いと思うんだよな!」


「畜生が! 凄いよお前は! 凄いから……そろそろ当たれや!」


 男は返事をすると同時に銃弾を放つ。もはや当たらない事を前提とした行動だったが、それ以外に出来る事がないのだから仕方がなかった。銃弾はもちろん彼女に当たることなく、虚空を切った。


 最早意味がない気がする、男はどうするべきか考え続けていたが、どうあっても状況は終わっているとしか言いようがないのが事実である。カミラに拳や銃を向けつつも、彼は諦めかけていた。


----だが、大人しく負けてやる事は出来ない


 彼は、それでも行動する事は止めない。何故なら、それは仲間を危険に晒す事になるかもしれないのだ。


----この場でなんとか傷の一つでも与えなけりゃ、俺達は終わりだ


 そう、この場でカミラから逃げれば、もし逃げ切れたとしても他の者達がいずれ接触するだろう。そうなれば、ほぼ確実に返り討ちに合うだろう。いや、既に何人か倒されているかもしれない。計画にも致命的な損害が出るだろう。それは許せない事だった。だが、何度考えても状況は終わったとしか思えない。


「ああ、楽しい! こんなに楽しく戦えたのは何時ぶりだろう! ああもう君も『あの人』も大好きだ!」


 彼の内心を知ってか知らずか、彼女は外見に不相応な、まるで少女のように見える可愛らしい笑顔を浮かべる。誰もが見とれるようなその笑みは、男にとっては何故か嘲笑のよう感じられた。


 だが、男はその笑みを見てひらめいた。この状況をなんとかする、逆転のチャンスを。


「なあ」


「ん? 何かな?」


 機嫌の良さそうな、いかにも遊んでいるとしか思えないカミラの表情を見て、男は覚悟を決めた。


「……俺がお前に傷を負わせたら、俺の仲間には手を出さないで欲しいんだが、ダメか?」


 それだけ言うと、男はカミラから少し離れ、銃を構えて彼女の返答を待った。もしも、駄目だと言われてしまった場合は命懸けでカミラと戦うしかない、と。逃げるという選択肢は無かった。逃げられるとは思わなかった。


 男の覚悟を決めた表情を見て、カミラはほんの少し黙り込んだ。相変わらず楽しそうな顔をしているが、その中には僅かだが真剣な色があった。彼女なりに、彼の言葉を考えているようだ。だが、それも長くは続かなかった。


「OK! いいとも!」


 ニッコリと笑う彼女に、男は内心で安堵の息を吐き、それと同時に、発砲した。



「最高に気分の良い今日の私は人を殺さないって決めてるんだ、良かったね」


 幸せそうな笑みを浮かべたカミラは、目の前に居る男に話しかけていた。自身の拳が、彼の腹に突き刺さっているかのようにめり込んでいる事などまったく感じさせない、そんな笑顔で。


 そう、銃弾は彼女に当たることなく、彼女の拳は即座に男に叩きつけられていた。男の行動は、どうやら失敗に終わったらしい。そんな事を考えながら、カミラは笑って男から拳を離す。男は意識を失っているのか、すぐに倒れ込んだ。


「ああ、残念だったね。君なら、もしかしたら私に傷を負わせる事が出来たかもしれないよ」


 倒れ込んでいる男にカミラは話しかけていた。返事など期待していないらしくカミラはすぐに男から離れ、少し伸びをしてその場を後に、しなかった。彼女が離れる前に、拍手が響いたのだ。彼女は思わず足を止めて、背後を見る。


「すっげー! いや本当にすげえ!」


「良い物見せてもらったなぁ! 感動的なくらいかっこいい!」


 彼女に拍手を送っていたのは二人の少年だった。どうやら、彼女に助けられた少年達は逃げるフリをして二人の戦いを柱の影から観戦していたらしい。彼らの顔は楽しい物を見た感動で高揚していた。


「ははっ、見せ物じゃないぞ? まあ、見物料を取る気も無いが」


 言葉こそ不満そうな物だったが、カミラの顔はとても嬉しそうだった。褒められるのが嬉しいのだろう。そんな彼女を余所に、二人の少年は口々に彼女と倒れている男を褒め称える。


