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Sweet&Cool  作者: みずの
Side Story
48/57

ハルカの友達、華江と向井くんの出会いの話です。


時系列としては「cool」の「birthday」辺りと同じくらいの時期です。


「俺とさぁ、付き合って欲しいんだよね」

 目の前の男が発したそんな一言に、私は思わず相手にバレない程度に眉を顰めてしまった。




 彼の名前は、金村隼人といった。

 他人にあまり興味がなくクラスメイト(特に男子)の名前を半分も覚えていない私は、それでもこの男の名前はしっかりと覚えている。高校に入ってから同じクラスになったことはなかったが、何の縁からか小学校から同じ学校に通っている男だった。小学校・中学校の頃は、何度も同じクラスになったことがあったはずだ。


「片桐さぁ、すげぇ美人になったじゃん。ちょっと見直したっつーか」

 金村は私の内心になど気づく様子もなく、ただ笑いながらそう続ける。少し照れながらのその言葉が…声にならないくらい私にとっては気持ちが悪い。



「ごめんなさい」

 間髪入れずに、私はニッコリ笑ってそう答えた。神妙な面持ちで返事をする気になんてなれず、むしろ顔には極上の笑顔を浮かべてやる。そうすると今度は、相手が眉を寄せる番だ。



「私、今誰とも付き合うつもりないの」

 はっきりと言い切って、私は少し首を傾げてみせる。「それと」と言葉を繋げて、思ってもみない返事を受けて面食らった彼をまっすぐに見上げた。

「興味ないから、あなたに」

 自分でも残酷なセリフを吐いて、私は身を翻してそのまま歩き出した。




 誓っていうけれど、普段はこんなに手ひどく人をフッたりしない。いつもなら申し訳なさそうに、丁重にお断りをする。そうすれば後腐れを起こすことも、変な行動に出る男もいなかった。だけど今回は、私の中では勝手が違っていたのだ。




 …金村は、小学校の頃から私をいじめていた主犯格だった。


 その頃の私は、子どもにしてもかなり太っていた方だった。それが原因にもなって性格も内向的、いじめられる格好の的だったに違いない。誰かが始めたそのいじめは、やがてクラス内に伝染していった。

 もちろん味方になってくれた子たちもいたけれど、それはごく少数だった。新しい標的が現れるまで…私は何年も、それに耐えなければいけなかった。



 今思い出しても、苦い過去だ。負わされた傷は癒えることはないし、忘れることもできない。助けてくれた人たちの笑顔に幾分か救われることはあっても、それで全て帳消しになるわけもなかった。



 それが、高校に入って環境がガラッと変った。中学の途中から、県内でも有名な進学校へ進むための受験勉強によって、私はストレスで急激に痩せた。人よりあった体重は女子高生の平均よりも少なくなり、街を歩けば男の子に声をかけられるようになった。決してうぬぼれるわけじゃないけれど、周りの私を見る目がかなり変わったのがわかった。




 私の内面は、全く変わっていないのに…。


 見た目が変化しただけで、私に対する評価や印象は以前のものと180度違った。


 そんな人たちは決まって、私の本心や本当の性格になんてきっと興味がない。外見から受ける印象だけで、こちらの全てを理解した気になっているだけだ。




 だからこそ、私はごく一部の友人を除いては他人を信用することはおろか、興味すら持てないでいる。



 金村も、例外ではなかった。



 高校に入ってからやたらと好意的に話かけてくるこの男に、私は内心でうんざりしていた。そして1年の3学期に入った今、彼は私が嫌がっていることに気づきもせずに告白をしてきて…。


 …ほら、それがいい証拠。私がどう思っているのかなんて考えようともしていない。



 金村はルックスも良い方だし、頭だって運動神経だって良い。恐らく、断られるなんて思っていなかったんだろう。

 私からしたら、あんなことをした相手によく告白できるなと逆に感心させられるのだけれど…。恐らく、金村にとったら私をいじめていたことなんて大したことじゃなかったのかもしれない。



