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Sweet&Cool  作者: みずの
Loose
12/57

Loose 5  side:Maho


 始業式の放課後、私は部活の集まりで剣道場に来ていた。今日はさすがに本格的な練習はまだ始まらない。今年度の予定の確認と、ちょっとした話し合い程度の顔合わせだ。


 この春引退した3年生から部を引き継いだ私は、自分でも意外なことに主将の座を任されてしまった。半ば独断と偏見で私を選出したという春日愛海先輩が、引退した身でありながら様子を見に来てくれたことがありがたい。


「春日先輩、今日はありがとうございました」

 毎日とはさすがにいかないけれど、引退しても先輩はちょくちょく部活に顔を出してくれることを約束してくれた。それも含めて、部員たちが帰り支度をし始めた道場で私は先輩に御礼を言う。笑って首を横に振った先輩は、やっぱり私の憧れだった。


「それより真帆ちゃん、頑張ってね。やることはたくさんあって大変だと思うけど」

「…先輩ー、今からプレッシャーかけないでくださいぃ」

 泣きまねをしながら答えると、先輩はフフ、と笑う。親友の恋敵ではあるけれど、春日先輩は女の私から見ても魅力的だった。才色兼備、容姿端麗、文句のつけようがない。


「愛海先輩ー」

 遠くから、男子剣道部の連中が何人か、先輩へ向けて大きく手を振っているのが見える。非の打ち所のない先輩に、こうして男たちが声をかけてくるのも当然と言えば当然だった。

「これから、昼飯でも一緒に行きませんか? 駅前にうまい店見つけたんです」

 デレデレと鼻の下を伸ばす連中をだらしないと思いながらも、春日先輩が相手じゃ仕方のないことだと思う。


「うーん、ごめん。先約があるんだ」

 申し訳なさそうに顔の前で手を合わせて、先輩はそう連中に応じる。そう言われるのも半ば予想していたんだろう。彼らは大してショックを受けた様子もなく、わざとらしく肩を竦めてみせた。

「たまには彼氏とだけじゃなくてかわいい俺ら後輩とも飯ぐらい食いに行ってくださいよー」

「うん、考えとく」

 ニッコリ笑って、春日先輩は連中の誘いをいとも簡単に退けてしまった。こんな感じで、奴らは以前から先輩に振られっぱなしだ。


 そう、先輩はモテるのに男に全くなびかない。彼氏がいるから当然と言えば当然だけど、私からしたらその彼氏が問題だった。



 …拓巳、准一先輩。



 春日先輩の中学時代からの彼氏らしく、私の親友ハルカの想い人でもある。だけど、『完璧』を絵にしたような春日先輩にはどうしたって釣り合わない男だろうと、学校内でもっぱら評判だった。



 タクミ先輩はタクミ先輩なりにモテることもあるようだけれど、どちらかと言えばオーラがない。見るものを引きつける春日先輩とは正反対で、大勢に紛れてしまえば見つけるのも困難なほど、普通の人だった。



 だから、春日先輩とタクミ先輩では不釣合いだと噂されている。だけどハルカは、そんな『普通』なタクミ先輩が好きなんだと思う。ハルカだってそれなりにモテたりもするんだから、何も完璧な彼女のいる冴えない男を追っかけなくたっていいんじゃないかと思うのだけれど、こればっかりは本人以外どうしようもない。




 だから、私は黙って見守ることにしていた。……そう、あのことがあるまでは。



******



 部活を終え教室へ一旦戻ろうとした時、前を素通りしようとした図書室の中にハルカがいるのが見えた。どこの部活にも所属していないハルカがこんな時間まで残っているとは思わなくて、私はせっかくだしお昼ごはんにでも誘おうと図書室の中へ踏み入った。まだ図書委員も決まっていないため、鍵が開けられているだけのそこはハルカ以外の人はいなかった。


