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Sweet&Cool  作者: みずの
Loose
18/57

Loose 11  side:Takumi


 その日は疎ましいくらいに空が晴れ渡っていた。4月も下旬にさしかかり、気温も暖かいというよりは少し動けば汗ばむほどで。漠然と温暖化という言葉が脳裏をよぎるけれど、それを細かく吟味するほどの興味はない。そんな風に頭の中に浮かんだ事柄をすぐに消し去っていく作業を、今日どれくらい繰り返しただろう。


 それだけ、今の自分には思考力と注意力がない。陰鬱な気分が、何も考える気にさせてくれなかった。




 あの嘘をついた日から、どれくらい日数が経ったんだろう。数える気にもならず、ただ何も考えないように必死になったまま、月日が経過するのを漠然と感じるだけだ。



 あの日から、委員会で顔を合わせたことを除けば彼女には一度も会っていない。それどころか姿を見かけることもなくなってしまった。意識的に避けているというよりは…彼女が自分の方へ来なければ全く会えなくなるほど、接点のない二人だったんだと実感させられる。



「……」

 これで良かったんだと自分に言い聞かせながら、俺は英単語帳を開く。胸のどこかが痛んだ気がしたけれど、立ち止まって気にしている資格は自分にはなかった。




 休日の土曜日、受験勉強をする場所に選んだのは県立の大きな図書館だった。これと言った趣味もない自分が、これほどつまらない人間だと自覚したことはなかった。こんな時に、勉強以外にすることが見つからない。



 ただし何かを考える気にはなれないので、専ら暗記ものに専念する。それならばわざわざ図書館にくる必要もなかったのだけれど、あえて「典型的な受験生」という立場に自分を置くことでそれ以外の思考を遮断したかった。そうでもしないと、あの時の彼女の泣き顔がすぐに蘇ってきそうだったからだ。




 昼を過ぎた頃、周りの受験生や社会人たちがバラバラと昼食を取りに一旦外へと出て行く。その流れに反するように、空腹もろくに感じていない俺はそのままその場所に居座ることに決めた。だけどその瞬間、ズボンの後ろポケットに入れていた携帯が振動したのに気づく。取り出したそれが示したのは、メールではなくて通話着信だった。



 席を立って、俺はそのまま出口へ向かう。その間にコールは切れてしまった為、外に出ると同時にこちらからかけ直した。




『今忙しかった?』

 第一声、少し遠慮がちな愛海の言葉が耳に届く。「いや」と小さく答えると、電話の向こうで軽く頷いたようだった。

『今瑞穂と勉強会してるんだけどね、前にタクミが使ってた赤い表紙の参考書のことで…………っ!』

 言いかけた愛海の言葉が、小さな悲鳴に変わる。何事かと一瞬目をみはったけれど、電話の向こうではガサゴソと物音がした後で『准一?』と第三者の声がした。


「何」

 自分でも無愛想だと自覚するほどの声で、俺は問い返す。俺のことを下の名前で呼ぶ女子なんてそうはいない。冷たい返事を受けた瑞穂は、それでも慣れているから気にした様子はなかった。ただ瑞穂の向こう側で、「急に電話取らないでよ!」と愛海が文句を言っているのが聞こえてくる。



『どーしてもその参考書見せてほしいんだけど!今すぐ持ってきて!』

「今すぐって…」

『今うちで勉強してるからさ、持ってきてよー。あ、ちなみに准一はどこにいるの?』

 こちらの返事なんてお構いなしなのか、瑞穂はまくしたてるように続ける。

「今すぐは無理」

 きっぱりと返事をして、俺は瑞穂のリアクションを待たないまま「愛海にかわって」と告げた。


 口の中でブツブツと文句を転がしながら、瑞穂は電話を愛海に譲る。

『もしもし?』

と再び出てきた愛海に、俺は吐息まじりに説明した。



「その参考書だったらちょうどこの前、姉が持っていったよ」

 姉も他校でだが高校教師をしている。俺の部屋で見かけたそれを気に入ったらしく、俺に有無を言わさず持っていってしまった。

『理沙さんが?それじゃあしょうがないね』

「今近くにいるから、返してもらいに行ってくる。瑞穂に明後日学校に持っていくって言っといて」

『でもそれじゃ面倒でしょ?瑞穂の我儘だし、無理しなくても…』

「いいよ。後でうるさそうだから」

 苦笑い気味にそう言うと、電話の向こうで「それもそうね」と愛海も少し笑う。そうしてそのまま通話を終わらせて、俺は図書館の中へと戻った。



 それにしても、どうして瑞穂もそれほどあの参考書にこだわるんだろう。ふっと浮かんだそんな疑問も詳細に頭を捻るほどの興味がなく、俺はそのままそれを次の瞬間には忘れてしまっていた。




******



 それから2時間ほど図書館で勉強をして、俺はようやくそこを後にした。鞄を肩から提げて、反対の手で携帯電話を操る。歩いて図書館の門をくぐりながら、俺は電話をかけて相手が出るのを待った。