「……」

 愛を告白されたはずなのに、気分は憂鬱を通り越して不愉快だった。顔を顰めて、私はそのまま呼び出された裏庭を後にした。




******



 気分を害したまま家に帰ると、母親が待ってましたと言わんばかりに出迎えてきた。いつもなら「お帰り」の一言で済まされるはずのそれがやけに丁寧なので、何となく嫌な予感がする。

「何?」

 苦笑い気味に聞くと、母は「お願いがあるのー」とやはり予想通りに両手を顔の前で合わせた。



「今日の夜お父さんの会社の人がうちに来るから、その準備してるんだけどね…」

 父は、よく急に同僚やら後輩やらを連れてくる。料理が得意な母もそれを嫌がることもなく、いつもお客様をきっちりともてなしていた。しかし、母が完璧にもてなせばもてなすほど、私にとっては迷惑なこともある。居心地をよくした彼ら客人が、何かというと集まる場所にうちを選ぶのだ。静かに部屋で過ごしたくても、階下から聞こえてくるドンチャン騒ぎが迷惑なことも少なくない。


「部屋に飾るお花がなくってね」

「花なんか別にいらないでしょ。どうせ夕飯食べに来るんだから」

「そういうわけにはいかないわよぉ」

 最近お客様なんて来ていなかったから、家の中はキレイに片付けられてはいるが殺風景だった。それがどうしても気になるらしく、母は「お願いっ」とエプロン姿のまま少し甘えたような声を出す。「…仕方ないなぁ」と呟くと、パァっと顔を明るくした母に財布を持たされた。



「○○町のお花屋さんに、電話で頼んであるから取ってきてね」

 言いながら準備よく用意されていた店までの地図を手渡され、私は思わず顔を顰める。

「『○○町』!?結構遠いじゃない!」

「大丈夫よー、自転車で行けば15分くらいでしょ」

「花なんか近くで買えばいいのに」

「そこの花屋さん、安いしキレイだしサービスいいのよねぇ。お母さんいつもそこで買ってるのー」

 もうすぐ40歳になるくせに、母は時折こうして甘えた声を出す。しかしそれがわかっていても断れないのも私の常だった。ため息まじりにその地図も受け取り、再び玄関を出る。


「華江、よろしくねー」

 笑って手を振る母に吐息まじりの一瞥を返して、私は休む間もなく自転車に乗った。





 母が書いた地図は少し分かりにくく、5分ほど近くをさまよってしまった。それでも何とか辿り着いた花屋さんは、確かに言われた通りとてもおしゃれな店構えだった。それほど大きくはないけれど、木の造りに温かみを感じさせられる。結構繁盛しているらしく、店の名前とメモに書かれたそれを見比べている間だけでも何人かのお客さんとすれ違った。



「ありがとうございましたー」

 出て行くお客さんと入れ違いにドアを開けると、中から男の店員の声が聞こえる。男の人の声がするのがどこか意外で何となく顔を上げると、そこにいた店員と目が合った。180センチ以上はありそうな長身が、かわいらしいこの店とのギャップを感じさせる。それでもそのギャップは決して嫌なものではなく、逆に客を引き付ける印象があった。


「あれ」

 そんなことを思いながらその店員を観察していると、向こうがニッコリ笑ってそう声を上げた。

「いらっしゃいませ。片桐、うちの店に来るの初めてじゃない?」

 人の良さそうな…いやむしろお人よしすぎるほどイイ人そうな顔をした彼は、人好きのする笑顔でそう続ける。その言葉にわずかに目を見開いてみせて、私は小さく首を傾けた。

「…ごめんなさい、どこかで会ったことあったかしら」

 瞬間的に観察しながら、私は相手の気分を害さないようにできるだけ控えめにそう尋ねる。私の苗字を呼んでいるのだから、会ったことのない人物なはずはないのだろうけれど…。



「同じクラスなんだけど…やっぱり知らなかった?」

 私の問いに彼は気を悪くした様子もなく、再び笑う。言われて、そういえばと思い出す。名前はやっぱりわからないけれど、同じ教室で見た顔だった。それによく見れば、彼がエプロンの下に着ているのは私の学校の制服だ。


