表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sweet&Cool  作者: みずの
Side Story
50/57

つぼみの花 2 side:hanae


 私と向井の関係は、不思議なものだった。一度好きだと言われたこともあるし、私が向井のことを好きなのも向こうは知っている。ただ、それでも付き合っているという関係ではなかった。



 そもそも私は昔自分を救ってくれた親友第一で過ごしてきたから、彼女が本当に幸せになるまで自分は誰とも付き合うつもりはなかった。別に彼女にそうしてくれと頼まれたわけでもないし、そんな風に義理だてることが何の役にもたたないことは知っていたけれど。何となく、自分の中での一種のけじめと感謝の気持ちの表れだったんだろうと思う。



 向井もそれは知っていたから、私が付き合う気になるまで待ってくれると言ってくれた。一緒に出かけたりと、していることは普通のカップルと変わらないと周りからは言われるけれど、当人同士の気持ちが全然違う。「付き合いましょう」とちゃんと告げて始まった関係ではないから、それは特殊なものだった。




 でも今から2週間ほど前に、状況が少し変わった。親友のハルカに、彼氏ができたんだ。ずっと片想いして苦しい思いをしてきた彼女が幸せになったことは心から嬉しかった。


 でも、だからと言って結局それをきっかけに私と向井の関係がすぐに変わるわけではなかった。



 その原因は、多分私だ。

 私から切り出した条件だったので、私が何かを言わない限り二人の関係は変わらないだろう。多分、向井からは付き合いを催促するようなことは言わない。だけど私は結局未だに何も言えずじまいだった。



 「今更」という気持ちもあったし。

 何より元々過去に受けた傷から人をあまり信用できなくなっている私にそんな勇気はない。今の不思議な関係に甘えきっていた分、変わることで逆に何かを失うことが怖かった。




 向井を信用していないわけではない。ただ、いつか来るかもしれない別れを想像すると身は竦んだ。そんなことを言っていたら誰とも付き合えないのは分かっているけれど…。でも恐らく今の関係を変えることに臆病になっている私にすら気づいている向井に、全力で甘えてしまっているのだろう。




 だから、彼女の言葉が突き刺さった。

 決して彼女の言うように、『私にその気がない』わけではない。でも、『振り回している』ことに変わりはないと思う。






「華江ー、入るよ?」

 急に自室のドアをノックする音がして、私は思わず目を見開いた。机の上の時計に目をやると7時を回る頃だった。どうして今ここに、という思いがあって驚きを隠せないまま、私は寝転がっていたベッドの上に上体を起こした。



「いたいた。ケーキ食べる?」

 母親が通したのだろう、こちらの返事を待たずに開いたドアの向こうにはニコニコ笑ったハルカがいた。




 ハルカとは小学校からの付き合いなので、幼なじみのようなものだ。家もそれほど遠くないので行き来はよくあること。持参したケーキはもうすぐ夕飯だからと階下の母に預け、ハルカはローテーブルの前に座った。

「どうしたの?急に」

 わずかに首を傾げて尋ねると、ハルカは「ん?何となく」と屈託なく笑ってみせる。



「タクミ先輩は?」

 最近できたハルカの彼氏の名前を出して、私はそう尋ねた。

「今日は受験勉強の日ー」

 クッションを胸に抱きしめてくつろぎながら、そんな答えが返ってくる。

 先輩は3年の夏という重要な時期なので、付き合い始めたばかりとはいえハルカもきちんと遠慮しているところもあるようだ。




「華江は?今日は向井くんと映画じゃなかったっけ?」

「…具合悪いから延期してもらったの」

「具合悪いの?」

「ちょっとね。大体、映画行くって知ってたら何で来たの?」

「ん?何となく」

「?」

 笑って言うハルカの歯切れの悪い答えに、私は眉を寄せる。それでもそれ以上追及する気もなかったので、私もハルカの向かい側に座った。



「具合悪いって、風邪?」

「……」

 尋ねられて、私は思わず返事に詰まる。良いタイミングにも思えた。…正直に、話してみようか。


 普段自分の心の内を曝け出すことのない私は、大親友を前に重々しく口を開いた。




******



 ハルカは、私がハルカがタクミ先輩と付き合うようになるまで誰とも付き合う気がなかったということをもちろん知らない。そんなことを話して恩を着せるつもりもなかったので、そこの部分は黙っておいた。ただ、自分の気持ちが固まっていなかったから向井に待ってもらっていること。

