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Sweet&Cool  作者: みずの
Side Story
54/57

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本編「Link」後の、夏休み中の話。

タクミ目線です。「bitter」シリーズのキャラも少しだけ出てきます。


「暑い…」

 7月下旬、うだるような暑さの中で義兄は舌を出しながらうんざりしたように顔を歪めた。構わず先をスタスタと歩いていると、後ろから「准一ぃ」と情けない声をかけてくる。

「お前、暑くないわけ? この猛暑の中」

「暑いに決まってます」

「じゃあもうちょっと暑がれよ」

「意味がわかりませんよ、先生」

 義兄と言っても自分にとっては教師だ。昔は家庭教師、今では通う高校まで同じだったりする。姉と結婚した後でも、俺が彼を「先生」と呼ぶのは相変わらずだった。



 暑いからって「暑い」と言って何が解決するのか。嫌味でなく普通にそう考えて言うと、「…お前たまにユキみたいなこと言うな」と名取先生は眉を顰めた。

 大学時代からの悪友の名前を出して、先生は諦めたように石の段差を上る。目的の場所までは、もう少しというところだった。




 本当は今日、ここには姉も一緒に来るはずだった。少なくとも…例年はそうだった。

 父は仕事で来るのが遅くなるため、毎年姉夫婦と俺と3人で訪れていた。それは緑の生い茂る…俺の母親が数年前から眠る墓地だった。




 姉は昨日から夏風邪を引いたのか、高熱を出して寝込んでいる。年に一度の母の命日だから絶対に行くと言う姉を、先生と説得するのはかなり大変だった。姉は今妊娠中で、無理をさせることはできない。無理して姉とお腹の中の子に何かがあったら一番悲しむのは天国の母親だ、という先生の言葉でようやく大人しくなった。



「そういやお前さ」

 汗で額にはりつきそうな前髪をかき上げながら、先生は言う。元々あまり体力はない方らしく、長い石段で少し息切れしていた。

「夏川は今日どうした? 一緒に来たいって言ってただろ」

 つい先日から付き合いだした彼女の名前を出して、先生が尋ねる。

『先輩のお母さんのお墓参りなら、私も行きたいです』

 ふと、そう言った彼女の顔を思い出した。



「今日、補習が入ったみたいです。生物の」

「…あー、あいつ理系弱いからなぁ」

 自分の担任するクラスの生徒だから、成績はもちろん知っているんだろう。呟いて先生は苦笑いを浮かべた。

「せっかくの夏休みに補習とは、かわいそうなこった」

 言葉ほど同情はしてなさそうな声で言うと、先生はようやく俺の隣に並んだ。小高い丘のような場所にその墓地はあり、一番上まで辿り着けばようやく風が駆け抜けていった。




「佳奈さんが亡くなって…もう4年か」

 整然と並ぶ墓地を見下ろして、先生は言う。そんな言葉に俺は、伏せ目がちに小さく頷いた。





 母は…車に轢かれそうになった道場の教え子をかばおうとして、交通事故であっけなく亡くなった。それも…俺の目の前で。当時の血の海を思い出せば今でも寒気がするし、その中で尚も教え子をかばおうと抱きしめたままだった姿は脳裏に焼きついている。



 どうして、母が亡くならなくてはならなかったのか。

 どうして、俺にとっては良い先輩だった母の教え子が亡くならなくてはならなかったのか。

 俺はずっと、2人がいなくなってからそんなことを考えていた。




 母は、誰からも好かれる人だった。慕って道場に通いにきた子どもの数も多かったし、近所でも明るく誰とでも仲が良かった。その死を惜しんで悼んでくれる人も数え切れなかった。今でもこの母の亡くなった日にわざわざ花を供えに来てくれる人も少なくない。



 俺は、そんな母にまだまだ生きていて欲しかった。うまく言えないけれど、そこにいるだけで多くの人の救いになる人間というのは必ずいるもので…。

 母は恐らくその部類だった。

 なのに、何の取り柄もないような自分は今でもまだ生きていて、母が死ななくてはならなかったことがずっと不思議だった。



 あの時、トラックが間違えて突っ込んできたのが先輩や母の方ではなく…。




「俺の方だったら良かったかもしれないのに」




 そう思ったことがあるのは、まだ誰にも話したことはない。




「准一」

「…?」

 不意に、先生が俺に声をかけた。

「何考えてる?」

 俺の表情から何かを読み取ったのか、先生は少し難しい顔をしていた。

「何も」

 小さく笑って首を振り、俺は再び歩き始めた。



 広すぎる墓地を、歩いて行く。

「センスないなぁ」

「じゃあお前がやってみろよ」

 手にした花を持って訪れた母の墓の前には、そんなやり取りをしている先客が2人いた。



「お、貴弘に准一」

 そのうちの一人が、こちらに気づいて笑顔を向ける。

 …小塚修司さん。名取先生の大学時代からの友人だ。姉にとっては大学の先輩になり、2人に連れられて何度かうちに遊びに来たことがあった。だから母とももちろん顔見知りだった。

「聞いてくれよ、ユキには花を飾るセンスってもんがないらしい」

「だから、だったらお前がやれよ」

 言いながら花を手に立ち上がったのは、本城行禎先生。

 同じく名取先生の大学時代からの悪友で、今では同じ高校で教える教師仲間だ。故に、俺の先生でもある。ユキ先生も俺が中学の頃、理科系の勉強を見てくれていたことがあるのでうちには何度も来たことがある。



「何だよお前ら、来るなら来るって言ってくれればいいのに」

 笑いながら近寄った名取先生は、俺とユキ先生の手から花を受け取った。そしてあっという間に、綺麗に見栄えするように飾ってしまう。…こういうところは、かなり器用だと尊敬する。




