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無愛想な旦那様は、私の『耳』を溺愛しているようです 〜機密情報を囁くだけで、甘いお菓子と安全なベッドが手に入りました〜  作者: 河合ゆうじ


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第81話 ワルツの死角

 拍手と共に曲が終わると、フロアの空気が一度緩んだ。

 私はその隙を見逃さず、レオの腕から自分の手を引き抜いた。

 

 「……交代よ」

 私は顎でバルコニーの方角をしゃくった。

 そこから、銀の仮面をつけた主役――セレナ姫が、階段を降りてくるところだった。

 純白のドレスの裾が、大理石の階段を流れる水のように滑り落ちてくる。


 「私は壁の花に戻るわ。足が限界だし、あそこのテーブルにあるローストビーフが私を呼んでる」

 「食い意地が張っているな」

 レオは呆れたように言ったが、止めはしなかった。

 「羽目を外すなよ。酔っ払って情報漏洩でもされたら敵わん」


 「シラフでも喋らないわよ。口に肉が詰まってればね」

 私は彼に背を向け、逃げるようにフロアの端へと移動した。

 柱の陰、料理が並ぶ長テーブルの最端。そこが私の新しい陣地だ。


 私は皿を取り、ローストビーフを三枚、それにサーモンのテリーヌを乗せた。

 フォークで肉を刺し、口に運ぶ。

 柔らかい。

 市場の串焼きとは違う、舌の上で溶けるような脂の味。

 私は咀嚼そしゃくしながら、視線をダンスフロアに向けた。


 音楽が再び始まる。

 今度は緩やかな、しかし重厚なワルツだ。

 レオが人混みを縫って進み、階段の下でセレナを出迎えた。

 彼は無言で手を差し出す。

 セレナはその手を取り、優雅にステップを踏み出した。


 絵になる光景だ。

 燕尾服の長身の男と、白いドレスの女。

 周囲の貴族たちが道を空け、そのペアに注目する。


 私は肉を飲み込み、目を細めた。

 視覚情報は十分だ。

 次は、聴覚の出番。


 耳を澄ます。

 会場のざわめき、グラスの触れ合う音、弦楽器の振動。

 それらを通過し、フロアの中央、レオとセレナの口元へ意識を集中させる。


 二人の唇はほとんど動いていない。

 回転の遠心力を利用して顔を寄せ合い、囁き合っている。


 『……お久しぶりね、将軍』

 セレナの声が聞こえた。

 マイクを通したようなクリアな音声ではない。もっと生々しい、息遣いの混じった声。

 『私のコートは? 北の泥の中に埋めてきたのかしら』


 『クリーニングに出した』

 レオが短く返す。

 『だが、今日は昔話をしに来たわけではない』


 『わかっているわ。ダンスの誘い文句にしては無粋ね』

 セレナがターンをする。

 ドレスの裾が旋回し、周囲の視線を釘付けにする。

 その隙に、彼女は本題を切り出した。


 『……地下よ』

 『地下?』

 『この王宮の地下深く。旧王国の時代から封鎖されていた区画があるの。そこに「蛇」の本体が巣食っている』


 私はフォークを止めた。

 王宮の地下。

 灯台下暗しにも程がある。


 『厨房の搬入口から荷物が運び込まれているわ。食材に偽装してね』

 セレナが続ける。

 『中身は人間よ。身寄りのない者たち。……北の工場と同じことを、私の足元でやっている』


 『警備は』

 『ザルよ。衛兵隊長も、内務大臣も、みんな「蛇」の毒が回っている。買収されているの』


 レオがステップを踏み変える。

 『掃除が必要だな』

 『ええ。だから貴方たちを招いたの。私の手は綺麗すぎて、ドブ掃除には向かないから』


 取引成立だ。

 私は皿の上のテリーヌを口に運んだ。

 味はいいが、話の内容が胸焼けを誘う。


 その時、私の耳に異質な音が飛び込んできた。

 二人の会話ではない。

 もっと近く、そして殺意を孕んだ音。


 カチャ。


 金属音。

 食器の触れ合う音に似ているが、違う。

 バネが圧縮され、留め金が外れる音。

 

