Link 5 side:Takumi
離れがたいのは自分も同じだったけれど、それは自分の勝手な感情だから押し留めようとした。だけど名残惜しそうな彼女の表情を見ていたら、気づくと声をかけてしまっていて…。一緒に行くか尋ねた時の彼女の嬉しそうな顔に、胸がキュッと締め付けられるような感覚に襲われる。
駅ビルの中の本屋は、ポイントWデーかなにかでごったがえしていた。確かに、つわり中の姉がこの中買い物に来るのは辛いものがあるだろう。姉からメールで送られてきた本の名前をメモした紙を握って、俺は思い当たるジャンルの棚へ移動する。
後ろからついてきていた彼女が、興味のありそうな本をたまに手に取っている。名取先生といつも本の話をしているから、結構読書好きなんだろう。
「先輩、ありました?」
こんなに混雑した本屋に連れてこられても気分を害した様子もなく、彼女はご機嫌な顔でそう尋ねてくる。「…いや」と頭を振って答え、俺はメモをもう一度開いてみた。
大体、どのジャンルのどんな本かくらい教えておいてほしい。と言っても自分の携帯電話は充電が切れてしまっているから確認もできない。ため息まじりに内心で姉へ毒づきながら、俺はそのメモに書いてある字を恨めしく眺めてしまう。
「あ、それってもしかして…」
後ろからその紙を覗きこんだ彼女が、ふとそんな言葉を口にした。
「先輩、こっちかも」
俺の後ろをすり抜けて、彼女は先を行く。振り向いて手招きをしては、思い当たるという分野の本棚まで移動した。
その先で、平積みにされているハードカバーの一冊。それを手にとって、彼女は俺に渡してくれた。
「これですよ。誰でも知ってるってわけじゃないけど、一部で今有名なんです」
ニッコリ笑って、彼女はそう続ける。かなりのページ数がありそうなそれは、受け取るとズシリと重量があった。
「……そんなのよく知ってるね」
感心したように言って、その本のタイトルとメモの字を見比べる。確かにそこにある表題は全く同じものだった。
「私、音楽とか本とか結構マイナー路線なんです」
少し誇らしげに言う彼女に、俺も「なるほど」と笑ってみせた。
その本を持って、うんざりするほどの長蛇の列へ並ぶ。レジで会計するまでに相当時間がかかりそうだった。
「ごめん、ちょっと時間かかりそうだけど」
言うと、彼女は「いいえ」と首を振った。いつの間に手にしていたのか、雑誌を1冊胸に抱えている。
同じように並んでくれる辺り、もしかしたら気を遣ってそうしてくれたのかもしれなかった。
長い列をなんとかやり過ごし、会計を終えてから並んで本屋を出る。それぞれ買った本の袋と鞄を持ち直しながら、駅ビルのフロアへ戻った。来た時とは違うエスカレータを利用しながら、俺は下の段から彼女を振り返る。
「お茶でも奢るよ。付き合わせたお礼」
「えっ?」
聞き返した彼女が、慌てて声を上げた。俺を見下ろしながら、ぶんぶんと首を横に振る。
「いえ、いいですよっ。そんなつもりじゃなかったし…」
「俺がそうしたいだけだから」
重ねて言うと、彼女は少し考える仕草をした。「うーん」と心の声が聞こえてきそうな表情をした後、やがて顔を上げるとニッコリと笑う。
「じゃあ、お言葉に甘えます」
ペコリと頭を下げる彼女に、何故か俺は内心でホッと胸を撫で下ろしている自分に気がついた。
……なぜ…だろうか?
