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Sweet&Cool  作者: みずの
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20/57

Link 1  side:Haruka


 短かった春が過ぎれば、季節はすぐに初夏へと移り変わる。まだ夏を実感する前のそれは、いち早く衣替えをさせられる制服でようやく認識するもので…。


 そうして半袖の生徒が増えてきた頃に、梅雨入りしたうっとうしい空が広がっていることにようやく気づく。…そう、季節は中間テストを終えて、6月に入ったところだった。



「研究室に潜入した時にいたあの博士が怪しい」

 じめじめして鬱々とした外の天気を「見る」わけでもなく眺めながら、数学準備室で名取先生はそんな呟きを漏らした。降りだした雨が、先生の視線の先の窓を冷たく叩いては落ちて行く。

「何言ってるんですか」

 ようやく解き終わった数学の問題集を閉じながら、私は不満げに先生に向けて抗議した。


「絶対親友のあの男が裏切ってるんですよ」


 さっきから延々と繰り広げられているこの論争。私の一歩も譲らない答えを受けて、先生はむっと眉を寄せる。それが本当に子どもっぽくて、とても教師と会話しているようには思えない。


「これだからお子ちゃまは困るぜ。大体親友が犯人だったらトリックがだな…」

 真面目に言い争いをしているけれど、話の大元は単なるサスペンスドラマだ。最近人気の海外ドラマで、残り2回で最終回を迎えるそれに、先生共々私もハマってしまっていた。


「先生こそ、わかってないですよ。大体博士にはアリバイが…」

「だからそれは、いくらでも偽装可能だろうがよ」

 くだらないこんなやり取りが、どれほど続いているだろう。長々と続けられるそれに苦笑いを浮かべた目の前のタクミ先輩に、私はすがるように視線を向けた。


「先輩はどう思います?絶対親友が怪しいですよね」

「だから、博士が怪しいって!」

 尋ねる私の声にかぶせながら、先生までタクミ先輩の方へ身を乗り出す。


 ついに自分の方へ矛先が向いた先輩は、苦笑したまま構わずノートにシャーペンを走らせた。そうして私たち2人を見ないまま、身も蓋もないことを言う。

「あと2週間待てばわかるんじゃない?」


 思わず、今は敵なはずの先生と互いの顔を見合わせてしまった。

「…あのな、准一ぃ」

「先輩、それはナシですよー」

 名取先生と同時にがくっと肩を落とすと、先輩は今度は少しおかしそうに笑う。


 私はともかく大人なはずの先生まで、なんだか先輩にあしらわれているようだった。




「…あ、先輩、6時ですよ」

 そこで不意に見やった室内の時計に気づき、私はそう言う。話題を変えて時刻を教えたその私の声に、先輩は同じように時計を見上げた。それに「あぁ、うん」と返事をしながら、先輩は使っていたシャーペンを机に置く。開いていた問題集とノートを閉じて、帰り支度を始めた。



 引退しても未だ剣道部の面倒を見ている愛海先輩が、部活を切り上げるのが決まって6時だった。それまで数学準備室で名取先生の元で受験勉強をし、そしてタクミ先輩は愛海先輩と帰る時間を合わせている。


 だから私にとっては、毎日この時間が先輩といられる貴重な時間だった。途中で愛海先輩のところへ行ってしまうのは少し切ないけれど、以前のように胸が痛むことはなかった。


 それが、自分の望んだことだから。好きでここへ来てるんだから…。


 それに、先輩に抱きしめられたあの日から…2人の関係は何も変わっていないけれど、心の距離は互いに近づいていることを感じていたから。




 華江も真帆も向井くんも、今のこの不思議な関係をなんとか納得してくれた。タクミ先輩のことを「最低」と評していた華江さえも、私が感じた先輩の苦しみを打ち明けると、特に何も言わなくなった。…まぁ、だからと言って華江が先輩を認めてくれたとは思えないのだけれど…。



