【釈明】お気に入り登録について
今回は前回の「【謹白】お気に入りについて」の釈明です。しかも今までに無い長文を綴っています。「ネット小説の読者として」にはあまり関係の無い話なので、興味の無い方はどうか読み跳ばして下さいませ。
私のお願いにも関らず、感想の削除も、お気に入りユーザの非公開も今のところありません。それどころか、メールや感想等では、お願いへの拒否を宣言される方がいらっしゃいました。そのお気持ちは本当にありがたく、また激励として承りました。先ずはこの場でお礼を申し上げます。ありがとうございます。勿論その方々のご判断に私から異論を挟む心算はございません。前回の投稿は警報と受け取って下されば幸いなのであります。
ですが、前回申し上げたことについては単なる警報ではなく、本当に必要であれば非公開化や削除をしていただきたいのです。私はキリスト教徒ではありませんが、聖書に「鶏が鳴くまで汝三度我を『知らぬ』と言うであろう」という言葉があり、私はこれが大層好きなのです。
弟子ペテロには師キリストの教えを伝え広める務めがあります。敬愛する師と運命を共にすることはその務めが許しません。最後の晩餐の後、師は囚われ、自らは追われの身です。ペテロは追手から問われる度に師を見捨てます。師の予言通り三度「知らぬ」と、禁忌である「嘘」を吐いて答え、逃げ果せるのです。ペテロの本心は如何だったのでしょうか? 聖人ペテロが師の教えを伝え広め殉教することは皆さまご存知の通りです。
人は万能ではありません。強い人も弱い人も、否、強く在れる時と弱くしか在れない時、強く立向える相手と立向えない相手が、人生の季節の中で訪れるのだろうと思うのです。そしてその巡り合わせは人の力の及ばぬ何かに操られていると感じられることがあるのです。
弱くしか在れない時、立向えない時、それでも人は生きて行かなければなりません。そして生きて行く以上は課せられた務めから逃れ得ることは難しいでしょう。
もしそれが、強く在れる時、立向える相手であれば幸いです。ですが、それが出来ないとき、より大切な何かを守るために何かを諦めないといけないときがあるのだと知りました。
何を大袈裟にと思われるかもしれません。また解りきったことだと思われるかもしれません。ですが、これは拙い経験から私が知り得た知恵なのです。ですから、お気に入りを非公開にしたり、感想を削除することは決して責められるべきことではないと、より大切な何かを守る為であれば、英断なのだ知って下さい。以下延々とその時の記憶を綴ってみます。
私は組織犯罪に手を染めたことがあります。それは今思えば皆が狂気の中で己が本分を見失っていたとなるのですが、その当時は自嘲することはあっても本気で正気を取り戻そうとはしませんでした(であればこそ狂気だったのでしょう)。
もう時効なので差障りが無いと思えるところを吐露しますが、その頃私はとあるメーカの営業拠点でヒラの担当でした。景気はその頃もとても悪く、如何考えても上層部が期待するような予算(営業目標)はその拠点として立てられなかったのです。ですが、営業担当役員はそれを許しません。強引に目標の予算を組むように圧力がかかるのです。上司である主任と考える限りの戦略をたて精一杯の予算を立てていたのです。それはどのチームも同じだったのですが、それでも上が許してくれる金額に遠く及びません。
その会社の製品は産業用機器が主体であったため顧客が固定的で、簡単に新規開拓出来る状況ではなかったのです。そこで、目を着けたのが新製品です。市場には先行各社が既に販売している機種ではあったのですが、会社としての販売実績は全くありません。そこで、不足している営業目標の差額を全部その製品に上乗せしたの(もう無茶苦茶)です。未知数である故を以て、青天井の予算作成が見逃されていたのです。ですがあまりの無茶振りにその当時一担当者に過ぎなかった私でしが、勇気を出してマーケティングの部長に電話しました。
「拠点の営業目標値は今年度のこの地域の市場予測値とほぼ同額、この地区でシェアを100%取って初めて到達するという予算値です。後発の弱小メーカである我社の立場ではその半分(本当のところ1割)ですら、有り得ない数字なのではないでしょうか?」
すると、
「確かに君の言うことは尤もなのであるが……」
とのこと、
「であれば、マーケティング部門の責任者として、無茶な予算を正すことも大切な仕事なのではないでしょうか?」
と私は部長に救援を求めますが、回答は
「私の口からそれは言えない」(この言葉は今も耳に焼き付いています)
でした、当時マーケティング部もその担当役員の配下だったので、部長と言えども逆らえなかったのです。