 それと、やはり勇気がなくて現状を打破できないことを全て話した。




「…なるほど」

 聞き終えたハルカは、真剣な顔で私を見つめていた。相槌を打つ程度で途中で口を挟まなかったのは、彼女なりの配慮だろう。一通りの話を終えた時に小さく頷いた。




「正直、彼女の言葉もショックだったけれど…」

 クッションに顔を埋めて、私は続ける。

「もしかしたら、向井が告白されてたこと自体がショックだったのかも…」

 ハルカに話をしている今になってようやく思い当たったそんな感情を、小さく呟いた。



「向井くん、結構モテるよ?」

「…そうなの?大体『イイ人』止まりだと…」

「優しいから、好きになる子はいるよ」

 苦笑い気味に言って、ハルカは私の頭をポンポンと軽く叩く。どうやら慰めてくれているようだ。




「彼女が言うように…向井を振り回してるのは事実だと思うの」

「……」

「だけどそれを指摘されると…ちょっと苦しい」

「うん」

 分かるよ、というようにハルカは一つ頷いた。



「でも私は、華江がそこで無理をする必要は一つもないと思う」

 言い切るように言って、ハルカは今度は私の頭を撫でた。

「…っでも、向井のこといつまでも振り回すわけには…」

「それがダメって誰が言ったの?その後輩の女の子?それとも向井くんに言われた?」

「……ううん」

「向井くんは知ってるよ?華江が苦しんでること、勇気が出ないこと」

「……」

 指折り数えながら言うハルカの横顔を見つめていると、涙が浮かんできた。


「本当は信用したいのに怖くなってしまうこと、それと…」

 一度言葉を切って、ハルカは私をまっすぐ見つめる。少しだけ笑ったその目は、とても優しい光を灯していた。



「華江が、失うことを恐れて臆病になってしまうくらい向井くんのこと好きだってこと」



 言って口元をほころばせたハルカの言葉に、ついに瞳から雫が零れる。


「……うん」

 小さく頷いた時には、零れた涙がラグマットを濡らしていった。



「華江がするべきことは、無理することじゃなくて。そういう今自分が考えてることを、ちゃんと向井くんに話すことじゃないかな」

「……『話す』?」

「そう。ただ待っててもらうだけじゃなくて、今はどういう気持ちなのかとか、話せたら向井くんも安心すると思う」

「……そうかしら…」

「そうだよ」

 笑って言うハルカの言葉が、胸に染み入っていく。



 彼女に救われたのは、これで何度目だろう。指折り数えたことはないけれど、きっとそれは自分では数え切れないくらいなんだろう。




******



 翌日、ハルカに言われた通り私は向井と話をするつもりだった。今自分が不安なこととか、考えていることとか…。全てを聞いてもらうつもりで、彼の家の前に来ていた。



 向井の家はお花屋さんをしていて、結構繁盛している。確か今日は店でバイトの日だと言っていたので…ここにくれば確実に会えると思った。メールや電話で約束をしてからするような話ではないと思ったので、来ること自体を告げてはいなかった。




「あら、華江ちゃん」

 お店に入ってすぐ、お花の手入れをしていた向井のお母さんが振り返った。前に何度かお店に来たことがあって、その時向井に「クラスメイト」だと紹介してもらった。ただし鋭いお母さんのことだから、何となく私たちの関係に気づいてはいると思う。



