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1話 『島』に行き着く人々と最低の味がする液体と、異次元

『世界』のどこか



「……と、まあ、こんな感じだ」


 そこまで話したカイムは疲れたとばかりに椅子への座り方を変える。だが彼はエィスト同様疲れという物とは無縁の存在だ。そのような風に振舞っているだけで実際はただ話の区切りを入れたかっただけだった。


 それを茶化すはずのエィストは何故か言葉を発さずに目から光を出して楽しそうにカイムを見ていた。『目が輝いている』という事を表現しているらしい。カイムは思わず溜息をついていた。そんな事をしなくてもいいだろうに、と。


 カイムはそのままで何の気もなしに机に手をやると、何時の間にかそこには緑茶が置かれていた。どうやら彼が言葉を切った僅かな時間で奇矯が持ってきたようだ。それに気づいたカイムはとりあえず礼を告げる。


「ああ、助かった。ちょうど何か飲みたいと思っていたんだよ。ありがとう」


「いえ、気にしないでください。私も飲みたかったので」


 普段と変わらないの丁寧な口調で返す奇矯だが、その目は駿我と共に二人の親友であるニルの方へと向いていた。普段から不敵な笑みを崩さない彼女は、珍しく表情を消して黙り込み、何事かを考え込んでいたのだ。親友である二人にとってもそれは滅多に見ない光景だけに、彼らは戸惑っていた。


 だが、戸惑いつつも奇矯はニルがなぜ考え込んでいるのかを理解していた。つまり、話の中に出てきた『カミラ』という名の人物の事だろう、と。実際、それは当たっていた。


 二人とは違い、カイムにとってニルの反応は予想の範囲内の物だった為に、彼は茶を全て飲み干すとニルに構わず話を続ける。


「結論から言えばだな……アベリー達強盗団も、へクターとニコライの馬鹿二人も、カミラも、スタンリーも、全員が自分達の考え通りに『島』に到着する事には成功した」


 あえて自分がどこに居たのかを告げずにカイムは語る。だがそれに気づきつつも駿我と奇矯には話の中に気になる事があったのか、首を傾げてカイムに対して質問した。


「よくまあ全員その島とやらに行けたでござるなあ……普段は近づく事すら難しいのでなかったか?」


 彼が聞いている事と同じ疑問を抱いていた奇矯は彼の言葉に頷いた。カイムが言うには『島』は行きたくとも警備が行き届いた場所で、『島』側から招待しない限りはまず侵入できないらしいのだ。もちろん、その場に居る『怪物』や人間を軽く超えている人間である彼らは例外なのだが。


「ああ、アベリー達にせよあの馬鹿二人にせよ運の良い奴らだからな……『島』へ行く権利、つまりチケットを持ってたカミラとスタンリーは普通に行けたらしい」


 カイムはただ彼らの疑問に『運が良かったから』という理由をつけて返した。その言葉の内容からも、なんとなく思わせぶりな表情からも明らかにカイムは何かを隠しているという事が二人には伝わった。


 エィストとニルにもそれは伝わっていたが、エィストはただただ話の続きを聞きたそうにするのみで、ニルはカイムの表情になど気を払う事無く思考を続けている。そんな二人の態度はカイムにもわかっていた為に、彼はそれに構わなかった。


 そのような態度をとっていてもニルが話を聞いている事は、つまり彼女の興味を引いては居るという事なのだ。


「とりあえず、だ。途中の船で既にそこからの動きは決定して……いたのかもしれん。だからそこから話す」


 そこまで言うとカイムは一度息を吸う仕草をして、話を続けた。



「まず、『島』へ行く船でスタンリーはカミラと出会った。それがどういう結果に転んだかは……いや、まだまだ後の話だな」



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



『世界』ではない船の上



 スタンリーが『島』に行く事を決めた翌日の今、彼は中型の船の中に居た。そう、『島』行きの船だ。スタンリーはチケットを手に入れ、受付をしていた者達を演技と誤魔化しで見事に騙して『ビル』という名前で入り込んだのだ。


 その成功を祝福するかのように天気は快晴、船が浮かぶ湖は美しかったが、それとは違い彼の顔はあまり優れていなかった。それどころか、先ほどから何度も溜息をついている。


 今更になって、彼は罪悪感を覚えていた。『島』へ行く事を決心した時に覚悟した筈だったが、元々スタンリーという男はそのような行為が嫌いなのだ。自分がそれをしたという事実と、『ビル』という若者への謝罪の気持ちで彼は一杯になっていた。


 今頃『ビル』という若者はショックのあまりどうにかなってしまっているのではないか、と考えてスタンリーはまた溜息をついた。


 その彼から発せられるあまりの暗さに周囲の人間も内心で困っていた。天気とは違い、彼の顔は憂鬱そのものだ。このままでは周囲まで暗くなってしまうだろう。だが、皆彼に声をかける気にはなれなかった。一人を、除いて。


「はぁ……」


「やあ、暗いな君は」


 スタンリーがまた一つ溜息をついたその瞬間、彼は誰かと声と共に頬に冷たい感触を得た。驚いてその方向へ首を向けると、そこには缶コーヒーを持った女が不敵な笑みを浮かべて立っていた。


「随分と落ち込んでるじゃないか君。これでも飲むといい」


 そう言うと女は手に持っていた缶コーヒーを無理やりスタンリーの手に押し付けた。どうやら本当に飲ませたいらしい、そう感じたスタンリーは目の前の女に少し見覚えがある事を内心で疑問に思いながら、缶コーヒーを飲んだ。そして、即座に悶絶した。


 とてつもなく苦いコーヒーだ。飲んだ瞬間、スタンリーは自分の喉が溶けていると錯覚した。それはコーヒーではなく、コーヒーの缶に入ったおぞましい何かであるとスタンリーは感じていた。


 慌ててコーヒーを側にあった机に置くスタンリーの姿を眺めながら、女、カミラはどこからかもう一本同じ缶コーヒーを取り出して飲み始めた。そんなおぞましい毒液を平気な顔で飲み干す彼女にスタンリーは思わず一歩引いたが、よく見ると嫌そうな顔をしている。


「……ニルさんは一体何を考えて私にこんな物を飲ませていたんだ?」


 飲み終わった缶を後ろに放り投げてゴミ箱に入れつつカミラはそう呟いたが、誰の耳にも届くことはなかった。それよりもあまりに酷い毒液を飲まされたスタンリーが抗議の目で見ていることに気づいたカミラは悪戯っぽく笑い、彼の肩を叩く。