『もしもし?』

 いつもより長く待たされた後、相手の声が耳に届く。

「今、家?」

 尋ねると、姉は少し考えたような間を空けた後に「そうよ」と答えた。そのほんの少しの間に、些細な違和感を感じる。


「この前持って帰った参考書なんだけど…」

『あぁ、うん。助かったぁ、あれ。参考になったわ』

 半ば勝手に持って行ったことには悪びれた様子もなく、姉は平然と「ありがとう」と礼を言った。


 それを同級生が見たがっていることを告げて、俺は近くにいるから今から取りに行きたい旨を伝える。

『え、そう!?そうね、それがいいわ!お友達も早く見たいだろうしね!』

 マンションまで行くと伝えた瞬間、姉の声とテンションがワンランクアップした気がした。やっぱり今日の姉に違和感を感じながら、俺は密かに眉を寄せる。


『じゃあ今から待ってるわ。ちょうど頼みたい用事もあるし』

 語尾に確実にハートでもついていそうな声で、姉はそう続けた。その一言に、とてつもなく嫌な予感がする。だけど今更、断れるわけもなかった。



 姉のマンションはここから歩いて数分程度だ。覚悟を決めて、俺は吐息混じりに携帯電話をしまいながら少しだけ早足で目的地へと向かった。




******



 たどり着いたマンションはもう何度も訪れたことがあったけれど、なんだか今日は違って見えた。姉のあの言葉で嫌な予感がしているからだろう。エレベーターホールでちょうど来たそれに乗り込み、5階のボタンを押す。一番奥の部屋まで行って、インターホンを鳴らした。


「いらっしゃい」

 含み笑いをした姉が、にんまりと顔を出す。嫌な予感を通り越して、背筋が凍る思いだ。今更ながらにここへ来たことを後悔すると共に、少しだけ責任転嫁をして瑞穂を恨む。


「ごめんねぇ。借りたのこっちになのに取りに来てもらって」

 玄関を入って一番近くにある部屋のドアを開けて、姉はそこへ入って行く。すぐに出てきたと思ったら紙袋に参考書を入れて手渡してきた。

「…どうも」

 短く言って、俺はそそくさと踵を返す。そのままどさくさ紛れに帰れないものかと思ったが、あろうことか姉は俺の襟をぐいっと掴んだ。


「頼みたい用事があるって言わなかったかしら、私」

「…頼みごとのある人間のセリフとは思えないんだけど」

 肩を竦めながら言うと、姉はにっこりと笑いながら俺から手を離した。どうしたって俺が逃げられないと踏んだんだろう。


「こっち来て」

 リビングへと促して、姉は先を歩いて行く。一般的なマンションよりは少し長めのその廊下をついていき、俺はリビングのドアをくぐると同時にしびれを切らした。

「用事って何」

 逃げるのを諦めたとは言え、どうせろくなことじゃない。尋ねながらふと顔を上げて、俺は思わずその場で硬直してしまう。


「………」

 そこのリビングにいたのは、名取先生ともう一人…。幻覚でも見ているんじゃないかと思うくらい信じられなくて、俺はただ目をみはった。


 彼女の方も俺が来ることは予想していなかったらしく、同じように目を見開いている。まるで鏡を見ているように、互いに息を飲んだ。



「今日ね、ハルカちゃんに街中でコーヒーかけちゃって」

 さすがにそこは申し訳ないと思っているのか、姉は彼女の方を見ながら苦笑まじりにそう言う。そう言えば玄関に姉の趣味じゃない靴があったことに、ここへ来た時点で気づくべきだった。



「…何やってんの」

 相変わらずドジな部分のあるらしい姉に呆れたように言ったけれど、今の俺にはコーヒーがどうのは所詮どうでもいい話でしかなかった。ただ、平静を装うのに必死なだけだ。

「そうしたら貴弘の生徒だって聞いたから、お詫びにウチまで来てもらったの。准一の後輩みたいだし、家まで送ってあげてほしいのよ」

「………」

 こっちの気持ちなんて知ってか知らずか……いや、知っているに違いない。姉は何食わない顔で、そんな横暴なセリフを吐く。



「……」

 今更、断れるわけもない。このおせっかい夫婦にかかれば反論の余地すら与えてもらえないんだから。その証拠に、奥のソファでは名取先生がニヤニヤと不良教師の名に恥じない嫌な笑みを浮かべていた。



 小さく吐息を漏らすと、それまで黙っていた彼女が「…あの」と小さく声を出した。


「私一人で帰れますから…」

 鞄を持ってそう言いかけたその言葉を、俺は片手を上げて遮る。それを受けて口をつぐんだ彼女を見て、俺は「…行こう」と呟くように促した。



 ここで意固地に断るのもおかしいし、何よりそこまで邪険にするのも本意じゃなかったから…。




 リビングを出て行く俺の後ろ姿に姉が何事かを投げかけたけれど、俺はそれに応じる気もしなかった。怒っているわけではない。それでも、姉のしたことに感謝をする気なんてもちろんない。



「………」

 無言のまま部屋を後にする俺の後ろを、ためらいがちに彼女がついてくる気配だけが感じられた。






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