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Sweet&Cool  作者: みずの
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Link 21  side:Haruka


「佳奈さんは…実は、空手道場の師範だったの」

 一呼吸置いた後、マナミ先輩は再びそう話始めた。窓から吹き込んでくる風が、彼女の髪を撫でていく。


「タクミは小さい頃からずっと、佳奈さんに空手を教わってきた。タクミだけじゃない…近所の子がたくさん、佳奈さんの道場に通ってたわ。子どもが大好きで誰にでも分け隔てなく優しかった佳奈さんは、皆に好かれてた」

 マナミ先輩はそう言って、喉を潤すために紅茶を一口飲む。正座した足を崩さないままそれを見ていた私は、そこでふと思い当たった。


 …それで、だ。


 七夕祭りで、チンピラみたいな相手の拳を全部受け流すなんて芸当ができたタクミ先輩に合点がいく。それは、お母さん譲りの強さだったんだ…。



「私はさすがに空手はやらなかったけれど、タクミについていつも道場に遊びに行ってた。…そこで中学に入ったばかりの頃、出会ったの。須田先輩に」

 マナミ先輩が好きだったというその須田先輩は、タクミ先輩のお母さんの教え子だったのだ。そう納得しながら話を聞いていた私の前で、ふとマナミ先輩が立ち上がる。部屋の隅にあるクローゼットを開け始め、一番奥の方から何かを取り出した。



 『アルバム』…?



「これが、須田先輩」

 めくったアルバムの最初のページ。今より幼いマナミ先輩とタクミ先輩、そして、優しそうな笑顔で笑う男の子がいた。

 それを指差しながら、マナミ先輩は複雑そうに目を伏せる。少し埃っぽいそれは…ずっとマナミ先輩がこのアルバムを開けずにいたことを物語っていた。



「頭も良くて、運動神経も良くて…空手をやってる姿なんて惚れ惚れするくらいだった。性格も良かったから、誰からも好かれてた。うちの中学でも、須田先輩を知らない子なんていなかったくらいよ」

 須田先輩は、マナミ先輩たちより2つ年上だったらしい。


「その頃の私は、幼稚園の時とは少し状況が変化してた。幼稚園の頃って、まだまだ少しは親の交友関係に子どもも左右されるでしょう?だけどさすがに小学校に入った頃からは子ども同士で友達を選べるようになったし、あからさまに私に同情や優越感なんていうものを露にしてくる大人はいなくなった。だから友達もできたけれど、それはとても表向きなもので…誰にも本当に心を開けない性格は変わらなかった。何でも話せるのも、いつでも隣にいてくれるのも…全部、タクミだけだった」

「……」

「でも、そうやって頑なに閉ざしてしまっていた私の心の中に、ひょいって簡単に飛び越えて入ってきてしまった人がいた。…それが……須田先輩」

 渡されたアルバムをめくると、そこにはどれも楽しそうな笑顔の3人がいて。どれだけその時間が幸せだったのか、私にも安易に想像できる。



「不思議な人だった。優しくて、包容力があって…。何も口に出さなくても私の閉ざされた心なんて全てわかってて、何も言わずに傍にいてくれる…。そしていつしか、その凍った心すら溶かしてしまう……そんな温かい人だった」

 中学で須田先輩のことを知らない人がいなかったということは…もちろん、一真も知っているんだろう。横目で私が持つアルバムの写真を一瞥しただけで、一真は再びマナミ先輩の方を見据える。それにつられるように私もマナミ先輩を見上げると、彼女はそれに気づいて微かに笑った。



「生まれて初めて、人を好きになった。タクミに対する家族愛とは違う…。そんな想いを自覚してからは、私はいつも先輩を追いかけてたわ」



『せんぱーい』

『?』

『私と付き合おうよ。色々とお買得だよ』

『却下。もうちょっとお前が大人の色気持ったらな』

『えぇっ?同級生の中では大人っぽいって言われるんだけど』

『「お買得」とか言って自分を安売りするうちはまだまだイイ女にはほど遠いぜ』

 そう言ってニヤリと笑ったという須田先輩の笑顔が、彼に会ったことのない私にも簡単に想像できた。


「中1の時にすぐ好きになったから…一年以上片想いしたかな。今思うとそう長い期間でもないんだけど、思春期の頃に一人の人を思うのに1年って結構な月日よね。その間何度も告白したけど、どれも先輩は笑顔でかわしてたわ」

