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Sweet&Cool  作者: みずの
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Link 25  side:Haruka


 期末テストが返却され、それについての解説講義を終えればもう終業式が近づいていた。最後の3日間は昼前までの短縮授業になり、周囲はもう夏休み気分だ。私の周りも例外ではなく、真帆と一真が珍しく意気投合し部活にやる気を出している。

 どうやら先日の一件を終えて剣道部に入部したらしい一真が、いきなりうちの学校の代表選手の座を射止めたらしかった。圧倒的に男子の方が弱かった剣道部が活気付いたのか、女子の主将である真帆もご満悦というわけだ。


「夏の大会に間に合って良かったよ。一真がいたら団体戦も勝てそう」

 嬉しそうに言う真帆に、華江が「ふぅん」と頷く。

「そんなに強いんだ、一真」

「そりゃもう、びっくりしちゃったよ私は!さすが、中学の時から春日先輩の後輩やってるだけあるね」

 アメリカへ行ってる間のブランクなんて感じさせないらしく、一真は即戦力になるようだった。…しかも胴着姿の一真を一目見ようと剣道場に群がる女子生徒の数がものすごいらしい。



 …そうやって、確実に日々は流れていた。しかし私だけが、いつまでもそこに取り残されたままな気がする。




 あの後、マナミ先輩とタクミ先輩が別れたことはすぐに噂になって学校中に回った。そもそも校内でも人気者のマナミ先輩だから、皆が注目しているのも分かる。最近一緒にいないことを見咎めたクラスメイトに尋ねられて、マナミ先輩が別れたことを認めたらしい。そこから学校中にその話が広められるまで、時間はそれほどかからなかった。…人間の噂話ほど怖いものはないと、本気で思う。



「春日先輩の彼氏ってさ、あんな人だったっけ」

 遠くにタクミ先輩を見つけたらしい女子生徒がそんなことを友達に言っているのが聞こえたことがある。

「あ、私も思ったー。今までは春日先輩が目立ち過ぎてたから気づかなかったけど、結構かっこいいよね」

「今までも陰で好きな子はちらほらいたらしいけど、フリーになってたから好きになって即行で告った子もいるらしいよ」

 聞きたくもない、そんな噂話。露骨に耳を塞ぐわけにもいかなくて、私は足早にその場から離れるしかなかった。それでもそういった類の話を耳にしたのは一度や二度じゃなくて。

 そのたびに胸を痛めている私を見て、一真がデコピンをしながら言った。

「お前にそういう顔する資格はねぇだろ」

 はっきりと言われて、私は眉間に皺を寄せる。…確かに、タクミ先輩に対してもう頑張れないと言った私は…彼女たちが彼に告白しようがなんだろうが、気にする資格なんてないはずだった。



「生まれつきこんな顔なんですー」

 嫌味ったらしい敬語で言うと、一真は鼻で笑う。「そいつは失礼」嘲るように笑って言い、それから「そういえば」と何かを思い出したように呟いた。



「A組の…誰だったっけな、うちの学年で一番美人って言われてる女」

「白石和美?」

 一真の前の席に座っていた向井くんが、助け舟を出すようにその名前を出す。

「そうそう、そいつ。そいつも今日拓巳先輩に告ったらしいぜ」

 そんな続いた一真の言葉に、私は思わず目を見開いた。



 白石和美さん…と言えば、去年同じクラスだったロングの髪の美人さんだ。女の私でも見惚れることがあったし、性格だって優しい。うちの学年だけじゃなく、3年生男子にも人気があることは耳にして知っていた。



「まぁそんな美人に告られればなぁ…拓巳先輩だってその気になるかもしれねぇよなぁ」

 どこかわざとらしい口調で、一真は遠い目をしながら嫌味っぽく続ける。

「ま、どっかの誰かさんはそんなの気にする資格もないみたいだけど?」

 そこまで言われて思わずムッとして、私は「何が言いたいのよ」と地を這うような声で尋ね返した。

「別に」

 自分が振ってきた話題のくせに、一真はそんな中途半端なところで短くそう切り捨てる。それに言葉にならない怒りを覚えて、私は思わずプゥッと頬を膨らませた。



 …ちょうど、その時だった。



「夏川」

 教室の入口にいたクラスメイトの男子が、私のことを呼ぶのが聞こえた。何事かとそちらを振り返ると、ドアに近い席に座っていた彼が「廊下で隣のクラスの奴が呼んでる」と教えてくれる。誰だろう、と首を捻りながら立ち上がると、同じことを思ったのか向井くんが「誰かな」と小さく疑問を口にした。