「どうだ? 頭がすっきりする上に悩み事が吹き飛ぶ飲み物だ……まあ、酷い味なのは気にするな」


「気にしろよ」


 スタンリーの返事にカミラは同感だとばかりに頷いた。そしてスタンリーは目の前の女が何者なのかにようやく思い至っていた。町の中では主に恐怖の対象として有名な人物である。が、彼にとってはそれとは違う意味での知り合いだ。


 なぜ今まで気づかなかったのだろうと彼は内心で頭を抱えたが、今更遅いと覚悟を決めてカミラに確認を取った。


「……もしかして、お前カミラか?」


 その一言にカミラは満足そうに笑った。ようやく気づいたか、という不満そうな顔を想像していたスタンリーにとっては意外な反応だが、それよりも気になった事があった為にそちらへ意識が行く事はなかった。


 彼が今の今まで彼女がカミラである、という事に気づけなかったのにはきちんとした理由があるのだ。気になった事とはそれだった。


「お前、何があったんだ? 昔はもっとこう……なあ?」


 そう、スタンリーが青年だった頃に会った少女と今目の前にいるカミラとでは印象が違いすぎたのだ。昔の彼女はもっと物静かで丁寧な口調を好み、不敵さとは無縁の笑みを浮かべる少女だった。


 今現在の彼女はそれとはほぼ真逆の言動だ。スタンリーがしばらく気づけないのも無理は無かった。だが、そんな彼女の変貌振りにスタンリーは心当たりがあった。『彼女が昔会った時とさほど変わらない外見をしている事も含めて』。


「……ニルか?」


 その名前、十数年前に町で起きたとある事件の中心点に居た女の名前がカミラの耳に届いた瞬間、彼女は一瞬だけ過去の少女として笑うとまた不敵な笑みを浮かべて言葉を返す。


「ああ、そうだ。今の私はあの人の真似をし続けた結果に過ぎないよ」


 先ほどと話し方も声も同じだったが、スタンリーの耳にはどこか昔の面影が感じられた。風貌も性格も、何もかもが違う彼女だが、それでも彼女はスタンリーの知っているカミラのままであると確信し、彼は思わず安堵の息をついた。


「おお、案外、昔の面影も残ってるんだな。あんまり雰囲気が違うから全然気づかなかった、というよりは、ニルみたいな雰囲気か?」


「やっぱりわかるか? 面影は知らんが」


 スタンリーの発言に対し、カミラは前半の言葉を不満そうに、後半の言葉を嬉しそうに聞いていた。彼女としては、外見以外全てを変えた為に昔の面影は捨て去ったつもりだったのだ。残っているなどという自覚の無い彼女はその点において不満だった。


 が、そのような事を長々と続ける気も彼女にはなく、彼女は笑みを浮かべながらスタンリーという昔の知人に対し、懐かしそうな声で話しかけた。そこにはやはり昔の彼女の姿が見て取れる。


「ニルさんの真似をしていたらこうなってね。いや本当に、あの人との出会いが私の人生を全て変えたよ」


 そうだろうな、とスタンリーは頷いて返事をした。彼も、今更ながら町の中で稀に聞く『カミラ・クラメール』の噂を耳にしていた事を思い出したのだ。あまりに荒唐無稽で、あまりにも凶悪なその噂に彼は今の今まで自分の知る少女がその女だとは思っておらず、同姓同名の別人だと考えていたのだ。荒唐無稽さは、昔も大差無かったが。


 だが、今目の前に居る彼女は確かにそんな噂を流されるに値する『何者か』だった。


「なあ、やっぱり噂に聞く『カミラ・クラメール』ってお前か?」


「ん? ああ、そうだよ。ちょっと行き過ぎたのもあるけどな。まあ、大体はあってる」


 行き過ぎた噂に対し、カミラはほんの少し嫌そうな顔をしたが、再び笑みを浮かべてそれを消し去ると、思いなおしたようにスタンリーの方を向き、先ほどから気になっていた事を質問した。


「ところで、君はどうしてそんなに落ち込んでいたんだ?」


 その言葉でスタンリーは先ほど自分が考え込んでいた事を思い出し、また憂鬱な雰囲気を放ちだした。が、今度は不満そうな顔でカミラが肩を強く叩いた為にそれはすぐに四散した。カミラはそのまま肩を掴むと外を指差し、笑った。


「なあ、こんなに楽しい状況なんだ。少しは笑ったらどうだ? 今日と言う日に私の周りでそんな雰囲気を放つんじゃない」


 身勝手な言葉にスタンリーが反論しようと口を開いたが、その寸前で黙り込んだ。カミラの言う通りに外を見ると、そこにはもう『島』が目の前にあったのだ。時代を感じさせる建物が目立つそこに、彼は思わず見とれた。


 スタンリーが黙り込んだ事を受け取ったカミラは思い切り笑うと、急に船を飛び降りた。あっさりと、あまりにも自然な動きに誰も止める事が出来ず、カミラはスタンリーの視界から一瞬で消えた。


「おい! 何やってるんだ!?」


 その行為に、『島』に見とれていたスタンリーが慌てて身を乗り出して下を見ると、そこには船の壁に『立ち』、腕を広げて笑うカミラの姿があった。近くに居た者達が驚いたように彼女を見ていたが、スタンリーはそこまで驚かなかった。


 彼女にそんな事が出来るとわかっていたわけではない。わかっていれば身を乗り出す事などしなかっただろう。スタンリーは今現在の彼女とよく似た者が同じような事をしていた光景を思い出していた。


「ニルの真似か? 一瞬肝が冷えたぞ……」


 スタンリーの確認の言葉を受け取ったカミラは楽しそうに「悪かった」と言葉を告げるとすぐに『島』へを体を向け、何を思ったのか独り言のような言葉を発していた。


「折角だ、誰も言わないみたいだし、私が言っておこう」


 それだけ言うと彼女は再び腕を広げ、面白がって笑いつつ叫んだ。



「始めまして、我らが『島』よ-----!」



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 船が『島』に到着する前、貨物室の中にはいくつもの人影があった。船員ではない、招かれざる客達だ。そう、アベリー達強盗団である。彼らは貨物の中に入り込んで密航に成功していた。