 私は皿を置いた。

 音の出所を探る。

 フロアの端。給仕たちが控えている場所ではない。

 踊っているペアの隙間を縫って、銀のトレイを持った一人の男が、レオたちに近づいていた。


 給仕の制服を着ている。

 だが、その歩き方はおかしい。

 トレイを水平に保つことに集中しすぎている。

 そして、トレイの下に隠した右手が、不自然に固定されていた。


 ――今だ。

 ――背中が空いた。

 ――針を撃ち込め。毒は即効性だ。


 男の思考が聞こえる。

 ターゲットはセレナではない。

 彼女を守っているレオの背中だ。

 彼を排除し、その混乱に乗じて姫をさらうつもりか。


 「……レオ」

 私は呟いたが、音楽にかき消される。

 距離がある。

 叫んでも届かない。

 男はもう、射程圏内に入っている。


 「合図……合図を送らなきゃ」


 私は手近なテーブルを見た。

 シャンパンタワーがある。

 派手すぎる。警備員が飛んでくる。

 もっと鋭く、レオだけに伝わる音。


 私は自分が持っていた空の皿を、テーブルの角に叩きつけた。

 

 パリーン!!


 陶器が割れる甲高い音が、ワルツの調べを切り裂いた。

 会場の視線が一瞬、私に集まる。

 「あら、失礼」

 私は口元を押さえ、道化を演じた。


 だが、その一瞬の静寂だけで十分だった。

 レオの肩が反応した。

 彼は振り返らなかった。皿の割れた音など気にも留めないふりをして、ダンスの回転速度を上げた。


 給仕の男が、トレイの下から筒のようなものを突き出す。

 発射の瞬間。


 レオがセレナの腰を抱き寄せ、大きくスピンした。

 遠心力で、燕尾服の裾が翻る。

 その裾が、給仕の男の顔面を掠めた。


 「うわっ!」

 男が視界を奪われ、よろめく。

 筒先が逸れる。

 プシュッ、という圧縮空気の音がして、毒針が虚空を飛び、シャンデリアのクリスタルに当たって弾かれた。


 レオの動きは止まらなかった。

 彼は回転の勢いを殺さず、軸足を変えてバックステップを踏んだ。

 そのかかとが、給仕の男の爪先を正確に踏み抜く。


 「ぐっ……!」

 男がバランスを崩す。

 レオはそのまま、ダンスの振り付けのように腕を伸ばし、男が持っていた銀のトレイを叩き落とした。


 ガシャーン!


 トレイが床に落ち、シャンパングラスが派手に砕け散る。

 男は派手に転倒し、酒まみれになって床に伸びた。


 音楽が止まる。

 周囲の貴族たちが悲鳴を上げて退いた。


 「……おっと」

 レオは立ち止まり、息一つ乱さずにセレナを支えていた。

 「失礼。足元が滑りやすいようだ」

 彼は床に倒れた男を見下ろし、冷ややかに言った。

 「飲み過ぎかね? 仕事中に酔うとは感心しないな」


 男は呻き声を上げているが、起き上がれない。

 足の指の骨が砕けている音と、レオに首筋の急所を「優しく」撫でられたせいで、意識が飛びかけている音がする。


 「衛兵!」

 セレナが扇子を閉じ、厳かに命じた。

 「この無礼者を連れ出しなさい。酔っ払いを会場に入れるなんて、警備はどうなっているの」


 衛兵たちが駆け寄り、男を引きずっていく。

 男が落とした凶器――小さな筒――は、レオがさりげなく靴底で隠し、そのまま蹴ってテーブルの下へ滑り込ませていた。


 会場にざわめきが戻る。

 「なんだ、ただの事故か」

 「最近の給仕は質が落ちたな」

 誰も暗殺未遂だとは気づいていない。

 ただの不手際として処理された。


 私は柱の陰で、ホッと息を吐いた。

 心臓が痛い。

 コルセットのせいだけではない。


 レオがこちらを見た。

 仮面の下で、わずかに目が笑っている気がした。

 『よくやった』という合図だ。


 私は割れた皿の破片を足で隠し、新しいローストビーフを皿に取った。

 仕事はした。

 あとは、報酬の話を詰めるだけだ。

 私は肉を口に放り込み、次の曲が始まるのを待った。

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