「隣のクラスでハルカのこと呼ぶなんてハセガワくんしかいねぇだろ」

 さして興味なさそうに呟く一真が、私から視線を外してそれまで読んでいた雑誌を再び捲り始める。そんな言葉を耳にしながら、私は思わず吐息を漏らしてしまった。



 だけど予想とは違いそこにいたのは、一人の女子生徒だった。ショートカットのボーイッシュな女の子で、去年同じクラスだった川村さんだ。

「あ、ハルカちゃん」

 ニッコリと笑った彼女とそれまで特別仲が良かったわけではないが、悪い印象を持ったことはなかった。教室から顔を出した私に、彼女は「ちょっといいかな」と申し訳なさそうに告げる。



 休み時間は残り少なかったけれど、私は小さく頷いて彼女の後に続いた。




******



「ごめんね、呼び出して」

 川村さんはすまなそうに、苦笑い気味にそう言った。場所を廊下の突き当たり…誰も来ないようなところまで導かれて、私は言われるままについてきたところだ。

 …何を言われるのか、全く見当もつかない。去年だって彼女との接点はほとんど数えるほどしかなかったくらいだから。



「あのね、急にこんな質問失礼だとは思うんだけど…」

 そんな風に前置きして、彼女は前髪を直しながら言葉を選ぶように口ごもる。髪を触りながら話すのは、彼女の以前からの癖だと認識していた。

「ハルカちゃんって、今フリーだよね?」

 想定していたいくつかの話題を全て一蹴され、私は耳に届いたそんな言葉に思わず瞠目する。鳩が豆鉄砲を食らう、とはきっとこんな時のための言葉なんだろう。


「…そうだけど」

 先の見えない話に警戒心を抱きつつ、私は小さく頷いた。途端に、彼女の顔がパァッと晴れ渡る。

「あのね、うちのクラスの長谷川…知ってるよね?」

 尋ねられて、私は「…そっちか」と内心で呟いた。大きく漏らしたいため息をなんとか堪えて、私は軽く肯定して彼女の続きを促す。

「あいつが…ハルカちゃんのこと好きなのも知ってるよね?」

 それもはぐらかすわけにもいかなそうだったので、私はまた軽く頷き返して見せた。


「実は…私、昨日長谷川にフラれちゃって」

 続いた彼女の言葉に、私はまた不意打ちを食らって眉を持ち上げる。「え?」と疑問符のついた声が口から漏れたけれど、川村さんの方はそれを受けて尚も微笑を返してきた。

「ハルカちゃんのことが好きだから、って」

 はっきりと言われたわけではなかったけれど、長谷川くんのその想いには確かに気づいていた。意外に行動派らしく映画にも誘われたし、七夕祭りで遭遇した時の様子から私だけでなく一真たちだって彼の気持ちには気づいている。うぬぼれるわけではなかったけれど、自然と認識していたのは事実だ。


