§14 善意は善意で報いられるべきだ
新年明けましておめでとうございます。
何時も同じことを表現を変えて綴っているだけのネット小説読者シレンでございます。今年も(ときに感想の返信の方に気合を入れていたりするのも)相変わらずの内容ですがよろしくお願いいたします。
今更申すまでもないことですが、ネットで小説を公開する行為は読者にとって善意でしかありえないのであります。
突然メールで小説本文を送りつけたり、他者のサイトに小説を一方的に書き込みしているのであればまた別の考えもあるのでしょうが、寡聞にして私はそのような例を知りません。
インターネットという大海原の中でネット小説はひっそりと慎ましやかに読者の訪れを待っているのです。誰に何の見返りを強いることなく、ただ静かに読者の訪れを待っているネット小説。
その小説を気に入れば楽しむことが出来て、そうでないときは他のお話を探しに行けばよいわけで、誰にも迷惑を掛けることはないのです。
誰に迷惑を掛けることなく、気に入った読者を楽しませてくれる、そんなネット小説の存在は、善意以外の何だろうと言うのでしょうか?
仮に書籍化や懸賞、あるいは広告収入を目的としていてもその評価は変わることはないと思うのです。
さて、そんな善意の作者はどのように報いられるべきでしょうか?
善意に対する報いが悪意で良い訳がありません。やはり作者は善意によって応えられるべきなのです。
神ならぬ人の身です。仮令それが純然たる善意であっても、一方的な思い込みから相手を傷付けてしまうことはあるでしょう(現実の社会と同じように……)。ですが、もし善意からの行為である(と主張したいのであれば)ならば、他者を傷付けることに臆病であるべきですし、また傷付けた相手に謝り気遣うはずです。
顔の見えないネットだからといって善意の相手を一方的に傷付けるような行為が正当化される訳がありません。ですがネット小説を読んでいると、一方的に相手を傷付ける行為が横行しているようです。
ネットの向こう側という絶対に安全な所に己が身を潜めて相手を傷付ける。卑怯の極みではありませんか!! 小説の論評以前に人間として終わっています。そんな人格破綻者の評価にどれほどの価値があるのでしょうか?
私は、決して批判や批評を否定している訳ではありません。作者の善意が理不尽で卑怯な悪意によって踏み躙られることを否定しているのです。善意に悪意で報いる理不尽に肯うことなど出来る道理がありません。それが私の主張です。
そして私の細やかな楽しみを、ネット上の卑劣な狼藉者によって奪われることが悔しくてならないのです。
やっぱり「私は作者の敵の敵」なのです(以降は、1~3話へと続く繰り返しです)。
いつも感想をお寄せ下さりありがとうございます。このエッセイを続ける活力となっております。原則として必ずお返事することにしておりますので、遅れても気長にお待ち下さい。今後ともよろしくお願いいたします。