2話 誰かが服を奪われて、誰かが武器を奪われて、誰かが意識を奪われる
※突貫工事で製作した為に要修正
マーカスと観光客一行は『島』の巨大な建物の広間に居た。壁には不思議な模様が描かれ、床も柱も『それだけ』なら荘厳な雰囲気を出していた。『それだけ』ならいかにも神殿のような場所にも思えたが、その壁には他にもコミカルな猫の模様や、二百年前の『島』には存在しないはずの写真らしき物、虹色の髪の『何者か』が少年の頭を撫で回す写真が張られていて明らかに雰囲気を台無しにしている。
その光景に、カミラは特に疑問を覚えるわけでもなく、スタンリーは考え事をしながらも感動していた。落書きは二百年以上前、実際に書かれた物だとマーカスが事前に説明していた為に、彼は本当にここに人が住んでいた事を確信して時代の流れに思いを馳せていた。
そんなスタンリーを余所に、カミラはきょろきょろと辺りを見回している。あまり彼女らしいとは言えないその態度は、スタンリーが見れば「昔のカミラだ」という感想を延べだだろう。そう、普段の調子も忘れて彼女は『ニル』の手がかりを探していた。その為に彼女は『島』に来たのだから、当然といえば当然の行動だった。
「さて、話は……どこまで話しましたかな? ……ああ、そうだ。エィストさんの話でした、どう話せばいいのやら」
その二人の行動を眺めつつも、マーカスは話を続けようと声を出した。が、話す事に迷い、何を話すべきか考え込んでいるのか頭を片手で押さえていたが、やがて彼はどこか誤魔化すように笑って観光客達の方を見た。
「何か質問がありますかね? 特に、エィストさんに関連する事であれば大歓迎ですが」
どうやら、マーカスは結局何を話すか決められなかった為に、質問を促す事で何を話すか決めようとしているらしい。そう考えたカミラだったが、特に質問が無かった為に声を出すことは無かった。それよりも『ニル』の手がかりを探す方が大事なのだ。
しかし、他の者達も質問をする気がないのか誰も声を上げることなく、結局はマーカスの言葉が虚しく響くのみだった。『島』にとても興味があったスタンリーも質問など考えてはいなかったので、やはり何も言わなかった。
そんな状況に陥ったマーカスの少し困ったような顔を見て、カミラは小さくため息をつき、誰も質問しないのなら、と彼女は思い立った。ちょっとした好奇心から来るものだが、彼女にも一応気になっていた事はある。
「マーカスさん、二百年以上前にここに居たというエィスト、不思議な力を持っていると言ったが、具体的にどのような事をしたという記録は残ってるのか?」
カミラの質問が届いた瞬間、困った顔のマーカスはすぐにそれを引っ込めまるで救世主を見るような眼で彼女を見ると、少し悪戯っぽく笑って有り難そうにその質問に答えた。
「お嬢さん、ああ確かにその『記憶』は残っているよ」
意味ありげに『記憶』という単語を強調したマーカスは周囲の反応を暫く見て、特に何の反応も無い事を確認するとほんの少し残念そうな顔をした。しかし、それをすぐに消し去ると彼は楽しそうに話を続ける。
「今から二百十年前辺りの頃に、一人の少年が病にかかってね。いや、この『島』では病にかかる者が少なかったから、当時は皆慌てたものだ」
どこか懐かしげに語る老人の口調にスタンリーが疑問を抱き、言葉を挟もうとしたがそれをカミラが手で制した。カミラの声は音にこそなっていないが、口の動きだけで『話が終わってからにしろ』と言っているのが読み取れた。
それを受け取ったスタンリーが黙り込む所を見てマーカスは疑問に思ったが、カミラの目が話を続ける事を望んでいるように見えたので続ける事にした。
「かかる者が少ないから薬も少ない。さらに不幸な事だが、少年がかかった病は『島』では他に例のない物だった。今では簡単に治るがね。だが、その時居た周囲の人間はどうする事も出来なかったんだ」
カミラはその話を聞いてつい昨日読んだばかりの本を思い出していた。本の中によれば、エィストはその少年の病を治して見せたらしい。だが、それだけであれば頭脳と、準備があれば出来る事だ。不思議な力とは言えないだろう。
「ここまではまあ、『島』に関連する本なら載っていた事だから、知っている人は知っているだろう」
カミラが思っていた事とまったく同じ話をするマーカスは、「だが」と前置きをすると話を続けた。
「エィストさんはその通りの事をしたわけじゃなくてね。もっと驚くべき事をしてみせたんだ……」
「驚くべき事?」
彼の思わせぶりな話し方に思わず言葉をかけたカミラにマーカスはもったいぶるような態度で咳払いや腕を動かしたりすると、彼女の目に急かすような色が見えたので表情を引き締めて話を続けた。
「彼はな、その少年が病になった時その場に居なかったのだよ。彼が戻ってきたのは……その、少年がついに亡くなってしまった後でね。少年とエィストさんは仲が良かっただけに、島民達はそれを話す事で大層悩んだが……戻ってきたエィストさんを見て島民達は気絶するほど驚いた」
そこまで話すと、彼は一度息を大きく吸って、再び周囲の様子を見た。カミラはどうやらそこまでで何が起きたのかを理解したらしく、愉快そうな目をしている。それを確認すると、マーカスはまた一度大きく深呼吸をして結論を話す。
「彼はその少年と共に帰ってきたのだよ……当然のような顔で、いかにも『最初から一緒に来ていた』と言いたげにね。驚いた島民がそれを聞くと彼はこう言った。『この子は最初から病になどなっていないんだが、夢でもみたんじゃないか?』とね」
その話にスタンリーは話半分で聞いていたが、カミラは途中から真剣な様子になっていた。彼女は、エィストと名乗る何者かが何をしたのかおおよそ理解できたのだ、だからこそ、エィストという存在が『ニル』と知り合いだという事を納得する。
『ニル』もやろうと思えば同じ事が出来る事をカミラは知っていたのだ。小さく頷くカミラを側で見ていたスタンリーは首を傾げたが、後は特に何もしなかった為に彼も気にしない事を決める。
「まあ、そういう感じでね……エィストさんは確かに不思議な、というか、そういう『何をどうしたら出来るのかわからない』事を息を吸うように行える人物だった」
「貰おうとは思わなかったのか?」
発言したのはスタンリーだった。『島』の歴史を知った時から気になっていたのだ。だが、つい口から出てしまった発言だった為に少し咳払いをしてマーカスに一礼してから話す事にした。
「失礼、貰おうとは当時の人々は思わなかったのですか? その、そのような事が出来るエィストさんは力を授けるくらいの事はできるはずです。例えば、不老不死とか」
「ああ、確かに貰おうと思っていた時期もあったとも。だがね、我々は死後どうなるかを知識ではなく経験で『知っている』。それに当時の彼らは力に興味が無かったし、特にそれがあったからと言って何かが変わるわけでもなかった」
心からそう思っている口調で話すマーカスに嘘はまったく見られなかった。確かにそう思っているのだ。スタンリーが納得した顔で頷いたのを確認すると、マーカスは再び話し出した。