 私がそれを知っているのがわかったからこそ、彼女はこんな話をしに来たのだろう。少しだけ寂しそうな目をしていたけれど…川村さんは続けた。

「それでね…筋違いなお願いなのはわかってるんだけど…」

 少し伏せ目がちに、彼女は言葉を継ぐ。



「長谷川と付き合うか…友達付き合いから始めてあげられないかな」



 彼女のそんなセリフに、私は再び目を瞠った。




 思いもよらなかった、そんな提案。だって彼女はまだ長谷川くんのことが好きなはずだ。

 それでもフラれた相手の幸せを願えるほど…川村さんの想いは深いのだろうか。



「…ごめんなさい」

 だけど、私がその要求を呑むわけにはいかなかった。だって、そうしたら余計に長谷川くんに申し訳がないから。

「……どうして?」

 悲しそうに小首を傾げながら、川村さんはそう尋ね返した。


「だって、ハルカちゃんフリーなんでしょ?付き合ってみたら、長谷川のこと好きになるかも…」

「好きな人がいるんだ」

 川村さんの言葉を遮って、私ははっきりとそう告げる。

「頑張るつもりはないし、多分両想いになることなんてない人なんだけど…それでも、好きな人がいるから」

「………」

 私の言葉を受けて、川村さんはしばし黙り込んだ。

 何かを思案するように口元に手を当てたまま考え込み、やがてゆっくりとその整った顔を再び上げる。まっすぐに私を見つめながら、瞳はどこか懇願するようだった。


「両想いになることはないんだよね…?それだったら、長谷川のことも考えてあげて」

 彼女は、本気で言っているんだろうか?彼女は、それでもいいのだろうか?

 心の中で肥大する疑問はつきなかったけれど、私はそれを表すように訝しげに彼女を見つめ返した。



「……それでも…私が長谷川くんを好きになることは、きっとこの先ないから」

 タクミ先輩と両想いになれないからと言って、今すぐこの想いが消えるわけじゃない。長谷川くんのことを好きになれるかどうか…そんなことは自分ならよくわかっている。タクミ先輩以外に、あれほど誰かを好きになれるなんてことないに決まっているのだから。



 はっきりと答えて、私は自分の言葉で、あることに気づかされる。思い出したのは、「好きでいるだけでも許してほしい」と言った私に、タクミ先輩が二度目に『迷惑だ』と言った時のことだった。



 …今なら、わかる。理沙さんのあの時の言葉の意味が。

『他の告白してきた女の子にははっきり『ごめんなさい』って断ってるんでしょ?でもハルカちゃんのことは、一度は拒まなかったわけよね?本当に迷惑だったら、一回目で拒絶してると思うけどな』

『ああ見えて、迷惑なら『迷惑』ってはっきり言える子なのよ』



 その、言葉の意味が。

 自分で気づいた今更な事に、私は思わず大きく目を見開いた。




「………」




 …全てが、遅かったんだ。


 理沙さんの言う言葉の意味を、私はあの時理解しようとしていなかった。でももしかしたら…理沙さんの言うように、タクミ先輩はもうあの時には既に私のことを想ってくれていて。マナミ先輩との事情でそれを表に出せない苦しみを、抱えていたのかもしれない。

 そのことは頭のどこかで淡い期待として抱いていたはずなのに、実感するまでには至らなかった。自分の単なる希望でしかないと思っていて、現実とは遠く感じていたから。




 でもそれは…理沙さんと名取先生があれほど私に言ってくれていた事実。それを聞いているようで脳まで到達させていなかったのは、私の弱さ故だ。



 傷つきたく、なかったから。淡い期待を抱いて、裏切られる時が来るのを怖がったから。




 真帆に言われて私に「迷惑だ」と告げ直した先輩が、その嘘をつくのにどれだけ自身を傷つけたのだろう。それを撤回してもマナミ先輩の元を離れられない葛藤と戦っていた先輩は、どれだけ苦しんだのだろう。七夕祭りで言いかけた言葉を私のひどい嘘で遮られて…どれだけ悲しかったのだろう。




「……」

 考えると、涙が出てきた。どう話を終えていたのか、川村さんはもう目の前にはいなかったけれど。

「…っ」

 想起するのはタクミ先輩の柔らかい笑顔ばかりで、私は堪えきれずに涙を流し続ける。そんな自分の胸に刻まれたのは、今更彼の元に行けるはずもないという改めた戒めだった。




******



 ここ数週間の寝不足が祟って、涙を流したせいか疲れがドッと押し寄せてきた。貧血気味なこともあり、こんな顔で授業に参加できるわけもなく…仕方なく保健室へ向かう。

「あなた、前にもここに運ばれたわよねぇ」

 苦笑い気味の恰幅のいい保健室の先生は、大きな手で私の頭をポンポンと軽く撫でた。母親のような安心感があるこの先生が、私は前から好きだった。


「どうせ短縮授業で今日最後だし、ここで寝て行きなさい」

 一番奥のベッドを用意され、私は頭を下げてその言葉に従った。タイを外しスカートに皺が寄らないように横になる。「熱はないわね」とおでこに手を触れさせながら、先生はそう呟いた。