やがて、期末が近づいてきます、朝も夜も、土日も返上して必死に、販売ではなく、上層部への報告資料作りに追われていました。何しろ嘘で固めた予算なのですから、実績が懸け離れて低い数字になるのです。上層部は実情を知っていても知らない振りで、営業不振を責め立てます。
そこで、悪魔の囁きです。商社に頼み込んで倉庫を貸してもらい、嘘の注文書を書いてもらうのです。嘘とは言え実際に出荷するので、販売実績は成り立つのですが、商社の倉庫は山積みです。商社の担当者からは
「メーカさんの頼みだし、困ったときはお互い様で協力はするけれど今時こんなことして、xx(会社の名前)さんの経営は本当に大丈夫なのですか? 心配になりますよ」
と、心配半分に慰められる始末でした。
他方、嘘で塗り固めた受注に対応するために工場はフル操業です。売れる見込みが無いのに、部品を仕入れて、休日稼動で(休日の割増残業手当てまで支払って)工場は生産するのです。その仕入れと工場を稼動させた費用は絶対に会社の利益に結びつかないのにも拘らずです(工場は嘘と知らないのですから仕方ないのです)。
やがて、期末になり嘘の販売実績でその一年は過ぎたのです。しかし、当然売り上げは嘘なのですから、お金が入ってきません。凄まじい金額が長期未入金として報告が上がってきます。更に拙いことに、その商品は他の製品と違ってパソコンのように次々と新製品が発表される、非常に商品としての寿命が短かいものだったのです。このままでは不良在庫が完全に販売不能なゴミになってしまう。私達も従業員です。会社に(不正行為の挙句)大損害は出したくありません。主任と一緒に、これからの受注は今までの架空受注で工場から出荷され、商社の倉庫に山積みになっている製品を充当したいと課長や拠点長に訴えました。
流石に、山積みの在庫が(商品価値が)腐ってしまうという事態は理解してくれ、或る程度の充当を認めてくれるようになりました。ですが、嘘を止めた上(今までは [実績] + [大嘘])で更に今までの嘘を返して行くので、販売実績は激減します(今度は [実績] ー [嘘の一部])。なにしろ、実績よりも架空販売台数のほうが多かったりするのですからもう大変です
。覚悟の上とは言え想像以上の圧力が拠点に圧し掛かります。担当役員はモット売れの大激怒です。でも、私達も「これ以上の嘘は会社に純然たる損害を与えることになるので無理です。会社に対する背任行為です」と必死に上司に訴えます。それを聞き入れてくれた拠点長と課長は二人掛で担当役員に訴えて呉れました。最後の最後は同じ会社の先輩なのだなぁ~と結構嬉しかったりするのです。
ですがその後、課長に電話が入ります。突然の更迭でした。或る程度の覚悟は出来て居たようで、拠点長と一緒に半分笑っていました。ですがその直後、拠点長にも電話が入り、なんと拠点長も一緒に更迭とのことでした。その拠点のナンバー1とナンバー2が会社の利益を守ろうとしたために更迭されたのです。流石に二人とも作り笑いが消えていました。今にして思えば、自身の境遇よりも会社の腐敗振りに唖然としていたのだろうと思います。
それが取引先に伝わると、仲の良い担当者達からは「何をヤッタの???」と質問されます。商社の担当曰く
「『二人しか居ない管理職が突然同時に異動となることは取引先との信頼関係や、評判を考えると先ず有り得ない。それを考慮しても尚、そのような人事を実行するとなると、よほど酷い汚職でも発覚したのだろう』と、そう考えるのが普通ですよね」
とのこと、仰せご尤もです。
拠点に戻り私はその会話を主任に報告します。それは世間さまはそう見るよなぁ~(溜息)。 私や主任は、本当のこと(「正しいことをしたので更迭された」)は絶対に恥ずかしくて言えないと一緒にボヤイテいたことを良く憶えています。むしろ、本当に汚職でも在った方が気分的には楽だったとそう思っていました。
さて、やってきた新しい拠点長は、前任者が受けた仕打ちをよく理解しています。当然完全なイエスマンでした。しかも販売不振と長期未入金(架空販売なのだからお金がもらえる訳がありません)の説明要求も厳しさを増します。嘘を嘘で塗り固めるための資料作りはいよいよ大変になり、土日出勤や徹夜だけでなく、平日昼間の営業も断って注文書の偽造や商社への誤魔化しの根回し、そして更なる嘘により、ますます商社の倉庫は山が高くなり、場所代として実際に売れたときには製品の値引きを、自ら申し出なければならない有様でした。
新しい拠点長は個人的には悪い人ではないのでしょうが、会社の利益や部下の為に体を張って立向かうことはありませんでした。一緒に徹夜はしてくれますが、それは本分であるところの販売の工夫ではありません。架空売り上げの計上とそれに伴う未入金の誤魔化しの小細工です。昼夜、休みなしで会社の損害を広げるために身を磨り潰して行くのです。当時の営業部門では、私の居た「xx拠点に比べれば俺達は未だしも幸せだ」が合言葉になっていたそうです。