「いやエィストさんは力を手に入れる条件を、まあ、遊び半分で私たちにきちんと教えていたよ。まあ、かなり難しい条件だったから皆諦めたが……」
「その条件とは、一体?」
意味ありげな言葉にカミラが反応した。これをマーカスは予想していたのか、「内緒さ」と言って笑った。カミラは「それは残念」とだけ、しかし言葉とは裏腹に全く残念そうな雰囲気は見せずに言って再びマーカスから視線を外し、『ニル』の手がかりを探す事にする。
その為、マーカスがそう言った後で本当に小さく何かを呟いた事に、他の者も含めて気づかなかった。
話を終えた後、しばらくの間いかにも感慨深げな態度を取っているマーカスに対し、ふと、話の中で気になっていた事を質問する者が居た。カミラだ。彼女は首を傾げながら、恐らくその話を聞いた誰もが疑問に思うであろう事を聞く。
「マーカスさん、あなた一体何歳なんだ?」
質問を聞いたマーカスは悪戯っぽく笑って見せると、面白がって言葉を返した。この時点でカミラには彼がまともに答えを返す気が無い事を理解していたが、一応聞く事にした。
「昨日ある若者にも言ったがね、五十から先は数えていないのだ。つまり、覚えていないのだよ」
カミラの予想通り、はぐらかすような回答だ。マーカスの外見はカミラとスタンリーが見ると七十歳前後に見えるが、外見年齢より遥かに上の可能性が高いと彼女は踏んでいた。まだ話半分で聞いているスタンリーとは違い、彼女には『実体験から』それが理解できる。
彼女の理解を得られた事にマーカスは一度頷き、少し歩くと、近くにあった椅子に腰掛けた。話し続けていたからか、それとも立ち続けていたからなのかその姿には少しばかり疲れが見て取れる。
「さて、少し疲れてしまった。皆さん、休憩時間と行きたいが駄目ですかな? ああ、お嬢さんはちょっとこっちに」
それだけ言うと答えも聞かずにマーカスは手を振ってカミラを呼ぶ、そのカミラは何度言われても慣れない「お嬢さん」などという呼び方に内心で身をよじらせつつも、マーカスの側に近寄っていった。彼女の勘が言っているのだ、重要な話だ、と。
カミラが近づいてきた事を確認するとマーカスは彼女の耳元に顔を寄せて、何事かを話すとニヤリと笑ってみせた。それに対するカミラの姿をチラリと視界の端に入れたスタンリーが、驚いて思わず彼女の顔を見つめていた。
彼女は、輝くような目と心の底から嬉しそうな顔でマーカスに一礼したのだ。かと思えば、その一瞬後にはいかにも困っているという表情を浮かべていた。
「ああ、船に忘れ物をしてきてしまった。行って来てもいいかなマーカスさん?」
「もちろんいいとも! ゆっくり行って帰ってくるといい!」
続くカミラとマーカスの会話は一分のわざとらしさすら感じないほど自然な声音で発せられた。だが、状況から考えれば明らかに不自然な会話だ。
スタンリーが周囲を見ると、どうやら観光客達も二人が明らかに不自然だと分かっているとは思えた。が、皆、彼女の顔を見るだけ見てすぐに目を逸らしていた。彼女の『逸話』を考えれば仕方ない話ではある。
それに気づいたスタンリーは誰も聞く気が無いならば、とカミラの側に近寄って話を聞こうとしたが、マーカスが言った『忘れ物』というフレーズが何故か頭に引っかかったので足を止めた。何かを忘れている気がするのだ。
そんなスタンリーを他所に、マーカスが頷いたのを確認したカミラは嬉しそうにこの広間のような場所から他へと繋がっているでろう、元来た方向とはまるで違う方へ歩いていった。明らかに、船に戻る気が無いか、道を間違えていると思われた。
が、誰もそれに対して言及する事無く、やがてカミラが見えなくなった頃にマーカスは椅子から立ち上がり、観光客達に向けて、何の気もなしに言った。
「さてと、あのお嬢さんが帰ってくるまではここで『コーヒーブレイク』といきましょうか」
『コーヒー』
あ! と。スタンリーは思わず声を上げていた。そうだ、彼は確かに重要な事を、本当に重要な事を忘れていた。そう、彼は思い出したのだ。あのコーヒーという名前をしただけの毒液を、船の机に置いてきたままにしてしまった事を。
実の所、それは既に飲まれてしまったのだが、それを知らないスタンリーは慌てふためいた。『アレ』は酷い味を通りこして間違って船員が一気飲みでもすれば一発で気絶しかねない物だった。そんな事にはしてはいけないと思い至ったスタンリーはすぐにマーカスの所まで駆け寄った。
「すみません! 私も忘れ物をしてしまいまして……少し船に戻ってきます!」
それだけ言うと、スタンリーは返事を待つのも忘れて来た道を凄まじい勢いで戻っていった。あまりの勢いと速さに返事をする暇すら無かったマーカスは、しばらくあ然として彼を見送っていたが、最後には溜息をついて、諦めたように笑った。
「若いというのは素晴らしい事だな……いや、私もエィストさんから見れば若いか……」
一人で勝手に呟き、勝手に頷いて、彼は過去の思い出を頭の中で再生していた。エィストとの、記憶を。
エィストの話をした後で、彼はこう呟いたのだ。「まあ、確かに生きてエィストさんを待つ為には不老不死にでもならねばならないがね……」と。
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「よし、準備は出来たな?」
アベリーはマーカス達が居る広間を見ながらそう呟いて、部下達に確認を取った。準備が出来ている事をわかっている上での質問だ。それを投げかけられた彼らは武器を握り締め、全員が少しの緊張と覚悟を持った瞳でその場に立っているが、その体にも、武器にも戦った痕跡は無い。
そう、その場に居る強盗団は何の障害も無くここまで到達していた。それは彼らに先んじて進んでいった彼らの仲間の活躍による物だったのだ。その事実に、その場に居る彼らは内心で感謝していた。だが、戦いが無いというのはある意味で悪い事でもある。
この『島』に来てまだ一度も武器を使っていない彼らは少しやりすぎなくらい周囲を警戒していた。一度武器を使い、体を動かせば彼らはそれに慣れて緊張は消し飛ぶのだが、無い物は無い。
ただ、アベリーだけは緊張した様子も、警戒心を出す事も無く自然体で周囲に気を配っていた。そんな彼の姿を見て、部下達は頼もしそうに見つめていた。
「あぁ……お前ら本当に、直接戦闘の腕『だけ』っていうかなぁ……」
そんな彼らの視線に気づいたアベリーは、大げさに溜息をついて呆れていた。その言葉をかけられた彼らは、確かに『戦闘の』腕は見るからに良さそうな集団だったがどうやら気持ちの方はあまり良くないらしい。
実は、曖昧な情報と古い地図と運任せのアベリー自身が人の事を言えるほど頭の出来が良くは無いのだが、彼の部下達はそれを遥かに上回っている出来の悪さだ。頭が悪いというよりは、気持ちの出来が、だが。
アベリーの呆れた表情に、部下達は思わず反論をしようと口を開いたが、その寸前に彼が言葉を投げつけていた。
「あからさまに顔に出る連中だからな、お前ら……」
反論しようとした者達は、その一言で黙りこんだ。確かに、彼ら、特にこの場に居る者達は気持ちを隠すのは壊滅的に苦手な集団だ。その下手さは、同じように『顔に出る』他の仲間達を上回るほどなのだが、今まで誰も気にしていなかった。というより、今も気にしていない。
