Link 19 side:Kazuma
七夕祭りの翌日、多分俺はひどい顔をしていたと思う。眠りにつけたのは明け方で、それまで寝ようとする頭の中を駆け巡るのは愛海先輩の切ない笑顔だったから。
…フラれたのは、何度目なのかわからない。それでも、その「痛み」に慣れるわけなんてない。軋む胸の痛みに眉を寄せ、膝を抱え込むようにしてベッドの中でただ時間が流れるのを待った。
そんな俺の顔を見て何かを読み取ったのかはわからない。翌日教室で会ったあいつらは、特に何も問いただしてきたりはしなかった。隣で真帆たちとはしゃぐハルカの空元気っぷりも、恐らくあの後拓巳先輩と何かがあったんだろうと思わせる。けれど誰もそれに対して何かを言うこともなく…昼休みになった。
俺は、こいつらのこういうところは嫌いじゃない。知りたい欲求もあるかもしれないけれど、相手が話せる状態になるまでちゃんと待ってくれる。この時も、例外ではなかった。
いつもは教室で弁当を広げるハルカたちの横で、購買で買ってきたパンを食べるところだけれど…。その日はその頃になってようやく眠くなってきてから、俺は屋上へ向かった。昼寝をするにはもってこいの天気だし、俺はあの場所が結構気に入っていたからだ。だけどそんな屋上の扉の前に辿り着いた時、そんな好天気に不似合いな会話が聞こえてきてしまう。
…誰だ、こんなイイ条件の中ケンカしてる奴らは。
チッと舌打ちして引き返そうとした。人の修羅場になんて興味はない。しかし、そんな俺の耳に聞こえてきた声の主は…よく聞くと愛海先輩のものだった。
思わず、その場に立ち尽くしてしまう。盗み聞きをしたいわけじゃなかったけれど、棒のように動かなくなった足に意志は働かない。聞こえてくる会話が、途切れ途切れでも確実に内容を伝えてくれる。それを最後まで聞いてしまった後、俺は壁にもたれかかって大きく吐息を吐き出した。
その数分後、バン、と乱暴にならない程度に開かれた扉。先にそこに現れたのは、拓巳先輩だった。
俺に気づいていない様子だった彼に、声をかける必要なんてなかったはずだ。それでも俺は、先輩が俺を抜かして階段を下りようとした時に…声をかけてしまっていた。
「嘘でもいいから恋人でいてくれなんて提案…呑んだあんたは偽善者以外の何者でもない」
そんな、言葉を…。
もちろん俺の正直な感想に他ならなかったけれど。
ふい、と俺から目を逸らした拓巳先輩は、そのまま足早に階段を下りていく。俺の言葉から逃げたわけではないだろう。ただ、あの人には昔から俺と正面きって話をする気なんてないはずだった。
拓巳先輩が去った後、俺は屋上への扉を開いた。そこにいたのは、当たり前だが愛海先輩だ。俺の気配に気づいて振り向いた彼女は、驚いたように目を丸くした。その瞳に、涙が浮かんでいる。
「…聞かれちゃった?」
涙目になりながらも…いや、雫を零しながらも…彼女は、苦笑い気味に俺を見上げた。
「…すみません」
立ち聞きしてしまったことを謝ったが、愛海先輩は首を横に振る。小さく息を吐き出して、彼女は手すりに手をかけて大きく腕を伸ばした。
「ねぇ柴田くん、聞いてたなら一つ質問してもいいかな」
「…何ですか?」
「ハルカちゃんは…本当にタクミのことを好きじゃなくなったんだと思う?」
先輩の隣に立った俺を、彼女は真っ直ぐに見上げてくる。どう答えればいいのか逡巡したが…嘘や偽りは何のためにもならないと思ったから、正直に答えた。
「それは…ないと思います」
ハルカが、拓巳先輩を諦められるわけがないと思う。あいつの想いがどれほどのものなのか…ほんの1ヶ月ちょっとの付き合いだとはいえ、俺もよくわかっているからだ。
「そう…よね」
一瞬だけ目を伏せて、彼女は呟く。長い髪が、サラリとそれに合わせて流れ落ちた。
「ごめん、やっぱりもう一つ質問」
「はい」
「じゃあ何でハルカちゃんは…他に好きになりそうな人がいるなんて嘘を、タクミについたのかな」
「……」
まっすぐに見つめ返すと、少しだけ困ったように彼女は視線を逸らした。外に広がる校庭を見るでもなく眺めながら、言葉を継ぐ。
「いつまでたっても私と別れないタクミに、嫌気がさしたのかな」
「……違うと思います」
「じゃあ、タクミと別れない私のことが嫌いになったからかな。私とタクミの関係に関わりたくないと思ったからかな」
「それも違うと思います」
同じように外の風景を漠然と眺めながら、俺ははっきりと否定する。…違う。ハルカの思いはそんなもんじゃない。