考えたけれど答えを見つけるより先に、彼女が「あ」と小さく声を上げる。
何事かと思って彼女の顔を見上げると、その視線の先はエスカレーターがたどり着いた階下で一番に目に入った、CDショップだった。
「先輩、お茶の前に少しだけ寄ってもいいですか?」
その店を指差して言いながら、彼女はエスカレーターから少し跳ねるように降りた。「いいよ」と答えると、嬉しそうに俺を抜かしてその店へと入って行く。ついていくのにワンテンポ遅れた俺に、少し離れた先で彼女は振り返って手招きをした。
「欲しいのがあるの?」
迷わずに歩いて行く辺り、目当てのものがあるらしい。後に続きながら尋ねると、彼女は「はい」と大きく頷く。
「今日発売のはずなんですけど……あ、あった」
彼女が探した先には、CDではなくライブ映像などが収録されたミュージシャンのDVD。満足そうに笑顔でそれを手にして、ジャケットの確認をしている。
黒と赤だけでスタイリッシュにまとめられたジャケット。彼女のイメージからはそういうのが好きそうには思えなかったので、少しだけ意外だった。
「好きなバンド?」
聞くと、彼女は俺を振り返る。ニッコリ笑って「はい」と返事を寄越した。
「やっぱりマイナーなんですけどね。先輩、知ってます?『Azure sky』っていうバンドなんですけど」
「……いや…」
正直聞いたこともない名前だったので、素直にそう答える。彼女の方は気分を害した様子もなく、「そうですよね~」とやっぱり明るく応じた。
「どんなジャンル?」
話を切るつもりもなかったけれど、放っておくと彼女の方はその話を終わらせそうだったから。そんなことを尋ねて、少し話題を延ばしてみた。
ジャケットの印象からじゃ、抽象的でそこまでは読み取れない。明るいJ-POPでないことだけは確かだったけれど。
「ロックとジャズを融合させたような感じ…ですかね。元々、どっちも大好きなんで」
「じゃあBIGBANDとかも好き?」
「好きです!先輩も聴くんですか?」
「そんなに詳しいわけじゃないけど、俺は基本的に雑食だから」
どのジャンルが好き、とか、どのバンドが好きとかいうこだわりまではないけれど。基本的に枠に捉われずに聴いて、そのバンド自体が気に入るかどうかだ。
一つ頷いて、彼女は話を戻す。
「私今まで、このバンドを好きっていう人に会ったことないっていうくらいマイナーなんですけど…」
買うことは元々決めていたようで、DVDコーナーから一枚手にするとそのままレジの方へ向かって歩きだした。
「この前来た転校生が、同じファンらしくて。初めて得た同志みたいでなんだか嬉しかったんですよ~」
ニコニコと笑って言う彼女は、言葉通り本当に満面の笑顔だった。半歩後ろをついていきながら「そう、良かったね」と答えながら、俺は不意にその転校生が男だったことを思い出す。
それから少しだけ胸がチリと焦げ付くような気がしたけれど、気づかなかったフリをしてそれを押し込んだ。最近になって露出気味のこの感情を、抱くたびに自己嫌悪に陥るのはわかっているから。
「待っててください、買ってきますね」
ニッコリ笑って言う彼女は、そう言ってレジへ近づく。自分でも無意識のうちに、俺は不意にそんな彼女へと再び口を開いていた。何かを自覚する前に、自分でも驚くほど勝手に口が動く。
「…今度、CD貸してくれる?」
「…え?」
レジに行きかけた彼女が、ゆっくりとこちらを振り返った。一瞬だけ何を言われたのかわからないというように信じられない面持ちをした後、段々とその表情が笑顔に変わる。さっきまでとは比にならない、パァッと明るい笑顔だった。
「先輩も、聴いてみてくれるんですか?」
「うん。聴いてみたい」
素直に言うと、彼女は「家にいっぱいアルバムあるんで、ちょっとずつ持ってきますね」と答えて今度こそレジへと向かった。