 長身ではあるけれどもガタイが特別いいわけでもなく、ひ弱な感じでもなく…ごくごく普通の男子高校生といった感じだ。多分、クラスでもとりわけて目立つ方じゃないんだろう。いい意味でも悪い意味でも、目立つ存在ならさすがの私も顔と名前くらい一致する。



「やっぱり、片桐ってクラスメイトの名前あんまり覚えてないんだ?」

 悪びれもせず、こちらの痛いところをついてくる。曖昧に笑って返すと、彼は「…それ」と苦笑いを浮かべた。


「教室で、いっつも思ってた。片桐はいつも笑ってるけど、心から笑ってない気がする」

 思わぬ言葉を続けられて、私は自分でも無意識のうちに笑顔を消してしまう。無表情に戻り、「…作ってるって言いたいの?」と小さく口にした。


 尋ね返された彼は、笑って小さく頭を振る。

「そうは言わないけど。夏川とか、仲の良い子とは本当に笑ってるように見えるし。…ただ…『作ってる』というより…『武装』してる感じ」

 エプロンの中に手を突っ込んで、彼はそう続けた。

「『私の中に入ってこないでー』ってね」

 彼はそこで冗談っぽくウィンクして見せたけれど、私は笑えなかった。図星を突かれて、ただ言葉を失う。



 いつの間にかうまくなっていた仮面の笑顔の正体を、面と向かって暴かれたのは初めてだった。



「ごめん、変なこと言って」

 私がただ表情を消して立ち尽くしたのに気づいて、彼はまたフッと柔らかい笑みを浮かべて見せた。それから、「それより…」と一度店内をぐるりと見渡してから視線を再び私の前で止める。

「どういう花、買いに来たの?」

 尋ねられて、私はようやく我に返ったようにハッと目を見開いた。



「…あの…母が電話で予約をしていると思うんだけど…」

「あぁ!あの常連の『片桐さん』って、片桐のお母さんだったんだ」

 すぐに分かってもらえるくらい、母はよくここに来ていたんだろうか。意外にミーハーなところのある母のことだから、この花屋さんが「安くてキレイ」という理由だけで買いに来ているわけではないんじゃないかと今なら思う。



 「待ってて」と言い置いて、彼は店の奥に用意しているらしい花を取りに行った。その間に店内を見回してみたが、数人いる店員さんは皆接客中なくらい取り込んでいる。彼がこういうカワイイお店をバイト先に選ぶ辺り、なんだかおかしくなって私は口元を緩めてしまった。

 思わず笑ってしまったその瞬間、戻ってきた彼がそれに気づいて小首を傾げる。

「何か面白いことあった?」

 聞きながら、彼は私に合わせているのか笑っていた。

「ううん。こういうカワイイお店でバイトするんだな、と思って」

 正直に思ったことを言うと、彼は「あぁ」と小さく頷いてみせる。

「中にはバイトの人もいるけど、俺はここの店の跡取り息子だから」

「えっ、そうなの?」

「うん」

 素直に驚くと、彼は笑ってコクリと頷いた。それから、母が予約していたらしい大きな花束をカウンターに置く。



 言われた金額を財布から出して払うと、彼は店の出口まで促してくれた。扉を開いたところで「ありがとうございました」と花束を手渡される。終始笑顔で見送ってくれる彼に「こちらこそ」とよくわからない返事をしてしまいながら、私は再び自転車に乗った。



