§08 ファンタジーで良いではないか!【10月23日前書き追加】
H23.10.23追記
当話は「郁也門」さまの『何故異世界転生ファンタジー小説だらけなのか』に対する反論として綴ったものです。
その旨を明らかにすることについて快諾下さった「郁也門」さまのご判断に無条件の感謝と敬意を表します。
私はファンタジーが好きです。「小説家になろう」ではファンタージーが多い事を揶揄しする意見もあるようですが、私はそれに与しません。
推理やSFも好きですが、ネット小説ではそれらの作品は比較的少ないのです。母数が少なければ出会う機会も限られます。対してファンタジーは面白いお話が綺羅星の如くあるのです。
それにファンタジーは何と言うか作者の感性がそのまま面白さと直結していると思うのです。
もし刑事が推理小説を書いたら、業界の裏話的な面白さという圧倒的な地の利があることでしょう。ですがそれは居酒屋談義のように、夫々の職業を経た人達がそのならではの体験を語ればつまらない訳が無いというのと同じだろうと思うのです(勿論人気作品となることが約束されている等とは思いません。「ある程度までは」です)。
SFであれば科学的な基礎知識、推理であれば犯罪捜査や司法制度に対する知識などが求められると思うのですが、ファンタジーではそれがありません。他のジャンルに比べて少ない制約条件下で創作が可能であると思います。しかし制約が少ない、自由度が高いということは決して面白い作品を容易に生み出せると言う事では無いと思います。
これは論述試験で考えてみると、SFや推理は課題選択式であるのに対し、自由課題に相当するのだろうと思うのです。課題選択であれば得意分野が出題されるか否か、と言う運(感性や表現力以外の能力)の入り込む余地がありますが、自由課題ではその様な運不運はなく、ただただ素の実力が求められると思うのです。
私はファンタジーはこの自由課題と同じで、「業界の裏話的」な近道(科学知識や犯罪捜査等の専門的知識が大きな利)とならない、殊更に作者の素の力量(感性と広い意味での表現力)が求められるジャンルだと思うのです。
私が筋書き以外にファンタジーで楽しみにしているのは、作品を通して垣間見える作者の人柄です。何を訴えたいのか? 何を大切にしているのか? 今までどんな体験をしてきたのか? 老若男女の何れなのだろうか? 全てが解る事は無いでしょうし、詮索すると言うわけでもありません。ただ作品を介して伝わってくる作者の人柄も楽しみの一つです。その意味では雑音と成り得る他の知識や経験が直接披露されることが少ないファンタジーというジャンルでこそ、効果的に伝わるのではないかと思っています。
少々照れくさい表現ですが、真心を伝えるのに技術は不要だと思うのです。これは拙い言葉で懸命に何かを伝えようとする幼子との交流を考えれば明らかなことです。人柄の伝達媒体として作品を考えたとき、その巧拙はさして重要ではないと思うのです。個人的には商業作品と同じ物差しでネット小説の作品を測る必要を感じません。もし楽しく読む方法があれば、読者である私にはそれが正しい読み方だと思うのです。
それに私のような読者の立場であれば、SFや推理小説で特に準備(調査)が必要となるのであればその期間はお話が読めない訳で、であれば作者の感性で勝負のファンタジーの方が公開の時期も早いであろう分だけありがたいと思うのです。
また、発展途上の作者の作品であっても楽しみ方は色々です。完成度は高いほうが良いのでしょうが、ネット小説で徒にそれを追い求めるよりも身近な作者の身近な作品としてネット小説ならではの楽しみ方があると思います。勿論それはファンタジーに限った事では無いのですが……
と言うことで、今日も私はファンタジー小説を読んでいるのです。