「まあ、だからこっちに配置したんだから別にいいけどな」
アベリーはそれだけ言うと話を切った。ここに居ない強盗団の者達、つまり残り七割はそれなりに演技を必要とする計画に組み込んでいるのだから、ここに居る者達がどれだけ自分を隠すのが下手でも問題は無いのである。
そんな事を考えていると、ふとアベリーは自分に近寄ってくる者の気配を感じ取った。だが、敵意は感じられず、感じ取れる雰囲気は普段彼が慣れている物だ。そこまで思い至った彼はそれが何なのかを理解しつつ振り向いた。
「ボス、報告があります」
彼の目の前に居たのは、彼の部下で『島』の監視を乗っ取る役を担っている男だった。服装は警備員の物だが、顔はアベリーの見慣れた者だ。それは船の貨物室で猫の形をした金を懐に入れていた男だった。
どうやら、金は厚い警備員服のポケットに仕舞い込んでいるらしく、表面的には何も見えていない。報告に来たという彼の顔を見て、アベリーは何時の間にか不足の事態を覚悟するかのように表情を引き締めている。そんな彼とは対照的に、報告に来た男の顔は上機嫌だった。
「どうした? 何があった?」
「ボス、とりあえず警備員は全員気絶させて縛り上げてから警備員室に放り込んでおきました。警備員の服は……この通りで」
少し得意そうな顔で自分が着ている服を指差す男から報告を受けて、アベリーは表情を崩して小さく笑みを浮かべた。ここまでは、彼の計画通りに事が運んでいる。
だが、勿論気になる事はある。彼の着る警備員の服は元々大柄な人間が着ていた物ではないらしく、あまり似合っているとは言えない物だったのだ。が、それを言うとショックを受けた男が着替えて役目を放棄しかねない。その為に、アベリーはあえてそれを見なかった事にしていた。
他の仲間たちはそれを言おうとして、アベリーの意図を察した者から止められていた。そして、それを無視しつつ、アベリーは男の肩に手を置く。
「そうか、ご苦労だった。ならお前も警備員のフリを続けてくれ」
肩に手を置かれ、労いの言葉をかけられた男は、それを賛辞と受け取り、嬉しそうに頷いて持ち場へ戻っていった。
「よし、じゃああれだ。そろそろ行くか」
男が戻っていくと、アベリーは他の部下達の方を見て言葉をかけた。気安い一言だが、その中にははっきりと計画成功への意欲が見て取れる。それを感じ取った部下達は頷いて、少しだけ広間に近づく為に前へ出た。
が、それはすぐに止められる事になった。アベリーが広間に近寄った瞬間、小さな、だがはっきりと伝わる声で周囲に言ったのだ。「隠れろ!」と。
次の瞬間には、中年の男がその場を走り去って行った。ほぼ同じタイミングで若い女が広間から出ていったのだが、彼らは女の行く方向には一人も居なかった為に、気づく事は無かった。
女の行く先が、先ほど居た男の持ち場の近くである事も。気づいていれば、即座に計画の中止を選んだだろう。
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つい今しがたアベリーに報告をしていた警備員の服を着た男は、鼻歌でも奏でそうな機嫌の良さで自分の持ち場に立っていた。もちろん、持ち場と言うのは警備員としての物ではない、アベリー達と事前に打ち合わせをした時に決めた持ち場だ。
そんな彼が強盗団として警備をしている場所は、大きな廊下だった。
「さて、後はボスが仕事を済ませるのを待つだけだなぁ」
気楽さを体現したような、気の抜けた声で男は呟いていた。彼を含め、警備を制圧した者達には警備員に成りすまして、万が一に備える以外にはやる事が無い。実質、ビルと同じく『何もしなくていい』状況だ。
ならばアベリー達に混ざって観光客の監視をしたいと男は思っていたが、「それ以上増えても同士討ちの危険があるだけだ」とアベリーには事前に言われていた為に、やはり彼は暇そうにしている。
そんな彼の耳に、小さな物音が届いた。
「ん?」
男の背後、広間がある方向から聞こえた音に男は思わず振り向く。が、そこには誰も居ない。気のせいと言うには、耳にきちんと届きすぎる音だ。男は内心疑問に思い、音がした方に近寄っていく。
音が聞こえた方向にある廊下まで行くと、男はふと何かを思い出して苦笑した。
「よくあるよなぁ、物音に近寄っていくと、そこには誰も居なくて、振り返ったらそこには! とか、天井から化け物が降りてきて、一瞬で始末されちまうとか」
ありえない想像に男は首を振った。そのような事は生きてきて一度も経験した事が無い、というのもあるが、それ以上に『そんな事があるはずが無い』という気持ちが強かった。実はこの男、ホラーが苦手なのだ。なのに何故そんな事を知っているかと言うと、仲間と共に見た、いや、見せられたからだった。
それを思い出した彼は苦い記憶を振り切るように頭を振った。『ついで』に背後や天井を確認したが、そこにも誰も居ない。
「あいつら……俺がああいうの嫌いだって知ってる癖に見せやがって……」
「それは気の毒だな」
その為、男の呟きに反応したようにまたどこかで響いた小さな音、いや、『女の声』には目を見開いて、強く反応する事となった。すぐに慌てて周囲を見回すが、やはり誰も居ない。
「ああクソッ。誰だ、どこのクソが隠れてやがる!」
男はその苦笑するような声を聞いて、少し驚いてはいたが、同時に安堵していた。意味が理解でき、なおかつこちらに同情するような言葉をかけてくるなど、彼が怖いと思う者ではない。少なくとも人間ではあると彼は理解し、恐怖を捨て去った。
「ああ、驚いてくれないのか、しょうがないな」
そんな彼の反応に、少しだけ残念そうな悪戯っぽい声が返ってきた。明らかに人間味が感じられる声だ。もはや、男にそれを恐れる意味は無くなった。すぐに周囲にある、人が隠れられそうな物を確認していくが、どこにもその『女』の姿は見当たらない。
「ここだよ、ここだ。ほら、来て見ろよ」
女の声を聞いて、今度はどこに居るのかが彼にも理解できた。それは彼が先ほどまで監視していた廊下から聞こえてきたのだ。それに気づいた男は馬鹿にされた事を内心で憤慨しつつ銃を握り締めた。勿論、中身は殺傷力の無い弾が入っている。
遊ばれていたからと言って、殺すような気は彼には無い。確かに怒ってはいたが、それよりもその声の主がどのような人物なのかの方が気になっている。
男はゆっくりと歩き、廊下の前まで行くと即座に銃を構え、気づいた。廊下から聞こえてきた声以外が、どこから響いてきたのかを。
「ここさ」
そう、男の眼下に広がる廊下には誰も居なかった。が、その事実を受け取った男は内心で悲鳴をあげていた。女の声が、自分の背後から聞こえてきたのだ。その女が何をして自分に見つからなかったのか理解した彼は即座に銃を声の方向へやった。
今度は女の姿が彼の目に入ってきた。男はそれが誰なのかを認識し、振り向いた事を後悔しつつも即座に発砲する姿勢をとったが、次の瞬間には女がどこからかスプレーを持ち出して吹きかけ、彼の意識はどんどん薄れていった。
「ボ、ス……やばい……」
