第1話 無能な兄の追放宣告とクロワッサン
新連載スタートです!
前作『婚約破棄された令嬢ですが〜』をお読みいただいた皆様、本当にありがとうございます。本作から読んでも全く問題なく楽しめる、理不尽タコ殴り・第2弾(不当出向編)の開廷です!
「桜子! お前のような古臭いやり方しかできない無能な女は、我が鳳凰院ホールディングスには不要だ! 今日付けで、お前を専務取締役から解任する。そして、赤字続きの北海道アパレル倉庫への出向を命ずる!」
マイクも通さず、無駄に良い発声で響き渡った男の声が、重厚な役員会議室の空気をビリビリと震わせた。
帝都の空を見下ろす、鳳凰院ホールディングス本社ビルの最上階。
ガラス張りの豪華な室内で、長男である鳳凰院輝彦が、まるで天下を取ったかのようにふんぞり返っている。
会社の金で仕立てたであろう悪趣味なストライプのスーツが、彼の薄っぺらな傲慢さをさらに際立たせていた。
「お、お兄様……? 急に何を仰っているの? 今期の過去最高益を叩き出した事業計画は、すべて私が……」
「見苦しいぞ、桜子。君の独裁的なやり方には、社員もすっかり疲弊しているんだ。これからは僕がトップに立つ」
輝彦の言葉を冷たく肯定したのは、桜子の婚約者であり、最高財務責任者(CFO)を務める加藤だった。
「そんな……あなたまで、お兄様に寝返ったというの!? 私と結婚して、共に会社を支えていくと約束したのに!」
「寝返ったのではない。優秀なトップにつくのが、CFOとしての正しい判断というやつさ」
婚約者は冷酷にインテリ風の眼鏡を押し上げ、婚約者であるはずの桜子をゴミでも見るかのように見下した。
「では三年連続で数十億の大赤字を出した『サステナブル・ハイパー宇宙繊維プロジェクト』の責任は誰が取るつもりなの!?」
「あれは時代が僕の天才的な感性に追いついていないだけだ! 損失を出した分は、お前が這いつくばって稼げばいいだろうが!」
輝彦は全く悪びれる様子もなく、むしろ自分が被害者であるかのような顔で堂々と言い放つ。
「君の身勝手な経営のせいで、会社は傾きかけている。輝彦義兄さんが次期社長として立て直すしかないんだよ」
「嘘よ! お兄様の尻拭いをするために、私がどれだけ昼夜問わず働いてきたと……!」
桜子が悲痛な声を上げるが、円卓を囲む他の役員たちは皆、気まずそうに目を逸らすか、輝彦に媚びへつらうような笑みを浮かべていた。
「黙れ! 決定はすでに役員会の多数決で下された! お前は明日から、雪降る辺境の倉庫で在庫の数を数えていればいい!」
「そんな……理不尽よ! こんなの、あんまりだわ……っ!」
高笑いする兄と、冷笑する婚約者。完全に孤立無援となった桜子は、その場に崩れ落ちるしかなかった。
……という、まるで三流のファンタジー小説のような見事な追放劇から数時間後。
「――というわけで、私、会社のために身を粉にして働いてきたのに、理不尽に辺境へ追放されてしまったんです」
帝都の一等地、『九条院法律事務所』の所長室。
ブランド物のシルクのハンカチを涙で濡らしながら絶望を語る美女を前に、私はサクッと軽快な音を立てていた。
「なるほど。ファンタジー小説でよく見る『辺境への左遷・追放テンプレ』というやつですね」
私はフランス産の最高級発酵バターをふんだんに使用した、焼きたてのクロワッサンを優雅に咀嚼した。
サクサクの生地から溢れ出す芳醇なバターの香りが、所長室の重厚な空気を少しだけマイルドにしてくれる。
「あー、所長。初対面の依頼人が人生のどん底みたいな顔で泣いているんですから、朝食のパンをボロボロとこぼしながら食べるのはやめてください」
パラリーガルの木戸くんが、私のデスクに資料を置きながら呆れたようにツッコミを入れてきた。
「失礼ですね。脳のエネルギー消費量が一般人の三倍である私にとって、糖分と脂質の補給は弁護士業務の要ですよ」
私はブルーマウンテンのコーヒーで喉を潤し、目の前で泣き崩れる鳳凰院桜子様を見つめた。
国内有数のアパレル企業である鳳凰院ホールディングスの創業者 鳳凰院 隆三の一人娘にして現・専務取締役であり、堅実な手腕で業界でも名の知れた凄腕の令嬢。
(なるほど。妻の死後、長年秘書を務めた女性と隆三氏は再婚。桜子様はその秘書の連れ子というわけですか。お母様が亡くなられたとき「お父様の会社をお願い」と遺言され、それで身を粉にして、これまで会社を支えてきたわけですね)
それが今や、無能な腹違いの兄と裏切り者の婚約者の手によって、極寒の地の赤字倉庫へ飛ばされようとしているのだ。
「桜子様。お話はよく分かりました。見事なまでの『自分を支えてくれた有能な人間を追い出す愚か者』の構図ですね」
「九条院先生……私、どうしたら? 明日から北海道の倉庫に行かなければ、懲戒解雇にすると脅されていて……」
「それはお辛かったですね。一つ確認ですが、貴女と会社との間に、北海道への転勤を命じる旨の個別の事前協議もしくは合意はありましたか?」