 あまり大きくない箱の中に詰め込まれていたからか、屈強そうな男たちは体の調子を確かめている。そんな彼らの腕には銃が握られていた。いかにも殺傷力がありそうな銃が。


 ただし、これは彼らを知るものならすぐにわかる事だが、ゴム弾が入っている銃だ。彼らに人を殺す気など頭から無いのである。ならなぜ銃など持っているのかというと、脅すためには必要な物であるからだ。


 そんな集団はもう武装の用意も済ませ、ついでに貨物の中にある金銭を手に入れておくことも忘れずに行うと全ての準備が整ったのか全員がアベリーの前に集まった。


「ボス、俺達は準備できましたよ」


 全員の意思を代弁するように一人の男が前に出てアベリーに告げた。さっきまで自分が中に居た箱に座るアベリーもまた同じように準備を終えたのか頷き、箱から立ち上がってニヤリと笑った。



「よし、じゃああれだ。最後の仕上げに計画のおさらいと行こうか」


 そう言うと、アベリーは懐から古めかしい地図を取り出した。『島』の姿が描かれた地図だ。あまりに古い物だった為に部下達はそれを見る度に胡散臭そうな顔をしたが、最終的には全員がそれを受け入れていた。なぜかと言うと、つまり、「古い地図で宝探しはロマン」と考えたからだ。


 実際にする事は強盗だが、彼らは特に気にしなかった。気にするほどの意味が見出せなかったのだ。自分達の計画成功が懸かっているというのに全員がそれに疑問を覚えないのはアベリー自身でさえどうなのかと考えたが、無意味な事なので止めた。


「まず、俺達から船員をどうにかするのに三人使う。人員は決めてるから特に疑問は無いよな?」


「もちろん、気絶させて縛り上げてからこの部屋に放り込むんですよね?」


 アベリーの言う三人の内、一人が前に出て発言した。彼らは別にゴム弾しか持っていないわけではない。『無抵抗の人間の命を背負う事は避けたい』だけであって、抵抗する者や、明らかな危険人物は例外なのだ。全員が、懐に実弾の入った銃をしまっていた。


 その危険人物の中でも一番危険な女が同じ船に居たのだが、彼らはそれに気づく事無く船の中に居た。もちろんアベリーも知らずに部下の一人の疑問に答える。


「当然だ。もちろん船員が特殊部隊上がりのマッチョマンなら別だが」


 冗談めいたアベリーの返事に、部下達は全員頷いた。彼らも長い事強盗団をやっていたが、そのような状況に陥った事は一度も無い。あれば彼らは今頃この世に居ないだろうが、誰も気がつかなかった。


 しかし、幸い今回もアベリー達の考えは正しかった。少人数の船員達に、彼らをどうにか出来るような存在は居ない。そう、『船員達の中には』。


 苦笑する部下達に対し、アベリーは一度頷くと一息入れて気を取り直し、話を続けた。


「さて、次に警備の制圧だ。これには予定通り、七割使う。これも決めてあるし、大丈夫だな?」


 彼らの内の七割が頷き、前に出た。いかにも優秀そうな集団だ。アベリーは彼らならやってのけるという確信があった。ただ、なぜか彼らの懐に溢れるほど紙幣が入っているのは気になっていた。


 貨物に入っていた金という割には量が多すぎる。中には金属の方の金らしき物体まで懐に入れている男すら居た。明らかに目立つだろう。アベリーはなんとなく察しをつけていたが、それが外れるように祈りつつ言葉を発した。


「その金、どうした?」


 部下の性格をよく知るが故に、アベリーの嫌な予感は当然当たっていた。


「ああ、これですか? これはですね、無事に密航できるかできないか賭けてたんですよ。警備制圧の俺達だけでね」


「こんな時まで賭け事か……」


 呆れるようなアベリーの一言に、男たちは嬉しそうに頷いた。彼らは三度の飯よりも賭け事が好きな男達だ。賭けに負けた男達が肩を落としているのも含めて、いつもの光景だった。


 だが、一人の男が懐に入れている物だけはいつもと違う。アベリーはその点が気になっていた。金色に光る、明らかに金属とわかる物体が姿をのぞかせていたのだ。


「紙幣はともかく、金なんてどこにあった?」


「ボス、貨物の中に何故か一個だけ入ってました。なんか、変な形ですよね……」 


 男の一人が言うように、その金はどうにも変わった形をしていた。何故か猫の顔が象られていたのだ。猫というだけなら古代文明の装飾品に見えなくは無いだろうが、象られている猫はコミカルで可愛らしい姿をしていた。


 どうみても玩具に見えるそれにアベリーは疑いの眼を向けたが、持っている男が実は昔、金属の目利きをしていたという事を知っている為に口出しはせず、ただ「そうか」とだけ言うとまた一息ついて気持ちを切り替えた。


 そんな金色の物体を懐に入れていては目立つんじゃないかという疑念もあったが、そこはそれだ。アベリーは部下がそれに気づいている事も理解していたし、例え目立ったとしても作戦上は問題ないのだから。



「で、だ。俺達は……観光客と、どうやら爺さんらしい『島』の持ち主を一まとめにして監視する。どっかの馬鹿がチケットを落とすなんていう悲しくなるほど抜けた野郎じゃなけりゃもっと楽なんだがな」


 まだ前に出ていなかった残り三割の内、一人を除いた全員が前に出て頷き、その後アベリーを含む全員がまだ前に出ていなかった男を睨みつけた。睨まれた男はそれに対してすまなそうな態度を見せつつも、今浮かんだ疑問をアベリーに聞いた。


「その、ボス? 俺は何をすればいいんですか?」


 それを彼、ビルが言った瞬間、アベリーを除いた男達の睨みがさらに強い物となった。明確に『お前は何を言ってるんだ』と伝わってくる目を唯一向けなかったアベリーはビルの所まで行くと、溜息をついた。


「お前はここで待機だ。馬鹿を外へ出したら俺達の計画が全部台無しになるかもしれねえ。まあ、予備にはなるだろ」


 面倒くさそうに言うアベリーにビルは肩を落とした。彼自身、ありえないミスをしたと落ち込み続けているのだ。そんな彼に対し、アベリーは何を思ったのか背中を何度か軽く叩いた。