 …そこまで聞いて、思い出した。まだマナミ先輩とこれほど話ができるようになる、もっと前。…そう、あれは確か、今年のホワイトデーの日だった。


『あなた、数年前の私にそっくりだから』

 確かにあの時、マナミ先輩は私にそう言った。



 須田先輩を追いかけていた、マナミ先輩。

 タクミ先輩を追いかけていた、私。

 きっとそこに、マナミ先輩は自分の影を重ねてしまったのだろう。



「ハルカちゃん自身がイイ子だっていうのももちろんあるけれど、私はどうしてもあなたに昔の自分を見てしまった。…だから、憎めなかったのよね。あなたのこと」

「…先輩…」

「私は、先輩とのそのやり取りすらどこか楽しんでた。先輩の方はどう思ってたかわからないけれど…彼女にはしてもらえなくても、かわいがってもらってたのは本当。先輩は一人っ子だったし、タクミと私のことを弟と妹みたいに思ってたのかもしれない。色んなところに連れていってもらって、色んなことを教わったわ。2歳離れてるとはいえ、同じ中学生とは思えないくらい大人びた人だったから…」

 確かに、アルバムの写真の背景は、どれも海や山や…レジャーに出かけた時のもののようだった。満面の笑顔の3人は、本当の兄弟のように仲が良さそうだ。



「でもそんな幸せも、予期せぬ一瞬に全て奪われてしまったの」



 再び視線を落としたマナミ先輩の言葉に、私はただならぬ何かを感じてゴクリと息を飲む。思い当たることがあるらしく、一真は先輩と同じように目を伏せた。



「4年前の7月下旬、雨の日だった。その日は一日大雨で…。タクミの日直の仕事が終わるのを待ってから帰っていたら、余計に雨がひどくなったわ」


『もぅー、准一のせいで遅くなっちゃったじゃない』

『だから先に帰ってていいって言ったのに』

『だって、今日は道場行く日でしょ?私も一緒に行くー』

『はいはい。先輩目当てね』

「そう言って肩を竦めたタクミと並んで、いつもの通学路を足早に下校していた。商店街を抜けて大通りへ出たところで、私は交差点の向こう側に見慣れた傘を2つ見つけたの。それは、先輩と佳奈さんのものだった」


 その時、もう須田先輩は高校生になっていたらしい。

 学校帰りにそのまま道場に行こうとしていた先輩は、ちょうど出かけていた佳奈さんと偶然会ったんだろうとマナミ先輩は言う。恐らく、2人で道場へ向かっていたんだろう、と…。



『あ、先輩と佳奈さんだ』

 声を上げたマナミ先輩の隣で、『ホントだ』とタクミ先輩が応じたらしい。そのすぐ後、マナミ先輩は周囲が振り向くほどの声で先輩を呼び、大きく手を振った。

『せんぱーーーーい!!』

 ブンブンと振った手に、やがて先輩と佳奈さんが振り向いたという。



「交差点の向こう側でこちらに気づいた先輩は、『おう』と手を振って応じてくれた。それから笑顔で、信号を渡ってこっちに来てくれようとした……その時、だった」



 キキキキキィィィっと、凄まじい音を響かせた大きなトラックが視界の片隅に映ったと、マナミ先輩は続ける。

 それはきっと一瞬のことで、マナミ先輩もタクミ先輩も…きっと瞬時には何が起こったのかわからなかっただろう。



「信号は確実に、青だった。何が起ころうとしているのか…刹那では判断できずに目を見開いていた私が見たのは、交差点の向こう側で飛び出した猫、その猫を避けようとしてハンドル操作を誤ったトラック、