「あの…」

 自転車を漕ぎ出そうとしたその瞬間、少しだけ思いとどまって私は遠慮がちに声を出す。

「?」

 相変わらずニコニコ顔の彼が無言で先を促した。改めて言うには勇気が必要な一言を…私はなんとか絞り出す。

「…あなたの、名前…」

 それだけ言うと、彼は「あぁ」と声を出して頭上の看板を指差した。


 それを見上げて、私はそこに書かれた店の名前を読み上げる。

「『むかい』…くん?」

「そう。向井直です」

 そう言って笑う彼の表情は、作り物の私とは違う…本物の笑顔だった。




******



 家に帰って、花束と一緒に財布と地図を母親に返した。そのまま部屋へと戻り、私はベッドに倒れこむ。


 …不思議な男の子だったな、と、感じた印象と共に脳裏をあの笑顔がよぎった。



 過去に受けた傷から、内面を他人に曝け出さないと決めてうまくなったはずの「作り笑い」を…。難なく暴いてしまった彼に、少し興味を持ったのかもしれなかった。





 翌日の学校、私はいつも通り余裕のある時間に登校した。昇降口で上履きに履き替えてから、教室までの道のりを歩く。その間に何人かに声をかけられて、私は笑顔でそれに応えた。

 …あの彼に、「武装」と言われた作った笑顔で…。



 教室に着く数メートル手前で、逆に教室から出て行く男子数人とすれ違う。HRまでまだ時間があるから、どこかへ行くのだろう。その中に昨日のあの向井くんの姿を見つけて、私はふと視線で追った。


 男友達と話しながら、彼は昨日の笑顔で笑っている。そして私の視線に気づいたのか、一瞬だけ目が合った気がした。「おはよう」と声をかけられるだろうか、と思った。あの、人の良い温かい笑顔で…。


「……」

 だけど彼は、そのままふと視線を逸らして行ってしまう。友達と笑い合いながら、私とすれ違って背を向けてしまった。



 …何で…?


 ズキリ、と、自分のどこかが痛んだ気がした。昨日は、あんなに優しく笑って話してくれたのに………。


 そう思った瞬間、私は自分でも無意識のうちに後ろを振り返っていた。



「向井くん!」

 大声で呼んだ私の声に、彼と同時に彼の友達も驚いてこちらを振り向いた。




******



 呼び止めたはいいもののギャラリーがいると話が切り出せない私に気づいたのか、向井くんは誰もいない裏庭に私を連れて行った。

「何か話?」

 こちらの思いになんて気づいていないのか、彼は小さく首を傾げながら尋ねてきた。


「…どうして…無視したの」

 言いにくい言葉を絞りだすように言うと、向井くんは「無視?」と怪訝な表情で私を見つめ返す。真正面から見据えられて、私は何だかいたたまれない気分になってきた。昨日の件で少し近づけたと思ったクラスメイトだったのに…突き放された気分だ。


「さっき、目が合ったのに挨拶もしないで行っちゃったから…」

 言いながら、私は何となく向井くんの顔を見れずに視線を逸らしてしまう。だけれどそんな私の頭上に、「片桐」と柔らかい響きを含んだ声が降ってきた。


「片桐から挨拶されてたら、ちゃんと返してたよ」

 そんな言葉に顔を上げると、少し苦笑い気味の彼と目が合う。言われてから、気づいた。私だって挨拶もしないですれ違っただけだったことに。


「…嫌かもしれないと思ったから、俺からは声かけなかった」

 続いたそんな言葉に、私は眉を寄せる。1月の冷たい風が髪をかき乱していったけれど、それを撫で付ける余裕も今の自分にはなかった。


「…どういうこと?」

 聞き返すと、向井くんは再び少しだけ笑ってみせた。さっきの苦笑よりは…昨日の優しい笑顔に近い。



「片桐は、他人と深く関わることが嫌なんだろ?」

 尋ねるというよりは確信した様子で、向井くんはそう口にした。

「本当の自分を知られるのが怖い?他人を遠ざけようとするのはそういうことだよね」

「……」

 私より20センチほど高い顔を見上げて、黙したまま私はそんな言葉を聞く。


「誰にでも笑顔で、誰にでも好かれて…だけどそうしてでも他人と関わりたくないのは、傷つけられたくないから?」

 図星を指されて、私は更に口ごもった。確かに、他人と関わりたくないだけなら冷たい態度を取ればいい。そうすれば嫌われて、誰も私になんて寄り付かなくなるだろう。だけど私は…他人を信用できないくせに、やっぱり嫌われるのは怖がってる。それは昔いじめを受けていた「傷」に他ならなかった。