「どっちもかっこよかったよなあー! もうほんと、感動的だ!」


「美女と野人だよな!」


「はは、美女って私の事か? ああもう、照れるなぁ!」


 カミラは恥ずかしそうに頬をかいて、微かに赤面した。スタンリーが見れば目をむいた事だろう。どこからどう見ても、それは普段不敵な笑みを浮かべている現在の彼女とはかけ離れているのだから、口調以外は、完全に過去の彼女に戻っているのだから。


 しばらくの間照れた表情を浮かべていたカミラだったが、ふと少年達を見て気づいたのか口を開く。その姿も、どこか普段とは違い浮ついて見えた。よほど良い事があったらしい。いや、あるいは、こちらが素なのかもしれない。


「ところで君たちは一体何者なのかな? この『島』の子なの『かしら』?」


 ついに口調まで崩れた彼女の言葉は、知っている者なら驚愕のあまり一日中唖然としてしまうほどの衝撃を与えるだろう。だが、少年達はそうとは知らず、彼女が無意識の内に発する微かな威圧感に体を硬直させる。


 二人は慌てた。彼らは『島』に住んでいる者でもなければ、観光客でもない。どこかの誰かはとっさに嘘をつく事が出来たが、彼らには最初からそんな頭はなかった。先ほど見た戦いが無意識の内に嘘を封じ込めていたのかもしれない。


 慌てる二人を見ていたカミラは何となく事情を察して微笑んだ。今の彼女はとんでもなく機嫌が良い。例え何をした二人であっても、自分を「かっこいい」と言ってくれた二人だ。むしろ、好意すら抱いていた。


 カミラがそんな風に笑った時、二人はようやく言うべき事を思いつき、笑顔でカミラの方を見た。


「いや実は……」


「じっとしていろ!」


 二人が何かを言おうとした瞬間、カミラが怒鳴るように叫んでいた。驚き、思わず体を硬直させた二人の反応を確認するよりも早く、カミラは二人を両腕に抱えて空中に跳ぶ。


「と、飛んでる! 俺たち飛んでるよ!」


「いやそれより危ない!」


 二人がそれを認識した瞬間には、銃弾が今まで居た場所を通り過ぎていた。そして、その先には倒れた筈の男が銃を構えて佇んでいた。



 男は、何も勝ち目のない賭に挑んでいた訳ではない。彼は、カミラが『遊んでいる』事に気づいて決意したのだ。「一撃受けよう」と。それでも勝ち目は無いわけではない程度しかない賭だったが。彼はそれに勝った。彼女の一撃を、彼はなんとか耐えて見せたのだ。


 それでも彼の腹にはかなりの衝撃が走った為に、彼はしばらく意識を失っていたのだ。ようやく彼が目を覚ましたのは、二人が何かを言おうと相談していた時だった。そして、彼にはその瞬間だけで状況を把握し、即座に立ち上がると背を向けているカミラに発砲した。


 銃に入っている弾を全て消費するとまた即座に弾を補充し、全ての弾を撃ち尽くすまで撃ち続けた。



 だが、それでもカミラは倒せない。



 着地したカミラは同時に二人の状態を確認すると、少し安堵した雰囲気で二人を床に立たせて、雰囲気を僅だが普段に戻して男の顔を見た。


「ははっ、私とした事が失敗したなぁ。嬉しすぎて君が発砲するまで気づかなかった、なんて、笑い話もいい所だ」


 彼女は男に向かって自由落下しながら抱えている二人にも銃弾が当たらないように避けていた。『ほぼ』全ての弾丸を、だ。だが、カミラの表情は楽しそうな中に微かな悔しさが見て取れる。


「いや、久しぶりに傷を負ったよ。本当に君は凄い人だ」


 そういうカミラの脇腹からは、血が流れていた。流石のカミラといえど、気を抜いた状態から二人の人間を抱えながら銃弾を避け続けるのは困難だったのか、それとも偶然当たったのか、あるいはその両方なのか、どれにせよ、カミラは傷を負っていた。