『第三者には理解できない事情ってあるものだからね』

 最後に華江がタクミ先輩のことを口にしたのは、そんな一言だった。

『ま、そこにどうこう言うつもりもないし。私はハルカの味方なだけだから』

 続いた言葉に、私は苦笑する。タクミ先輩のことは認めていなくても、私の想い人だから彼女なりに譲歩してくれているらしい。


 真帆も向井くんも、2人なりに今は私の応援をしてくれているようで…。良い友達に恵まれたな、と、最近ではひしひしと実感している。




「…じゃあ、お先に」

 席を立った先輩が、鞄を手に立ち上がる。先輩の後ろ姿に手を振って、私も「さて」と問題集を片付け始めた。


「じゃあ私も帰りますね。先生、さよーなら」

「…お前、わかりやすいなホントに」

「だって先生と2人でいたって仕方がないもん」

 べ、と舌を出して言うと、先生は「ふん」と鼻で笑う。ガタンと椅子から立ち上がりながら、再び窓の外を見上げた。


「雨降ってるから送ってってやるよ。ついでだから」

 車の鍵を見せて、先生がそんなことを言う。今までそういう風に言ってくれたこともなかったので、私は意外そうに眉を上げた。

「…明日雨降るのかな」

「おぅ、梅雨だからな」

 私の嫌味を分かっていないのか、分かっていて受け流したのか…推し量りにくい顔で先生が答える。


 それに苦笑いを返して、私は先生の言葉に甘えることにした。



******



「理沙さんお元気ですか?」

 車の助手席に乗り込んで少し他愛ない話をした後、私はそう話を先生の方へ振った。


 あれから一ヶ月半ほどが経ったけれど、理沙さんとは会っていない。色々と話を聞いてもらったり励ましてもらったりしたことに関しては、先生づたいでお礼を言っただけだ。


「おぅ、今度遊びに来いって言ってたぜ。来月か再来月辺り」

「あ、それはぜひ!名取先生のいない時にでも」

「……お前、俺のこと嫌いなわけ?」

「あれ、先生ってそんな小さいこと気にする人?」

 返した言葉に、先生は「む」と返事に詰まる。いつもやられっぱなしだからたまには反撃しないと気がすまない。心の中で笑いながら、私は話題を変えた。


「で、何で『来月か再来月辺り』なんですか?」

 さっきの先生の言葉を繰り返して尋ねると、先生は運転しているために前を向いたままだったけれど、少し不思議そうに首を傾げた。

「あれ、准一から何も聞いてない?」

「え?何がですか?」

 全く話の示す方向が分からなくて、私は瞬きを繰り返す。ちょうどそこで信号が赤に変わり、先生はすーっと静かに車を停車させた。そうして、窓枠に片肘をついた体勢で前を向いたまま、続ける。


「理沙、妊娠してんだわ。安定期に入るのが来月か再来月辺りってこと」

「あ、そうなんで………えぇぇぇっ!!?」


 思わず、驚きのあまり叫びに似た声を上げてしまった。ここが車という密室で良かった。

外だったら確実に周囲が何事かと振り返っている。


「この前お前に会った辺りの頃、ずっと体調が悪いって言ってたんだよ。それで実家に帰ったりしてたんだけど…」

「え、そうしたらおめでただったんですか?」

「ま、そーゆーこと」

 理沙さんがママになるなんて…なんだか私の方が感動してしまって、ボーっと赤ちゃんを抱く理沙さんを想像してしまう。きっといいママになるんだろうなぁ…なんて思った瞬間、私はハッと我に返った。


「あ、おめでとうございます、先生!パパになるんですね!」

「付けたしのように言うな、付けたしのように」

 苦笑いした先生は、どこか照れを隠しているようだった。再び車を走らせながら、先生はこちらを見ないようにしている。


 絶対に口にしないけど、先生だっていいパパになるに違いない。意外に子煩悩な気がするし…。



「それより話変わるけど、お前、片桐たちに俺の話はしたのか?」

 不意に出てきた華江の名前に、私は「あぁ」と居ずまいを正す。少し真剣な話をする時の先生の顔に戻ったからだ。


「はい。びっくりしてました、三人共」

「だろうなぁ」

 クックック、と笑う先生は、どこか楽しそうだ。


 タクミ先輩と色々あったあの後、先生から「華江たちには先生とタクミ先輩の本当の関係を話してもいい」という風に言ってもらっていた。学校では義兄弟だということはあえて隠しているのに、華江たちのことは信用できるからという理由らしい。