「じゃあ…」
『どうしてだろう』。そう続けそうな先輩の言葉を、俺は右手を上げて制した。
本当の答えは、愛海先輩だってきっと分かっているはずなのに…。それでも、彼女は誰かに「答え」を示してほしいんだろう。だからこそ、俺はその「答え」を口にする。
「愛海先輩と拓巳先輩を、傷つけたくなかったからです」
「………」
思った通りの答えだったんだろう。彼女は、表情を動かさないままそれを聞いていた。
ハルカの想いは、きっと言葉では表せないくらい深い。普通だったら自分の利益ばかりを優先させそうなものだけれど、あいつの想いはそれをはるかに超越している。…俺には、いつまでたっても真似できそうにない。
「…柴田くん」
俺の回答をどう受け取ったのかはわからない。長い沈黙の後、愛海先輩は再び顔を上げた。
伏せ目がちだったさっきまでとは違って、俺をまっすぐに見上げる瞳。そこには、もう涙はなかった。代わりに、何か強い意志のようなものを見つける。
「今日の放課後、時間あるかな」
「…?はい」
首を傾げながらもそう短く答えた。
「柴田くんとハルカちゃんに…付き合ってほしいところがあるんだけど」
何かを決意したような眼差し。それは…中学の頃のあの『出来事』の前に見たっきりだった、他の誰でもない…愛海先輩のものだった。力強い、迷いのない瞳。
「…俺と…ハルカに?」
聞き返すと、先輩は大きく頷いた。
「昔から何度も私を支えようとしてくれた柴田くんと…私のためにタクミを諦めようとしてくれたハルカちゃんに、もう嘘はつきたくないから」
「……」
「今日、全部聞いてほしいの。私と…タクミのこと」
俺ですら一部しか知らない…いや、多分本人たち以外に誰も知らない…2人の『事情』。それを曝け出す決心をしたという先輩は…まっすぐなキレイな目をしていた。
「その後、タクミとは別れるわ」
続いた言葉は少なからず意表をつくものだったので、俺は思わず目を見開く。瞬きを忘れて彼女を見つめ返すと、俺を見る目が少しだけ細められた。微かなほほ笑みをたたえて、彼女は俺を見つめ返す。
「もう、決めたの」
そう続けた先輩の、揺ぎ無い瞳が俺をただ映していた。
******
複雑な想いを胸に、俺は愛海先輩と放課後の約束だけをして別れた。拓巳先輩と別れると決意をしたと聞いても、もちろん手放しで喜べるわけもない。ため息まじりに屋上から教室へ戻ると、ドアの近くの廊下で何やらハルカが誰かとやりとりをしているのが見えた。
少し遠目からでも、相手の男が持っているのが映画のチケットだと分かる。…随分と堂々とした誘いだな、と思いながら何気なく眺めたが、どうやら相手は昨日七夕祭りで会った男だった。
しかし俺が驚いたのはそれだけではなくて…。
教室の方から直と話した後に身を翻してこちらへ向かってきたのは、拓巳先輩に他ならなかった。
…ハルカも、タイミングが悪い。あいつのことだ。ハセガワくんとやらに誘われているところを拓巳先輩に見られたくなかったに違いない。
すれ違いざま、拓巳先輩は俺に気づいて少し眉を寄せた。その表情がいつものポーカーフェイスとは違い、複雑な色を宿している。もちろん俺に会ったことだけでなくて、ハルカとハセガワくんのやりとりを聞いてしまったせいだろう。
「……」
一瞥だけを返して、俺はそのまま彼とすれ違い、ハルカたちに近寄った。その途中、はっきりと断って頭を下げるハルカの姿が目に映る。ハセガワくんはどうやら誰かさんとは違って爽やかな好青年のようで、「ごめん、時間とらせて」と謝って去って行った。
「賢明な判断だな」
デートの誘いを断ってハルカが吐息を漏らしたところで、俺は頭上からそう声をかける。それに驚いたハルカが、一瞬だけ目を瞠った。
だけどそれも刹那のことで、すぐにいつも通りの表情に戻ってみせる。そこからはいつもの軽口の応酬で、俺たちは並んで教室へ入った。
愛海先輩が俺とハルカに用があることを伝えると、当たり前だがハルカは首を捻っていた。だけど、とりあえず先輩が拓巳先輩と別れるつもりらしいということは伏せておく。そういった話は、愛海先輩本人の口から語られないと意味がないと思ったからだ。
午後の授業なんて、身に入るはずもない。それは隣のハルカも同じらしく、気づくと並んでボーっと窓の外を眺めていた。
その日の放課後、どれほど衝撃を受ける話を聞かされるのか、想像もできないままに…。