 大した傷ではない。彼女にとっても男にとってもちょっとした傷だ。血は流れていたが、それが行動を制限する事はないだろう。全力を尽くしたにも関わらずその程度の傷しか与えられなかったと男は悔しそうに顔を歪ませたが、カミラの反応は違う。


「本当に、いやビックリだ。拍手したい気分だよ、ああ、君との約束を果たさないといけないな」


「クソ化け物が」


 少し元の雰囲気に戻ったカミラが約束を覚えている事を確認し、男は口を開いた。しかし、一言以上喋る余裕が無かったのだろう。それだけ言うと、彼は崩れ落ちるかのように倒れ込む。


 が、その前にカミラが男を支えていた。何を思ったのかは男にはわからないが、楽しそうな笑みを浮かべている事だけは理解できる。


「名前」


「……何?」


「名前を聞いておきたいんだ。名前を知らないと、私にこの傷を負わせた奴の事を覚えてられないかもしれないだろう? 今日は幸せな日なんだ。君との出会いも幸せの一部にしたい」


 カミラがそれを本気で言っている事は、男の朦朧とする頭でも理解出来た。ならば、と男は笑い、名前を教える事を決める。それを言った所で、仲間には何の影響も無いだろうと判断して。


「俺は、ダグラスって名前だ。覚えとけ」


 ダグラスと名乗った男に、カミラは嬉しそうな顔を向け、それと同時に何度かダグラスという名前を呟いている。どうやら頭に焼き付けているらしい。


 しばらくの間頷きながらそんな事を繰り返していた彼女だったが、やがてそれを終えると少女のような笑顔を浮かべてみせる。その中には、初対面の男への敬意が含まれていた。


「じゃあ見知らぬ警備員さん、君の事はダグラスと呼ぶよ」


 ダグラスから見た彼女の笑顔は、今度こそ美しく見えた。そして、ダグラスは彼女の言葉のある点に気づき、薄れゆく意識の中で頭を抱える事となった。先ほどの約束が無意味に終わりかねない事態に。


 何とかそれを伝えようとしたが、どうやら彼の体は意識より早く限界が訪れていたらしく、言葉が出る事は無い。それを理解しつつも何とかして喋ろうとしている間に彼の意識はどんどんと薄れていき、やがて完全に沈黙した。


 最後に、一つの思考を残して。


----こいつは……まだ俺を本物の警備員だと思ってやがる……!

 


「……ああ、寝てしまったか。ダグラス、君の存在と君との約束は忘れないよ」


 男が気絶した事に気づいたカミラは一言呟き、彼を丁寧に壁に寄りかからせると、二人の少年の方を見た。どこか心配そうな彼女の表情を見て、今まで体を硬直させていた少年達は頭を動かし始める。


「あー……大丈夫だったか?」


 そういうカミラの目はかすり傷一つ見逃さないように少年達の全身を見ていた。鈍い二人でも流石にそれは伝わったのだろう。彼らは慌てて体を振り、怪我一つ無いことを彼女に示す。


 そして、驚く事にカミラが反応するよりも早く二人は心配そうに彼女に詰め寄っていた。


「俺達は大丈夫! でもお姉さんは傷がある!」


「大丈夫なのか!? 血が流れてるぞ!?」


「ああ、大丈夫。掠っただけだ。久しぶりに見る自分の血が赤くて何よりだよ」


 冗談めかしてそう言うカミラの姿を見て、少年達は心配そうにしながらも声を抑える。カミラの脇腹からは相変わらず血が流れていたのだが、彼女の姿を見ていると不思議な事に全く『大丈夫』な気がしてしまう。


 二人の反応を確認したカミラは、面白がるように自分の傷口に手を当てていたが、何かに気づいて困った顔になった。


「ん? どうしたんだ? ……やっぱり傷がやばいとかか!?」


「……いや、それは大丈夫なんだ。でも、色々やらなきゃいけない事があってね」


 傷口を見たまま、困った顔をするカミラを見た二人がまた慌てだした。が、彼らは次にカミラが行った事によってその何倍も強い驚愕を共にしながら慌てることになった。


「わ、わわわわわ!」


「ちょ、ちょちょちょちょっと!?」


 言いながら、二人はすぐに背を向けた。その顔は真っ赤になって、普段はお気楽で妙にテンションの高い彼らにはあまり似合っていないように見えるが、ある意味では年相応の少年達のようにも見える。