「あの…ありがとうございます。もしかして、毎年…?」

 修司さんとユキ先生にペコリと頭を下げると、修司さんの方が人好きのする笑顔でニコリと笑ってみせた。

「うん、俺もユキも、別々にだけど毎年ここには来てたんだ。で、たまたま今年は一緒に行くかって話になって」

「そうだったんですか…」

 母の墓参りに来てくれる人たちは、誰もがわざわざ「行った」ことを俺たちに報告することはなかった。

 だから、義理でも対面的でもなく…ただ本当に母を思って来てくれているんだと分かる。今日も、明らかに彼らより前に多くの人が訪れてくれたんだろうということが読み取れた。墓前に花だけじゃなくて母の好きだったものまでたくさん供えられていたから。



「佳奈さん人気者だからなぁ」

 花を包んできた紙を片付けながら、名取先生が呟いた。過去形じゃなく現在形で言ったのは、この状況を見れば当然かもしれない。

「まぁ…なかなかあれだけ愛される人もいないよね」

 修司さんの言葉に、俺は微かに笑い返すしかなかった。



「だけど…」

 それまで黙っていたユキ先生が、不意に口を開く。見上げたその顔は、まっすぐにこちらを見据えていた。

「それだけじゃないだろ」

「……え?」

 言われた言葉の意味が分からずに、俺は思わず目を丸くする。



「確かに彼女はすごい人だったし、俺も今でも尊敬してる。でもこれだけ彼女が今でも愛されてるのは…」

 一度言葉を切って、ユキ先生は顔をあお向けた。

 つられるように上を見た俺の目に映ったのは、澄み切った高い青空。




「お前たちが今、周りの人間に愛されてる証拠だ」

「!……」




 一瞬、見透かされたのかと思った。母が亡くなってから俺がたまに考えてしまっていたことを…。


「…バカなこと考えるなよ」

 とどめのようなユキ先生の一言が、最後に俺の胸に突き刺さった。その顔を見上げると、同じようにこちらを向いた先生は少し笑っていた。…あぁ、やっぱり見透かされていたらしい。そう思うと苦笑いが零れる。




「…何、なんの話?」

 修司さんが俺とユキ先生を見比べながら目を丸くした。

「おいユキ、なんかよく分かんねーけど勝手に俺を差し置いて准一に兄貴面すんな」

 名取先生が拗ねたように俺を後ろからグイッと抱き寄せながらユキ先生に噛み付く。

「…ほら、イイ証拠がちょうど来たぜ」

 ユキ先生はというと、そんな2人を無視して俺たちの後ろを顎で示して見せた。


「……?」

 何事かと振り返った俺の目に映ったのは、息を切らせながら走ってくる一つの影だった。

「タクミ先輩ー」

 暑い中走りながらもいつものニコニコ顔を浮かべているのは、今まさに補習を受けているはずの彼女だった。


 目を見開いてそちらを見やった俺に、ようやく追いついてきた彼女は肩で息をしながら笑顔を向ける。

「何で…補習は?」

「とりあえず課題だけささっと出して、抜けてきちゃいました」

 朗らかに笑う彼女は、悪びれもなくそう言った。

「補習より、やっぱり今日ここに来たかったから」

 笑顔のまま手にした花を、俺に差し出す。


「…ありがとう」

 それ以上何か言おうとすると、ガラにもなく泣いてしまいそうだった。

 母が亡くなってから悲しすぎる余りか、逆に一度も泣けたことがなかったのに…。




「彼氏の母親の命日に一緒に墓参りしたいってのはいい心がけだけどな、夏川」

 名取先生が、厳しく眉を顰めて低い声を出す。

「教師の前で『補習サボリました』はねぇだろ」

「え!? …って、あれ? 名取先生…本城先生も…」

 今更彼らに気づいたらしい彼女は、急に取り繕うように「あ、あはは」とひきつった笑いを返した。


「ちょっと待てお前! 今の今まで俺らに気づかなかったとは言わせねぇぞ!?」

「…え、いや…気づいてなかったです。先輩しか見えてませんでした」

「…どうにかならねぇのか、お前のその盲目的な准一狂いは」

 がっくりとうなだれたように肩を落として言った名取先生に、俺は思わず笑ってしまった。




 確かに…今なら、ユキ先生の言葉の意味も分かる気がする。生きていてダメな人間なんているはずもなく、ましてや誰かのために代わりにいなくなった方がいい人間なんてものもいない。

 ここにいる彼らに姉が母と同じように愛されているのも知っているし、俺だって恵まれていると思う。




「ユキ先生…」

 ああだこうだと言い合う名取先生と彼女の隣で、俺は改めてユキ先生の顔を見上げた。2人のやり取りには興味なさそうにしていた先生が、「ん?」とこちらを振り返る。身長には余裕で15センチは差があるので、俺は少し顔を仰向けた。

「ありがとうございます」

 言うと、先生は少しだけ唇の端を持ち上げる。言葉はなく、そのまま大きな手で俺の髪をガシガシとかき回した。






 …姉の風邪が治ったら、一番にここに連れて来よう。

 母がこれだけ愛されていること、その人たちが同じように俺たちを見守ってくれていることを知らせるために。「当たり前でしょ」と一喝されるかもしれないことを想像すると、少しだけ苦笑が零れた。




「准一、皆で飯食って帰ろうぜー」

 もう墓前で手を合わせ終え、先に歩き出していた名取先生の言葉に「はい」と短く返す。ここに眠る母に胸の内で挨拶をして、俺はその後を追った。






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