「あれだけお前のこと心配してんのに、一部隠して説明なんてできないだろ?」

 先生は、そう言ってくれた。確かに、タクミ先輩との間に不思議な着地点を設けた今の私の状態を説明するのに、先生と理沙さんというきっかけなしでは話ができない。そこを隠してごまかしながら話すのも、華江たちを裏切るようで嫌だったので先生の提案は嬉しかった。


「真帆なんてちょっとショック受けてましたよ、先生のファンだから。結婚してることも初めて知ったって」

「おぉ、あいつはあれだな、男を見る目があるな」

「え、私は全然ないと思う」

 笑いながら言うと、前を向いたままの先生からげんこつが飛んでくる。それをすい、と避けて私は今度は声をたてて笑った。



「ま、あいつらなら信用できるし大丈夫だろ」

 話を戻して、先生はそう言う。アクセルを踏み込んだまま、私の家の方向へとハンドルを切った。


「華江たちは口が堅いですし、絶対大丈夫です」

 そこは私も自信がある。力いっぱい言った私に、先生はチラ、と一瞥を投げ寄越した。


「?」

 その視線に小首を傾げると、先生は感心するように改めて口を開く。

「お前のすごいところだと思うよ、そういうところ」

「え?」

 意味がわからずに、私は尋ね返した。



「お前、友達に恵まれてるよな」

 急にそう言われて、私は目をパチパチさせる。確かに、それは最近特に実感していることだ。先生の言う意味がわからないまま、とりあえず力強く頷いた。


「気づいてるか?それはお前がそういう人間を引きつけるからなんだよ」

 いつになく真面目な面持ちで、先生はそう続ける。答えるべき答えも持たない私は、ただ先生の話に真摯に耳を傾けるだけ。


「どんなに片桐たちがイイ奴らでも、お前がダメな奴だったら友達でなんていないだろ」

 最近煙草を辞めたらしい先生は、信号待ちの間に手元が寂しいのかハンドルをトントンと指で叩く。その動きを何となく眺めながら、私はじっと聞き入った。


「お前の明るさと前向きなところが、周りの人間を引きつけるんだろうな」

 先生がそこまで言った時、ちょうど車は私の家の前に着いた。再び静かに車体を止めながら、先生は少しだけ笑う。


「そんなお前にだから、期待してることがある」

「……え?」

 シートベルトを外しながら、私はそこで初めて聞き返した。眉間に皺を寄せると、先生にそこを思い切りデコピンされる。



「明日をお楽しみに」

 ニッと笑った先生は、私を車から下ろして走り去っていった。




******



 先生の言葉の意味を考えて、何だかすっきり眠れなかった気がする。わからないものは考えてもわからないんだから、と思うけれど、それでも気になってしまって…。だけど先生が言っていた意味を理解するのは、そう後のことでもなかった。


 朝から教室がざわついていたから、何だか嫌な予感がした。


「ハルカー、今日ね、転校生が来るんだって」

 ウキウキと楽しそうに、教室に入った私の席まで真帆がやって来る。真帆はこういうのが大好きだ。新しいクラスメイトなんて、浮かれる要因の一つになるに違いない。


 反対にさして興味がないらしい華江は、私の前の席で向井くんといつも通り話をしているだけ。私もそれほど興味があるわけではなかったけれど、真帆には「そうなんだ」と返しておく。


「それがね、めちゃめちゃイケメンらしいよ」

 それでクラスが浮き足立っているのか。納得して、私は「ふぅん」と小さく相槌を打つ。きっとこのクラス内で、イケメンに興味がない私と華江は貴重な存在だろう。


 いや、決して全く興味がないわけではないけれど…。タクミ先輩以上に興味が持てるはずもなく、そちらへ気を向ける余力が自分にないだけだ。



「良かったね、真帆。念願の出会いかもね」

 棒読み寸前の口調で、私は真帆にそう続ける。それに気づいた様子もなく、真帆は「いやん」と妙な声を上げた。

「超好みだったらどうしよう」

「…真帆さーん…?」

 ダメだ、完全に世界に入ってしまっている。真帆は惚れやすい性格だから、イケメン転校生に心を奪われるなんてこともありえないことじゃない。


 …そう…思っていたのだけれど……。





「柴田一真くんだ。彼は中学卒業後ご両親の仕事の関係でアメリカへ…」

 朝のHR、噂通り名取先生が連れてきた転校生を見て、クラスに小さな悲鳴が上がった。もちろん、歓喜の悲鳴だ。確かにそれだけ、転校生の「柴田一真」は噂以上に美形だった。