周りに花が咲いたような明るいオーラに、俺は思わず口元をほころばせてしまう。どうやらそれまでのアルバムも全部貸してくれるつもりらしい。彼女の後ろ姿が、瞬時にそれまでよりご機嫌になったことを物語っていた。
「お待たせしましたー」
こちらへ戻ってきた彼女と、並んでそのCDショップを出ようとする。その時も彼女は、いつか飛び跳ねるんじゃないかと心配になるくらい上機嫌な笑顔だった。
いつも明るくて笑顔を絶やさない子だけれど、今日はその普段以上だ。それがどこか嬉しくて、いつもは無表情なはずの自分まで表情が柔らかくなってしまっているに違いない。
そうして、そこを後にしようとした…その時だった。
「あれ、夏川?」
店を出た瞬間に、少し離れたところから声をかけられる。彼女と一緒に振り返ると、そこには背の高い男子生徒が立っていた。
180センチは…超えているようだ。背の丈に見合った大き目の制服はうちの学校のもので、胸についた校章は2年生であることを示していた。黒い髪は清潔感ある長さに切りそろえられていて、第一印象で好感を持たされるような男だった。
どこかで見た気がするけれど、はっきりとは思い出せない。声をかけられた彼女の方は、「向井くん」とその名を呼んでいた。
こちらに近づいてきたその彼は、すぐ傍まで来て俺の方を向いた。
「こんにちは、タクミ先輩」
「? …こんにちは」
内心で怪訝そうにしたけれど、失礼なので表には出さないようにする。刹那に相手を観察したけれど、その名前を耳にした今でも彼が誰なのかはわからなかった。
「クラスメイトなんです」
彼女が、俺にそう彼を紹介するように言う。…そう言えば、一度彼女が仲の良さそうな集団で下校している時に…彼もその中にいた気がした。
彼が彼女と仲の良い友人だとしたら…俺の名前を知っていてもおかしくはないかもしれない。
「あれ、向井くん一人?理不尽大王様は?」
彼の後ろを覗き込むようにしてから、彼女が少し不思議そうにそう言う。言われて、向井くんは「あぁ」と小さく笑った。
「王様なら、向こうのショップで長時間見入ってるよ。あまりにも長いから、少しだけ別行動にした」
それからこのCDショップで待ち合わせをしているらしい。そう告げた彼に、彼女が声をたてて笑う。
「大変でしょ~?一真、女の私より買い物長いんだもん!」
「そうそう。青と水色で迷ったりして、『どっちでもいいじゃん』って言いたくなるし」
楽しそうな2人の会話に口を挟まないようにして立っていた俺だけれど、そこでふと顔を上げた。ひっかかったのは、さっきの彼女の一言。向井くんの連れらしい誰かのことを、彼女が名前で呼んだ…その時だった。
瞬時に思い出す、昨日の梶との会話。
最後に忠告された…あいつからの一言。
『…あいつ…戻ってきたらしい。柴田一真』
いきなりな柴田一真の帰国と、時期はずれの転校生。
まさかと思って考えないようにした可能性が、色を濃くして再び脳裏をよぎった。
まさに…その瞬間、だった。
「あれ、ハルカじゃん」
向井くんの後ろの方から、別の声が降ってくる。背の高いシルエット。
アッシュ系に暗く染められた髪に、嫌味がないくらいに似合っているピアス。チャラチャラしているというよりは、その全てが似合ってしまっている男。
こんな至近距離でその姿を見たのは2年ぶりだったけれど、見間違うはずなんてなかった。
「…柴田…」
思わず口から漏れた俺の呟きに、柴田一真が「?」とこちらを振り返る。そしてそれから、大きく目を瞠った。だけどその目も、やがて鋭くなる。射抜くような眼差し。不機嫌に顰められる眉。そのどれもが、俺の記憶にある彼と寸分の狂いもなかった。
「…久しぶりっすね、タクミセンパイ」
嫌味を含んだような声で、彼は俺を呼んだ。
一瞬にして不穏な空気に変わったのが分かったのか、彼女と向井くんは「え、え」と俺と柴田とを見比べた。
「………」
