【番外】ネット小説の読者へ ~喧嘩両成敗~
喧嘩両成敗
喧嘩両成敗と云う考え方があることは皆さまご存知の通りです。
赤穂浪士の討ち入りも浅野内匠頭だけが切腹となったことによるとされています。
喧嘩両成敗は果たして正しいのか間違っているのか?
このように考えると答えは堂々巡りになりがちです。
それなので「喧嘩両成敗とはどのように運用したとすれば上手く機能するのか?」と考えて見ます。こう考えると答えは割と簡単で、本当に両方とも成敗(死罪を適用)してしまえば良いのです。自らの命と引き換えに喧嘩を吹っかける人は殆ど居ないでしょう。喧嘩の激減は間違いありません。
表現を変えると「結果に見合わないほどペナルティが重くなければ効果が無い」と云うことになります。考えてみれば抑止力とは本来そう云うものでした。現実においても飲酒事故よりもひき逃げの方が罰則が軽いので、怪我を負って苦しんでいる人を見捨て、酒が抜けてからそ知らぬ顔で出頭する(罰則が軽いので道義的には在ってはならない罪を重ねる)と云う例があるそうです。
行為に対してペナルティが軽微か無い場合「抑止力が機能しない」どころか場合によっては逆に悪事を促進してしまう……
「制度の抜け目を知りつつも踏みとどまって然るべき行動を選択する」本来そうあるべきなのでしょうが、自らの不利を承知で踏み止まれる人ばかりではいのです。そして悲しいかな私達はその現実を知っています。
ではネットにおいて「喧嘩両成敗」を機能させることが出来るのか?
それをこれから更に考えてみたいと思います。
追伸
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