それでもなんとか出した声は、小さすぎて女の耳にも届く事無く消えていった。
「いやすまないね。警備員の人。私には用事があるんだ」
男を眠らせると女、カミラは小さな溜息をつきつつ、気絶した男を廊下の端まで運ぶと少しだけすまなそうにした。そう、彼女は男の視界に入らないように『彼のすぐ側に居た』のだ。
もちろん、彼女が男を眠らせたのには理由がある。
「まったくマーカスさんは、『警備員達には私の事を言っておく』と言っていただろうに、忘れていたのかな」
そう、マーカスがカミラに話したのは、『島』を調査してもいいという許可だった。彼女の事を知ってか知らずか、マーカスは彼女の気持ちにある程度は気づいていたらしい。広間でこっそりと話をしたのは、他の観光客に聞かれない為だろう。
警備員達には話しが言っていると知っていて何故あんな方法で接触を図ったのかと言うと、ちょっとした悪戯心から来る物だった。その男が脅かされるのが苦手だと気づいたからこその行動だ。
脅かした後はきちんと謝ってから挨拶をしようと考えていた彼女は、まさか発砲してくるとは思っていなかった。カミラは内心驚いていたが、それも警備の一環なのだろうと考えて気に留めなかった。もちろん、彼女が警備員だと思っている男はアベリーの部下で、仕事は警備どころか強盗なのだが、彼女はそれを知らない。
カミラは気を取り直し、壁の模様や二百年前の痕跡を調べはじめた。どこかに手がかりがあると考えて。だが、そんな彼女は調べている途中でふと手を止めて、警備員らしき男をじっと見つめた。正確には、男が着ている服を。
その服は男が着るにはかなり無理のある大きさだが、カミラにはそれなりに合う大きさだった。それに気づいた彼女は、すぐに男に近づいて彼の服を手に取り、大きさを明確に計りながら少し考え込むような仕草をした。
「いや、流石に全部持っていくのはまずいか……私もこんな奴を脱がせる趣味は無いわけだし、別に敵というわけでもないしな……」
そう、警備員の服を着ていれば遠目では気づかれないだろうと彼女は考えていたのだ。それは今その服を着ている男も考えていた事だったが、彼女には関係が無い話だった。
もちろん、彼女はそれをすぐには実行しない。本当にそうすべきかを判断してからだ。だが、彼女にはそれを否定する理由が無かった。人の服を奪うのは初めての経験だったが、特に忌避感も覚える事は無い。
「まあ、服はマーカスさんに渡して返してもらえばいいか……一時的に借りるだけさ、うん」
そんな事を言いつつ、彼女は男の上着に手をかけた。
それから一分もしない内に、カミラは上半身のみ警備員の服を着ていた。上着だけなので下着は普段通りだったが、見えない部分なので彼女は特に気にしなかった。下半身が入れ替わっていないが、彼女はその状態で妥協する事にした。
「下半身はなあ……こいつの尊厳の為にも、私の気持ちの為にもそれは駄目だな、ああそうだとも」
そんな独り言を呟くと、カミラは自分の上着を小脇に抱え、警備員らしき男の方を見た。剥ぎ取った上着の下には防弾チョッキや武器が幾つかあり、その中には明らかに殺傷力のある銃もあったが彼女はそれも警備の一環だろうと納得した。
彼女にとっては物々しいほどの武器があろうがそれは気にならず、むしろどうでもいい事だった。ただ、「侵入者が少ないわりには武器を揃えているんだな」という感想が浮かぶのみだ。
それよりも彼女は自分の着ている警備員の服が気になっていた。ニルの手がかりの為に周囲を探りながらもしきりに胸の辺りへ目をやっては鬱陶しそうな顔をするその姿を見れば、誰にでもわかるだろう。
「頑丈なのはいい事なんだが……ああ、胸が嫌な感じだ」
ふと、そこまで言って何かに思い至った彼女は苦笑した。「そういえば、そんな話をニルさんとした事もあったなあ」と。
「ニルさんなら胸は私よりは大丈夫だな……いや、あの人は私より背が高いから駄目か……」
脳裏に『ニル』の姿を思い浮かべながら、彼女は自分の目的の為に行動を続けた。そう、胸の違和感を気にしながらだ。
だから最後まで気がつかなかった。服を剥ぎ取った相手が、警備員ではなく強盗である事に。そして、警備員の服のポケットに入っている、金に。
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「今通った奴、本当に放っておいていいんですかね? もし邪魔にでもなれば……」
そんな事が起きているとは知らず、アベリーの部下の一人がそう呟いた。
その場の全員がアベリーの言葉に一瞬で合わせて隠れたのでその男に気づかれる事は無かったが、それでも部下達は男を追おうとして動いていた。
が、それは止められる事になった。アベリーが手でそれを制したのだ。その後すぐに部下達が疑問を込めた眼で彼を見たが、彼はそれを軽い雰囲気で打ち消し、また軽い調子で返事をした。
「大丈夫だ。あんな中年くらい、俺達の仲間ならどうにかできるさ」
そう、アベリーは心の底から部下達が『どうにか』すると信じていた。中年の男が見るからに焦ってどこかへ走っていった事から、単なる忘れ物だろうと予想はしていたが、それが外れていても彼にとっては関係の無い事だ。そうでなかったとしても、彼の部下が『どうにか』できるのだから。
そんなアベリーの言葉に、彼の部下達はその通りだと頷いた。彼らとて、『戦闘の』腕に相当の自信を持つ者達だ。アベリーの期待に応えられるくらいの意気込みはある。だが、その中でも冷静な者はそれでも疑問を持っていた。先ほど呟いた男だ。
「でもボス、あれ、もしかしたら結構な腕を持っているかもしれませんよ? 本当に放置でいいんですか?」
「ああ、俺もそうは思う。だが、俺はあいつらを信じるさ。不足の事態があっても、俺の仲間はどうにでも出来る。それに、あの男、方向的に察すると船に戻つもりだろう、なら頼りになる奴が居るよな?」
アベリーの思わせぶりな態度に、全員が首を傾げた。彼らが来た船の近くに居るのは、船を制圧する役の三人と、船の監視所を乗っ取った二人と、アベリーの判断で置き去りにされたビルだけだ。
まさか、と先ほど発言した部下の一人がアベリーの意思に思い至って彼の顔を見た。
「いや、ボス? ビルの野郎、そんなに強くないのにどうやって不足の事態に対処出来るって言うんですか?」
それを聞いたアベリーはさも面白いことを聞いたとばかりに笑って見せた。どこか苦笑が混じったような笑みは、彼の部下達もあまり見たことの無いものだ。アベリーの呆れたような眼が部下達を見ていた。
「あいつは確かに弱いが……絶対に役に立つさ。情報を仕入れてくるセンスもあるし、それに何よりあいつは仲間思いの良い奴だ。戦いはそこら辺の野良犬以下、しかも偶にヘマをするが、あいつの価値はそこじゃねえよ」
アベリーはそう言って自信有りげな顔をし、部下達もそれに合わせるように思わず頷く。確かに、アベリーへの忠誠心も、彼の思想を忠実に守る点に置いてもビルは信頼に値する男だ。だが、彼らは致命的なミスをしたビルに疑いの念を持っていた。