「直に用事?ごめんね、今ちょうど配達に行ってて…すぐに戻ってくると思うんだけど」

「あ、はい、すみません。急にお店にまで…」

「ううん、いいのよ。でも約束してないなんて珍しいわね?」

「…はい、ちょっと…」

 言葉を濁した私を見て、お母さんはニコリと笑う。

「2階に上がって待ってて?」

「あ、いえ、外で待たせてもら…」

「あーっ、華江ちゃんだっ」

 慌てて手を振った私だったけれど、すぐに言葉を遮られてしまった。自分を呼ぶ声に、後ろを振り返る。



 そこにいたのは、こちらをニコニコと見上げた2人の女の子だった。

「華江ちゃん、遊びに来てくれたのっ?」

「わーい、お2階行こっ」

 2人が私の両手を、それぞれぎゅっと引っ張る。それを見てお母さんが、申し訳なさそうに苦笑いして私を見た。





 この2人は優衣ちゃんと麻衣ちゃんと言って、向井の双子の妹だ。

 確か小学2年生だったと思う。いつもお揃いの洋服を着て、とってもかわいらしい。以前来た時に私を気に入ってくれたようで、今日もなかなか離してくれそうになかった。



「優衣、麻衣っ。華江ちゃんはあんたたちと遊びに来たんじゃないんだよ」

 住居になっている2階へ上がると、そこにいたもう一人の妹・亜美ちゃんが呆れたように声をかけた。どうやら左右に引っ張られるようにして来た私を見て、状況を察してくれたらしい。亜美ちゃんは中学3年生で、とてもしっかり者。もしかしたら長男より頼りになる性格をしているかもしれない。



 リビングのソファに座らせてもらった私にお茶を持ってきてくれたのも亜美ちゃんだった。「ありがとう」とお礼を言って受け取ると、亜美ちゃんは向かいに座って私を見ていた。その顔が少しニヤニヤしていたように見えたので、私は小さく首を傾げる。

「華江ちゃんさ」

 今日は部活でもあったのか、帰ってきたばかりだったようで亜美ちゃんはまだセーラー服を着ていた。そのスカートの太腿のところに肘をつき、頬を両手で包むようにしながら笑っている。



「昨日、直くんとなんかあった?」

「えっ?…何かって…?」

「映画行くって出てったからてっきり華江ちゃんとだと思ってたんだけど」

「……」

「ゲーセンで男友達と一緒にいるとこ見かけたから、華江ちゃんと何かあって映画がダメになったのかと思って」

「……」

「ついにフラれたかと思って、ついつい笑みが…」

「亜美」

 ぐふふ、と兄の不幸を笑う亜美ちゃんの後ろから、厳かにそんな彼女を呼ぶ声がした。

 振り返った私たちの目に映ったのは、お店のエプロンを脱ぎ捨てながらため息を漏らす向井の姿。本気で兄の不幸を喜んでいるわけではないのだろうけれど、「やば」と肩を竦めて亜美ちゃんは立ち上がった。早々に退散しようとした亜美ちゃんに、向井が改めて声をかける。



「亜美、優衣麻衣も連れてって」

「えー、私これから受験勉強」

「どうせしないだろ」

「やだー、優衣、亜美ちゃんより華江ちゃんがいいー」

「麻衣もー」

 小さな双子まで加わってああだこうだ始まったその騒ぎに、向井はもう一度吐息を漏らした。


「いいや、俺らが上行く」

 2階のリビングから更に上に伸びる階段を指し示して、そう言って私を促した。




******



「相変わらずうるさくてごめん」

 3階にある自分の部屋に通して、向井は私に一番にそう謝った。「ううん」と笑って首を横に振ると、少し安心したように息をつく。3姉妹が元気いっぱいなのは来るたびいつものことで、私はそれが楽しくて好きだった。何より懐いてくれているのが嬉しい。



 気づくと向井の部屋に入るのは初めてのことで、そう意識すると急に緊張してきた気もする。気を抜くと優衣ちゃんと麻衣ちゃんが乱入してきそうだからと鍵を閉めたことが余計に緊張感を増した。




 失礼にならない程度に見渡した室内は、びっくりするほどシンプルで向井らしいと思った。机とベッドと、オーディオを置いたラックくらいしかない。観葉植物はさすがに丁寧にお世話されているようだ。