「うぬぼれるわけじゃないけれど、そんな片桐に気づいた人間は多分少ないと思う。…だからこそ、片桐は俺と関わることを嫌がるんじゃないかと思った」

「……そんな…」

 そんなことない、と言いたかったけれど、私はそれを言葉にできなかった。彼の言うことは本当だったからだ。

 私は、たった2人の親友以外に素を曝け出すことはできなかった。むしろ、「武装」に気づかれるわけにはいかなかった。

 過去の傷から自分を守るためには、それしかなかったからだ。



 だから、それに気づいた人とは関わりたくないと思っただろう。


 気づいたのが、この人じゃなかったなら…。



「……」

 そんな自分の中を満たす思いに、私は気づいてしまった。

 …そうだ、この人じゃなかったら…私は自分の全てを暴いてしまう人間とそれ以上付き合いたいとは思わなかった。

 それでも向井くんに対してそう思わなかったのは…彼の優しさに、触れたからかもしれなかった。



 この人は、私のことをよく分かっている。分かった上で、私の望むように接しようとしてくれている。だからこそ自分からは声をかけなかったんだろうし、私が二度と関わりたくないと思えばきっと二度と話かけてなどこなかっただろう。



 今まで、こちらの本音など見向きもせずに接してきていた人たちとは完全に異色だった。



「向井くんは……別よ」

 ようやく言えた一言は、そんな気の利かない答えだった。その言葉に、向井くんが少しだけ眉を持ち上げて私を見下ろす。

「…これからは…声かけるわ」

 言うと、向井くんは「そう」とニッコリ笑ってくれた。



「それにしても…どうして私のこと、そこまで分かるの?」

 洞察力が鋭いだけじゃない気がする。頭の回転が良いのもあるかもしれないけれど、ここまで空気を読んでくれる人も珍しい。

「『どうして』?」

 まるで自問するように、向井くんは私の言葉を復唱した。それから、フワッとした柔らかい笑顔を浮かべる。



「ずっと見てたからかな」



 言われて、「え」と私は大きく目を見開いた。その言葉の意味がよくわからず…理解しようと頭の中を色んなことがよぎる。それでも核心に触れる答えが自分で得られず、「それって…」と彼に聞きなおそうとした。そうして顔を上げた…その時、だった。



「片桐!」

 向こうの方から、一つの影がやってくる。向井くんと共にそちらを振り返ると…こちらへ向かってくる影はあの金村隼人のものだと気づいた。



「探したんだぜ。こんなとこにいたんだ」

 何でこんなところにこいつが…と私が思うより早く、行動したのは向井くんだった。私と金村を見比べて、何事かを察したように目線を移動させる。

「…じゃあ、俺は」

 金村のただならぬ雰囲気を汲み取ったらしく、向井くんはそこを離れようとした。気を遣ってくれたのは分かったけれど、この時ばかりは嬉しくない。



「なぁ、やっぱり俺と付き合おうぜ」

 向井くんがそこの場を後にするより早く、聞かれても構わないと思ったのか金村が私に近寄ってきた。途端に湧き上がる嫌悪感。昨日と同じ黒い感情が、渦を巻いて自分の中を駆け巡っていく。

