CANDY 4
「…気がついた?」
目を開ければ、そこには見慣れない天井があった。白いそれには、ところどころ少し濃い染みがある。それを覚醒しきらない頭で眺めてから、私は視線を横へ移した。
そこには、白衣を着た校医がいた。どうやらここは保健室みたいだ。なんとなく意識を取り戻しながら、私はどこか冷静な頭でそう認識する。
「貧血ねぇ。クマもできてるし、ちょっと無理したんでしょ」
50代手前くらいのその校医は、「気のいいおばちゃん」といった感じだった。撫でるわけでもなくおでこの辺りに当てられた手が、ひんやりとして心地よかった。
「クラスメイトらしい男の子と2年の春日さんが運んできてくれたのよ」
続けて告げられ、思い出す。そうだ、校舎裏で、マナミ先輩と喋ってて…。
…そして、鈴元くんが……。
「……っ」
思い出しただけで、涙が出そうになってくる。それをこらえようとしたのがわかったからか、先生はクルリと踵を返して机の方に戻った。…見ないように、してくれたんだろう。
「ちょっと落ち着いたら、帰りましょうか。車で送っていくから」
ベッドに横たわったままの私から遠ざかりながら、先生はそう続ける。遠慮しても無駄なことがわかっていたから、私はその言葉に甘えることにした。
それに、今は歩く気力さえあまりない。
力の入らない上半身をなんとか起こして、私は先生に深く頭を下げた。
*****
…一体、今日はなんだったんだろう。
短時間に、色んなことが起こりすぎた。頭がついていかないのに、感情だけが複雑に渦を巻く。
「……」
考えたくなくても、今日の場面場面が思い出される。鈴元くんの顔とか、マナミ先輩の言葉とか…。
…タクミ先輩の、後ろ姿とか。
家に着いて制服のままでベッドに倒れこみ、両手で顔を覆う。涙を必死に堪えていると、喉の奥をツンとした痛みが走った。
届いていなかった私のチョコレートと想い。1ヶ月、その現実も知らずに過ごしていた自分がバカみたいだ。
タクミ先輩に、会わせる顔なんてない。
でも、一番辛い気持ちを抱えている今…。
「…会いたいよ…」
矛盾した想いを呟くと、独白は部屋のひんやりとした空気に溶けて消えた気がした。
胸中が混濁した気持ちで飽和状態になる。顔を覆っていた手を胸の辺りにやって、締め付ける痛みを和らげるためにギュッと制服をつかんだ。
…その時、だった。
「……?」
鞄の中から、携帯電話のバイブ音が聞こえた。まだ力の入らないけだるい手でそれを取り上げると、そこには真帆の名前がある。
心配して電話をかけてきてくれたんだろうか。ベッドに座りなおして、私は通話ボタンを押した。
「……はい」
『あ、ハルカ?』
出ないと思っていたんだろうか、真帆は少し驚いたように私の名前を読んだ。
うん、と小さく答えると、真帆は一番に私の体調を気遣う言葉をくれる。なんとか「大丈夫」と声を絞りだして、私は彼女を安心させようとした。
『そっか、倒れたって聞いてびっくりして…』
「うん、ごめんね」
もう大丈夫だと嘘をつくと、真帆は遠慮がちに『そんな時に悪いんだけど』と言葉を継いだ。その声がただごとじゃない響きを含んでいる気がして、私は先を促す。
『ちょっと華江が大変なことになってて…』
「え?」
一瞬何を言われたのかがわからなくて、私は小さく聞き返した。
『電話じゃ話せない内容なんだけど…ホントにごめん、今から出てこれないかな?』
申し訳なさそうな真帆の声が、電話越しに私の耳に届く。
『もちろんハルカも今体調よくないし、うちらがハルカの家の近くまでいくから…。実は今、ハルカの家から一番近い公園まで来てるんだけど…そこでどうかな?』
確かに真帆の言うように、体調だって良くないし今は何をする気力もない。華江に何があったかわからないけれど、今の私で力になれる気もしない。
でも、あの華江に何かがあったなんて…ただごとじゃない気がした。
「…わかった。今からいくね」
真帆を安心させようとできるだけいつも通りの声で、私は答えた。
ボタンを押して、真帆との通話を終わらせる。立ち上がって皺になった制服を手で伸ばしてから、私は部屋を後にした。
******
「……」
外はもうすっかり暗くなっていた。そのせいか、公園は全く人の気配がない。それほど大きな公園ではないけれど、夜になると不気味さからかかなり広く感じてしまう。慰み程度の街灯が、切れる間際なのか何度も点滅を繰り返している。
「…あれ…?」
公園の中、全体を見渡せそうな砂場の近くに来てみたけれど、どこにも2人の姿は見えない。先に来ているはずなのに…、そう思って、私はもう一度ぐるりと辺りを見渡した。
ちょうどその時、手にしていた携帯が着信音を鳴らした。真帆からのメールだった。
「……」
そこに書かれている一言に、私は思わず目を疑って絶句する。
『ハルカ、騙してごめんね』
騙す……?一体、どういうこと?
わけがわからずにしばらく頭が真っ白になったせいか、私はそんな自分に誰かが近づいてきてることになんて気づかなかった。
目の前に一つの影が落ちて、携帯を見ていた視界が暗くなる。
バッと顔を上げた私に、その誰かが小さく呟いた。
「……こんばんは」