「私はこれから職員室に所用があるからちょっと外すけど…ゆっくり寝てていいわよ」

 ありがたい言葉を残して、先生はベッド脇のカーテンを引くと静かな足音を残して保健室を後にする。



 それにしても忙しい先生だ。私もそれほど保健室にお世話になったことはないけれど、来た時は大体先生が不在の時が多かった気がする。そんなことを考えながら横になっていると、静かなその室内がやけに寂しいものに感じられてきた。


「……」

 先ほどまでの想いがぶり返してきて、胸がズキンと痛む。その逸る鼓動に慣れることもなく、私は再び視界がぼんやりと滲んで行くのを感じた。だけどその瞬間、ガラッと保健室のドアが開かれる音がして私は驚いて肩を震わせる。ビクリと跳ね上がりそうになったそれを何とかこらえると、やがて入ってきた誰かは私のベッドのあるカーテンの向こう側で立ち止まったようだった。

「ハルカ」

 低い、声。

「……一真?」

 小さく呼びかけ返すと、シャッとカーテンが左右に開かれてそこに予想通り一真が立っていた。



「…どうしたの、こんなとこに」

「どうしたのはこっちのセリフだ。隣のクラスの女に呼び出されたと思ったら帰ってこねぇし。機転利かせた直が『保健室行ってます』って名取に言ってたから安心しろ」

「…そっか、今、名取先生の数学か…」

 時間割を頭のどこかで思い出しながら、私は小さく呟いた。


「それで、一真は何でここに?」

 尋ねると、一真はポケットに両手を突っ込んだまま偉そうな態度で私を見下ろす。

「もしかしたら本気で保健室行ってんのかな、と思ったから」

 答えになっているようななっていないような…曖昧な言葉を返して、一真はわずかに目を逸らした。…それはつまり…私のことを心配してくれたということだろうか?そう気づくと何だかくすぐったくて、思わずヘラリと締まりない顔で笑ってしまった。


 そんな私の笑みに「気持ち悪い」と冷徹な一撃を返しながら、一真は冷たい目線を送る。

「で、一真はどうやって教室を抜け出してきたの?」

 話を変えようと、私はベッドの上にゆっくりと上体を起こした。一真はそれを手で遮ろうとしたけれど、私は構わず起き上がる。友達の顔を見て少し安堵したのか、さっきほど眩暈もしなくなっていた。


