表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sweet&Cool  作者: みずの
Loose
17/57

Loose 10  side:Haruka


 乗せてもらった車がたどり着いた先は、駅から少し離れた住宅街に立つマンションだった。真っ白い壁が色褪せることもなく太陽を照り返していて、新しく建ったばかりだということを物語っていた。


 地下の駐車場に車を止めて、五階の一番奥の部屋まで促される。カードキーでロックを解除し、理沙さんは玄関のライトを点けると「どうぞ」と笑顔で私を招き入れてくれた。


「こんなのしかないけど…洗って乾くまで着てくれる?」

 リビングのソファに通されて、理沙さんは一枚のトレーナーを持ってきてくれる。シンプルなピンク色のそれを受け取って、私はお礼を言って頭を下げた。脱衣所と洗面所の方を貸してもらい、茶色く染まった白いシャツを脱ぐ。借りたトレーナーは理沙さんの物らしく、ふんわりと優しい匂いがした。


 着替えてリビングに戻ると、いつも通り尊大な態度で先生がソファで足を組んでいる。カウンターキッチンでは理沙さんが湯気の立ち上る紅茶をカップに注いでいた。

「あ、じゃあシャツ洗うわね」

 出てきた私から汚れたシャツを受け取り、理沙さんはそのまま洗濯機の方へパタパタと歩いて行く。何となくどこにいていいか迷って立ち尽くしたままだった私に、先生は「座れば?」と自分の向い側のソファを指差した。


 促されるままに「すみません」と遠慮がちに座ると、丁度戻ってきた理沙さんが紅茶を運んでくれる。

「洗って乾くまでちょっと時間かかるから、待っててね」

 にっこり笑って言う理沙さんにもう一度お礼を言って、私は差し出された紅茶のカップを両手で覆った。伝わってくる温かい温度が心地良い。



「夏川、お前さぁ、最近なんか元気ないだろ」

 運ばれてきた紅茶を一口飲みながら、先生はいきなりそんな風に口火を切った。「え」と面食らったように返す言葉に詰まると、隣で理沙さんが「…ちょっと」と先生をジロッと睨む。

「なんなの、その急な話題の振り方。ハルカちゃんもビックリしてるじゃない」

「タクミとなんかあったのか?」

 理沙さんの言葉を聞いてるのか聞いていないのか、完全にスルーして先生はそう畳みかける。

「……」

 じんわりと伝わる紅茶の熱に一瞬目を閉じてから、私はゆっくりと顔を上げた。

「そう見えますか?」

 尋ね返すと、先生は無言で小さく頷いたまま紅茶を啜る。


 それはそうだろう。

 あんなに押しかけていた数学準備室にも、あれから一度も訪れていない。だから必然的に名取先生に顔を合わせる回数も減っていた。あれだけタクミ先輩にまとわりついていた私が急に顔を見せなくなったのだから、何かあったと思われても当然だ。



「……『迷惑だ』って…言われちゃいました」

 名取先生のことは苦手だったけれど、今はそうでもない。むしろ、いつも乱暴な口調でも正しいことを言う先生なら、今の沈んで芯を失った自分に喝を入れてくれるかもしれないという期待があった。私の一言を受けて、先生は少しだけ眉を上げる。理沙さんは自分の紅茶にミルクを注ぎながら、口を挟むこともなくただ黙ってくれていた。



 先生が黙したまま耳を傾けてくれているのをいいことに、私はこれまでのタクミ先輩とのやり取りを話す。真帆や華江に話した時とは違って…私の口は堰を切ったように、息継ぎもそこそこのまま話を続けた。まるで、何かに縋るように。



「…そうか」

 真剣に私の目を見ながら話を聞いてくれた先生は、一通りを聞き終えて小さくそう呟いた。少しぬるくなった紅茶の残りを一気に飲み干して、緩慢な動作で顔を上げて私を見る。

「それで、お前はどうするんだ?」

「…どうするって…」

 小さく先生の言葉を復唱して、私は眉をひそめた。


「どうしようも…ないです。諦めるしか…」

 小声で続けて、私は膝の上で握った拳にぎゅっと力をこめる。


「私は…マナミ先輩がいても、今はタクミ先輩を想えるだけで良かったんです。だからホワイトデーの時、想うこと自体は拒絶されなくて…ホッとしてました。なのに今回迷惑だって言われて…あれが先輩の本音なんだと思うと、諦めるしか…」