計画の成功にかなり影響してくる物を失くしたのだから、当然と言えば当然だ。だが、アベリーはそうは思っていないらしく、疑問の意思を浮かべる部下達を見つめている。そんな中、また部下達の中の比較的冷静な者が声を上げた。
「良い奴ってのは同意しますが、そのヘマが問題でしょう? チケットを失くすとかね」
「……まあ、確かにあれは酷かった、あいつが幾らヘマをするって言ってもあそこまで酷いミスは本当にはじめてだ。流石に泣きたくなったなあ」
思わずそう呟いてアベリーが頷いていた。が、次の瞬間には小さく首を振り、今自分がした発言を無かった事にする意志を見せるとまた面白そうに笑って全員を見た。その目にどこかごまかすような色がある事に気づいた部下達は声を上げないように小さく笑った。
それでもアベリーの耳にそれは届いていたのか、アベリーはやはり小さな溜息をついた。だが、話を続ける事にした彼はそれをすぐに引っ込めると少しだけ真剣になって話し出した。
「まあ、もしも、もしもの話だが仮にあの中年が俺達を薙ぎ倒すくらい強かったとして、何とかできるのは俺かビルだけだな」
しばらく考えてその言葉に込められた意味を理解した部下達は、ああ、と呟いて納得した。別に彼らがビルより弱いわけではない、むしろ、ビルが弱いからこそそれをするだろうという事に、彼らはアベリーに遅れて気づいた気づいた。
言われるまでアベリーの行動に気づかなかった事に少しばかり落ち込む部下達を見たアベリーは、笑っていた。仲間が落ち込む様を笑っているわけではない事は彼らにも伝わっている。
「置いてきたのはそういう理由があったのさ、まあ半分以上はチケットを失くすなんていう酷すぎるヘマをやった奴への罰だけどな……流石にあれは酷いもんなあ?」
強盗をする為に突撃する寸前だというのに冗談めいたアベリーの目に、部下達は何故か肩の力が抜けるような気分を味わった。彼らとて、少しは緊張していたのだ。もしかすると、アベリーはこれを狙っていたのかもしれない。
そんな部下達の考えに気づいているのかいないのか、アベリーはもう一度笑って彼らを見回す事にしていた。彼は自信有りげに『ビル』の実力を語ってはいたが、部下達の心配そうな顔にほんの少しだけ不安を覚えていたかのようだ。
「まあ、念の為ビルの奴に様子を聞きに行く奴が居てもいいな。誰か行きたい奴は居るか?」
「なら俺が行きます。邪魔になるようなら排除しときますよ。勿論、殺さずにね」
「そうか、よし、一応警戒していけよ? 警備は制圧したらしいが、それでも危険が無いとは言い切れないんだからな」
アベリーの言葉を受けて、彼らの内の、中年の男の扱いに対して発言した者を含めた三人が広間のマーカス達に気づかれない範囲の声をあげ、銃を持って歩いていった。中年の男が走っていたのに対し、彼らが歩いているのは実際の所、あまり警戒していないからだろう。
部下達はそのまま船の方向に歩き続け、やがて見えなくなった所でアベリーが広間の様子を遠目で窺いつつも、悪戯っぽく笑って残った部下達に声をかけた。
「……訂正をしなきゃいけないな、実はビルはそんな状況になると混乱して冷静に判断できない奴だ。本当は、俺達の中で一番『不足の事態』に対処できない奴だよ。それさえ無ければまともだってのにもったいない」
「……はい?」
今までの会話の全てを否定するような発言に、部下達の目は点になっていた。いや、実は彼らも頭の隅では「そうではないか」と考えていたのだが、まさか実際にそうだとは思っていなかった。
「本当は、ただ単に面倒だから置いてきた。三人送ったのは、ビルの面倒を見させる為さ。あいつ放っておいたらそこらに転がってる物を食って寝込みかねない事にさっき気づいた」
その話を聞いた部下達は、あからさまに肩を落としていた。どうやら、この話は作戦前のちょっとした雑談を兼ねていたようだ。確かに、部下達は肩の力どころか気が抜けた。が、疑問は残ったのかアベリーに対して質問をする者も居る。
「じゃあなんで、それを話さずに嘘まで言って三人を送ったんですか?」
「そりゃお前、どうせ本当の事を言ったら、お前ら行かないだろ?」
次の瞬間には、全員の頷きが帰って来た。誰もが気持ちを共有していた瞬間だった。だからなのか、アベリーの声にごまかす様な色がある事に気づく事ができなかった。
そんな話をしていた彼らはもはや気が抜けすぎて溜息すら出ていたのだが、皆全身からやる気だけは満ち溢れている。それを確認したアベリーも、持っていた銃をもう一度確かめて、それを強く握ると一度気合を入れるように息を吐き出した。
「……よし、行くぞ……突撃だ、突撃する。言っておくが、あの爺さんに反撃を許すなよ!」
言葉が響いた瞬間、男たちは凄まじい勢いで広間に入っていく。その戦闘を走るアベリーは、目の前の計画に集中しつつも、頭の隅では考えていた。
----まあ、ビルに関しての後半の話は半分以上嘘なんだけどな。それにしても……
そう、アベリーは中年の男に対してはそれほど警戒はしていなかった。今送り出した三人が居なくとも警備を制圧した連中だけで大丈夫だろう。と。だが、彼はそうではない何かを感じていた。まだ自分の知らない、何か悪夢のような物が待っているのではないかという、予感を。
「なんだこの嫌な予感は……」
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島の内部で起こっている事など関係無いと言いたげに悠然と浮いている船、その周囲にある湖は相変わらず陽の光を反射していて、まるで水が宝石で出来ているかのように美しく輝いていた。見る物に癒しや勇気や、幸せを与えてくれそうな光景だ。
だが、それでさえ船の上で青い顔をしているビルの気分を良くする事は出来なかったらしい。
「うぇェ……畜生……」
それだけ言うと、ビルはどこかから持ってきた水を飲み干した。体内まで染み渡るほど冷たい水は彼の体を少しばかりは楽にする事が出来た。しかし、それでもまったく足りないのか表情は優れない。
今にも倒れてしまいそうな雰囲気をまき散らしながら、ビルはため息をついていた。
「死ぬかと思った……いや本当に死ぬかと思った」
ビルは小さく呟くと、またため息をついて湖を見つめた。コーヒーを飲んだ彼はそのおぞましい味に吐き気を覚え、すぐに水を取りに行ったのだ。その間に二人の少年が貨物室から出ていったのだが彼はそれを知らない。
ともかく彼は取りに行った水を飲みきってしまった。彼の青い顔は水によってほんの少し改善されたが、まだ青い。
「おい、ビルよぉ。顔が青いぞ? お前大丈夫か?」
「よくわからねえが、頭大丈夫か?」
「どうしてそんな地獄から這い戻った後みたいな顔になってるんだよ」
そんなビルの姿を見かねた男達が彼に声をかけた。船を制圧する役割を与えられた三人だ。肩に船員の格好をした男を抱えた彼らは、貨物室にそれを放り込む為に戻ってきていたのだ。
「おぉ……お前等ボスからの命令、済んだのか……」
言葉を返すビルの声はどこか弱々しい。そんな様子を見て流石に心配だったのか、三人の男達はビルの顔を見つめた。だが、それを確認したビルはほんの少しだけ弱ったような表情を薄めて見せる。
「お、俺のことよりその荷物を放り込む方が先じゃねえか……?」