そのトラックの前で驚きの余り固まってしまっていた先輩、…そして……」

「……」

「先輩をかばおうとしたのか、咄嗟に交差点に飛び出した佳奈さんの…姿だった」

 一瞬のことなのに、冷静になって思い返すとそれはスローモーションのようだったとマナミ先輩は言う。ストロボで撮影されたように断片的なそれが、全てつながった頃にマナミ先輩が見たのは…。



「トラックに轢かれて血の池の中で倒れていた…佳奈さんと先輩の姿だった」



 それは、壮絶な光景だっただろう。

 教え子を守ろうとして須田先輩をかばおうとした佳奈さん。それと、その腕に守られながらも共に轢かれてしまった先輩…。吹き飛ばされてしまって折れた傘が、事故の凄惨さを物語っていたかもしれない。



「周りの人たちが集まってきても、私は足がすくんで動くことができなかった。救急車が到着してもパトカーが来ても、何が起こったのかなんてわからなかった。ただ…隣のタクミの手を、震えたそれで握り返すことしかできなかった」

 封印したかったはずの記憶を全て思い出したのだろう。マナミ先輩の声は、段々と掠れていきその目には涙が溢れていた。



「須田先輩は…病院に運ばれた数時間後に、そのまま亡くなってしまった」

「!……」

 思わず口元を手で押さえて、私は漏れそうだった言葉を押し込める。一旦はおさまっていたはずの涙が、再び視界を潤ませていった。


「そして、佳奈さんもその翌日に…。でも、佳奈さんは亡くなる数時間前に一度だけ意識が戻った。先輩を喪って、抜け殻のようになっていた私に…佳奈さんは言ったわ」



『マナミちゃんの好きな人、守ってあげられなくてごめんね…』



「それが、私に向けられた佳奈さんの最期の言葉だった」



「……」

 ぶわ、と、溢れてきた涙で瞳が揺らぐ。ボロボロと零れるのを拭う余裕なんてなかった。それを見てなのか、マナミ先輩の目からもこらえていたはずの雫が零れ落ちた。



「誰も、悪くなかった。トラックの運転手だって、飛び出してきた猫の命を守ろうとしてハンドルを切ったのだから…。それが結果的にはもっと悲惨な事故を生み出したからと言って、誰も責めることはできない。…少なくとも、先輩とタクミの家族はそう言ってたわ」

「……」

「でも、それなら私は?私は悪くないの?『あの時、先輩を呼ばなければ』。『あの日、日直のタクミを待たずに言われた通りに先に帰ってれば』。『あの頃、私が先輩のことを好きにならなければ』……考え出すと、キリがなかった」

「……」

「わかってる。誰も私のことなんて責めるはずがない。だけど、遺された者はどうしても自分を責めてしまう。『あの時こうしてれば』って…」

 それは…きっと、大好きな人を喪えば誰もがそうだっただろう。

 きっと、タクミ先輩も。タクミ先輩の家族も。そして、須田先輩の家族も…。



「明らかな悪者がいるなら、話は簡単だったかもしれない。その人を恨めばいいんだもの。でも、そういうわけにもいかなかった。誰のせいでもなかった」

 誰かのせいにできたら、楽だったのかもしれない。だけどそれもできなければ…人はそれぞれ、自分自身を責めるしかない。



「その後の私は、数ヶ月泣いて暮らしたわ。先輩と佳奈さんを同時に失った悲しみは、癒えるはずもなかった。その頃から少しおかしくなった。再び誰にも心が開けず、自分の殻に閉じこもってしまいがちになった。…その辺りのことは…柴田くんも知っての通りだと思うけれど」

 地域で有名なほど人気者だった須田先輩のことだ。中学でもすぐに話が回ったに違いない。そうしてそれをきっかけに変わってしまったマナミ先輩のことも、皆もちろん気づいていただろう。



「毎日悪夢を見る。目の前で2人がいなくなる夢…。半狂乱になって叫んで飛び起きることだって少なくなかった。やがて学校にも行けなくなって…部屋に引きこもった。だけどそれも長く続かなかったわ。…タクミが、私に言ったの」