 なんとなく先生の顔が見れなくなって、私は斜め下に視線を逸らした。黙って聞いていた先生の口から、深いため息が漏れるのが聞こえる。呆れられたのかと思ったけれど、意外にも先生は「…どう思う?理沙」と理沙さんの方を振り返った。


 急に振られた理沙さんは、「え」と一瞬驚いたけれど、すぐに「…そうね」と小さく呟く。少しだけ考え込む仕草をしてから、ゆっくりと唇を開いた。

「結論から言うと…私は、『迷惑』っていうのは本音じゃないと思うけどな」

 口をつけた紅茶のカップをソーサーに戻しながら、理沙さんはそんな一言を口にする。


 その根拠がわからずに視線を理沙さんに移すと、彼女は少しだけ苦笑いを浮かべた。

「だって、ハルカちゃんの友達の話によると…他の告白してきた女の子にははっきり『ごめんなさい』って断ってるんでしょ?想うだけでも、自分はそれにこの先も応えられないからって…。でもハルカちゃんには、一度は拒まなかったわけよね?本当に迷惑だったら、一回目で拒絶してると思うけどな」

「でも……ホワイトデーの時は、タクミ先輩もはっきり断れなかっただけかもしれないですし…」

 小さく反論すると、理沙さんは「…うーん」と再び苦笑気味に続ける。

「そんなことないと思う。ああ見えて、迷惑なら『迷惑』ってはっきり言える子なのよ。私の弟」

「…そうなんでしょうか…………って、えぇっ!?」

 さらっと流すように言った理沙さんの最後の一言に、私は聞き間違いかと思って自分の耳を疑った。思わず大声を出してしまうと、向い側の先生も苦笑いを浮かべている。


「ごめんね。黙ってるつもりはなかったんだけど…言うタイミングがなくて」

 そう言って、理沙さんは改めてと言った感じにわずかばかり姿勢を正した。

「旧姓、拓巳理沙です。准一はたった一人の実の弟なの」

 微笑んでそう告げる理沙さんの言葉に、一瞬頭が真っ白になる。それから、タクミ先輩が前に名取先生との関係を尋ねた時に答えかけていたのはこのことだったんだ…とか、ゆっくりと思考回路が現実に戻ってきた。そうして我に返った私は、キッと先生を睨み据える。

「…先生、わかってて私にタクミ先輩の話をさせたでしょ」

 言われて、先生は露骨に私から視線を逸らして誤魔化した。



「…ねぇ、ハルカちゃん」

 理沙さんの改まった呼びかけに、私はそちらを振り返る。真剣そうな声音と違うことなく、理沙さんはさっきまでとは違ってまっすぐに私を見据えていた。



「准一はね、ハルカちゃんに惹かれてるんだと思うの」

 ゆっくりと…だけどはっきり、理沙さんは私にそう告げる。

「でもね…」

 続ける理沙さんの声は、そこで少しため息交じりのものに変わった。


「ハルカちゃんも気づいてると思うけど…准一が愛海ちゃんと付き合ってるのには、理由があるの。好きとか嫌いとか…そういう根本的なことよりも、少しはずれたところに理由があるのよ。だから、きっと…」

 一瞬だけ目を伏せて、理沙さんは少し悲しそうに眉を寄せる。

「ハルカちゃんに惹かれていても、愛海ちゃんとは別れられないっていう葛藤が、准一にはあるんだと思う。だからハルカちゃんには曖昧な対応をしちゃう時もあると思うのよね。好きだから、拒めない。でも愛海ちゃんと別れられないから、付き合えない…って」



 ……そう…なんだろうか。

 確かに、タクミ先輩とマナミ先輩には不思議なところがある。幼馴染で彼氏なのにマナミ先輩は未だに「タクミ」と苗字で呼んでいるし、カップルにしてはあまりラブラブな気配も感じない。だから2人が付き合っているのに何か理由があるかもしれないというのは、少し納得できるけれど…。



