プロローグ:禁忌の箱
赦されない事をした――そう、禁忌の箱を開けてしまった。
それが、この物語の始まり。
そして、この世の終わりだった。
――未来
2010年、夏――。
世は太陽に照らされ、猛暑が続いていた。
辺りからはうるさいくらいに蝉が合唱をしている。
そんな中、緑丘高校は今日、終業式を挙げていた。
明日からは生徒が待ちわびていた夏休み。
それは彼女たちの間でも話題になっていた。
「明日から休みだね」
式の最中、ポニーテールをした少女――足立未来はそう話しかけた。
彼女の友達である葛飾燐子はその言葉に頷いた。
「うん、夏休み遊ぼうね」
「もちろん!」
未来は嬉しそうに笑った。
燐子は爽やかな笑顔で答えた。
彼女はこの炎天下でもベージュ色の髪を腰まで伸ばしているが、汗をかいている様子はなかった。
未来の前に立っている自由は、制服のズボンを少し折り曲げ、うちわで仰いでいた。
「式にうちわ、持ち込み禁止だよー」
後ろから未来に指摘され、自由は慌ててうちわを隠した。
自由は未来の双子の兄だが、いつもこうして妹である未来に怒られている。
「だってもう、暑くて倒れそうだもん」
「大丈夫、自由は倒れたりなんかしないから」
「何それー!」
このやり取りが先生に気付かれたのか、2人は軽く怒られてしまった。
後ろから眺めていた燐子はその様子を笑って見ていた。
式が終わると残すは通知表の結果だった。
未来は体育を苦手としているが、現国や古典を得意としている。
逆に自由は体育こそが命で、理科や社会が苦手だ。
その得意不得意はやはり通知表にも現れていた。
「やったぁ、見てよ!体育5!!」
「あっそ、良かったね」
自由の喜びは未来によって適当に流されてしまった。
未来の体育の成績は3だったようだ。
「いいじゃん、欠点じゃないんだし」
能天気な自由を未来は睨み付けた。
「もちろんでしょ!?欠点だったら泣くよ!?」
「うわ、そんな怒らなくても…」
自由は少し拗ねた様子で、鞄に通知表を片付けた。
そして燐子に話しかけた。
「燐子ちゃんは相変わらず1位だもんね」
「うん。でも、別に成績に興味はないけどね」
「それは成績がいいから言えるんだよね」
途中で未来も会話に加わってきた。
先生が散らばった生徒を席に着かせると、夏休みの諸注意をした。
先生の話が終わると、帰りの合図だ。
皆は一斉に教室を駆け足で出て行っていく。
未来は自由と燐子と一緒に家に向かった。
「2人はいつ引っ越すの?」
「もう新しい家は見つかってるんだよね。多分夏休み中に移動する予定かな」
「また引っ越したら招待してね」
「もちろんだよ」
未来は自由と二人暮らし。
両親は2人が幼い頃に他界してしまった。
なので2人の記憶の中にも両親との思い出は曖昧なものだった。
それからずっとその家で暮らしていたが、2人で住むには広すぎるため、この前マンションに引っ越す事にしたのだ。
「あー今から引越しの準備かー」
「ちゃんと働いてね」
「私、暇だから手伝おうか?」
だるそうにする自由を見てか、燐子はそう提案した。
「いいよ、家庭内の事なんだし。自由にやらせるから」
「その言い方怖いんだけど…」
しかし未来は自由に甘くはなかった。
自由はちらっと燐子を見ると小声で「ありがと」と言った。
その後、2人は燐子と別れ家に帰った。
夏休みに入ってまだ一週間足らず。
朝早くから慌ただしい音が聞こえる。
「自由、その荷物はそっちって言ったじゃん」
「あれ?そうだったっけ?」
「もう、しっかりしてよね」
自由はダンボールを抱えながら、挙動不審な動きをしていた。
未来は順調に荷物をダンボールに詰めていた。
彼は自分の手にある荷物を未来の座る横に置いた。
「ん、ありがと。じゃあ次は、食器を新聞紙に包んで詰めていって」
「わかった!」
自由はバタバタと階段を下り行った。
未来は詰め終わったダンボールにガムテープを貼る作業をしていた。
「後は…お母さんとお父さんの部屋だけだね」
よっ、と掛け声をかけて未来は立ち上がった。
そしてすぐ横の部屋に入って行った。
この部屋は2人が他界したあと、一切入ることはなかった。
未来は両親の荷物の中から、必要なものと不要なものの仕分けを始めた。
しかし未来が思っていたより荷物が多く仕分けに時間がかかっていたため、いつの間にか食器を詰めていた自由が部屋に入ってきた。
「…懐かしいね、この部屋」
「うん。あんまりお母さんもお父さんも記憶にないけど」
未来は作業する手を一旦止め、この部屋を見渡した。
両親との死別はあまりにも急で、そして2人が幼すぎたため実感が湧かなかった。
けれど部屋にある机に立てられた写真立てに中で笑っている家族を見ると、未来は堪えていた涙を一気に流した。
自由は突然で唖然としていたが、未来の隣に座り込むと背中をさすった。
「…急だったもんね。なんで死んだのか、覚えてないし」
「もっと…ちゃんと、記憶に残ってたら、良かったのに…」
未来は言葉を詰まらせながら、必死に訴えるように自由にすがり付いた。
自由は泣かなかった。
いや、泣けなかった。
いつも自分を叱ってくれる妹が、実はこんなにも我慢していたから。
ここで自分も泣いてしまうと、一体誰が支えるというのか。
自由はそう心で思いながら、ぽんぽんと頭を撫でた。
「よし、この写真は持っていこう。大事な思い出だからね」
「……うん」
手で涙を拭いながら、未来は小さく頷いた。
自由は机の上から写真立てを取ると、"必要"と書かれたダンボールの中に丁寧に入れた。
未来はふと目を机の下に向けた。
すると少し凹んだ部分を彼女は見逃さなかった。
未来は机の下に向かうと、凹んだ部分をじっくり見た。
凹んだ部分の端には、小さな取っ手が付いている。
未来はそれをゆっくり引いた。
すると中から箱が出てきた。
自由はひょこっと未来の後ろから顔を出した。
「…何それ?」
「わかんない。なんだろう…」
未来はとりあえず、箱を小さな倉庫から取り出すと埃を払った。
かなり古いものらしく、おそらくは両親の遺品が入っているだろう。
未来はそう推測した。
「開けてもいいかな?」
「ちょっと、不気味だけどね」
自由はあまり乗らないようだった。
しかし好奇心旺盛は未来は、ゆっくりとその箱を開いた。
その瞬間、どす黒い光や誰かの叫び、嘆き声が部屋を支配した。
身体の中にその黒い光が浸透していくのを感じていた。
「な、何これ!?」
「まずいっ!」
自由は咄嗟にその箱を閉じようとした。
しかしすでに自由の身体は黒い光に支配され、動かずにいた。
未来はぐるぐると眩暈を起こし、箱を抱えたまま意識を手放してしまった。
自由は神経を研ぎ澄まし、その場に意識を保てたが、身体が動いたのと同時に、箱の中は空っぽになっていた。
「…未来!?」
自由は急いで未来の元へ駆け寄った。
その時、自由は身体の異変を感じた。
重い、苦しい、痛い……。
そして最後に見たのは、ゆっくり目を開けた未来の、赤色に染まった左目だった。
俺は、何をしていた?
どうしてあの時、妹に止めるよう言わなかったのだろう。
この箱が開いた瞬間、絶望の未来が見えた気がした。
――自由