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Sweet&Cool  作者: みずの
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Link 26  side:Haruka


 どれくらい切望していただろう、その声を。


 数えたってキリはないのがわかっていたから、実際にそうしたことはないけれど。




 それでも今カーテンの向こう側にいるのは紛れもなくタクミ先輩で…。私は胸がドクンと跳ね上がるのと共に、泣きたい気分に駆られている自分に気づいた。




「タクミ、ごめんな。やっぱり俺そっち行って手当てするよ」

 また違う人の声が外側から聞こえてくる。話ぶりからして、どうやらその人が原因でタクミ先輩が怪我をしたようだ。

「だーいじょうぶだって、幸田。タクミがあれくらいでどうかなると思うか?」

「いや、だって結構血出てるし」

「大丈夫大丈夫。あんなもん自分で舐めてりゃ治る」

「……利き腕のしかも後ろ側をどうやって自分で舐めればいいのかわかんないけど?」

 幸田先輩という人を庇ってなのか軽口を叩くもう一人の人に、タクミ先輩が笑いながら中から応戦していた。そのタクミ先輩の軽い物言いが、言外に「気にするな」と幸田先輩に言っているようにも聞こえる。それに安心したのか、彼らは「じゃあな、早く戻って来いよ」と言い残して保健室の窓を閉めていった。



 そして再び訪れた、保健室内の静寂。道具の音だけが、カチャリと響く。



 その音に耐え切れず、私はそっとベッドを抜け出した。物音をさせないようにカーテンを少しだけ開けると、そこにこちらに背を向けたタクミ先輩がいる。

 2週間ぶりくらいに見るその背中が、何だか胸を締め付けてきた。そしてその次に目に入ったのは、さっきの先輩の言葉通り、右腕の後ろ側の大きなすり傷。確かに自分では手当てをしづらいところらしく、別段不器用ではないはずの先輩も少し苦戦しているようだった。



 その姿に、何かがフラッシュバックする。…いや、そう言うと言葉は正確じゃないかもしれない。あの時、怪我をしていたのは私の方だから。




「……」

 そう思った瞬間、私はそっとカーテンから外へ抜け出ていた。静かに物音も立てずに先輩に近づき、大きく深呼吸する。再び息を吐き出してから、私は決心を固めて声を出した。

「…やりましょうか、それ」

 かけた声にギョッと驚いた先輩が、振り向いて更に私だと気づいて目を見開く。



 私の気配には、全く気づいていなかったらしい。しばらく思考が停止したように静止していた彼は、やがて頭の中で何かを処理したらしく目の色を驚きから正常に戻した。


 先輩に最後に会ったのは、私が長谷川くんに映画に誘われていたところを見られた時。あの時先輩は、私の方は完全に見ないまま背を向けて去っていった。



 …あの時みたいに、無視されるんじゃないかと怖かったのも事実だ。



「……」

 だけど先輩は、私の決意に満ちた顔から気迫負けでもしたのか、フッと柔らかく笑って見せた。

「お願いするよ」

 手にしていた消毒液を私に差し出しながら、先輩はそう呟く。




 身長差があるから、先輩はそこにある椅子に座った。その後ろ側から消毒液を塗り、滲んだ血を拭き取る。そうしながらも内心では逸る鼓動を抑えるのが必死で、先輩にその音を聞かれたくなかった。


