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Sweet&Cool  作者: みずの
Birthday
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Birthday


 …私が生まれた日の空は、一体何色だったんだろう。






「せーんぱい」

 自分でも驚きな高い声が出た。思わずといった声音に己で苦笑しながら、階段を3段一気に飛び降りる。


 「よっと」と着地してから視線を上げると、ため息まじりに唇を歪めた端正な顔と目が合った。


「…またキミか」

 首を竦めながら、私を見下ろしてタクミ先輩はそう呟いた。



******



「キミも懲りないね」

 大学受験用の参考書だろうか、タクミ先輩はそれで自分の肩をポンポンと叩きながら小さく言う。

「懲りません」

 ニコっと笑って返しながら、私は半歩後ろを小走りでついて行った。

「それに私『キミ』じゃないですよ。ハルカって名前があるんですけど」

「キミは『キミ』で十分です」

 言い放つように言葉を投げるけれど、いつも先輩の声に冷たさはない。受け入れはしないけれど拒絶もしないこの距離感が、私はいつも心地よかった。



「ねぇ先輩」

 だから、改めて呼びかける。



 …もっと、この距離感を愉しみたいから。



「?」

 顔だけわずかに後ろを振り返った先輩が、声には出さずに先を促す。もう一度笑顔を浮かべて、私はぴょんっとわずかな段差を飛び越しながら続けた。

「私と付き合って」

「……却下」

 前に向き直りながら、先輩はごく短く切り捨てる。



 いつも通りのやりとりをして、いつも通りに私はむくれて見せた。そんなこちらの態度には慣れっこなのか、さして気にする風もなく先輩は構わず歩いていく。

「私、こんなに毎日頑張ってるのになぁ」

「努力だけは認めてるよ」

 さらっと返して、先輩はとある部屋のドアを開いた。続いて中に入りながら、私は後ろでバレないように舌を出す。



 部屋の中は、いつもより整理整頓されて小ギレイになっていた。数学準備室、ここの教師と仲が良い為、タクミ先輩はいつもここで放課後自主勉強をしている。先輩の追っかけを始めて1ヶ月、クラスメイトに教えられた情報だった。



 先生不在な為に奥まで遠慮なく入りこみ、私は先輩の向かいの席に腰かける。

「邪魔しないから見てていいですか?」

 そう聞くと、「どうぞご勝手に」とまたもや短い返事が返ってきた。




 先輩のことを知ったのはちょうど1ヶ月前、体育で派手に怪我をした私を不在の保健医に代わって手当てしてくれたのがきっかけだった。決して恩着せがましくもなく、かと言って冷たすぎもしない先輩の優しさに惚れたのは当然だった。さりげない温かさが心地よかったからだ。



 正直、私としては運命を感じるほどの出会いだったんだ。女の勘…というと大げさかもしれないけれど…。



「タクミっ!!」

 …そう、これさえなければ………。



 参考書に向かうタクミ先輩を眺める至福の時は、そんなドスの効いたような声に遮られた。わずかな幸せを邪魔された私は、眉を寄せて数学準備室の入り口を振り返る。同じように向かい側で顔を上げた先輩は、ため息まじりに椅子から腰を浮かした。



 そこには、息を切らせて準備室のドアを押し開いた体勢のままの一人の女性。私の天敵、マナミ先輩。

 ……認めたくないけれど、タクミ先輩の彼女だ。



「ちょっと、どういうことよ!!」

「『どういうこと』って…何が?」

 つかつかと中へ入ってくるマナミ先輩に対峙しながら、タクミ先輩はとぼけるでもなく本気でそう聞き返した。

「なんで他の女の子とこんなとこでコソコソ会ってるのかって聞いてるの!」

 ビシっと指を指されて、私は思わず肩を竦める。言い訳は聞いてもらえなさそうな雰囲気だったし、きっと私が何を言っても無駄だろう。沈黙が最善の策だと思い、私は黙っていることに決めた。