ビルの言葉に、三人は思わず顔を見合わせた。ビルの様子から、彼らはてっきり助けを求める声か悪態が返ってくるとばかり思っていたがビルは弱々しいながらも真面目な雰囲気で彼らの心配をするような発言をした。
普段の彼とは少し違う態度だ。やはり、チケットを失くしたのはビルの心に重く響いたのだろうか、もしくは何かの前触れか。そう考えた三人は益々心配そうにビルの顔を見た。主に、何かの病気かという疑いの意味を込めて。
だが、そんな三人の態度を受け取ったビルは少し不機嫌そうな顔になった。
「よくわかんねえけど……恐ろしい飲み物を口にしちまった。なんか、気分は最悪なんだが思考はこれでもかってほどスッキリなんだよ……もしかしたら、これは最後の輝きって奴で、俺はここまでかもしれん」
「……そりゃお前、そんな恐ろしい物を飲むからだろ。これ終わったら病院に放り込んでやるから安心して寝てろ」
ビルの説明はかなりわかりにかったが、三人には彼が何をしたのかが一応伝わったようだ。彼らは思わず呆れ顔を彼に向けた。
そんな彼らの声は投げやりだが、どこか自分を心配しているようにも聞こえる事に気づいて彼は小さく笑みを浮かべる。彼らの頂点に立つアベリーほどではないが、ビルの目の前に居る三人も彼とはそれなりに長い付き合いだ。相手の考えを察するくらいは、ビルにも出来た。
「……いや、むしろ思考がすっきりする分読みやすいのか?」
「ん?」
「いや、なんでもない」
ビルの独り言が聞こえた三人は首を傾げたが、本人がそういうのであれば、とあっさり引き下がった。独り言に一々言葉を返しても仕方がないと判断したからだ。彼らもまた、ビルの事をそれなりには理解できているのである。
船員を抱えたままの三人と、依然として青い顔をしたままの一人はほんの少し黙り込んだ。が、それもしばらくは続かず、ビルが三人の方を見ていると何かに気づいたように少し慌てた様子で声をかけた。
「おい、そろそろ船員を放り込まないと。もし意識を取り戻されたら面倒だと思わねえか?」
三人がその言葉に慌てて船員達を見た。意識が戻る様子は無いが、確かにビルの言う通りだった。何より、彼らは実はまだ全員を運び終えていないのだ。あまり大きくない船を三人で制圧する事は容易だったが、彼らの体は三つしかないのである。そして、当然船員は三人以上居るのだ。
そんな彼らの様子にビルは数秒疑問を抱いていたが、あの『毒液』を飲み干してから何故か普段より何倍も働く頭が気づかせた。今度は、ビルが彼らに呆れ顔を向ける番だった。
「俺の言えた事じゃないと思うけどよ、多分、さっさと船員を全員貨物室に入れるほうが賢いと思うぜ?」
その言葉を聞くまでも無いとばかりに、三人は返事もせず貨物室に入っていった。三人の姿を見送ったビルは、小さな溜息をついた。
「ああ、まったく……この様で本当に計画、成功するのかねえ……ボス達が頑張ってくれる事を祈るしかないか……」
一言だけ呟くと、彼はまた水を飲む為にその場を離れる。コーヒーの姿をした毒液は未だ彼から離れる雰囲気を見せなかった。まるで自分を呪い殺そうとしているようだ、とビルは考えて、首を一度振ることでその考えを振り払った。
それから数分後、そこには幾つものガラスコップを船に備え付けられた机の上において、自身は椅子に座り込んでいるビルが居た。なんとか毒液の影響からは逃れたが、その思考はやはり普段よりずっと落ち着いていた。
まるで精神を鍛え続けたかのようだと考えたビルは少し嫌な気持ちを味わった。地平線の彼方まで飛んでいってしまいそうな酷い味の飲み物の付加価値として考えるには、あまり自分には必要の無い効果だと考えて。
そんな事を考えている間に、隣にあった貨物室の扉が開いた。先ほど船員を担いでいた三人だ。肩に何も無い事を見ると、船員は貨物室の中らしい。船員を肩で担ぎ続けたからか、普段よりもずっと注意力のあるビルは三人がどこか疲れた雰囲気を纏っている事に気が付いた。が、だからどうという話でもないので何も言わない。
「おう、お前が居ない間にこっちはもう大半終わっちまったぞ」
「やっとここまで来たな、次で最後だ。まったく、肩が痛いね」
「お前に手伝って貰いたかったが、残念ながらその様じゃあ無理だな」
疲れた雰囲気の三人は、ビルに対してそれだけ言うと、すぐにその場を離れていった。どうやら、ビルが水を取りに行っている間に彼らは船員を運ぶ事をほとんど済ませたらしい。それを受け取ったビルは無言で頷いて彼らを送り出した。
「はぁ……暇だな……」
三人が居なくなってから、ビルはまた退屈そうに佇んでいた。先ほどまでは毒液のような何かの対処に時間をかけていたのだが、今はそれも無い為に彼は真実する事がなくなっていた。
三人が戻って来さえすれば彼らもまた役割を達成する為にその後は四人で雑談が出来るのだが、彼らはまだ戻ってきていない。そのためビルは三人を待ちつつ船の手すりに寄りかかって『島』を見ていた。
「ああ、本当に良いとこだよなあここ。今度来る時は船からじゃなく、島に上陸してみたいよなぁ……」
ビルの視線の先にある『島』は内部に居る人間の思惑も行動も関係なく、静かに存在していた。むしろ、ビルは『島』それを取り込んで楽しもうとしているかのような、そんな雰囲気を放っているような気がしている。無機物である筈のそれから感じられる雰囲気を、ビルは妄想だと苦笑しつつも内心ではそれについて考えていた。
『エィスト』という何物かが出来た事を考えれば、もしかすると『島』には意志があったとしてもおかしくは無い、とそこまで考えてビルは首を振ってそれを振り払った。
「例えそうだったとしても、俺達のやる事は変わらねえよな」
そう独り言を呟くと、彼はまた『島』を眺める事に集中しだした。その為に、彼は気づく事が出来た。視線の先から凄まじい勢いで走ってくる、男の姿に。
恐ろしいほど早い足だ。そう認識し、思わず懐に手を入れつつもどうするべきか考えた時には既に男はもう船からそう離れていない所までやってきていた。男が直進していく先はちょうどビルの目の前になる位置だ。
当然、そこには階段など無いのだが男はそれでもまっすぐに走ってきている。そのままでは船の壁にぶつかるのではないか、とビルは少し心配になって男の耳に入るように大きな声を上げた。
「おいそこのアンタ! 階段ならあっちだぞ!」
声が響いた時、それに反応して男はほんの少しビルを見た。が、まるで聞こえていなかったかのようにそれを無視して彼はビルの方に走っていく。凄まじい勢いでひたすらビルに向かっていく姿はまるで猛獣が獲物に向かっていくようだ。
ビルは思わず懐から銃を取り出そうとして、慌てて止めた。例え凄まじい勢いで走っていようと、例え自分が猛獣に食われる獲物のようであろうと、それがただの観光客なら銃弾の無駄だ。先日の失敗から彼は銃を持つ事に慎重だった。
そんなビルの行動など知らないまま、男はついに船のすぐ近くまで走ってきていた。もう彼の目の前は船の壁だ。ここまで来れば流石に冷静になって、階段に行くだろう。だが、男の行動は『常識的』な予想を遙かに上回る物だった。
「うぉぉおぉぉぉおぉ!」