「まあ、失敗は良いのさ。俺達が全員あの世行きにさえならなければな。何せ俺たちは人殺しは必要最小限に留めてるんだ。他の連中よりもちょっとしたミスが命取りになりやすい。だからまあ、今後気をつけろ」


 あまり上手とはいえない励まし方だったが、ビルには伝わったのか彼は嬉しそうな顔をして、頷き、予備として待機する為に箱の上に座り込んだ。昨日受けた傷は何故か直っているらしく、特にそれを感じさせない動きだ。


 そんな彼の対応を見たアベリーが時間を確認し、話は終わりだとばかりに立ち上がって声をあげた。そこには金を得ようという欲以上に、計画がうまく行くかどうかに挑戦するような冒険心が見て取れた。


「さて、計画のおさらいもやった事だ。そろそろ『島』についた頃だろうし、俺達も行動を開始しよう。何、大丈夫だ。俺達ならやれるさ」


 自身有りげに語るアベリーも、それに頷く部下達も、アベリーを尊敬の目で見つめるビルも、誰も気が付かなかった。


 貨物室の一番端にある彼らが意識しなかった汚い箱。あきらかに貴重な物が入っていないとひと目でわかる汚さに探りもしなかった箱。


 彼らは気づかなかった。その箱に、二人の少年が入っているという事を。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



「聞いたか?」


「聞いた聞いた」


 箱の中に入っている二人の少年、へクターとニコライは息を潜め、務めて小声で話し合っていた。密航に成功した二人は箱の中で島への到着を待っていた。周囲の箱の中身も同じ事を考えているとはまったく想像していなかった。


 やっと船が到着する頃かと二人は外の会話を聞く為に耳を澄まし、偶然アベリー達の会話を聞いてしまった。これから自分達が行く『島』に強盗に入る男達の会話を。だからといって彼らは驚いて声を上げるような事はせず、むしろ物音一つ立てなかった。


 この二人、頭はあまり良くないが、長年様々な場所に忍び込んで来た経験がある為に身を隠すのは得意なのだ。


「聞いた?」


「聞いたよ」


 二人はもう一度同じ言葉を発した。ニコライとヘクターの顔は慌てている事がよく伝わってくる表情を浮かべていたが、それはどこか深刻さに欠け、傍目から見れば強盗団の事をまったく重要視していないかのように見えた。


 もちろん、彼らが強盗である事も、これから自分達が行く場所に彼らも行く事も、そして何より、彼らが同じ部屋に居て、見つかってはならない事も本人達は理解している。理解した上で、彼らは真剣であっても深刻とは思えない表情をする。


「強盗なんて、悪い奴らだ。きっと見つかったら危ないな」


 この二人が密航した理由の中に『島』で金を探すという点があった為に他者の事はあまり言えないのだが、彼らはそこに気づく事無く強盗達を『悪党』と断じ、警戒していた。


「うんうん、やばい。見つかったらきっと、この世からさようならした上に天国にようこそしちゃうね」


「ああ、見つからないようにしないと……そもそも俺達って天国に行くのかな?」


「どうなんだろ? そもそも天国って何だろう? やっぱり良いとこなのかなあ……」


 二人の話はいつの間にか『天国はどんな場所?』という題で、小声であったが話し合っていた。しかし、それでもアベリー達はそれに気づく事が無かった。いや、ニコライとヘクターは無意識の内に気配を完全に消し去り、声を最小限まで落とす事によって彼らに気づかせなかったのだ。


 アベリー達強盗団は個人の能力という点ではそれなりに優秀な集団である、その彼らに気づかせないという点では、やはり、この二人はとても優秀だった。


 そんな二人にとってこの状況は危険だった。アベリー達が部屋の中に居る今、行動すればすぐにそれが発覚し、捕まった上に口封じされてしまうかもしれない、という事は彼らにも理解できる。


 その為彼らは先ほどからずっと気配を消し去り、できるだけ体を動かさないようにしているのだが、それでも長時間騙し続けるのは彼らにとっても難しい事だった。何せ、二人は退屈が苦手なのである。


 密航を成功させてから、退屈のあまりに騒いでいないのが奇跡と言えるほどに。


 実の所、『無抵抗の人間は殺さない』という主義を取っているだけあってアベリー達はとんでもなく甘い所がある為に、へクターとニコライのような子供ならば口止め料を渡すかただ捕まえるか、の二択を取るだろうがそれは彼らの知るところではない。


「ああ、もうやばい。天国とかどうでもいいし動きたい。こいつら早く行ってくれないかなあ」


 天国の話にも飽きたのか、小声で呟いたヘクターに対しニコライは物音がしない程度に同意を示して頷いた。ニコライもまた、退屈になっていたのだ。箱の外から聞こえる声は今、作戦内容の中盤を話していたのだがこの時には二人は話を聞く事に飽きていた。


 そもそも、この二人は強盗団を退治したいとか、そういう事を考えていたわけではない。二人だけで強盗団を捕まえる事など出来るとは思っていなかったし、それがどれだけ無謀かも二人は理解していた。


 ただ、それの認識は意識した物ではなく、本人達の頭の中では『見つかったらまずいから隠れる』という単純な事しか存在しなかったし、考えていなかった。


「とりあえず船が到着するまでは我慢するしかないよな……」


 ニコライはやはり小声で呟き、へクターに自身の考えを伝えるとまた退屈そうな顔をした。一先ず、『島』に着かない事には何も始まらないと彼らは諦めて、ひたすら待つ事を決めた。


 なぜかアベリー達も話す事を止めて何か、具体的にはタイミングを計っているように思えたのだが、二人は気にしなかった。『島』に到着するまでは何もしなくていいだろう、と。



 彼らが『島』への到着を待っていた頃、既に船は『島』の目前にいた。アベリー達は観光客が全員船から出るまで行動しないという計画を立てていた為、あえてその場を離れなかったのだ。


 もちろん、ヘクターとニコライはその部分を一切聞いていなかった為にそんな事には最後まで気づかなかった。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 へクターとニコライが退屈に身を置いていたその時、カミラが『島』に対して挨拶をしていた。『これから調べる対象に対して一度言葉をかけておかないといけないと考えて』。少々派手だったのは、彼女が憧れる女性ならそうしただろうという気持ちからだった。