 私が入ってきたことに気づいて、ハルカが少しだけ目を見開く。

「よっ」

 片手をあげて挨拶し、窓際の机についているハルカに近づいた。

「まだ残ってたんだ、ハルカ。ねぇ、このままランチに行かないー?」

 軽い男がナンパする時のように軽いノリで声をかけると、ハルカは苦笑い気味に「いいね」と小さく返してくる。その表情がどこか作っているっぽくて、私はこの時やっとハルカの元気がないことに気づいた。

「…ハルカ?」

 そうして私が傍へ行こうとすると、少し慌てたようにハルカは机の上の物を片付け始める。ちらりと見えたその手の物は、数学の問題集。それが見えた瞬間に、私は何となくハルカの暗い表情の原因がわかった気がした。



「…ねぇ…ここにさっきまで誰かいたの?」

 『誰か』なんて聞かなくてもわかっていたけれど。遠慮がちに、私はそう尋ねていた。



「…あぁ、うん……」

 筆記用具も鞄にしまいながら、ハルカは小さく頷く。

「…タクミ先輩が、ちょっとだけね。すぐに用事があるって帰っちゃったけど」

 予想通りの答えが、ハルカの唇から弱々しく漏れてきた。



 それから思い出す。さっき、剣道場で男子部員の誘いを断っていた春日先輩の姿を。…タクミ先輩との先約がある…みたいだったっけ。



 そう気づくと、私は自分のことでもないのに少しだけ胸が痛んだ気がした。



 …恐らく、ハルカもそのタクミ先輩の『用事』というのが春日先輩に会うことだと気づいているんだろう。そうじゃなきゃ、きっとこんな顔しない。元気が取り柄のハルカが、こんな表情でいるのはそれしか考えられないから。



「…仕方ないよね」

 私が考えていることがわかったんだろう。また傷ついた苦笑いを浮かべて、ハルカは言った。


「…それでもいいって思ったのは、私なんだから…」

 小さく呟くように、ポツリとそう言う。



「愛海先輩がいても…、タクミ先輩を想い続けるだけでいいって言ったのは…私なんだから…」

 ハルカの言葉に、ズキン、と私の胸が痛みを訴えた。…そうか、これは……ハルカの痛みだ。



 今にも泣き出しそうな顔をしたハルカは、それでも涙を零しはしなかった。どこかこらえた表情で、眉間に必死で皺を寄せる。そんなハルカを力いっぱい抱きしめ、姉が妹を宥めるように、私はハルカの頭を撫で続けた。



******



 …そう、だから私は非常に怒っていた。


 それでも自分の出る幕なんてないとわかっていたから、私は何があってもハルカが傷ついた時はただ傍にいてあげようと思った。自分ができるのは、それしかないと思っていたから…。



 …だけど、そんな私の考えが覆ったのは、翌日の放課後のことだった。その日は、朝から元気なハルカに復活していた。一日で何とか気持ちを切り替えたんだろう。こういうところが、この子のすごいところで愛しいところだと思う。本気で心配する華江と私に、それ以上気を使わせないように無理しているところもあるんだろう。



 そんなハルカと別れ、放課後、部活の為に剣道場へ向かう途中。旧校舎へ続く渡り廊下に、2つの影を見つけてしまった。


「………」

 ただならぬその雰囲気は、どうも漫画でよくある「告白シーン」ってやつみたいだった。告白しているらしい女の子の方は、去年隣のクラスだったショートカットの子だった。…名前は……思い出せない。



 私が目を見開いた理由は、その相手の男の方だった。低くも高くもない身長に、あの覇気のない後ろ姿。私の思う、「普通」の代表格のあの男だった。



 …そして今、私が一番許せない存在。



 盗み聞きなんて良くないことはわかっていたけれど、どうしても気になってしまった私は音を立てないようにそちらへ向かった。2人からは見えないように、でもあちらの声は何とか聞こえる距離で…物陰に身を潜める。



