§22 お祖母ちゃんの梅干
毎年6月ごろお祖母ちゃんが梅を干していました。
子供の頃梅干は酸っぱくて好きではありませんでした。
鮭のおにぎりは大好きでしたが、梅のおにぎりは嫌いでした。
梅干は毎年大量につけるので沢山ありました。
それに梅干は偶に食べたくなるときはありますが、ヤッパリ好んで食べることは無く、お祖母ちゃんに「体に良いのだから食べなさい」と無理強いされて渋々たべることが殆どでした。
やがて、反抗期を過ぎ、お祖母ちゃんもあまり梅干を食べるように強いることはなくなりました。それに年を取ってもう以前のようにあまり元気ではなくなってきたのです。
だから梅干は偶に食べるだけで、あまり減りませんでした。
やがてお祖母ちゃんは病気になり、入院して家に戻ることはありませんでした。
ごく偶に冷蔵庫に小出しにしてあるものを突っ突くことはありましたが、何処かに大量にあるであろう梅干のことを気にすることはありませんでした。
私は梅干のことなど忘れてしまいました。煩く云うお祖母ちゃんも病院です。
やがてお祖母ちゃんはやせ衰えて他界します。私は梅干のことなどスッカリ忘れていました。
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……人生色々ありました(多分これからも……)
その後、もうずっと後のことです。
珍しく私が梅干を食べていると、母が
「珍しいね。それお祖母ちゃんの梅干だよ」と私に告げたのです。
「まだいっぱいあるの?」と問う私に
「それで最後だよ」と母の答え。
その言葉を聴いたとき突然その梅干がとても貴重な物に思えました。
こんなことならもっと沢山食べておけばよかった。
お祖母ちゃんが食べなさいと云った時にもっと素直に食べておけば良かった。
お祖母ちゃんが元気なときにもっと作ってもらえば良かった。
全ては今更です。
私は物の有難味が解らない人間です。
「ノンストップエンターティメント」と云う言葉を村上由佳さんの「あとがき」で知ったのですが、私は村山さんの言葉に大きく肯いたものです。それは最後の梅干の味を知る前のことでした。
お話を完結するまで書き続けた作者のご苦労を否定する心算は毛頭無いのですが、お話の最終回を読んだとき、その梅干の味を思い出すのです。お気に入りのお話が完結してしまうとき、私は最後の梅干を味わうときと似た寂しさを抑えきれないのです。
(「お気に入りのお菓子の最後の一片」との表現で感想を書いたこともありますが、そう云うことなのです)。
今回はこの曲を聴きながら書いています(ベトナムの方がアップロードして下さっているようです)
【Long long ago(邦題:思い出/久しき昔)】
http://www.youtube.com/watch?v=z6lZLrb2X4Q