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Sweet&Cool  作者: みずの
Loose
15/57

Loose 8  side:Takumi


『…迷惑なんだ』



 ………一世一代の、嘘。



 泣かせたかったわけじゃないけれど、そうする以外に術がなかった。



 傷ついた彼女の横顔に、胸が軋むような音をたてる。張り裂けそうなその痛みをバレないようにやり過ごしながら、俺はギリ、と唇を噛み締めた。



 傷つけたかったわけでもないけれど、彼女の顔を見て自分で自分の言葉に傷つけられる。口から出た一言を後悔するわけにもいかなくて、ただ胸の痛みを完全に自覚する前に押し込めるしかなかった。




「…ただいま」

 家に帰り着いた頃には、後1時間ほどで日付が変わる頃だった。心配していたらしい姉と名取先生が、一緒に玄関まで出てくる。

「准一、どこに行って……」

 パタパタと走ってきながら尋ねかけた姉の言葉は、玄関先で俺の顔を見るなり飲み込まれた。



 …それくらい、今の自分はひどい顔をしているんだろう。



「…ごめん、もう寝るから」

 一度学校から先生と一緒に帰ってきて、それから出かけて…。こんな時間まで帰ってこなかったんだから、心配かけて当たり前だと言えば当たり前だ。それでも事情を説明する気になんてなれるわけもなくて、俺はそのまま2人の脇をすり抜ける。


 2階へと続く階段を上り、自室へ向かう途中、階下で2人が心配そうにこちらを見ているのがわかった。



*******



「准一」

 軽いノックの音がしたのは、それから1時間ほど経った頃だった。寝ると言いつつ、眠れるわけもない俺は真っ暗な部屋でベッドに横になったままでいた。小さく返事を返すと、遠慮がちにドアを開けて、先生が入ってくる。


「悪いな、ちょっと付き合ってくれよ」

 お酒の入った瓶を少し持ち上げて、先生は笑った。俺の分はしっかりとソフトドリンクを持ってきている辺り、この人は教師だと思う。さっきまで父親と飲んでいたようだけれど、酔っている素振りは見られなかった。



「理沙の具合も大分良くなったみたいだから、明日学校帰りに連れて帰るわ」

 今日は先生も泊まっていくことになったらしい。既にラフな格好に着替えた彼は、勝手知ったるように俺のテーブルで酒とつまみを広げる。



「…で?」

 グラスにビールを注ぎながら、先生は不意にそう言った。え、と尋ね返すと、苦笑い気味にウーロン茶を差し出される。


「夏川と何があったんだよ?そんな顔するくらいなら話して発散してみろって」

 受け取ったウーロン茶は、冷蔵庫から出したばかりらしく冷え切っていた。それを両手で包みこむと、今の冷めた俺の感情と同じ温度で溶け合う気がする。


「…話して発散するタイプじゃないか」

 口を開こうとしない俺を見て、先生は吐息まじりにそう呟いた。


 先生を信頼していないわけじゃない。


 …だけど、この件に関しては誰に何を言っても返ってくる言葉は同じだとわかっているから。



 ……愛海と、別れろと。


 十人に聞けば十人がそう返すに違いない。




「…なぁ、准一」

 俺の考えていることがわかったんだろう。先生は、少しだけ譲歩するような響きを含んだ声で改めて言った。


「知ってると思うけど…俺、大学の時進路に迷ったことがあっただろ」

 昔を思い出しながらなのか、まだそれほど『過去』ではない思い出を振り返りながら、先生は目を細める。…はい、と小さく返すと、先生は立てた片膝に肘を置いて、尊大な態度でグラスを揺らしながら続けた。


「俺は昔から、どうしても教師になりたかった。だけど…どうしても大学を出てすぐ理沙と結婚もしたかった。ちょうど卒業間際にお腹に子どももできてたから…かなり急いでたと思う」

 その時のことはよく覚えている。

 学生の身分でできちゃった結婚をすることになりそうで、先生は実家の親に散々怒られていたから。勘当されてもおかしくないくらいの騒ぎになったけれど、先生はそこで姉を諦めたりはしなかった。


「子どもと理沙を養うために、新米教師じゃ食っていけないと思った。後々は公務員である方がいいかもしれないけど…今すぐに家族を扶養するには、それなりの企業に就職した方がいいんじゃないかって」

 だから、先生は夢を諦めようとした。姉を手放すことができなかったからだ。

「だけどな…」

 一度言葉を切って、先生は少しだけ伏せ目がちに俯いた。


「理沙が、言ったんだ。『あなたが自分を犠牲にして得た幸せじゃ、私はきっと幸せになれない』って」

 …だからか。先生が、結局夢を諦めずに済んだのは…。


 その後残念なことにお腹の子どもを姉は流産してしまったけれど、当初の予定の通り2人は籍を入れた。そして2人共が教師になるという夢を叶えたんだった。



「あの言葉がなかったら、やっぱり今お互い幸せじゃなかったと思うよ」

 初めて聞く話に、俺は黙って耳を傾ける。そこまで話してグラスのビールを呷った先生は、ふぅ、と息を吐いた。


「…お前は?准一」

 尋ねられて、俺はえ、と顔を上げる。こちらを向いた先生が、真摯な眼差しで見据えていた。


「お前の感情とか…希望とか…そういうもの犠牲にして守ろうとしてるものって、何?」

「………」

「お前が自分を犠牲にして得られる幸せって、本物だと思う?」

「……………」

 返す言葉もなく黙り込んだ俺は、先生のまっすぐな視線から目を逸らすしかなかった。



 …胸が、ズキズキする。



 痛みをぶり返したそれに、俺は小さく眉を寄せた。




******



「タクミ、どうかした?」

 翌日の放課後、半日の授業を終えた俺は愛海の言葉でハッと我に返った。


「なんでもない」

 ごまかすように少し笑うと、愛海は「ふぅん」とだけ呟いて小さく頷く。

「今日はどこ行く?」

 俺の家はまだ姉がいるだろうし、今日は受験勉強には不向きだ。腕を絡めてきた愛海に適当にどこかの場所を返そうと口を開きかけた瞬間、俺たちの後ろで「あ」と大きな声が上がる。


 ゆっくりと振り返った俺と愛海は、そこにいる集団を目にして思わず目を見開いた。瞬時に、昨日の胸の痛みが鮮烈に蘇る。


 ……呼吸をするのも苦しいくらいに、鷲掴みにされたような痛みが走った。


「タクミ先輩、今帰りですか?」

 ニコニコと笑顔を浮かべて、その中の一人が俺に声をかけてくる。先日まで所属していた弓道部の後輩、長谷川だった。


「うん」

 小さく答えると、彼は人懐こい笑顔で続ける。

「そうですか!先輩、引退してもまた部活に遊びに来てくださいね」

 そう言う彼の隣に、あの子の姿があった。こちらを見ないようにしているらしく、決して顔を上げようとはしなかった。


 その姿に、ズキ、とまた鈍い痛みが走る。


 彼女が昨日苦しんだ痛みに比べれば遥かにマシなはずなのに、あまりの痛さに眩暈まで感じる。頑なな横顔は前を向くこともなく、俺の横を素通りしていった。




 ……俺は、心の中で甘えていたのかもしれない。


 いつも明るくて前向きな彼女のことだから、今回のことがあっても乗り越えてくれると…。俺への想いを断ったとしても、会った時は笑顔で声をかけてくれるんじゃないかとさえ心の奥で期待していたのかもしれない。



 振り向きもしないその後ろ姿に、締め付けられるような感覚に襲われる。



「……タクミ…?」

 愛海の呼びかけさえ、この時届くことはなかった。





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