「びっくりした、片桐が来てるって聞いたから」

「…うん」

「どうかした?」

 さっき亜美ちゃんがお茶を入れてくれたカップを私に手渡しながら、向井も自分のものに口をつける。受け取ったそれからは、まだ温かい熱が伝わってきた。



「…話…したいことがあって」

「うん」

 今度は向井が頷いた。私をベッドに座らせて、自分は机にもたれかかった態勢で立っている。



「昨日…のことなんだけど」

「うん?」

 少しだけ疑問系になった返事に、私は一瞬だけ深呼吸するように息を吸った。



「昨日、実は…向井が告白されているところを見てしまって」

「…え?」

 さすがにそれには全く気づいていなかったらしく、大きく目を見開く。それを見上げながら私は続けた。

「あの女の子の言ってたことが自分の中で引っかかって…それで映画も…」

「……」

「ごめんなさい」

「……」

 謝罪の言葉に、向井は特に何も答えなかった。ただ、私の言いたいことがそれで全てではないと分かっていたから、続きを待っているようだった。



「引っかかったのは…その言葉が、私自身、身に覚えのあることだったからで…」

「……」

 気を抜くと涙が出そうになり、それをこらえようと思うと言葉が途切れ途切れになる。

「向井を振り回している自覚は、きっとどこかにあって…」

「……」

「…でもっ、私は…まだやっぱり勇気が出なくて…」

 涙はまだこらえられているけれど、鼻の奥がツンとなるのがわかった。

「向井が信用できないわけじゃなくて…心を許せないわけでもなくて…」

 顔が見れずに、私は言いながらも下を向いてしまう。そのせいで、今彼がどんな顔をしているのかは分からなかった。



「ただ私は…まだ自分に自信が持てないから…」

 言葉の続きを飲み込んだと同時に、ついに涙が零れ落ちた。膝の上で握った拳にポトリと冷たさを伝える。

「……」

 その時、向井が無言のままこちらに近寄ってくるのが分かった。その静かな足音にそれでもビクリと肩を震わせた瞬間、私はふわっと彼の腕の中に包まれていた。ぎゅっと抱きしめられて、思わず目を瞠る。




「…いいんだ、それで」

 静かな声が、耳元でそう囁いた。

「俺は、振り回されてるなんて思ってない。第一、今の状況が嫌で片桐に嫌気がさすくらいならとっくにそう言ってる」

 いつも優しく他人に合わせることが上手な向井からは、意外なほどの意志を持った声音。



 それに比例するかのように、私を抱きしめる腕にぎゅっと力がこもった。

「…向井…痛い…」

「ごめん、ちょっと怒ってるから」

 力を緩める気はないらしく、そう言う。



「片桐、俺、待ってるって言ったよね」

 私の髪に顔を埋めて、向井はそう続けた。それは…以前、彼に好きだと言われた時のことを指していた。

「片桐が俺と付き合う気になってくれるまで、待ってるって言ったつもりだったけど」

「……うん」

「痺れを切らして待てなくなるほど、俺の気は短くない」

「………うん」

「それくらい、本気なんだ」

「うん」

 向井のシャツの肩口が、私の涙で濡れていくのがわかる。ぎゅっとしがみつくように背中に腕を回した私は、まるで子どもみたいだっただろう。



「でも…」

 頭を撫でるようにして、向井は少し顔を上げた。至近距離で私の目を見つめながら…微かに笑う。

「待ってる間も、その時不安なこととか考えてることとか…こうやって全部話してくれると嬉しい」

「……うん」

 泣きながら返事をした私に、向井は満足そうに笑うとコツンと額をくっつけた。






 ハルカの、言ったとおりだった。

 全てを話せば受け入れてくれる…向井はそんな人だから。自分の気持ちを素直に曝け出せて、良かったと思う。





 いつか、自分に自信が持てて彼の気持ちに正面から応えられる日がくるだろうか。




 でもきっと、今の私にはそれはそう遠くない将来のような気がしていた。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