「いつも通り数学準備室で勉強しようと思ったら彼女と会って、ここにいてもいいか聞かれたから『どうぞ』って答えた…だけだけど?」

 怒るでもなく呆れるでもなく……感情の読めない表情で、淡々と事実を先輩が口にする。端的な真実なのに、その言葉すら彼女の声に一蹴されてしまった。

「そんなこと信じられるわけないでしょっ?」

 肩を怒らせて、マナミ先輩は見たこともないような顔でタクミ先輩に詰め寄った。



「あのことだって、ああ言っておきながら本当はこの子と会うつもりなんでしょっ!」

 続けてまくしたてるマナミ先輩の言葉の意味は、もう私にはわからない。2人にしかわからない話のようだった。

「…そんなわけないだろ」

 初めてため息をつきながら、静かにタクミ先輩はそう答えた。




 …『あのこと』?『ああ言っておきながら』?……一体、なんの話なんだろう。




「…もういいわ」

 しばらく肩で息をしながら呼吸を整えて、マナミ先輩は必死で高ぶる感情を抑えようとしながら言葉を吐き出した。

「あんたとは別れる」

「…えっ??」

 思わず声を上げたのは、宣告されたタクミ先輩ではなく私の方だった。神様に誓って言うけれど、嬉しかったからじゃない。ただ単に驚いたからだ。



「あんなくだらない嘘までつかれて…もううんざりよ!さようなら!」

 一方的に告げるだけ告げて、マナミ先輩はドアをピシャリと閉めてバタバタと去って行く。思わぬ展開に呆気に取られていた私は、開いた口が塞がらない状態でタクミ先輩を見た。

「……」

 やっぱり何の感情も読み取れない先輩が、改めて椅子に座りなおす。放っておけばまたすぐに参考書を開き出しそうな彼に、私は慌てて声をかけた。

「せ、先輩、追いかけなくていいんですかっ?」

「別にいいよ」

「で、でも…っ」

 先輩が彼女と別れてくれればラッキー…なんて今までは思っていたはずなのに、この状況を目の当たりにしたらやっぱり手放しに喜べるわけはない。言い淀んだ私に、先輩は初めてフッと笑みをもらした。

「今何を言ったって、耳に入るはずないから」

「そ、それは……」

 そうですけど、とまでは言葉にはならなかったけれど、私は口をつぐんで椅子に座り直す。目の前の彼は、またいつも通りの先輩に戻る。

 聞くべきではないと思ったけれど、私は溢れ出る好奇心の波には勝てず、恐る恐る再び口を開いた。

「ねぇ、先輩、聞いてもいいですか」

「……」


 一瞬の沈黙の後、きちんと顔を上げて「何?」と先輩は正面きって聞き返してくれる。先輩のこういう他人に誠実なところが私は好きだ。どんなにくだらないことを言っても、ちゃんと受け返してくれる。