 その為、彼女は返事がくるとは微塵も思っていなかったし、期待もしなかった。そもそも、無機物に対しての挨拶なのだから返ってくるはずが無いのだ。


 だが、返事は来た。


 『島』の代理をするように、杖をついた老人が腕を広げ光栄だと言いたげな顔でカミラの言葉を受け取って、それを返したのだ。


「----ようこそ! この『島』へ!」


 返事が来た事に一瞬驚いたカミラだったが、すぐにそれを引っ込めて嬉しそうな顔をした。言葉を送ってきた老人の顔は、もちろん彼女の知る人物と同じ者だった。そう、彼女が『島』に行く為の方法を渡した、老人と。


「マーカスさん! なんとなくわかってたが、やっぱり『島』の人間だったのか!」


 老人、マーカスはカミラの言葉に大きく頷いた。肯定の意思を受け取ったカミラは一層楽しそうな顔をし、船の壁から一瞬で離れた。


 あまりの早業に彼女を見ていたスタンリーすらカミラが海に落ちたと錯覚するほどだったが、離れた場所から見ていたマーカスには彼女がどこに行ったのかがすぐにわかった。そして、彼女が何をしようとしているのかも。


「今からそっちに行く! そこに居てくれ!」


 その声の方向に海を見ていたスタンリーが顔を向けると、そこには船の一番高い部分に立ち、笑うカミラが居た。その姿を確認したスタンリーは思わず溜息をついた。派手な移動法は心臓に悪いからやめて欲しい、と。


 言っても聞かないと解かっていたために、言葉にはしなかったが。


 そうやってスタンリーが呆れている内に、カミラは『島』へ飛んでいた。到着の寸前だからと言って人間が飛び越えられる距離ではないが、ここまで彼女の行動を見ていた者の中でそれを考える者は一人たりとも居なかった。


 マーカスの居る所に降り立ったカミラは自分がどれだけの距離を跳躍したかなど気にも留めず、マーカスに挨拶をする。


「よ、っと。やあマーカスさん 天気は快晴だ、本当に良かった。折角『島』に行けるというのに、雨では気持ちが若干落ち込んでしまうからね」


 どこまでも楽しそうなカミラの声に、マーカスはまったくだと頷き、少し大げさにカミラの手を取って握手した。少々強引な行動にカミラは特に気を悪くするでもなく、手を握り返して応じた。


「来てくれて嬉しいよ、お嬢さん。歓迎するとも。『一応、この島の管理人は私なのでね』」


 手を握ったまま、自分の身分を悪戯っぽく明かすマーカスに、カミラはニヤリと笑って答えた。先ほども言っていたが、彼女はマーカスがそのような立場に居る人物である事をある程度見抜いていた。


 限られた人間にしか配布されないチケットをあっさり手渡す時点で彼がただの老人ではない事は明らかだったのだ。


 それでも『島』の管理人という事まではわかっていなかったのだが、カミラはそれを気取られないようにただ笑っていた。少しごまかすような色があったが、付き合いの浅いマーカスにはそれを見抜けず、それが出来るスタンリーはまだ船の上に居た。


「うむ、見抜かれていたかな。残念だ、ちょっとしたサプライズのつもりだったのだが……」


「貴重なチケットを当たり前のように初対面の相手に渡す老人だぞ? 関係者だと見るのが普通だろう」


 カミラの返事に対してマーカスは少し笑い、残念そうにする。どうやらよほど驚かせたかったらしい。が、すぐに何かを思い出したのか、慌てて船の方へと顔を向けた。


「いかん、忘れていた」


 そう呟くと、マーカスは少し息を吸った。その行動が船の上まで声を届かせようとしているのだとカミラには理解できた。二人が挨拶を交わしている間に、船は『島』に到着していたのだ。今は船員達がマーカスの指示を待っている最中だった。


「もう階段を降ろしていいぞ! こっちのお嬢さん以外は飛ぶのは無理だろう!」


 マーカスの発言を聞いたカミラは船員達が作業へ移るのと同じタイミングでスタンリーに意味ありげな眼を向けたが、それを予想していたスタンリーは顔の前で手を振って返した。


 スタンリーはその程度の距離であれば楽に飛び降りられるのだ。ただし、それをする理由が彼には無い。スタンリーはその意思をカミラに伝えるとすぐに他の客が集まっている、どうやら階段が現れるらしい部分へと歩いていった。


 そんな彼の返事につまらなそうな顔をしたカミラだったが、そこまで期待してはいなかったのかすぐに気を取り直すとマーカスの方を向いた。


「マーカスさん、ここについて色々聞きたい事があるんだが、いいかな?」


「ん? ああ、いいとも。この『島』に関わる事であれば何でも聞いてくれ。大体の事は答えられるとも」


 唐突なカミラの申し出に、マーカスは何の気も無しに答えた。部外者にほとんどを答えるという態度はどうなのかとカミラは思ったが、自身には都合の良い事なので何も言わず、代わりに質問を向けた。


「まず、この『島』に居たエィストという存在の事だが……」



 そうやってカミラとマーカスが話をしている内に船から階段が現れ、観光客達は次々と降りていく。スタンリーもその中の一人として島に降り立っていた。


 スタンリー達から見て遠くにある巨大な建造は二百年前という時代を感じさせるが、その場だけは違った。、きちんと現代風に整備された場所だ。どうやら、警備員達や管理人の、カミラがマーカスと呼んだ老人が住んでいる場所らしい。


 そう考えたスタンリーは思った以上の警備に驚いていた、船の階段が伸びる先にある監視所のような場所の隣で立っている人間もかなり『使える』者だという事が彼には理解できるのだ。


 例え逃げようとしても周囲を水に覆われている、泳ぐには無理がある距離だ。ここで犯罪行為に及ぶのはとんでもない能無しか頭の中身が消えてなくなっているくらいの阿呆だろう。


 が、そんな評価よりも、彼にとっては『島』に入った事への感動が大きかった。


「ここが島、か……いい所じゃないか……」


 思わずそう呟き、足を止めそうになったが周囲の観光客達がスタンリーを見た為に彼は慌てて足を進める事となった。


 そんな時、彼はふと自分を見た観光客の中に異質な『何者か』が居る気がして歩きながらも周囲を見回し、気づいた。先ほどまでは誰も居なかった場所に、誰かが居たのだ。


 それだけならスタンリー自身がただ気づかなかっただけだと思うことが出来たのだが、その何者かが余りにも怪しかった為に眼に留まって仕方が無かった。


 何者かは、フードを深く被って顔を隠していたのだ。だが、それも決定的な怪しさではない。


 最もスタンリーの目を引いた怪しい所は、カミラをじっと見つめていた事、そして、にも関わらずカミラが気づいていない事だった。


「ああ、皆さん。こちらへどうぞ。『島』は狭いようで広いようでやはり狭いが、それでも迷えば警備員に殴られたりするから気をつけて欲しいね」


 カミラと話していたマーカスが思い出したように観光客達にかけたその言葉で、スタンリーは意識を『島』に戻した。一瞬意識を外してしまったが、もう一度見ても何者か消える事無くそこに留まっていた。