「あれから考えたんだけど…俺に興味がないなんて、ちょっと強がっただけかな、って」

 …吐き気がする。どこまで自信過剰なのか。どこまで自分本位なのか。どこまで私のことを理解していないのか。

 いつも張り付かせる笑顔を作る余裕なんて、なかった。ただ目の前のこの男を、過去のいじめられて耐えるしかなかった辛い思いと共に完全に拒絶する。

「冗談じゃないわ」

 気づくと、自分でも無意識のうちにそんな言葉がポロリと零れ落ちていた。


「…なに…?」

 金村が、目を剥く。サッと表情が変わるのがわかったけれど、私はそれに臆することなく彼を睨み上げた。

 それから、吐き捨てるように続ける。

「どこまで自意識過剰なの?私があなたに興味を持ってるとでも思った?あなた私に昔何をしてきたか自分でわかってるの!?」

 まくしたてるように言うと、金村がカッとなったように眉を吊り上げた。ついにあちらも何かの糸が切れたのかもしれない。

「…調子に乗んなよ」

 呟く声が地を這うように低い。

「人が下手に出てりゃ調子に乗りやがって」

 金村の言葉に、私は「やっぱり」と心の中で思う。最低な人間は、どんなに取り繕ったって最低でしかなかったんだ。


「お前何様?デブでブスで救いようがなかったくせに。俺が付き合ってやるって言ってんのに『冗談じゃない』って?ちょっと外見が良くなっただけで調子に乗ってんじゃねぇよ」

 どうして、こんなセリフが吐けるんだろう。いじめられていた時もそう、彼らは、どうしてこんな言葉を人に突きつけられるんだろう。相手に心があることを、もう既に失念してしまっているのだろうか?


「…くだらない」

 金村の長いセリフに私が返せた言葉は、唯一それだけだった。

 ただそれが、私のこいつへの本心を端的に表した言葉だった。


「っ」

 それを聞いた金村の行動は早かった。瞬間的に拳を振り上げるのが、私の目に映る。そしてそれを振り下ろされると思った刹那、私は思わず目を固く瞑ってしまった。

「…っぅ」

 ガッと鈍い音がして、金村の拳の重さを物語った。

「…?」

 だけど私は、音がしたのに自分が全く痛みを感じていないことに気づく。そうして目をゆっくりと開いた時、私が見たのは目の前に立ちはだかる大きな背中だった。



「向井…っ」

 私をかばってくれたらしい向井くんを見て、金村が驚いてそんな声を上げる。行ってしまったと思っていた彼は、金村のただならぬ気配を感じて見守っていてくれたのかもしれなかった。

 口の端から血を滲ませた向井くんは、まっすぐに金村を見据える。睨むわけでもないけれどそのどこか静かな迫力をたたえた瞳に、あいつが一瞬ひるんだのがわかった。

「ちっ」

 舌打ちまじりに踵を返し、金村は早々に走り去ってしまう。それを、向井くんはあいつの後ろ姿が見えなくなるまで黙って見据えていた。


「…痛い」

 ポツリと彼が笑いまじりにそんな言葉を零したのは、あいつが完全にいなくなってからだった。その場に腰を下ろしながら、苦笑い気味に唇から流れる血を拭う。

「大丈夫っ?」

 同じようにその場に膝をついた私は、慌ててポケットからハンカチを取り出した。それを彼の口元に当てようとしたけれど、「汚れるからいいよ」とやんわりと手ごと拒否される。そんなこと気にしている場合じゃないとか言いたいことはいっぱいあったけれど、意外に頑固なところがあるらしい向井くんはそれでもハンカチを受け取らなかった。

「じゃあせめて、保健室に…」

 彼の手を引っ張って立たせ、私はまだ保健医も出勤してきていない保健室へと向かった。




******



 向井くんを椅子に座らせ、私は手際よく手当てに使う物を揃えた。消毒液を浸したコットンを血の流れる口元に押し当てると、彼が「いてて」と眉を寄せる。

「歯くいしばらなかったの?」

 ケンカ慣れなんて当然してなさそうな彼に、私はそう尋ねた。

「そんなこと考えてるヒマなかった」

 答えて笑う彼の様子から、私をかばってくれたのも頭で考えてのことじゃなかったのかもしれないと思う。無意識に、動いてくれていたんだろうか。この優しい彼のことだから、それは十分ありえることだった。


「……」

 そう思うと、自然と目の奥が熱くなっていくのがわかった。泣きたくなんかないのに、自分の意志に反して視界が潤んでいく。消毒液を手にしたまま雫が零れ落ちた瞬間、向井くんが少し驚いたように目を見開いた。それから、少し慌てたように立ったままの私を見上げる。