どれくらいそうしていただろう。
長い沈黙の中、俺と柴田はただ正面から互いを見据える。そしてやがてそれを破ったのは、向こうの方だった。
「2年ぶりくらいですかね…お元気そうでナニヨリです」
わざとらしい棒読み口調で、彼はそう言う。こちらをあざ笑うような笑みを浮かべて、口元は嫌味っぽく歪められていた。その全てが、以前と変わっていない。
…俺だけに向けられる、彼の顔。
「そう言えば、まだ愛海先輩とは続いてるんですか」
敬語が逆に、向こうの殺気を物語る。問いに答えるつもりはないので黙ったままいると、彼は今度は本格的な嘲笑を浮かべた。俺を蔑むような笑みだった。
「まだやってんですか、『恋人ごっこ』なんて幼稚なこと」
重ねられた言葉に、俺はゆっくりと目線を上げる。眉を寄せて彼を見上げたけれど、向こうも睨まれたところで怯む素振りもなかった。
「ちょっと、一真…」
俺と柴田の関係性を理解できないなりに、彼女も空気で何かを読み取ったらしかった。柴田に半ば慌てて制止するような声をかけながらも、向井くんに何事かを合図する。
それに軽く頷いた向井くんは、「一真、行こう」と柴田の腕を引っ張った。グイと掴まれて踵を返させられた柴田は、最後に一度だけこちらを振り返る。だけどその目が捉えたのは、俺じゃなくて彼女の方だった。
「ハルカ、まさかお前の好きな奴ってその男?」
「……」
彼女は、答えないままに柴田をじっと睨むように見据えている。その反応を問いの肯定と受け取ったらしく、柴田はそれから意地悪い笑みを口元に張り付かせた。
「お前のことはイイ奴だと思ってるけど…男の趣味だけは最悪だな。そんな偽善の塊みたいな男に惚れるなんて」
「…一真…っ」
「じゃーな、ハルカ」
言い捨てて、柴田は今度こそ身を翻す。尚も引っ張ろうとする向井くんの腕を振りほどいて、「自分で歩ける」と抗議していた。
「……タクミ先輩……」
柴田が去った後、彼女は青ざめた顔で俺を振り返る。
「すみません、一真が…失礼なこと」
言いかけた彼女の言葉を、俺は片手を上げて遮った。
「別に君が謝ることじゃないよ」
「でも……」
彼女は、少しだけ泣きそうな顔をしていた。だから、ちょっとだけ微笑んでみせる。大丈夫だと言うように。
「柴田とは、昔からああなんだ。だから君が気にすることじゃない」
そう告げた俺に、彼女は「どうして」とか「何があったのか」とか、余計なことは何も尋ねなかった。それが彼女なりの配慮であり、考えた結果だったんだろう。本当は気になるはずなのに、聞かないでいてくれることがありがたかった。
「迷惑かけついでに、一つ頼みたいことがあるんだ」
彼女の気遣いに甘えて、俺はそう再び口を開く。首をかしげてこちらを見上げる彼女の方を、ゆっくりと振り向いた。少し心配そうにした目と、近くで見つめ合う形になった。
「何ですか?」
尋ね返されて、俺は一度深く息を吐く。それから、少しだけ視線を落として目を伏せた。
「…もし…学校内で柴田と愛海が接触することがあったら…」
伏せ目がちの俺から、それでも彼女の方は目をそらさずにいてくれているのがわかった。ただ、途切れた俺の言葉の続きを待つ。
「すぐに呼びに来てほしいんだ、俺を」
一瞬だけ目を見開いた彼女は、それから大きく頷いてくれた。その素直さに、逆に申し訳ない気にもなったけれど…。
「ごめん、君に頼めた義理じゃないんだけど…」
「いいえ、そんなこと言わないでください」
謝る俺に、彼女はそこでやっと少し笑う。フワッとした笑みを浮かべて、大きく首を横に振ってくれた。俺への気遣いの微笑みだったのだろう。
この日を境に、俺は今まで築いてきた全てがどこかで変わっていってしまう予感がしていた。胸騒ぎにも似たそれが、どこかでチリチリと俺の内部の何かを焼いていくような気がする。
そうしてその予感は、そう遠くない未来に当たることになった。