 できるだけ平静を装いながら、私は手当てに集中する。そんな空気を感じ取ったのか、先輩がふと小さな呟きを漏らした。

「逆かな」

「…?」

 言葉の意味が瞬時には汲み取れず、私は先輩の後ろで小さく首を傾げる。それが分かったのか、少しだけ口元を持ち上げて先輩は続けた。

「いつかの」

「!…」


 先輩も、覚えてくれていたんだ。初めて先輩と出会ったのが、この保健室だったということ。そして自分での手当てに苦戦していた私を、先輩が助けてくれたこと。


 あの時に先輩のさりげない優しさに触れて…私は好きになった。それからずっと追いかけ続けてきたことが思い出されて、私はまた泣きたくなる。



「ありがとう」

 手当てを終えて大きなガーゼを貼ると、先輩は使った道具を私の手から回収しながら片づけを始めた。それを手際よく元の場所に戻しながら、ふとこちらを振り返る。

「で、何でこんなところにいたの?具合悪い?」

 聞かれて、私は自分が貧血気味でここへ来たことをようやく思い出した。先輩に会えた緊張で…そんなことどこかへ吹き飛んでしまっていた。



「あ、あの…さっきまでちょっと貧血で寝かせてもらってたんです」

「そう。大丈夫?」

「はい」

 笑って答えて元気さをアピールすると、先輩も少し微笑み返してくれる。その笑顔に、また胸がどこかで痛んだ気がした。



「じゃあね、ありがとう」

 片付け終えた先輩は、もう一度礼を言って片手を上げて私に向けて笑う。そして呆気なくそのままドアを開いて、廊下へと踏み出した。

 ガラ、とドアを静かにスライドさせて、ゆっくりとそれが閉められる。遠ざかっていく先輩の足音を聞きながら、完全に遮断された別世界に取り残されたようで…私は気づくと両の目から大きな雫を零していた。




 そんな胸を締め付けるのは、先輩の優しい笑顔。そしてそれがもう特別な意味で私に向けられることは二度とないのだという切なさ。それと同時に、さっきの白石さんの笑顔を思い出す。

 今日の朝タクミ先輩が彼女にイエスの返事をしたのなら…先輩の笑顔は、もう彼女のものなのだ。



「~っ」

 そう気づいた時には、涙はもう自分では止められなかった。嫉妬したって羨ましがったって、彼が自分のところへ来てくれることはもうないのに…。


 後悔していないと言いつつ、あの七夕祭りで彼の言葉を遮ったことを私は一生傷として癒せないままなのかもしれない。全ては、もう遅すぎたのだけれど。



 できれば、先輩が私の目の前で誰かの手を取るところなんて見たくない。それでも彼が卒業するあと一年弱の間に…私は確実にそれを見ることになるんだろう。白石さんが彼女になったのなら、尚更だ。



「……いや」

 それだけは、絶対に。自分にはそんな資格はないと言い聞かせてきたくせに、やっぱり私は先輩には誰の手も取ってほしくない。我儘だということはわかっている。

 それでも……。




「…っ」

 考えるより先に、体が動いていた。先輩が出ていったドアの方へ、勢いよく走り出す。そうしてそのドアを横へ開いた時、私は零れ落ちそうなくらいに目を大きく見開いた。




「…先輩…」

 丁度戻ってきたところだったらしい先輩も、ドアを開けようとした瞬間だったらしく驚いたように目を瞠っていた。




******



「忘れ物…ですか?」

 ボロボロ泣いている顔を見られてしまって、私はそれを拭いながら尋ねた。

「うん?…うん」

 よく掴めない曖昧な返事をしながら、先輩は小首を傾げる。それから、少しだけ心配そうな表情で眉を寄せた。


「君は?具合悪いのに勢いよく飛び出そうとしてたみたいだけど」

「……私も…忘れ物…みたいなものです」

 口ごもるように答えると、先輩は更に「ふぅん?」と訝しげに首を捻る。それはそうだろう。今の私の返事は自分でも意味不明だ。



 そんな曖昧さをごまかすように、私は「それより」と再び一歩保健室の中へ戻った。

「先輩の忘れ物って、何ですか?」

 取ってあげようと思い保健室の中を見渡したけれど、どこにもそれらしい物はない。

「?」

 返事のない後ろを再び振り返ると、先輩はいつもの読めない無表情で廊下側からこちらへ一歩踏み入ってきた。後ろ手にドアを閉めながら、「…実は」と小さく切り出す。



「話しておきたいことがあったから」

 続いた彼の言葉に、私は思わず目を丸くした。…それは……私に、だろうか?当たり前のことなのに、あえてそんな疑問が頭をよぎる。



 そして予感した、その先輩の「話」…。もしかしたら、白石さんと付き合うことにした…とか言われるのだろうか。



(嫌だな…)