 あからさまな怪しさを感じながらも、スタンリーはそれをあえて無視する事にする。世の中、どうしようもない謎もある物だ、と自分を納得させて。


 そこまで気づいたスタンリーも、決定的な一点には思い至らない。そう、自分以外の誰も『その者に気づいていない』という点に。



 スタンリーが『貨物室の側の』机に置いたまま忘れられたコーヒーが、飲まれる時を待っていた。



+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++



 船が到着してしばらくした後、アベリー達が貨物室から離れて作戦を決行したその時二人の少年は貨物室の扉を半開きにし、外の様子を窺っていた。


 なぜか箱の蓋を頭から被っている。身を隠しているつもりなのだろうが、それはどう見ても目立っていた。


「行った?」


「いや、まだ行ってないみたい……」


 そんな二人は今、外に居る男がどこかへ行く事を待っている最中だった。強盗団が「作戦決行だ」と言って外へ出て行った後、たった一人、予備としてその場に残された男、つまりビルは退屈そうに貨物室の中を歩き回っていた。


 途中、何度か二人は小声で話をする事もあったのだが、ビルはまったく気づかなかった。彼自身が口から吐く愚痴とアベリー達への激励で、声がかき消されてしまったのだ。


 そうとは知らないビルはしばらくすると貨物室から出て行った。それを機会と見た二人はすぐに扉の前まで行くと、ほんの少し開いて外を見たのだ。少年達が見た時、ビルは貨物室の近くで海を見つめていた。


「どうしよう、今外に出たら絶対バレる。あいつきっと悪者の中でも弱い方なんだろうけど、銃とか持ってるだろうし」


「うんうん、アクション映画で真っ先に主人公に見つかって、ボスに『奴から応答が無い』とか言われそうな感じ。でも銃は怖い」


 へクターとニコライに散々な事を言われ続けているビルだったが、それでも彼が外に居る以上二人はそこから先へ行く事が出来ずに居た。二人とも銃は怖いのである。


 そんな中、思い出したようにニコライが呟いた。


「……なあヘクター、どっかに投げられる物は無い? もしかしたらやれるかも」


「ん、小石が入ってるか探してみる」


 それを聞いたヘクターが周囲にある貨物の中に小石が無いか探りだした。そう、ニコライはこの状況を打開できる方法を持っていた。物を投げるという単純な手だったが、彼は壁に小石を突き刺すほどの力があるのだから、まさに必殺技と言っていい程の物だった。


 だが、そんなとんでもない技術も投げる物が無くてはどうにもならない。それくらいの事はこの二人にも理解できていた。その為にヘクターは貨物の中に小石が無いか探しているのだ。小石くらいの大きさの物なら何でもいいのだが、へクターは気づかなかった。


「いや、小石くらいの大きさと重さなら大丈夫」


 ニコライはへクターの考えに気づいて振り向き、訂正を加えた。それを聞いたヘクターは思わず振り向き、驚く顔をニコライに見せた。へクターはニコライが小石を投げている姿しか見たことが無かったのだ。


「小石じゃなくても投げられるのか?」


「ああ、多分」


 とはいえ、ニコライ自身小石以外の物を投げた事は一度も無い。成功するか失敗するかはニコライ自身にもわからなかったが、とりあえずこの機会に小石以外を投げてみるのもいいかもしれない、などとニコライは思っていた。


 そんなニコライの気持ちをヘクターはなんとなく察すると、それに答える為に再び貨物の中身を漁りはじめる。ニコライも大人しくビルを監視しつつへクターが何かを持ってくるのを待っていた。


 二人とも内心では小声で話すのを止めたいと思っていたのだが、とりあえずそれは置いておく事にしたらしい。



 そうしてニコライが自分の役割をこなしていると、やっとヘクターが手に幾つかの小さな物を持って戻ってきた。へクターはニコライの前まで来ると、それを音を立てないように出来るだけ静かに床に置いた。


 それらは全て小石ではなく、何かの物だった。どうやら小石は無かったようだ。しかし、とりあえず投げられそうな大きさの物が揃っている。ニコライは小石が無かった事を特に残念とも思わず床に置かれた物を確認していく事にした。


「これはどうだ? 世の中にはこれを投げてる奴もいるらしいぜ」


 ニコライが投げられそうな物を探している最中、へクターがその中から彼が一番良さそうだと考えた物を手にとって見せた。小石よりも小さく、平らな物体だ。もちろん、ニコライもそれを見たことがあった。


「小銭? うーん、自信無いね。多分、投げても失敗すると思う。ところで投げてる奴って誰?」


「……知らない」


 それだけ言うとヘクターは少し残念そうにしつつ、小銭を元の場所に戻した。彼をよく知る者なら自分のポケットに入れなかった事を驚くだろうが、ニコライは特に気にしなかった。二人ともそんな事より優先すべき、『ここから出る』という事を考えるのに夢中だった。


 へクターがそうしている間もニコライはいくつかの物を手にとって、投げられそうか否かについて感触を確かめていた。同時に外の様子も窺っていたが、視線の先に居るビルはどこかに行く気配も無く海を見つめている。


 やはり、何か投げるしかないらしい。ニコライはそう判断してとりあえず一番投げやすそうな物を手に取った。感触を確かめると、それを選んだのか彼はヘクターに声をかける。


「いいね、一番投げやすそうだ。へクター、どう思う?」


 その言葉にヘクターはニコライの手の中にある物を見て、戸惑うような顔をした。見たことはあるが、それを素手で投げるというのは始めて聞く話だった。


「こ、これか? 本当に投げられるのか? 『銃で撃つもの』だろ?」


 そう、ニコライの手の中にあるのは小石くらいの大きさの銃弾だった。どうやら、強盗団が落とした物らしい。それをニコライは手の中で転がし続けていた。感触を気に入ったらしい。そんな事をしつつ、ニコライはヘクターに笑いかけた。