『いつまでそうしてるつもり』

『……』

『学校で、皆待ってるよ』

『行きたくない』

『…愛海』

『なんで准一は平気なのよ!?なんで平然と学校に行けるのよ!?』

『……』

『何であれから一滴も涙を流さないのよ!何で泣かないのよ!』

『……ら』

『…え?』

『……先輩と母さんが、悲しむから…かな』

『!……』

『泣き暮らすことが悪いことだとは言わない。その気持ちもわかる。だけど…ずっとそのままじゃ先輩は怒ると思う』

『……』



「確かに、先輩の『バーカ、何やってんだよ』なんて声が聞こえてきそうだった。そのタクミの言葉に私は揺れ動いた。何とかしなきゃいけない。でも、怖い。再び自分が動き出して…また何かを失うのが怖い。もう、その『何か』はたった一つしか残っていなかったけれど…」


 それは、聞かなくてもわかった。

 マナミ先輩に残された最後の『大切なもの』…。それは……。



「母親に捨てられ、母親代わりに慕った人を亡くし、初恋の人を失い…私に残されたのは、もうタクミしかいなかった」



 兄のような、弟のような…。親友のような、恋人のような…。きっとマナミ先輩にとってのタクミ先輩は、そういう存在だったんだろう。幼い頃から傷を負った自分を、隣で全て受け入れてくれる…大きな存在だったに違いない。



「だから、タクミだけは失いたくなかった。縋るしかなかった。『准一だけはずっと私の傍にいて!私のことだけ想ってて!勝手にどこにも行かないで!』…って」

 遠い目をして、マナミ先輩はその時のことを思い出す。それから、少し表情を変えた。自嘲めいた笑みを…口元に浮かべる。



「そこから、なの。私の我儘が始まったのは…。どうしても失いたくなかったから…どうしても一人になりたくなかったから、タクミを『彼氏』として縛りつけた」

「……え…?」

「『幼なじみ』や『男女の友情』なんて、いつ壊れるかわからない。ましてや、互いに恋人ができたら脆いでしょうね。そんな不確かな関係じゃ、タクミは私の元からいつかいなくなる気がしたの」

「………」

「だけど恋人同士なら…『付き合いましょう』『別れましょう』って始まって終わる分、友情よりも関係性が明確だと思った。だから…もちかけたの、タクミに。『私がいいって言うまで私の彼氏でいて。ずっと傍にいて』って」

 優しいタクミ先輩は、マナミ先輩の負った傷がどれほどのものなのかきちんと理解していただろう。…だから…呑んだんだ、そのお願いを。マナミ先輩が、その傷を癒して再び一人で立ち上がれるようになる時まで…。



「……」

 返す言葉もなく、私はただ口を結んでいた。横で一真も、何も声にできずにマナミ先輩を見つめている。




「ハルカちゃん、今までごめんなさい」

 そこで不意に、マナミ先輩が頭を下げる。「え」と驚いて慌てて顔を上げさせると、マナミ先輩は申し訳なさそうに瞳を揺らした。


「ハルカちゃんがタクミのこと好きだって知ってて…ううん、タクミもハルカちゃんのこと好きになっているのに気づいてて…それでも、私はタクミを失うのが怖くて別れることができなかった。…ごめんなさい」

 言われて、私は勢いよく首を横に振る。「やめてください」と慌てて声をかけると、マナミ先輩の涙に濡れた瞳と目が合った。


 マナミ先輩の話を聞いて、私は理解できた気がする。タクミ先輩の深い優しさと、マナミ先輩の底のない苦しみが。実際に大切な人を亡くしたことがない私だけれど、その先輩の悲しみは痛いほど伝わってきたから…。





「今日タクミから、ハルカちゃんがもうタクミのこと好きじゃないって話を聞いたの」

「……それは…」

「ね、ハルカちゃん、私には本当のこと言って。それは…嘘よね?」

 真正面から尋ねてくるマナミ先輩は、どう言ったってごまかせるはずなんてなかった。それになにより、ここで尚も嘘をつくのは失礼な気がした。…タクミ先輩にも、マナミ先輩にも。