架空売り上げを続けることでますます高まる山積みの在庫。そろそろ、商品寿命が尽き掛けて来ます。その余波は担当外の古参営業にも降りかかります。
先輩は自分の売り上げの利益を削って不良在庫を処分するように命じられるのです。例えば「700万円」の売り上げに対して本来の原価は「400万円」、真っ当な利益があるのですが、そこに不良在庫が2台(此処での原価は100万円x2台=200万円としています)売れたことにしてしうのです。すると原価は「600万円」今まで十分な利益率を確保してきた古参営業としての面目は丸つぶれです。そして売れたことになった不良在庫は帳簿上から抹消され、密かに廃棄処分です。将に闇から闇です。しかも会社の利益を削ってなのです。そこまでしておきながら、売上げの架空計上は更に続けられるのです。先輩も繰返される理不尽な要求に怒りのあまり退職してしまいました。
そんな、ある種の狂気が支配してゆく営業拠点でしたが、不思議と新しい拠点長に対して憎しみは覚えませんでした。職位は雲泥の差がありましたが、何故かこのときには同じ社会人であり、拠点長と自分達は同格であるように思えていたのです。
拠点長が守るべきは、会社の利益でも、部下である自分達でも無く、「先ずは自分の家族なのだ」と、妻子の生活を守る為に目を瞑るところは目を瞑る、後輩が悔しさの中で会社を去ろうとも、不正行為により億に近い額の損害を会社に与えようとも、絶対的な権力をもった上司に逆らわず、自分の生活を守る。
それは卑怯なことでしょうか? 当時も今も私にはそうは思えないのです。
誰もが自分の生活を守るのに必死だったのだし、そもそもあのような狂気が支配する空間で全ての行動に正論を求めることが無理だったのです。考えてみれば架空売上げを計上するだけでも複数の違法行為があったのです。その中では職位など意味は無かったと思います。新しい拠点長も突然の昇進という形で前任者が問答無用で左遷されたことを知っている訳で自分の社内での立場を守ることに精一杯だったのです。成人である部下よりも小学生の子供の生活を守るのは人として納得できることですし、私達には(最終的には)会社を辞めるという避難路だけは常に用意されていたのです。
確かに私を含む職場の先輩、同僚は辛い思いをしました。ですが、拠点長が優先して自分の立場を守ったことについては理解が出来ますし、私も同じ選択をするかもしれません(勿論そんなこは嫌なのですが、本当に拒否できるのか? 更迭されれば部下を守ることも出来なくなるのです。 何処かで妥協するのか? 正論を貫くのか? その時にならないと正直判りません)。
やがて、私は拠点長のお情けで工場の技術部門に復帰するのですが、その後も営業の地獄は続きます。不正が漸く公然化した後架空計上は終わるのですが、膨大な数の不良在庫はそっくり残ります。更迭され本社に呼び戻された営業課長が当時の責任を問われ、結局後始末をさせられます。どのような手立てを使ったのか? 詳しくは解りませんが非常に辛い仕事だったようです。その後始末が終わるころ、その営業課長は亡くなります。半ば自殺のような病死でした。勿論その時もその後も担当役員が具体的な責任を問われることはありませんでした。ただ私達の恨みと軽蔑の対象となっていただけです。なお、拠点の本当の売上実績は当初に作成した予算とほぼ同額でした。
「正義が己に在っても勝算の無い戦いに身を投じるべきでは無い」その正義以上に大切なものがあれば見て見ぬ振りをすることも止むを得ないのだと思うようになったのです。その後の経験から、孫子の兵法にある「戦いは勝敗が決まってから彼我にそれを確認させるために始めるもの」と「鶏が鳴くまで汝三度我を『知らぬ』と言うであろう」を己が世渡りの信条とするようになりました。
私は卑怯で臆病な人間なのです。ですから、もし(シレンにとって最も大切な)創作の妨げになる虞があれば、決断して下さい。ご自身の為ではなく、お話を楽しみにしている読者即ち私の為に。
人生には色々な季節があり、必ずしもど真ん中を、自分の歩みたい道を選べるときばかりでは在りません。戦況が芳しくなければ防衛拠点を放棄し戦線を縮小する勇気も必要です。反撃の機会を得るためにも退く勇気は必要なのです。
前回の「お願い」はそのような経験から発したものなのであります。
ご心配頂きましたが、もとより頂いた感想を私の一存で削除することは考えておりません。
皆さまの激励に感謝しつつ、釈明として綴って見ました。ご覧頂きありがとうございます。
なお、頂いた感想ですが、本件に関る方を優先して返信させて頂きますこと、この場にてお断り申し上げます。