「…愛海先輩と別れることはないっていうことですか?それとも、別れても私とは付き合えないってことですか?」

 聞こえてきたのは、彼女の方のそんなセリフだった。

「……ごめん」

 漫画や映画のヒーローのような爽やかな断り方もできないらしいその「普通」な男は、ただそう言って頭を下げた。…聞いているこっちが、情けなくなる。



「じゃあ…期待しないで好きでいるくらいはいいですよね? 私が勝手に想ってるくらいなら」

 どうしても退きたくないらしい彼女は、最後に縋るように男にそう言った。



 ……あぁ、まただ。



 漠然と、そんな風に思う。



 こうしてきっと、昨日のハルカのような思いをこの先彼女もするんだろう。陰で勝手に想うだけでいい、そう願ったはずなのに、やっぱり何かを期待して裏切られて傷つく…なんて思いを。



 自業自得、そう言われてしまえばそれまでかもしれない。でも私は、ハルカやこの彼女が悪いとは思えない。だって、人間ならそれは当たり前だから。



 想うだけでいいと…報われなくてもいいと思いながらも、振り向かない相手に傷つくなんてこと……人間の感情じゃ当たり前のことだから。



 だから、私は思う。悪いのは、はっきりしないこの男の方だ。



 相手が少しでも期待してしまうことを知りつつ…はっきりした態度を取らない、この男の方だ。



 ……そう、私は思ったのだけれど………。



「…ごめんなさい」

 再度頭を下げたタクミ先輩のそんな声が、私の耳に届く。その言葉を認識してから、私は「…え?」と物陰で目を見開いた。



 …確かに、タクミ先輩は謝った。勝手に好きでいると言った彼女を…彼は、はっきりと拒んだんだ。



 ついに泣き出したらしい彼女は、たまらずに駆け出して校舎の方へと消えていってしまう。その後ろ姿を見送ってから、ため息まじりに身を翻したタクミ先輩が、こちらへ近づいてくる気配がした。



 …正直、私の怒りはこの時に最大限を迎えていた。



 許せない、この男だけは…。



 そう思うと、考えるよりも早く私は潜んでいた物陰から飛び出していた。もう目の前まで来ていたタクミ先輩は、私の姿に驚いて半歩だけ後ずさる。



「拓巳先輩、今ちょっといいですか」

 自分でもびっくりするくらいの低い声音で、私は目の前の男を睨み据えた。

「…君は?」

 尋ね返されて、私は「小野寺といいます」と静かに名乗る。

「小野寺真帆です」

 そうフルネームを続けると、彼は何かに気づいたように少しだけ眉を持ち上げた。きっと、春日先輩から何度か私の名前は聞いたことがあったんだろう。春日先輩のことに思い当たったらしい彼に、付け加えるように私は言う。

「…ハルカの、友達です」

 続けた私を、タクミ先輩は黙ったまままっすぐに見つめ返してきた。



「お話があります」

 私の背中を押すようにタイミングよく、力強い風が2人の間を吹き抜けていった。



******



「…この前はどうもありがとう」

 物陰という狭くて第三者から見たら怪しいその場所から移動して、開口一番。この上ないくらいに私が睨み据えた相手は、意外にもそんな言葉を返してきた。わずかに面食らって、私は「…え?」と眉を寄せる。


「…ホワイトデーの時」

 短く言うタクミ先輩に、私は「あぁ」と思い当たった。あの時…鈴元くんの暴挙にショックを受けて倒れたハルカ。そんなどん底からハルカを救ってくれたのは、認めたくないけれどやっぱりタクミ先輩だった。



 春日先輩から事情を聞き、その春日先輩を通して私にハルカを呼び出すように彼は頼んで来た。結果、それでハルカが元気になったし、私もそれでよかったとその時は思っていた。だけど……。



「あの時、拓巳先輩に頼まれた通りにしなければ良かったです」

 今の本当の気持ちを、私は唇を噛み締めながら呟いた。



 私の言っている意味がわからないんだろう。わずかに目をみはって、彼は私をまっすぐ見つめ返す。……認めたくないけれど、間近で初めて見る彼は確かにハルカの言うように「目立たないけどよく見たら美形」に違いなかった。