「はい」

 そう思ったから、正直にそう答えた。すると、この時初めて、マナミ先輩の表情からどこか少しホッとしたような…安堵の色を感じる。

「…そう、なら良かった。ハルカちゃんがタクミのこと好きじゃなくなったって聞いて…私もようやく気づいたの。ハルカちゃんの想いを無駄にしちゃいけないって…私の二の舞にはさせちゃいけないって」

 そこで、一度マナミ先輩は息を整えた。ふぅ、と小さな深呼吸をして、再び顔をまっすぐ上げる。


「だから、私はタクミと別れることにしたの」



 思わず驚きの余り、私は大きく目を見開いた。返すべき言葉を失って絶句した私に、先輩は微笑みかける。

「勘違いしないでね、ハルカちゃんのためでもタクミのためでもなく…これは私のためなの。私が…今後後悔せずに生きていくための」

 そこまで言い切った先輩の瞳は、まだ涙で濡れていたけれどどこか力強さを感じた。まっすぐに、迷いのないきれいな瞳。こんな目をした人に、私はかつて出会ったことがあるだろうか?



「…本当はね…あの時からわかってたのよね…」

「…え?」

 独白のように呟いた一言に、私は思わず首を傾げて先輩を見た。何のことを言っているのかわからなかったけれど、先輩が緩く笑うからつられるように眉を持ち上げる。

「今年のタクミの誕生日のこと。ハルカちゃん、覚えてる?」

 聞かれて、私は一瞬目を見開いた。もちろん、忘れるわけがない。そんな意味を込めて大きく頷くと、先輩は満足そうに笑った。



「タクミの誕生日の少し前…私、あなたの前でタクミとケンカしたでしょ」

 それもはっきり覚えている。タクミ先輩についていった数学準備室で。誕生日当日には、お母さんのお墓参りに行くと言ったタクミ先輩にマナミ先輩が怒っていたっけ…。


「あれね、実は毎年のことなのよ」

 苦笑まじりに、先輩は続ける。

「毎年、タクミは自分の誕生日当日は佳奈さんに『ありがとう』を言いに行くの。でも私は、それを認めたことがなかった。だって、認めたら私だけ置いていかれる気がするから…」

「……『置いて』…?」

「そう。先輩と佳奈さんの死を受け入れられずに、過去から逃げようとする私。タクミはそれと対照的だった。佳奈さんの死を受け入れて、ちゃんと自分の生を佳奈さんに感謝してる。…過去から目を背ける私には、真似できそうになかった。…だけど……」

 そこで一度言葉を切ったマナミ先輩は、まっすぐに私を再び見つめてきた。それから、ニコリと微笑を浮かべる。過去を思い出して切なく苦しそうに浮かべる笑みとは、正反対なものだった。


「ハルカちゃんは、タクミのその話に涙を流してくれたんでしょう?そして、一緒に佳奈さんのお墓参りに行ってくれたのよね。…本当は、その時からわかってた。タクミが、私じゃなくてあなたを選ぶこと」

「…マナミ先輩…」

 何だか胸がいっぱいになってきて、私はキュンと切なく締め付けられる痛みを感じた。だけどそれは決して不快なものではなくて…今ここにいない先輩の笑顔を思い出した時と同じものだった。



「それともう一つ、きっとハルカちゃんが一度は疑問を持ったと思うことの答え」

「…?」

 首を捻って、私はマナミ先輩の続く言葉を待った。そんな私を見て、マナミ先輩は唇の端だけを持ち上げて微かに笑う。

「『どうして私が、タクミのことを苗字で呼ぶのか』」

「……」

 確かに、それは以前から頭の片隅で気になっていたことだった。しかし昔の話を聞いた限りでは、マナミ先輩はタクミ先輩のことを『准一』と呼んでいなかっただろうか?そう思って不思議そうに表情を歪めると、マナミ先輩が軽く頷いて応じてくれた。



「そう、私はずっと『准一』って呼んできたんだけどね。…偽りの恋人ごっこを始めるまでは」

「……?」

 その『恋人ごっこ』がきっかけということは…その時に何かがあったんだろうか?再び小さく首を傾げると、先輩が少しだけ顔を俯かせる。

「…名前で呼ぶと、そのたびに思い出しそうだったから」

 わずかに声のトーンを落としたマナミ先輩だったけれど、それでもはっきりと聞き取れた。



 …思い出す……?



