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第8話.波の音に紛れて

 夜明け前の海は、静かだった。

 空はまだ暗く、水平線だけがわずかに白んでいる。

 春川 悠真は、防波堤に座っていた。

 どれだけ走ったのか覚えていない。

 気づいたら、ここにいた。

 潮の匂い。

 絶え間なく繰り返す波の音。

 何も追ってこない。

 誰もいない。

 やっと、本当に一人になれた気がした。

「……はぁ」

 肩の力が抜ける。

 海を見つめる。

 広い。

 あまりにも広い。

 閉じた部屋とは正反対の世界。

 ここまで来れば、もう見つからないかもしれない。

 そう思った時――

 砂を踏む音。

 遠くから。

 心臓が止まりかける。

 振り向く。

 誰もいない。

 でも、確かに聞こえた。

 足音。

 近づいてくる。

 反射的に、防波堤の陰へ身を滑り込ませる。

 息を殺す。

 鼓動がうるさい。

 やがて。

 二つの影が、視界に入った。


 白雪 玲奈。

 黒崎 依月。


 喉が凍る。

 どうしてここが分かった。

 玲奈は泣いた跡の残る顔で、海を見つめていた。

「……いない」

 かすれた声。

「どこにも……いない」

 依月は冷静だった。

「まだ近くにいる可能性が高いです」

「どうして分かるの?」

「先輩は遠くへ行く人じゃありません」

 断言。

「帰る場所を探す人です」

 胸が痛む。

 玲奈が崩れるようにしゃがみ込む。

「ねぇ……依月」

 弱々しい声。

「もし、悠真くんが……私たちのこと、本当に嫌いだったらどうしよう」

 依月が一瞬だけ言葉を失う。

「それは」

「私、怖いの」


 震える手で胸を押さえる。

「嫌われるくらいなら……いっそ――」

「先輩」

 依月が遮る。

 強く。

「それ以上言わないでください」

 玲奈が顔を上げる。

 依月の表情は、今までで一番感情が出ていた。

「先輩が壊れたら」

 低い声。

「私も壊れます」

 波の音が、やけに大きく響く。

 玲奈の目から、また涙が溢れる。

「……なんで」

 震える声。

「どうしてこんなに好きになっちゃったの」

 依月が静かに言う。

「好きになった時点で、もう戻れません」

 そして。

 小さく、確信を込めて。

「先輩も、私も」

「春川先輩を諦めることはありません」

 玲奈が微笑む。

 壊れたような笑顔。

「じゃあ……見つけたら」

 息を飲む。

「今度こそ、絶対に離さない」

 依月も頷く。

「ええ」

 冷たい声。

「もう二度と逃がしません」

 その言葉は、宣言だった。

 防波堤の陰で。

 悠真は動けなかった。

 海の広さなんて関係ない。

 世界のどこに行っても。

 この二人は追ってくる。

 愛という名の執念で。

 足音が遠ざかっていく。

 それでも、しばらく動けなかった。

 やがて。

 空が少し明るくなる。

 悠真は震える声で呟く。

「……どうすればいいんだよ」

 答える者はいない。

 ただ波だけが、何度も何度も岸に打ち寄せていた。


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