「でも、先輩が私に惹かれてるなんてことは…」

 それはない気がする。

 だけど……。


「あ、ごめん。電話だわ」

 キッチンのカウンターに置いてあった携帯電話が鳴って、話を中座して理沙さんが立ち上がった。言葉を噤んだ私の向こう側で、理沙さんは電話に応対しながらリビングの外へ出て行く。それを見送ってから、先生は少しだけソファから身を乗り出した。私の方へゆっくりと手を伸ばし、大きな手で頭をポンポンと軽く叩いてくる。


「ま、諦めるなんて言わずに頑張れよ。お前のやり方で」

 無責任なことを言ってくれる。そう思って、私は小さくため息を吐き出した。そんな私を見て、先生は少しだけ意地悪くニヤッと笑う。


「俺も、理沙と同じ意見だけどな」

「……え?」

「准一は本当に迷惑だと思ったら一回目で拒む奴だし、本当はお前に惚れてるんだろうってこと」

「………」

 返す言葉もなく私は思わず黙り込んだ。それをごまかすかのように、カップに残された紅茶に口をつける。すっかり冷たくなってしまったそれを飲み込むと、なんだか体中にじんわりと染み入っていく気がした。



「ごめんね、話の途中だったのに」

 謝りながらリビングに理沙さんが戻ってくる。通話を終えた携帯電話を元の場所置きながら、ソファに座ろうとした彼女に先生が「俺が話をまとめといたから大丈夫」と勝手なことを言った。それに「そう」と頷き返してから、理沙さんは「あ、そろそろ乾いたかしら」と私の洗濯物を思い出したのか再び席を立つ。


 もうそんなに時間が経ってしまっていたらしい。時計を確認していると、すっかりコーヒーの色が落ちたシャツを手に理沙さんが戻ってきた。

「本当にごめんね。でも良かった、シミにならなくて」

 言いながら手渡されて、私はそれを受け取る。再び洗面所の方で着替えなおして、私は借りていたトレーナーを丁寧に畳んだ。リビングに戻ってそれを理沙さんにお礼を言いながら返し、近くに置いてあった鞄を手にする。

「すみません、ごちそうになった上に話まで聞いていただいて…お邪魔しました」

 そう言って頭を下げると、慌てたように理沙さんが顔の前で手を左右に振った。

「あ、もう少し待ってくれる?送っていくから」

「え、いえ、大丈夫です。まだ暗くもないですし…」

「いいの!お願いだから少しだけ待って。すぐそこに来てるって言ってたから…」

 続けた理沙さんの言葉に、誰がとか問い返そうとした時、不意にインターホンが鳴り響く。そうして「はいはーい」と理沙さんがパタパタと玄関の方へ走っていった。


「…そういうことか」

 理沙さんの後ろ姿を見て、先生が小さくそう呟く。「え?」と眉を寄せて先生を振り返ると同時に、リビングのドアが開いて理沙さんが戻ってきた。

「用事って何」

 そんな彼女の後ろから、聞き慣れた声が聞こえてくる。



 思わず目を見開いて、私はそちらをただ凝視して固まってしまった。理沙さんにそんな問いをしながら、声の主であるタクミ先輩が続いてリビングに入ってくる。そうして、彼も私の姿に気づいて目を大きくみはって硬直したのがわかった。


「今日ね、ハルカちゃんに街中でコーヒーかけちゃって…」

 申し訳なさそうに言いながら、理沙さんはタクミ先輩にそう説明する。

「…何やってんの」

 呆れたように理沙さんに言うタクミ先輩は、それでも決して私の方を見ようとはしなかった。

「そうしたら貴弘の生徒だって聞いたから、お詫びにウチまで来てもらったの。

 准一の後輩みたいだし、家まで送ってあげてほしいのよ」

「………」

 何も答えないタクミ先輩は、小さく吐息を漏らす。それが理沙さんに対してか私を送ることになった境遇にかは、わからなかったけれど…。



「…あの、私一人で帰れますから…」

 鞄を持ち直してそう言いかけると、タクミ先輩が片手を上げてそれを遮る。私が唇をつぐむと、ようやくこちらを振り返って「…行こう」と小さく呟いた。



「よろしくね、准一」

 ニッコリ笑って言う理沙さんに返事もせず、タクミ先輩は私を促してそのままリビングを後にした。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