 彼らをそんな状態にしたカミラは、背を向け続ける少年達に対してきょとんとした顔で首を傾げた。


「どうしたんだ、二人とも? 何か見たくない物でもあったのか?」


「いやいやこんな所で服を脱ぐなんてどういう事さ!」


 そう、彼女は警備員の服が『借りた』物である事に気づいて慌てたのだ。掠っただけとは言え、服には確実に傷と彼女自身の血がついている。慌てた彼女は、即座に警備員の服である上着を脱いだのだ。二人が慌てるのも当然といえるだろう。


「いや、気にする程の事じゃないだろう?」


「俺達は男なのに!?」


「それはありえないって!」


 相変わらず背を向けたまま至極当然な事を言う二人の姿は、彼らを良く知る者が見れば違和感すら覚える光景だろう。だが、カミラはそんな事など知るはずも無く、ただ二人の発言に首を傾げるのみだった。


 それでも、二人の言わんとする事は理解できたのだろう。彼女は誰にも見えない位置で悪戯っぽく笑い、小さく舌を出すと素早く彼らの目の前に移動する。とっさに目を瞑った二人には彼女の表情は見えていなかった。


「何を慌てているんだ?」


「何って、いや慌てない方がおかしいんじゃ!?」


「慌てるも何も、どうして慌てなきゃいけないんだ? 私は、服を着ているんだぞ?」


 「へ?」と二人は間の抜けた声を出し、目を開けてカミラを見ると彼女は本当に愉快そうに笑っていた。きちんと服も着ている。どうやら、警備員の服の下に着ていたようだ。二人は安堵の息を吐いた。


「あービックリした。何をするつもりなのかと思った」


「ははっ、私がそんな妙な事をしそうに見えるのか?」


「うん」


「……そうかもな」


 二人と話しながらもしばらくの間悪戯っぽく笑っていた彼女だったが、すぐに廊下の隅に置いてある自分の上着を取り出して纏った。どうやら、ここに現れる前に置いてきたらしい。


 上着を羽織ったカミラは少し感覚を確認するかのように肩を何度か動かすと、落ち着いたのかため息をつき、再び二人の顔を見る。


「いやいや怪我も無さそうだし良かったよ! ……あ、私の事は気にするな」


「えーと……OK! 気にしないことにした!」


「じゃあ俺もそうする!」


 あくまで楽しそうなカミラに、ニコライとヘクターもまた、楽しむ事にした。彼らは理解したのだ。彼女から発せられる雰囲を。


「話がわかる奴らだね。いや、君らは本当に素晴らしい」


「やった! 褒められたぞニコライ!」


「嬉しいなヘクター!」


「……ああ、君らの名前はそれか。覚えておこう」


 そこで初めて彼らの名前を聞いたカミラは、それだけ言うとその名前をきちんと記憶する。今度は特に仕草に見せる事はなかった。先ほどの仕草は、ふざけていただけだったらしい。


 名前を覚えられた二人は、密航の身ではあったがやはりそれを気に留める事は無く、むしろもっと覚えて欲しそうにカミラをヒーローを見るような輝かんばかりの目で見つめている。そんな二人の目を、カミラは楽しそうに受け止めた。


「よし、覚えたぞニコライとヘクター。ふふ、今日は本当に素晴らしい出会いの連続だな。きっと君らの今日も素晴らしい日になるぞ」


 そう言うカミラの目には嘘がない。未だに上着の中から血が滴り落ちているが、それでも今日は本当に良い日だと思っているのだ。どこまでも愉快そうなカミラは、言葉を続ける。


「おっと、君らの名前を聞いたんだ。私も名乗らないとフェアじゃないね。カミラ・クラメールだ。ああこれでフェアだ」


 彼女の名前を聞いた二人はどこかで聞いた名前だと首を傾げたが、どうしても思い浮かばない。互いにそれを目で確認すると、それを気にしない事で結論付け、彼女の名前を覚える事を優先する。