まるで猛獣の咆哮のようだ。そうビルが感じた時には、男は凄まじい勢いに合わせて、跳んでいた。
「は、はぁ!?」
その姿を見たビルは思わず呆気に取られた。人類の跳躍ではたどり着く事は困難か、もしくは不可能と言って良い高さだ。だが、男はそのような事を一顧だにする事無く、跳んでいる。人ではありえない高さを。
が、流石にビルの居る所までは飛べなかったのか、彼は着地する事無く、船の甲板に手をかけて掴まっていた。落ちれば重傷を負うかもしれない高さだ。それに気づいたビルが慌てて手を伸ばしたが、それより先に男はその手を離していた。
「……! お、おい! 大丈夫か!?」
ビルがその姿を見るとほぼ同時に船の下を慌てて確認したが、そこにあったのは予想外の光景だった。
男は手を離したかと思うと船の壁を蹴り上げ、船の壁から『跳んで』いたのだ。明らかに不可能な行動だったが、男はそれを可能にして見せた。実はほぼ同じ場所で先ほど船の壁に『立った』者も居たのだが、ビルはそれを知らない。
唖然とするビルを余所に、男はビルの近くにある机を見て、そこに探していた物が無い事を認めると慌てて近くにいたビルに話しかけた。
「なあ、ここに缶コーヒーが無かったか!? アンタ、もしかしたら誰かが持っていった所を見たりはしてないか!?」
その言葉はしばらく唖然としていたビルにも届いた。だが、彼の事を考えれば届かなくても良かった言葉だろう。ビルは、先ほどの毒液の味を思い出して顔を青くした。
目の前の男が急激に辛そうな顔になった事が気になった男、スタンリーはほんの一瞬疑問に思ったが、すぐに彼がそれを飲んだ、という事に気づいた。何せ、彼もそれを一口とはいえ飲んだのである。その後にするであろう表情は、なんとなくわかっていた。
「おい、まさかアンタ……飲んだのか? 飲んだんだな? 飲んじまったんだな? 最悪だ……なんてこった」
スタンリーは思わず絶望的な声を上げていた。何せ、そのコーヒーのような何かを回収する為に急いでここまで戻ってきたのだ。本来はしないつもりだった跳躍までしたのだ。全てが水の泡だった。
本人も自覚しない内に、スタンリーは頭を抱えていた。そんな姿を見たビルはなんとか毒液の事を頭から排除し、なんとか落ち着いて貰おう努めて明るく話しかけた。
「まあまあ、落ち着け落ち着いてくれ」
勿論、彼を船から追い出す為だ。無駄に早い思考が戻ってくる三人と目の前の男が出会えば面倒な事になる、という漠然とした予感を告げていたのだ。ただ、何故そうなるのかは分からなかったのだが。
「気にしないでくれよな。この通り、何とか復帰出来たんだ。今更思い出させないでくれよ」
意図はともかく、口から出た言葉は何一つ嘘を含まない物だった。それが伝わったのか、スタンリーは頭から手を離し、ほんの少し落ち着いた様子でビルを見た。
そうしていると、彼は何故か見覚えのある顔だという事に気づいて、疑問を覚えた。表情で隠してはいるが、その雰囲気が明らかに自分とは関わり合いにならない類の若者だという事を彼に知らしめている。
にも関わらず、彼は目の前に居る男に見覚えがあるのである。それも、つい最近見た相手として。
「……どうしたんだ? その、どうしたんだ?」
その意味有りげな視線にビルは困惑しつつも、それとは別に疑問を抱いていた。彼もまた、目の前の男に見覚えがあったのだ。やはり、つい最近に。だが、それがどこだったのかはどうにも思い出せなかった。当然だ、彼はその時、痛みに耐える事に必死だったのだから。
その為に、先に気づいたのはスタンリーだった。彼はビルの顔をじっと見ている間にやっと思い至ったのか、少し気持ちの追いついていないような声を出していた。
「……まさかアンタ、いや、君は昨日の……」
「誰だお前?」
スタンリーの声を遮る形で、男の声が響いた。スタンリーの目の前に居る男ではない、別の方向からの声だった。誰かと思ってスタンリーはそちらを見て、驚いた。何故なら、そこに居る三人の男は船員らしき者を荷物のように抱えていたのだから。
そして、スタンリーからそのような視線を向けられた男達は彼の事を警戒して睨みつけた。服装から観光客だと分かる男がこのような光景を見れば、結果は分かりきっているだろう。それに対応するべく、三人は銃を持った方の手を男に向けた。中身は非殺傷の麻酔弾なのだが、脅しには十分な物である。
「つまりこういう事だ。悪いが、自分の不運を呪ってくれ」
男達は三人共同時に、銃を取り出すと同時に脅しの言葉を告げた。しかし、そんな状況に置かれたスタンリーは彼らのまったく予想だにしなかった行為に出ていた。いや、『居なかった』。三人が銃を向けた時には、スタンリーは視界から消えていたのだ。
彼が見えなくなったその時、三人から見てスタンリーの向こう側に居たビルの姿が見えた。自分達の上を見上げつつも唖然とした顔で声も出なくなっている、その姿が。
男達はビルの態度から即座に状況を察すると、凄まじい速度で視線と銃を自分達の上に向ける。その勢いにも関わらず、優秀な彼らはよく狙いを定めた見事な構えを取る事が出来た。が、それは男にとっては余りにも遅過ぎる物である。
ビルには見えていた、男達の真上まで『跳』んでいたスタンリーが彼らが銃を上に向けたのとほぼ同時に凄まじい威圧感を発したかと思うと彼らの目の前に着地し、即座に一人の腕を掴み手を捻る事で銃を奪いもう片方の拳でその男を気絶させ、さらにその光景に戸惑いつつも引き金に力を入れた残り二人を同時に両手で倒した男の姿が。
一瞬で現れ、一瞬で過ぎ去った暴風のような男の威圧感と行動に、ビルは銃を抜く余裕すら無かった。だが、むしろ抜かなくて良かったと彼は感じていた。恐らく、銃を向けたその瞬間には自分は倒されていただろう、と。
「……何があった?」
スタンリーは誰に聞いているのでもない独り言を呟くと、倒れている男の一人から銃を奪って懐に入れる。銃を持つ屈強な男を三人も、それも一瞬で倒したにも関わらずスタンリーはそれを当然の結果とするかのような態度だ。
そして、男達が運んでいた船員らしき人物を見ると何かに気づいたのかすぐに周囲を探りはじめ、やがて貨物室を開けて中を見て、静かに扉を閉めるとビルの方へ歩いていく。
その姿にビルは自分がどうするべきかを考えていた。戦えば、間違いなく勝ちの目のない相手だ。彼は自分が正面切って戦うのにも、また相手の裏をかくのも余り得意ではない事を自覚している。
ビルの発する警戒心に気づいたのか、スタンリーは少し雰囲気を柔らかくして声をかけた。
「ああ、すまないが、一体何が起きたのか知らないか? ここに居たんだろう?」
「……いや、すまないがあのコーヒー、のような物を飲んでからさっきまで倒れていたんだ。何が起きたのかは知らない」
ビルはとっさに嘘をついた。本当の事を言えば間違いなく気絶させられてしまうというのは分かっている。
その嘘を信じたのか、スタンリーは少し残念そうに「そうか」とだけ言って周囲を見回した。どうやら、倒した三人以外にも他に居るのではないかと警戒しているらしい。実は目の前に居るのだが、気づいていないのかビルに対してはあまり警戒心を向けていない。