 それは、嫌だ。内心で苦い思いを噛み潰しながら、私は顔を俯かせた。



「俺の話なんてもう聞きたくないかもしれないけど…」

 俯いた私とは違い、先輩はまっすぐこちらを見ているのが分かる。だからこそ、私は顔が上げられずにいた。



「最後に、聞いてほしいんだ」

 そんな言葉に、「あぁ、やっぱり」と漠然と思う。

 最後に、ちゃんと報告してくれるということなんだろうか。マナミ先輩と別れて、白石さんと付き合うことにした…って。



「ずっと、君に謝りたいと思ってた」

 耳を塞ぎたいくらいの気分だったけれど、先輩の言葉なんだからそうもいかない。目を固く閉じて耐えるように、私は最後通告のような言葉を聞いた。



「曖昧な態度を取り続けたせいで傷つけたこと」

「……」

「ごめん」

 その一言は、もう聞きたくないってあの時言ったはずなのに。やっぱり先輩は、私にはその言葉しかくれないんだ。



 そう思ってどん底まで沈みかけた気分だったけれど、「でも」と先輩が言葉を継いだ。

「今なら、分かる気がするんだ。君が『振り向いて欲しいなんて期待はしないから好きでいる』って言ってたこと」

「……え…?」

 白石さんのことを言われるだろうと身構えていた私は、続いたそんな言葉に思わず顔を上げる。聞き返すように怪訝な表情をした私と目が合うと、先輩は私が好きなあの苦笑いを浮かべて見せた。



 あぁ、やっぱり好きだな、と、思わず実感してしまうほど。見惚れるくらいに胸中を熱い想いが込み上げてくる。



「いつか振り向いてくれるかも、なんて、期待をする資格はないと思う」

 何の話をしているのか分からなかったけれど、私は口を挟まずに先輩の声に耳を傾けた。

「君が『好きになりそうな人がいる』って言ってた相手のことも、仕方ないと思ってる。目の前で君がその人の手を取ろうとしても、祝福できる気がする」

「……先輩…?」

 やはり先が読めずに、私はここでようやく先輩に呼びかける。私の目をまっすぐに見つめ返して、先輩は今度は苦笑いじゃなく…本当に笑ってくれた。柔らかく、優しい笑顔で。



「それでも、俺はずっと君のことを好きでいると思う」



 清々しいほどの笑顔で言い切って、先輩は笑う。

「……え?」

 身構えていた言葉と随分と正反対な言葉を受けて、私は思わず混乱する頭で小さく声を絞りだした。脳がついていかない。グルグル回る思考回路が目に見えたかのようで、先輩はもう一度笑った。そして、今度ははっきりと私の目を覚まさせる一言を口にする。



「好きだよ」



 ずっと、切望してやまなかったはずのそんな一言だった。




「言いたかったのはそれだけ。ごめん、体調の悪い時に」

 じゃあね、と再び言い置いて、先輩は踵を返した。再度去って行こうとするその後ろ姿。さっきと違うのは、私の足が今度はすぐに動いてくれたことだった。


「先輩!」

 勢いよく床を蹴って、私はその後ろ姿を引き止めるように抱きつく。

「!」

 驚いたらしい先輩が、よろめきながらも何とか持ちこたえてくれた。



 一度、駅のホームで抱きしめられた時と逆だった。今度は私が背中から抱きついて、先輩を離せなかった。

「…ごめんなさい」

 一番はじめに零れ落ちたその言葉をどう受け止めたのか、腕の中で先輩がピクリと反応したのが分かった。



「私、嘘ついてたんです」

「……嘘?」

 前を向いたまま先輩が、静かに尋ね返す。大きく頷いて、私は泣きそうな顔を先輩の背中に押し付けた。



「『好きになりそうな人がいる』って…あんなの、嘘です」

 先輩に絡めた腕に、ギュッと力を込める。

「先輩以外に、誰も好きになれるわけないんです」

 さっき一真にも示された真実。どうしたって先輩の代わりなんて、私にとっているわけがない。



「……」

 私の言葉を受けて、驚いているのか…それともその他の反応なのか…。言葉を返さない先輩からは、それが読み取れなかった。だけどしばしの沈黙の後、やがて先輩の前に回された私の手に、先輩が大きな手を重ねる。そしてゆっくりとそれを解かせてから、先輩はこちらを振り返った。



「ありがとう」

 一番、私が好きな言葉を。




 この時先輩は、一番私が好きな笑顔で囁いてくれたんだ。





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