「カミラさんかぁー……あ、そういえばまだお礼言ってなかったっけ?」


「言ってないと思う……じゃあ早く言わないと!」


 慌てて話す二人を見たカミラは手でそれを制して、その代わりとばかりにニコライの手に警備員の服を乗せる。それを怪訝そうな顔で見たニコライと、それでもカミラを見るヘクターに、彼女は笑って『頼み事』をする事を決めた。


「お礼はいいから、それをマーカスというお爺さんに渡して欲しいんだ。実は借り物でね。これ以上血を付けるわけにも、傷を作るわけにもいかない」


 そう言いつつ、彼女はマーカスの外見と居場所を説明する。二人はほんの僅かな間だが、困って顔を見合わせた。一応、自身が密航者だという自覚は彼らにもあった。ただ、あまり意識していないというだけで。それでもこの頼み事は彼らにとってあまり有り難くない事であると理解出来る。


 だが、二人の頭にはそれを断るという選択肢は無かった。命の恩人からの頼み事だと認識しているのもあるが、何より、普段の不敵な笑みを浮かべながら頼みごとをするカミラがカッコ良かったのだ。


「マーカスに渡すなら『借りていました。どうもありがとう。持ってきた奴らをちゃんと歓迎して欲しい』と私が言っていたと伝えて欲しい」


 二人の様子に気づきながらもカミラは言葉を続ける。何故だが、彼女には二人が頼みを断ってくるとは思えなかった。それがどこから来る感覚なのか彼女は考えて、二人の表情から来る物だと理解する。


 彼女は、二人が密航者だと気づいていた。だから、この頼み事をするのだ。マーカスの性格を考えればこの二人を密航者と扱って何かをする、という事は無いだろう。と。


 自身が付いていくという選択肢もあったが、それは選べない。あくまで自身は「忘れ物をした」と言ってこの場に来た者でしか無く、広間に戻れば観光客達の手前、もうここに来る事は出来ないだろう、と彼女は考えていた。そこに強盗団が居て、自身を警戒しているとは、まったく知らず。


「目的は果たしたが……もう少しだけ、見て回りたいしね」


「ん?」


「何でもない。それより、頼みを聞いてくれるか?」


 二人はもう一度互いの顔を見た。互いの顔は、文字が書いてあるよりも分かりやすい表情をしていた。


「任せろ! 絶対届ける!」


「よし! カミラさん、またどっかで会おうぜ!」


 つまり、二人の顔はこういう表情をしていたのだった。彼らは警備員の服を大事そうに握って、走って行った。



 二人が見えなくなると、彼女は息を吐き、もう一度自分の脇腹を見た。綺麗な傷だ。出血はそろそろ止まりかかっているらしく、もうあまり滴り落ちる事は無くなっている。彼女は幸せそうな笑みを浮かべて傷を撫でていた。


「本当に、久しぶりに傷を負ったな……ああ、ニルさんの居た頃は割とあったっけ」


 彼女は、ニルの事を思い出して思わず「ニヘラッ」という表現が似合う笑みを浮かべる。悦に入ったような彼女の雰囲気は、先ほどの少女のような物とも、普段の物ともまったく違う物だった。


「ああ、本当に、本当に素晴らしい出会いの日だ。今日は忘れられない一日になる……もしかしたらニルさんとの再会も近いのかもしれない」


 それだけ呟くと、彼女は笑みを浮かべたまま、「今日一番の出会い」を思い出していた。フードを深く被って顔を隠した、その男の事を。


 『島』で出会ったその男は、彼女に様々な事を教えてくれたのだ。ニルの母親がどんな者だったのか、今ニルはどこに居るのかという、彼女が求めていた情報も含めて。


 どうにも信じ難いその内容を、カミラは信じていた。雰囲気が似ていたというのもあったが、何より、『ニルとまったく同じ力を持っていた』というのが大きかった。


 その者の名前を、彼女は呟いた。



「ニルさんの……父親、カイム、かぁ……」

やっと書き終わりました……確認作業はまた今度ですね。とりあえず投稿です。いや書いていくとダグラスが強くって強くって……

今回はカミラの出番が物凄く多かった……

さて、本作は後2,3話で完結します。13,4万字ですね。 2012/5/31

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