「えっ? いえ、そんなものありません。いきなり今日の役員会議で多数決をとられて、有無を言わさず……」
「多数決。素晴らしいですね。民主主義の暴力というやつです」
私はクロワッサンの最後の一口を飲み込み、指先を純白のナプキンで優雅に拭った。
「木戸くん、労働契約法第十四条の暗唱をお願いします」
「ええと……『使用者が労働者に出向を命ずることができる場合において、その出向の命令が、その必要性等に照らして、権利を濫用したものと認められる場合には、当該命令は、無効とする』……ですね」
「ご名答です。さて桜子様、貴女のこれまでの業務実績と、兄君たちの主張する『独裁経営による損害』を客観的に比較いたしましょう」
私は手元にある、木戸くんが特急で収集してくれた鳳凰院ホールディングスの財務データをパラパラとめくった。
「会社の利益のほぼ八割を、貴女の事業部が稼ぎ出していますね。対して、お兄様が立ち上げた新規事業は三年連続の巨額赤字」
「……は、はい。そのとおりです。兄は、人を率いる力は、とてもある人なんですが」
「率いて行く方向が見当違いというわけですね。そんな状況で、稼ぎ頭である貴女を突然、畑違いの北海道の倉庫管理に飛ばす『業務上の合理的な必要性』など、地球上のどこにも存在しません」
「それは……そうですけれど、兄と私の婚約者は役員会の決定権を握ってしまって。逆らえません」
桜子様が悲痛な声で訴える。彼女は優秀な経営者ではあるが、法律の専門家ではない。亡き父と母が生涯を捧げた会社をなんとか守ろうと、脇目も振らず必死で頑張ってきたお嬢様なのだ。
「桜子様。会社という組織は、法律という巨大なルールの箱庭の中に作られた、ちっぽけな砂のお城に過ぎません」
私は黒縁メガネを中指でクイッと押し上げ、口元に三日月のような深い笑みを浮かべた。
「彼らが勝手に作った砂のお城の俺様ルールなど、国家が定めた『現行法』という名のブルドーザーで、外側から物理的に更地に変えてしまえばいいのです」
「ぶ、ブルドーザー……?」
「まずは手始めに、彼らが座ったばかりの王座に火をつけましょう。木戸くん、裁判所へ走る準備を」
私は立ち上がり、壁に掛けられたホワイトボードを指し示した。
「本日付けで、地方裁判所に対し『出向命令の効力停止』および『地位保全の仮処分』の申立てを行います。ご安心下さい。必要な書状の文言は頭の中で既に完成しています」
「か、仮処分……? それって、裁判が終わるまで待たなくてもいいんですか?」
桜子様が涙で濡れた目を瞬かせ、すがりつくように尋ねてきた。
「ええ。裁判所の決定一つで、彼らのドヤ顔の出向命令を、法的に紙屑へと変換するチート魔法のような手続きです」
「でももし彼らが、裁判所の命令を無視して私を倉庫へ送ろうとしたら……?」
「その場合は『間接強制』といって、彼ら個人から一日につき数十万円の制裁金を取り立てることが可能です」
「一日数十万……!?」
「ええ。法律は、従わない愚か者には容赦なく金銭的な罰を与えます。とても合理的で美しいシステムでしょう?」
私はデスクの引き出しから、真新しいA4用紙の束を取り出してトントンと揃えた。
「彼らが『今日から俺たちの時代だ!』と高級クラブでドン・ペリニヨンの栓を抜いている最中に、裁判所からの恐ろしい命令書をプレゼントして差し上げましょう」
「所長、相変わらず相手の絶頂期をピンポイントで狙撃する性格の悪さがカンストしてますね……」
木戸くんが胃のあたりを押さえながら呟いたが、私は全く気にしない。
悪党が一番いい笑顔を見せている瞬間に、背後から六法全書で後頭部をフルスイングする。
それが一番カタルシスを感じるし、相手の精神に消えないトラウマを刻み込めるからだ。
「九条院先生……あの、私、戦えますか? お兄様たちに、一矢報いることができるのでしょうか!」
「おまかせを。本件は私の得意分野です。一矢どころか、ガトリングガンで蜂の巣にして差し上げましょう。……ただし、当事務所の着手金は少々お高いのですが」
「払います! 私の個人資産から、いくらでも!」
「素晴らしい決断です。さあ、桜子様。涙を拭いて、私と委任契約書を結びましょう」
私は最高級のモンブランの万年筆を彼女の前に差し出し、極上の笑みを深めた。
「貴女を追放しようとした愚か者たちを、現行法で合法的に会社から追放し返す……」
地味な令嬢の姿をした魔王は、嬉々として宣戦布告の法螺貝を吹く。
「痛快なリーガル・タコ殴り劇の、開廷です」
お読みいただきありがとうございます!
魔王・結の事務所に、新たな依頼人がやってきました。次回、さっそく現行法のチート魔法による反撃が始まります。
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(※本章は、金曜日の完結まで毎日19時過ぎに更新予定です!)