 何、を…?



 理解できずに眉を少しだけ持ち上げた私に、先輩は続ける。

「須田先輩の名前もね、淳一だったの。字は違うけれど…タクミと同じ名前だったから…」

 タクミ先輩を今まで通り『准一』と呼べば、どうしてもその度に須田先輩を思い出してしまいそうだったことを告げて、マナミ先輩は力なく笑う。




 全てのパズルのピースが、音をたてて完全に填まっていくのが感じられた。今まで疑問だったこと、想像もつかなかったこと…全てが繋がりを見せる。それは決して弱々しいものではなく、確かな強さを持った糸のようだった。




「私の話は、これでおしまい。…聞いてくれてありがとう、2人共」

 最後にニッコリと笑って見せた先輩。その笑顔に微笑み返そうとしたけれど、うまくいかなかった。


 話を聞いている途中から…私の胸に、一つだけひっかかっていたことがあったからだ。そしてそれは恐らく、マナミ先輩の誤解を解く鍵になれる気がする。



「マナミ先輩」

 呼びかけると、すっかり冷め切った紅茶に手を伸ばしていた先輩は顔を上げてこちらを見た。居ずまいを正すように姿勢を直して、私はその目をまっすぐに見据える。

「先輩は、一つだけ間違ってると思います」

 はっきりと告げると、マナミ先輩の両の目がゆっくりと見開かれた。それと同時に、隣の一真が訝しげに私を振り返るのがわかった。



「さっき、先輩言いましたよね。タクミ先輩に昔、『何であれから一滴も涙を流さないのよ!何で泣かないのよ!』…そう言ったって」

 尋ねるように言葉にすると、マナミ先輩ははっきりと大きく頷いた。

「えぇ、言ったわ。それに対するタクミの答えが『先輩と母さんが悲しむから』だったってことも」

「……すみません、それは違うと思います」

「…え?」

 言うと、マナミ先輩が眉を寄せて私を見る。意味が分からずに首をかしげて、まっすぐに私を見据えて続く答えを待った。



「正確に言うと…それだけじゃないと思うんです。きっとタクミ先輩は、『泣かなかった』んじゃないと思います」

 そこで一度言葉を切って、私は少し深く息を吸う。それと同時に、最後の答えを吐き出すように告げた。



「『泣かなくてすんだ』んだと、思います」



「……」

 こちらの言葉を受けて瞠目したまま動かないマナミ先輩に、私は畳みかけるように続ける。


「タクミ先輩だって、兄のように慕っていた人と実のお母さんを亡くして、悲しくなかったわけがない。それでも泣かなかったのは…泣かなくてすんだのは、先輩の隣にマナミ先輩がいてくれたからだと思います」

 タクミ先輩の性格を考えれば、きっとそうだ。泣かなかったわけでも、泣けなかったわけでもなく…。ただ、同じように大切な人を失って同じような痛みを感じてくれる人が、隣にいたから。

 つないだその手から感じられるぬくもりが、マナミ先輩だけではなくタクミ先輩をも救ってくれたに違いない。



「マナミ先輩が、一方的にタクミ先輩に依存していたわけじゃないと思うんです。…きっと、マナミ先輩の存在もタクミ先輩の救いになっていたと思います。…だから…さっき先輩が自分のことを『我儘』って言ってたのは、違うと思います」

「………」

 そこまで言ったけれど、マナミ先輩は固まったように目を見開いたまま動かなかった。返事がないことに少しだけ不安になって隣の一真を仰ぎ見ると、あいつは唇の端を持ち上げて笑い返したきた。それを見て、私はやはり自分の予想ははずれていないんだろうと自信さえ持つ。

 きっと、それがマナミ先輩の知りうる最後の「真実」だろう。



「…ありがとう」

 長い沈黙の後、再び目に涙を溜めたマナミ先輩が、そう呟くように言う。



 その一言に微笑み返して、私はただ小さく首を振った。






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