「『あのこと』と『ああ言っておきながら』って…何ですか?」

 顔色を伺うように上目づかいになりながら、私はそう尋ねた。開きかけた参考書を再びパタンと閉じながら、先輩はまっすぐ私を見つめ返す。

「…別に大した話じゃないんだけど」

「それでも聞きたいですっ」

 即答して、私は「あ」と慌てて右手を顔の前で振った。

「でもっ、先輩が話したくないことなら、別にいいです」

 急に居ずまいを正して背筋を伸ばした私に、やっと先輩はプッと笑う。なんだかよくわからないけれど…気分を害されはしなかったみたいだ。




「…もうすぐ誕生日なんだ、俺」

 いきなりそう話し始めた先輩の第一声に、私は「え!!?」と声を上げた。

「そういえば知らなかった!!ファンなのに!」

「知らなかったんだ、ファンなのに」

 意地悪く私の言葉をキレイに復唱しながら、先輩は苦笑いしてみせる。すみません…と小さくなりながら、私は肩をすぼめた。

「…いや、で、まぁ…その当日にお祝いに遊びに行こうって言われたんだけど」

 そりゃあそうだろう。女子高生にとって、彼氏のバースデーは一大イベントだ。

「他に用があるって、断った」

 サラリと続ける先輩に、私は思わず「えぇぇ」と彼女でもないのに抗議の意を口にしていた。

「なんでですかーっ」

 当然予想していたリアクションだったんだろう。先輩は熱くなる私にもう一度苦笑を浮かべた。



「毎年、誕生日には出かけることにしてるんだ」

「……どこに?」

 聞き返すと、先輩はギィッと背もたれにもたれながら続ける。

「花屋に」

「…………花??」

 小さく頷き返して、先輩は「うーん」と伸びをした。



「…さて、話は変わるけれど」

「あれ、変っちゃうんですか」

 わざとコケるようなフリをした私に、先輩は笑う。急に話を変えた彼は、ゆっくりと立ち上がって私を見下ろした。



「誕生日って聞いたら、何て言う?」

「…は?」

 先輩の質問の意味がよくわからず、私は思わず聞き返す。多分…いやきっと、相当変な顔をしただろう。

「それは…やっぱり『おめでとう』じゃないですか?」

 わけがわからないなりに答えると、先輩はそこで大きく頷いて見せた。

「そう、それ」

「『それ』??」

 …本当に意味がわからない。きっと苦手な化学の授業の時よりも混乱した顔をしているだろう。そんな私を、先輩は笑ったまま見据える。



「なんで『おめでとう』って言うんだろう?」

「そりゃあ…『お誕生日おめでとう』だから…」

「…それっておかしいと思ったことない?」

「??」

 ますます訳がわからない。首を傾げて眉を顰めた私は、きっと滑稽だろう。それでも先輩はバカにもせずに、言葉を継ぐ。



「たとえば17年前…俺が生まれたその日、一体何があったんだろう?」

「何って……先輩のお母さんが…」

 きっと痛い思いをして…もしかしたらお父さんも電話で仕事中に呼び出されちゃったりなんかして…。それできっと、頑張って頑張って…先輩を生んだんだろう。


「そう、だから…」

 口にはしなかったのに、先輩は私が考えたことを読み取ったらしかった。肯定して、続ける。


「俺は自分の誕生日には、母親に『ありがとう』って言いたいんだ」


 穏やかに笑いながら、先輩はそう言った。その横顔は…見たことがないくらいに優しい空気をまとっていた。


「母親は俺の誕生日に、『おめでとう』って言ったことはなかった。いつも…『生まれてきてくれてありがとう』だった」



 …そうか…だから先輩にとっては、お母さんへの感謝の日なんだ。そして…先輩のお母さんにとっては、先輩への感謝の日なんだ…。



「…まぁ、俺がこんな風に思えるのは…もう母親がいないからっていうのも大きいんだろうけど」

 言外にお母さんが既に亡くなっていることを告げながら、先輩はゆっくりと目を伏せた。…だからこそ、きっと余計に…。


 自分の誕生のその日を、感謝できるんだろう。



「……っ」

 なんて深い母子なんだろう。…なんて、愛だろう。

 そう思って気づくと、無言のまま涙がこぼれ落ちていた。



「…っちょ…っ」

 さすがに泣かれるとは思っていなかったらしい。珍しく慌てた先輩が、焦ったままポケットからハンカチを取り出した。差し出されたそれを受け取りながら、溢れる涙を拭う。



「それを彼女にも毎年正直に話してるんだけど」

 いつもの苦笑いを浮かべて、先輩は肩をすくめてみせた。

「ああ言われてしまうわけだ」

「……なるほど」

 マナミ先輩には嘘っぽく聞こえたのだろうか。そうだとしたらなんだかマナミ先輩も、そして嘘だと思われたタクミ先輩も…どちらも可哀想な気がした。


「でもまさか…こんなに正反対なリアクションがキミから返ってくるとは思わなかった」

「……そうですか?」

「うん。普通なら『マザコンー』って気持ち悪がられて終わりかなって」

 そんなことないです、と必死で首を左右に振って、私は強調した。



 そう、そんなことあるわけない。だって先輩の想いは、痛いほど伝わってくるから…。きっとこの人は、誰よりも優しい人なんだ。




「ねえ、先輩」

 改まった私の呼びかけに、先輩は視線を上げる。

「先輩の誕生日って…何日なんですか?」

 尋ねると、珍しく先輩は「…ぐ」と言葉を詰まらせた。

「……先輩?」

 思いがけない反応に呼びかけるように見上げると、先輩はわずかにそっぽを向く。その横顔は、耳まで赤くなっている気がした。

「…か」

「え??」

 聞き取れずに身を乗り出すと、意を決したような先輩が大きな声でもう一度言った。

「3月3日!」

「……って…えーっと…」

 お、雛様…の、日…だよね??



 頭を整理しながら考えてから、私は半拍遅れてプッと吹き出した。

「先輩、かわいいっ!!」

「うるさいなぁ、だから言うの嫌だったんだ…」

 きっと何度かからかわれたことがあるんだろう。赤い顔を手で仰ぎながら、先輩は抗議するような口調でそう答えた。



 3月、3日…。

 その日学校は休みじゃないけれど、私も先輩と一緒に先輩のお母さんに感謝をしたい気持ちだった。


 大好きな、この人を生んでくれてありがとうって…。



「ねぇねぇ先輩」

 再度呼びかけると、先輩はさっきのを引きずっているのか、まだ複雑そうな瞳で振り返った。その表情に笑いながら、私は聞く。




「その日の放課後、一緒にお花買いに行ってもいいですか?」









 私が生まれた日の空は、一体何色だったんだろう。お母さんは、その日何を思ったんだろう。

 家に帰って聞いてみることを決めて、私は数学準備室から見える今日の空を見上げた。




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