「ああ、銃で撃ち出せるんだ。手でもいけるだろ」


 あまりにも無理のある発言だったが、ニコライは本気でそう思っているようだった。『もちろん』、へクターはそれに違和感を持つ事無くニコライを信じた。他の者なら本当に出来るのかを疑う所だが、へクターはニコライの腕を知っているのだ。


 何せ小石を正確な場所に、しかも壁に突き刺さるほどの勢いで投げられる男だ。銃弾ならそれ以上の結果が出せるかもしれないとヘクターは期待し、輝くような目でニコライを見た。


 小石と比較すると銃弾の方が投げにくい形をしているような気がしたが、ヘクターはそれを一瞬で忘れていた。



「よし、じゃあ行くぞ」


 ヘクターが自分を信じた事を確認したニコライはそれだけ言うと銃弾を持ったまま扉の外を窺った。やはり、男、つまりビルは相変わらずそこに居る。その場を去る気などまったく無いようだ。


 そう判断したニコライは銃弾を握り締め、投げる姿勢に入った。入ったのだが、途中で何を思ったのかヘクターがその手を掴んで止めていた。驚いたニコライがヘクターの顔を見ると、彼は慌てた顔で冷や汗を流していた。


「なあ、これ投げたら……死ぬんじゃないか?」


 誰が、とは言わなかったが、ニコライには彼が何を言っているのかはっきりと理解できた。


 彼が言わんとするのは、投げるのは銃弾であり、ニコライは小石を壁に突き刺すほどの技術があり、今回の的は人間だという事だ。つまり、ニコライが銃弾を投げれば標的が死ぬかもしれないのである。寸前でそこに思い至ったヘクターが慌ててニコライを止めたのだ。


 ようやくそこに思い至ったニコライもヘクターと困り果てた顔を見合わせた。この二人、『楽しい事』を好む性格でその為なら大抵の事は出来るのだが、だからと言って殺人はしないし、人を殺した事があるというわけでもない。


「……どうしよ」


「うん、どうしよう」


 二人は困った顔のまま硬直していた。投げれば標的を大怪我、悪ければ死なせてしまうかもしれない。だが、そうしなければ二人はいずれ見つかってしまうだろう。二人は黙り込み、頭の中でどうすべきかを考えていた。


 しばらく考え続けていた二人だったが、急にニコライがヘクターから視線を外し、再びビルに向けて銃弾を投げる姿勢を作って機会を窺いだした為にヘクターは困惑した顔でニコライに言葉をかけた。


「お、おい。死なせちまったら……」


 その言葉にニコライは一度振り向き、素晴らしい笑顔を見せて言った。「投げてから、考えよう」と。


 全てを放棄したような言葉に、それでもヘクターは同じ心境に至り、心からの同意を込めて笑顔になった。



 ヘクターの同意が得られたニコライは楽しそうに頷いて再び扉の外へ顔を覗かせて狙いを付けようとした。もし、ニコライが銃弾を投げていれば、それは確実に男、ビルの体のどこかを撃ち抜いていただろう。だが、そこには誰もいなかった。


 ヘクターと話していた数秒の間に、ビルはどこかに消えていたのだ。銃弾を投げるために上げられていたニコライの腕が静かに下がっていった。


 腕を下げたニコライは再びヘクターの顔を見た。ヘクターはニコライと同じく困惑した顔をしており、二人は顔を見合わせた。数秒前までそこに居た人間が消えているのだ、始めての経験に二人はしばらく混乱していた。


「きっと神隠しだ……そうだよ、きっとどこかに連れていかれたんだ」


「ど、どこかって、どこに?」


 急に深刻そうな表情になってよく分からない事を呟いたヘクターに、ニコライは怖がるような顔で答えた。アベリー達を警戒していた時よりも、二人の表情は遙かに緊張が見えている。どうやらこの二人、強盗団よりもよく分からない話の方が怖いらしい。


「どこって……そりゃもちろん、異次元だよ」


 そう言うヘクターの態度は真剣そのもので、自分の言っている事を信じているのが誰から見ても明らかだった。そんなヘクターの言葉に、ニコライは黙り込んだ。呆れて黙ったのではない。あまりの恐怖に黙り込むしかなかったのだ。


 今、そのような話をしている時間を使ってそこから脱出すれば安全だというのに二人はそれにまったく気づいていない。


「マジか……じゃあ俺たちもじきに異次元送りになるのかよ……」


 恐怖と共に出されたニコライの言葉は、ヘクターも巻き込んで恐怖させ、沈黙する事となった。実は、本当に異次元に行ったとすれば二人は喜んで『不思議な体験』を満喫しようとするのだが、今の二人は怖がっていた。その場の勢いである。


 もちろん、ヘクターの言葉は間違っている。ビルは異次元になど行っていないし、神隠しになど会ってもいない。ただ、近くの『机に何かが置いてある』事に気づいて近寄っていっただけなのだが、二人は知らなかった。


「……あっやばい、隠れるぞ」


 ニコライとヘクターはしばらく恐怖の表情で顔を見合わせて固まっていたが、何かに気づいたニコライが慌ててヘクターと共に扉から身を離した。


「ニコライ、どうした? もしかして異次元の扉が開いたのか?」


 明らかに慌てているニコライの態度を受けてヘクターはまたよく分からない事を言いながら、何故か期待を込めた瞳で扉の先を覗きこもうとしたが、その前にニコライが彼の頭を押さえこんでいた。


 そのヘクターがニコライの顔を横から見てみると、彼は驚きを顔に浮かべて硬直していた。


「……異次元から帰ってきたみたいだ」


 そう、ヘクターとニコライにとっては名前の知らない『悪者』である男、ビルが『異次元から』元居た場所に戻ってきたのだ。ニコライの口調はどこか冗談めいていたが、本人達は真剣に男が『異次元から』帰ってと信じて疑わなかった。


 ニコライは驚きつつも男を観察し続けることを決めた。


「……あれ、なんだろう?」


「あれ?」


「ほら、あれだ」


 そう言われたヘクターはそっと扉の外を窺ってみる事にした。ニコライの言う通り、そこには男が居る。だが、集中すべきはそこではないらしい。ヘクターはニコライの視線を辿って行くと、男の手の中にある何かに行き着いた。