「頭痛と腹痛と腰痛がひどいから保健室行くっつった」

「……よく名取先生がオッケーしたね」

 呆れ気味に答えた後、それでも私は思わず笑ってしまった。だからこそ、一真には笑顔で言える。

「一真」

 小さく、呼びかけて一言。


「ありがと」

 言うと、ガラにもなく照れてしまったらしい理不尽大王様は肩を竦めて目線を逸らした。



「ま、とにかくお前はここで寝てろ。授業終わったら真帆たちと迎えに来てやるからよ」

「…一真は戻るの?頭痛と腹痛と腰痛は?」

「戻ったら戻ったで名取がうるせーからフケる」

 ニヤッと笑って、一真は踵を返す。去っていこうとするそんな後ろ姿を見るのが何だか心寂しくなって、私は思わず眉を寄せてしまった。


「ねー、一真」

 だから、最後にもう一度呼びかけてしまっていた。そしてそれまで思ってもみなかったことが、口から無意識の産物のように零れ落ちる。



「私、何で一真のこと好きにならなかったんだろう」

「はっ!?」

 いつも余裕をかましている理不尽大王が、この時ばかりは驚いたようにこちらを振り返った。




 だって、一真はルックスは抜群だし頭も運動神経も良い。口は悪いけれど実は友達思いで優しいし、人の気持ちを汲み取れる奴だ。



 …そして、それは長谷川くんにだって言えることだった。

「何で長谷川くんのこと好きになれないんだろう」

 お人よしなほど優しくて、温かみのある人なのに。



「…タクミ先輩のことが好きだからかな。だから他の人が目に入らないのかな」

 自問するような言葉を口にしていた私に、しばらく黙って見下ろしていた一真が小さく息をついたのがわかった。

「違うだろ」

 やがてもたらされた答えに、私は顔を上げる。珍しく眉を顰めていない…真剣な眼差しだった。


「拓巳先輩のことが好きだから俺らのことを好きになれないんじゃない。俺らが拓巳先輩じゃないから、俺らのことを好きにならないんだろ」

 続いた一真の言葉に、私は彼にバレないように目を瞠った。



 …そうかもしれない。そう、それだけ、私にとってはタクミ先輩じゃないと恋愛をする意味がないということなのかもしれなかった。



「とにかく寝てろ。お前言ってることがメチャクチャだぜ」

 私の頭からバッと布団を被せて、一真は今度こそ「じゃあな」とカーテンを閉めて去って行ってしまう。その後ろ姿を見送って、私は布団を被ったせいでグシャグシャになった髪を撫でつけながら直した。



 …胸の痛みは消えなかったけれど…。それでも、幾分かは気分が少し澄んだ気がした。




「……」

 だけどそれも、次の瞬間には再び翳りが差すことになる。一真が去った方とは反対側のカーテンを開くと、そこはグラウンドに面した窓だった。外で授業をしているクラスのことがよく見てとれて、私は何気なくそれを眺めてしまう。その隅で長距離走をしているらしいクラスがあって、その輪の中にいる人物を見つけてから思わず胸が早鐘を打った。



 …そこにいたのは、ストップウォッチを持って楽しそうに友達と笑い合っているA組の白石さんの姿。学年一の美人、そしてタクミ先輩に今日の朝告白したらしいという…彼女本人だった。


 一欠けらほどの闇も感じさせない、明るい笑顔。タクミ先輩に朝告白したとして、もしフラれていたら…こんな風に笑えるはずがない気がする。



「……」

 そう気づくと、ズキ、と再び胸が痛んだ。小さく…だがはっきりと刺すような痛みが胸中を支配する。眉を寄せてそれをやり過ごそうとしたけれど、うまくいかなかった。



 …一真に、言われたばかりなのに。白石さんほどの美人に告白されたら、タクミ先輩だって気持ちが動くかもしれない。そしてそれを気にする資格も…自分にはない。

 なのに、痛みはどんどんと大きくなっていく。意識でコントロールすることも叶わず、私は苦しい胸を必死で耐えるように抑えるしかなかった。




 …どれくらいの間、そうしていただろう。

 やがて私を覆う重い空気が外界のそれに破られたのは、再び保健室のドアが開いたからだった。


 静かな足音がしたけれど、どうやら先生のそれとは違う。窓のカーテンを閉め直して、私はその人物は気にしないように再度ベッドに横になった。



 足音は少し保健室の中を歩いた後、どこかで立ち止まる。カチャカチャと消毒液やら何やらを開けるような音がして、どうやら怪我をした生徒が訪れたらしかった。分析するわけでもなかったけれど、自然と耳に入ってくる。気にしていたわけではなかったのに、次の瞬間には私は嫌でも意識をそちらに集中するハメになった。



「おい、大丈夫かぁ?」

 ガラッと保健室の窓が外から開かれたようで、校庭から男子生徒の声が保健室の中に響いた。私のベッドはカーテンで仕切られているから、向こうの様子は見えない。だけど声の調子から、怪我をしたクラスメイトを気にして顔を出したようだった。


「なんだ、先生いねぇの?俺が手当てしてやろうか?」

 からかうような声を受けて、保健室にいた方の人物が「いいよ、遠慮しとく」と笑って答えている。その声に、私はベッドの中で大きく目を見開いた。




「……タクミ…先輩?」

 カーテンの向こうに聞こえない程度の小さな囁き声で、私は思わず呟いていた。






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