「あ、さっきの金村…?」

 少し見当違いなことを言っても、彼はそれでも私を気遣う目をしていた。

「あいつの言ってたことなんて気にすることない」

 なぐさめてくれているらしい向井くんは、真剣な面持ちで私を見上げている。それを見て、私は泣きながらだけど少しだけ笑ってしまった。

「違うの」

 小さく首を振りながら、私は否定する。


 涙が出たのは、金村に言われた心ない一言なんかのためじゃなくて…。私のせいで代わりに殴られてしまった向井くんの優しさに触れたからだ。でもそれを言葉にして伝えようとすればチープなものになってしまいそうで、うまくいかない。

 声にならないまま具体的な答えを返せずに、私は変わらず零れ落ちる涙を止めることもできなかった。



「……」

 そんな私の手をクイと向井くんが引いたのは、その一瞬後だった。泣き止まない私は引っ張られて、ごく至近距離に彼の目を見た。まっすぐに見つめてくるその眼差しに射抜かれそうな感覚に陥ったその次の瞬間、何かが唇を掠めていく。

「……」

 消毒液とわずかに残った血の匂いがして、つまりはそれが彼の唇だったのだと気づくのには少し時間がかかった。



 少し触れるだけのキスをして、向井くんは私の手を離した。


「………なんで……?」

 混乱しそうな頭でやっとそれだけ声にすると、彼は小さく首を傾げてみせる。

「『なんで』?」

 私の言葉を復唱して、その答えを自分の中で整理しているようだった。



「好きだから、かな」



 まるで何でもないことのようにサラリと言われて、私は瞬間的に自分の顔が赤くなるのを感じる。それを見て、向井くんは「ははっ」と可愛らしい笑顔で笑ってみせた。



 その表情に、気づかされる。きっと私も、この人のことが好きなんだと…。

 そしてそれも、敏いこの人のことだから気づいてくれているのかもしれない。



「向井くん、あのね…」

 頬が熱くなるのを感じながらも、私はそれを手で押さえて口を開いた。気づくと涙はすっかり止まってしまっている。


「私には昔自分を救ってくれた親友がいて…、彼女は今、幸せになろうとして頑張ってるの」

 急に話を変えた私だったけれど、向井くんはそれでも面食らった様子もなくただ私の話に耳を傾けてくれる。

「くだらないと思われるかもしれないけど…彼女が幸せになって好きな人と笑える日まで、私は誰とも付き合わないって決めてるんだ」

 はっきりとそこまで告げると、向井くんはただ私を見上げていた。その真摯な眼差しに…一瞬不安になる。

「バカみたいでしょう?彼女の幸せと自分の幸せは別物なのに……」

 それでも、自分はそういう生き方しかできないんだ。自分を救ってくれた彼女の幸せを一番に願う、そんなやり方しか知らない。他人から見たら呆れられる考えかもしれないけれど。



「…いや」

 しばらくの沈黙の後、向井くんは静かに口を開いた。それから、あのいつもの笑顔を向けてくれる。

「俺はそういうの…なんかイイなと思うけど」

 その一言に、少しだけ私は安堵した。いつでも彼は、こちらの欲しい言葉をくれるんだ。



「だから…それまでは……」

 言いにくくて言葉を濁らせた私に、彼は変わらない笑顔のまま小さく頷いてくれた。

「うん。待ってるよ」

 その温かい微笑みに、自分の中を今まで知りえなかった感情がゆっくりと満たしていくのを感じる。決してそれは嫌なものではなく…むしろ、私の心を包み込むように広がっていった。




 こうして、私と彼の少し不思議な関係が始まったのだ。






ハルカがタクミを追い回して(?)いる間、実は裏ではこんなことがあったのではないか、と…。

ちなみにハルカも真帆もこの事実は全く知りません(苦笑)


華江と向井くんの、お互いがお互いのことを好きだと分かってて、恋人同士みたいな空気感を出してるのにそれでも付き合ってないという関係性がなんだか気に入っていたりします。

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