 何だろうかと二人でその何かに集中して見ると、やがてヘクターがそれの正体に気づいた。ニコライに比べると、彼はそれをよく飲んでいた為に気づいたのだ。


「……コーヒー?」


 そう、男が持っていたのは缶コーヒーだった。缶のデザインから考えると、少なくともヘクターは見たことの無い銘柄だ。彼は別にコーヒーマニアというわけではないのだが、それでもそのコーヒーが珍しい物だという事はなんとなく理解できた。


 そんな珍しいコーヒーに男は何故か鼻を近づけていた。どうやら、香りで何かを見極めようとしているようだ。そして、男はその結果に嬉しそうな顔を見せ、そのコーヒーを口の中に流し込んだ。



 そして、次の瞬間、男は苦悶の表情を浮かべると口を押さえてどこかへ走り去っていった。



「……どうしたんだろう?」


「……さあ?」


 男がどこかに消え去った後、そこに残されたヘクターとニコライは理解できない流れに首を傾げていた。二人に理解できたのは男がコーヒーを飲んだ事と、その後すぐに苦しみだしてどこかに消えていった事だけだ。


 何故男がコーヒーを飲んで苦しんだのか、そしてどこに行ったのか、どれも二人にはわからない事だった。へクターの頭の中では『異次元』という単語がまた浮かんでいたが、なんとなく違う気がしたので言葉にはしなかった。


 二人はしばらく顔を見合わせて困っていたのだが、それだけ時間が立っても男は帰ってくる気配が無い。ヘクターより先に困惑から抜け出してそこに気づいたニコライは、ついでにある事にも気づいていた。そう、この場で最も重要な事に。


「なあヘクター、これ、チャンスじゃないか?」


「え? 何の?」


 その言葉にニコライは無言で扉の先を指差した。そこには誰も居ない。誰も居ないという事は、彼らが出て行っても誰も気づかないのだ。つまり、そういう事なのである。本来は男がコーヒーを取ってきた時に気づいておくべきだったのだが、二人とも気にしなかった。


 へクターはニコライの言葉の意味を察し、黙って扉の外に出た。やはり、男が戻ってくる気配は無い。それを改めて確認すると、ニコライとヘクターは部屋から出た。少しの間はこそこそと周囲を探りながら歩いていたが、やがてそれにも飽きたのか二人は走り出していた。



 船の中を走っている間、二人は何故か船員にすら会わなかったのだが、勿論それには気づかずやがて階段の形をした出口を見つけると二人はようやく『島』に入っていった。


 先ほどスタンリーがそこから降りた時に居た人間もやはりそこには居ない。その人間達は側にある小さな監視所のような場所に『意識を失った状態で』倒れていた上に、『その中で何かをしている武装した男達が居た』のだが、二人はやはり気が付かないまま走り去っていった。



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 ニコライとヘクターの二人が走り去っていったそのすぐ後、小さな監視所から二人の男達が現れた。服装こそスタンリーの見た男達と同じだったが、彼らの眼には決定的に真剣味が無く、顔には少しの疲労とそれ以上の嬉しそうな笑顔を浮かべている。


 そう、その男達とはアベリー達強盗団の一員で監視の制圧を任された者の中の二人だった。アベリー達とその場で離れ、たった二人で行動した為に制圧に相当の苦労があったのか、片方の男の顔には殴られた痕があった。が、やはり男達はそんな事を気にもせず笑っている。


「着替えも終わったし、俺達の仕事はここでほとんど終わりか?」


「おお、後は監視だけだな……」


 そんな二人の男達が笑っているその横では、気絶させられ、拘束された監視員達が居た。数人の監視員達は全員多少の傷を負っていたが死者は一人も居ない。


 抵抗され、結果的に傷を負わされたにも関わらず、強盗団の男達は結局誰も殺す事が無かった。それは懐に入っている実弾入りの銃を取り出す暇が無かった、というのもあるが、何より彼らがそれを好まなかったからだった。


 どこか緩い空気の二人はしばらく任された事が成功した喜びに浸っていたが、やがて何かに気づいて表情を真剣な物にして周囲を見回した。


「さっき誰かがここを通った気がしないか?」


「ああ……確かに誰か来たような気がするぜ」


 二人は警戒しながら周囲を見回し、しばらくの間人影を探したがそんな物はどこにも無かった。幸運な事に、ニコライとヘクターは彼らが周囲を見回す寸前に大きな建物に入っていたので見つかることが無かったのだ。


 そんな幸運な少年二人が居たとは知らない二人の男は周囲に誰も居ない事を確認すると、小さく安堵の息を吐いて少し姿勢を楽にして監視所の壁に寄りかかった。


「他の連中はどうしてんのかねえ……失敗してなきゃいいが……」


「もし失敗したら、その時は俺達がぶっ飛んでる。まだそうなってないって事は、うまくいってるんだろうよ」


「まあ、そうだな。違いない」


 片方の男はそう言って頷き、少しばかり黙り込んでまた次の話題を考え始めた。彼らはアベリー達が計画を成功させるまで互いに雑談を楽しむつもりだった。というより、そこから先、彼らはそれ以外する事が極僅かしか無いのだ。


 そう、この二人は与えられた役目の大半を既に終えていた。割り当てられた場所を制圧し、服装を着替えて監視員に変装した以上、後は気絶させた本物の監視員が目覚めないように見張っている以外には何の仕事も無い。


「ところでよ、最近どうよ? ほら、お前の彼女さ」


「んん? おお、まあまあ仲良くやってるぜ。俺がこういう事をする度に喧嘩になるけどな」


「幸せそうで羨ましいなおい」


 片方の男は少し照れながら、もう片方は冷やかすように、今彼らが行っている計画とは全く関係のない話を楽しんでいた。しかし、そんな雑談を楽しみつつも二人の男達は心の底では周囲を警戒していた。例え暇だったとしても、それが緊張感を解く理由にはならない事をこの二人は理解していたのだ。


 それは正しかったが、無意味でもあった。彼らはそれを少し後に身を持って知る事になるのだが、今の彼らはただ、雑談に興じるのみであった。

というわけで、1話を投稿しました。は、話が進まん……。

しかし2話はついに色々動きます。正直この辺は間の話だったので凄く退屈でしたが、次はアクションシーンも入れたい! 2012/5/5

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