 180センチくらいある長身に、細身の体。アッシュ系に染められた髪を揺らして、彼はクラスメイトたちに一礼しただけの挨拶を返した。両耳に開いたピアスが、嫌味がなく似合っている。しかも帰国子女とくれば、女子の好奇の眼差しに晒されないわけはなかった。



「席はあそこな」

 名取先生が、柴田くんに私の隣の空席を指す。そこでようやく、私は「…もしかして」と不意にあることに思い至った。



 先生が私に期待しているっていうのは…もしかして、転校生のお世話役だろうか?嫌な予感に背筋が凍る思いで、私は思わず身震いした。


 冗談じゃない。こんなに彼に興味を持っている人がいるんだから、他の子がやればいいのに…。そう思ったけれど、当然柴田くんは私の思惑なんて知る由もなく隣の席の椅子を引いた。



「よろしくね」

 とりあえず、無視するわけにもいかなくて声をかける。柴田くんは軽く頭を下げただけで、声を発することもなかった。


「柴田、わからないことは隣の夏川に聞けな」

 …………やっぱり。先生のダメ押しが聞こえてきて、私は柴田くんに聞こえないように吐息を漏らす。


 そうして私は、クラス中の女子の羨望の眼差しを浴びながら柴田くんのお世話役を押し付けられたのだった。



******


 自分の置かれたとんでもないかもしれない境遇に気づいたのは、1時間目の休み時間だった。私の出る幕なんてなく、柴田くんの周りにはお世話をしたいらしい女子がワイワイと群がってくる。


 その波に乗り切れない真帆が、後ろの方でもみくちゃにされていた。その周囲の様子に、前の席の華江共々ため息を漏らす。


「ねぇねぇ、柴田くんのおうちはどの辺なの?」

「アメリカからはいつ帰ってきたの?」

 そんな質問を立て続けにするクラスの女子たちを見ながら、私は漠然と「本当にあるんだな、こういうの」と思う。漫画でよく見る光景だけれど、実際に見たのは初めてだった。


「ねえ柴田く…」

「…ぇな…」

 それまで一言も発しなかった柴田くんが、ある女子がしつこくよびかけた時に何事かを小さく呟いたようだった。初めて聞く声に、それまで遠巻きに見ていた男子たちもがこちらを興味ありそうに振り返る。「え?」と聞き返したその女子の周りの子たちも、柴田くんの呟きに耳を傾けようと静まり返った。


 ところが、その次の瞬間…。



「うるせぇっつってんだよ」

 静寂に聞こえた彼の声が告げたのは、そんな思いもよらない一言だった。



 椅子に座ったまま両手をズボンのポケットに突っ込み、柴田くんはその女子を見上げる。それからぐるりと、周りの人間を見渡した。

「ピーチクパーチク、ブヒブヒブヒブヒ、人の周りでガタガタ言ってんじゃねぇよ!ヒヨコかブタか!てめぇらは」


 名取先生も顔負けの口の悪さで、柴田くんはそう吐き捨てる。しん、と冷え切った教室内の空気の中、彼は嫌気がさしたように不機嫌な顔でガタンと椅子から立ち上がった。


「おい、お前」

 高圧的な態度で、そう私を見下ろす。急に圧力を感じて、私は柴田くんを見上げて「はいぃ」と情けない返事をした。初対面で「お前」と失礼な呼び方をされたことはこの際どうでも良かった。


「校内案内しろ。うっとうしいブタがついてこねぇとこな」

「え、でももうすぐ授業が…」

 反論しようとしたけれど、ジロ、と睨まれて私は身を小さくする。逆らえる雰囲気でもなく、私はそろそろとゆっくり立ち上がった。



 幸い、2時間目は名取先生の数学だ。機嫌を損ねて完全にサボる気でいる柴田くんに付き合わされても、名取先生なら文句は言わないだろう。何より、面倒な役を私に押し付けたのは先生に他ならないんだから。



 柴田くんに腕を引っ張られながら、私は茫然とするクラスメイトたちに見守られて教室を後にする。華江だけが、「ご愁傷様」とでも言うように私に向けて合掌していた。





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