態度からとりあえずごまかせた事を理解したビルは小さく安堵の息を吐き、今度こそどうするか考えた。一瞬感じられた威圧感はとても巨大な物で、その身体能力は恐ろしい物だ。どこかで見たような気がする顔だが、彼はどうしても思い出せない。
そこまで考えて、男が自分に背を向けてどこかを見ている事に気づいたビルは、少しだけ懐の銃に手をかけた。が、どう見ても隙は無い。ならばとビルは男の見ている物を見ようとして、こちらに近づいてくる足音に気づいた。その足音の主が誰なのかにも。
「……ああ、なぁるほど」
ビルが小さな声で呟いたと同時に警備員の服を着た二人の男達が彼の視界に現れた。ビルはそれが『島』の入り口を制圧した二人だと理解し、スタンリーを挟む形で三人は互いの無事を確認し合うと警備員の服の片方は警戒しながらスタンリーに声をかける。
「何やら騒ぎがあったみたいですね、一体何があったので?」
「ああ、実はそこに倒れてる奴らが……」
スタンリーの発言が終わる前に、ビルは彼に見えないように注意しながら手で合図をした。『敵だ』という意味を込めた動きは確実に二人に伝わった。あえて伝えず、後から不意打ちをするという手もあったのだが、スタンリーが状況を話しているのだ、もう遅い。
「なるほど……分かりました。では、すみませんが少し警備員室で話して頂けませんか?」
あたかもスタンリーの言葉を理解した振りをしてビルに了解の意を伝え、警備員の服を着たアベリーの部下はスタンリーに言葉をかけた。完全に敵意を消し、ほんの僅かな警戒心を見せる事で二人はあたかも警備員であると見せつける。
「ああ、いいとも。では、どっちへ行けばいい?」
「ついてきてくれ。おっと、私が彼の背後を守るから、お前が彼を案内してくれ」
アベリーの部下の片方はそう言ってもう一人をスタンリーの前方に付け、自身は彼の背後に行きながらその間のほんの一瞬だけビルに目をやり、任せておけという意志を込めて目配せをすると懐の銃に手をやりながら歩いていこうとした。
だが、出来なかった。スタンリーが、足を止めた為に。
「お前等、警備員じゃないだろ」
声が耳に届いた時、二人は間に居るスタンリーと同じように足を止めていた。スタンリーの前方に居る男は自身の驚愕を全力で隠し、背後に居る男はさも意味が分からないと言いたげな表情でスタンリーの背中に声をかける。
「そんなわけないじゃないですか。我々は警備の者で間違いありません。一体何を言って」
「見えてるぞ?」
何故か背を向けたまま言葉を挟んだスタンリーに男は内心で首を傾げていたが、それよりも彼の言った言葉の意味が気になっていた。警備員の服を着て、雰囲気を隠せば彼らは自身の正体くらいは隠す事が可能である。何が見えているのかが分からない。
そんな男の雰囲気を読みとったスタンリーは、さも馬鹿を扱うように肩をすくめ、思い切り呆れたという意志を開けっぴろげに溜息をついて見せる。
馬鹿にされたと理解した二人は少し眉をひそめたが、次に彼が言った内容はそうしている場合ではないと理解させる物だった。
「俺の前に居る奴の服、警備員の服の下に少しだがさっきの連中とまったく同じ武装が見えるんだが……」
スタンリーの発言は途中で遮られた。背後に居た男が凄まじい速度で懐から銃を取り出したのだ。通常の人間であれば奇跡でも起きない限り、対応できない早さである。だが、その早さも、スタンリーよりは遅かった。
男は銃をスタンリーに向ける事すらできなかった。懐から取り出した銃がスタンリーの方向まで行く途中、スタンリーの雰囲気が燃え上がるように圧倒的な物になったと男が認識すると同時に、彼の顔面に肘を撃ち込んだスタンリーによって意識が刈り取られていたのだ。
「……!? テメェはぁ!」
スタンリーの後方に居た男が倒れると、それを威圧感に体を硬直させていた前方の男が我に返ると激昂して銃を向ける。が、それは後方に居た男と比べて遙かに遅い物だ。スタンリーに対応できない筈がない。
男が銃を持っている腕をスタンリーは無言のまま掴んでみせ、男がそれを認識する前にその腕を引いて男の体を自分の方へ引き寄せる。すると、男は吸い寄せられるように向かって来た。それに対し、彼は遠慮せずに拳を放つ。
自分の体に突き刺さるような勢いで拳が放たれたと認識する事もなく、男は悲鳴を上げる暇すら与えられずあっさりと意識を手放した。スタンリーの言葉を耳にし、自分達が『引っかけられた』事を理解しながら。
「『これはどういう意味で、どういう意図があるんだ?』と聞きたかったんだが……ああ、残念だ。嘘だったんだがな、本当になってしまった」
仲間があっさりと倒される姿を見ていたビルは数秒間驚愕で固まっていたが『これより凄い雰囲気の奴に会った』とすぐに持ち直し、自分がどうすべきか考えつつも小さく、スタンリーに聞こえないように小さく呟いた。
「……あーぁ。すげえなありゃ。内のボスと同等って所か?」
そう、確かに凄まじい相手だ。先ほどからビルは間違いなく勝てないと考えていたが、彼の戦力はそれすら飛び越え、敵という立場にすらなりたくないと思わせる物だ。が、ビルは彼と敵対せねばならないのである。
内心で悩んでいるビルの事には気づかず、スタンリーは彼の元にまで戻り、何やら悩んでいるビルの姿を確認すると朗らかに笑って見せた。
「どうやら『島』に物騒な用事のある連中が居るらしいが、安心してくれ。俺が居る……それに、カミラもな」
最後の言葉だけは小さかった為にビルの耳には届かなかった。幸運な事に。が、それとは関係なく、ビルは歓喜の中に居た。スタンリーが、自身を敵だと認識していない事を確信して。それならば、まだやりようがあるのだ。
ビルは素早く覚悟を決め、本当に小さく息を吐くと、自身の全ての力を駆使して安心したような笑顔を作る事に集中しつつ、片手を伸ばした。
「ああ、助かるぜ。毒液で死にかかった頭には地獄に仏だ」
差し出されたビルの手を取って握手をすると、スタンリーは安堵した顔で声をかける。その姿にはほとんど警戒が見られなかった。むしろ、毒液を飲んだ事への親近感や、チケットの事もあってなのか、知人にするほど親しげだった。
「そう言ってくれると助かるね。こっちはアンタに借りがあるんだ。ちなみに俺はスタンリー・ハンティントン、よろしくな『ビル』」
握手をしつつも、ビルは全力で内心を隠して考えていた。ビルの見る限り、スタンリーの実力は自身のボスであるアベリーと同格だった。ならば、彼がすべき事は一つだ、と。その為に、スタンリーが一度も名乗っていない自身の名前を呼んだ事にはまったく気が付かなかった。
----どうやってこいつを、ボスの所まで連れていくかねぇ……
さて、とりあえず2話を書き上げました。今までで一番時間がかかった感じですね。後、読み直してみるととんでもなく読みにくかったので改行してみました。
なんとか週末までには終わらせようと突貫工事で製作したので、中々疲れました。ですが、これがまた楽しい……心地よき痛みと言うべきか、とかなんとか。
6万字書いて、まだ中盤に入ってるか入ってないか。辛いです…… 2012/5/21(20日から16分後)