「聞きましたよ。あのホワイトデーの時の話は。ハルカ、嬉しそうでしたから」

 届いてなかったと思っていたチョコと気持ちを受け取ってもらえて、ハルカは本当に喜んでいた。そして…『見返りなんて求めないから、今はせめて好きでいさせてほしい』と言ったハルカを、タクミ先輩が拒まなかった、と。


「さっきの女の子との話、聞いてしまいました。すみません」

 先にそう前置きして、私は続ける。

「先輩、あの子が『期待しないで勝手に好きでいるくらいならいいですよね』って言った時…はっきり、拒みましたよね」

 私の言わんとしていることがわからないんだろう。じっとまっすぐ、先輩は黙って私の言葉を聞いていた。


「私、それは正しいと思います。恋人のいるタクミ先輩が、少しでもあの子が諦めきれなくなるようなことしちゃいけないと思いますから」

 ぎゅ、と、私はスカートの裾を掴む。そうしていないと怒りがとめどなく溢れ出しそうだったから…。



「だったら、どうしてハルカにもそう言ってくれないんですか!どうしてさっきの彼女と同じことをハルカがホワイトデーに言った時、先輩は拒まなかったんですか!このままじゃ、ハルカはあなたのこと忘れられないじゃないですか!」

 一気にそこまで言い切ると、初めてタクミ先輩の瞳が揺らいだ気がした。そう見えたのは一瞬で、彼はすぐに私からこの日初めて目を逸らす。



「タクミ先輩、ハルカにもチャンスはあるんですか?先輩は、いつか春日先輩と別れるつもりでもあるんですか?」

「………それは…」

 もちろん、「ない」んだろう。言い淀んだタクミ先輩は、少しバツが悪そうに…それでも再び私をまっすぐ見つめてきた。



「だったら!ハルカにも少しでも期待させてしまうようなことはやめてください!ハルカだって、さっきのあの子みたいにはっきり拒まれた方がいいに決まってます!今は傷つくけれど、その方がきっといつか前に進める!春日先輩と別れるつもりもないタクミ先輩を諦めきれない今のこの状態が一番かわいそうです!」

 まくしたてるように言うと、さすがに息があがってしまっていた。肩で呼吸して、私は相手を見た。私の言葉を黙って聞いていたタクミ先輩が、静かに一瞬だけ目を伏せる。



 その刹那、私は怒り任せだったとは言え、相手が曲がりなりにも先輩という立場であることを思い出した。少しだけ、冷静に意識が現実に戻った気がする。



「……すみません、少し言いすぎました」

 目を逸らし気味に謝ると、タクミ先輩は「……いや」と小さく首を振った。そうして、再び顔を上げてまた私を正面から見据える。その瞳に、さっきまでとはどこか違う色が宿っている気がした。



 ぞくり、と、嫌な予感が背中を駆け抜ける。



「…おかげで目が覚めたよ」

 小さく微笑んで言う先輩の声に、私を責める響きはない。けれど、どこか…何かを決意したような声音。



 そのトーンに、私は自分がとんでもないことをしてしまったんじゃないかということにようやく気づいた。後戻りなんて、もうできるはずもなかったけれど…。



 今までになく傷つき悲しむハルカの姿が、一瞬だけ脳裏を駆け抜ける。それは、今後起こることの予感だった。



 今傷ついたとしても、はっきり拒まれた方がハルカはきっと今後前へ進める。さっきそう言ったのは、嘘じゃない。でもそのハルカが傷つく状況というのは、私が作り出していいものではなかったんだ…。そう気づいた時には、もう何もかもが遅すぎた。



「…ありがとう」

 最後にそう続けたタクミ先輩は、私の横をすり抜けて校舎の方へと戻っていく。



「待……っ」

 呼び止めかけた私の声は、頑として振り向きそうにない彼の背中に拒絶された。





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