表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無愛想な旦那様は、私の『耳』を溺愛しているようです 〜機密情報を囁くだけで、甘いお菓子と安全なベッドが手に入りました〜  作者: 河合ゆうじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

72/142

第72話 埋もれた赤い石と空っぽの財布

 銃声が止んだのと、床が揺れ始めたのは同時だった。

 入口の方角から、腹の底に響く重低音が近づいてくる。

 発砲音ではない。爆発音だ。それも、一度や二度ではない。連続して、坑道の支柱を意図的にへし折っていく破壊の連鎖音。


 「……やる気だな」

 レオニスが舌打ちをした。

 彼は即座に近くの実験台を蹴り倒し、バリケードを作った。

 「『蛇』は強盗をやめたらしい。埋葬屋にジョブチェンジだ」


 「生き埋めにする気?」

 私はレオニスの背中に隠れ、耳を澄ませた。

 岩盤が悲鳴を上げている。

 天井のコンクリートに亀裂が走り、パラパラと白い粉が降り注いでくる。


 ――崩れる。

 ――支えきれない。

 ――落ちる。


 壁の中の亡霊たちも、今度ばかりはパニックに陥っていた。

 数十年前の崩落の記憶と、現在の崩壊が重なり、不協和音となって脳を揺さぶる。


 「逃げるぞ」

 グレイが叫んだ。

 彼は懐から、先ほど手に入れた赤い石――思考干渉装置のコア――を取り出し、確認するように握りしめた。

 「ここが潰れれば、姫様の遺産も瓦礫の下だ。急がねばならん」


 「その石を捨てろ」

 レオニスがグレイの襟首を掴んだ。

 「持って走れる状況じゃない。重りが一つ増えれば、全員死ぬぞ」

 「断る。これは……」


 言い争う暇はなかった。

 入り口の扉の向こうで、大規模な爆発が起きた。

 爆風が鉄の扉を吹き飛ばし、熱波と共に土砂が雪崩れ込んでくる。

 視界が土煙で茶色く塗りつぶされた。


 「走れ!」

 私は二人の男の背中を叩いた。

 「喧嘩は後! 天井が落ちてくるわよ!」


 私たちは走り出した。

 来た道は塞がれている。

 だが、この実験室の奥には、搬出用のエレベーターシャフトがあるはずだ。

 壁の向こうから、風が吸い込まれる音が聞こえる。


 「奥だ! 非常口がある!」

 私が指差すと、レオニスが先頭を切って駆け出した。

 足元にはガラス片や書類が散乱し、走るたびにバリバリと音を立てる。


 グレイが遅れた。

 年老いた足のせいではない。

 彼が胸に抱えた赤い石が、まるで抵抗するかのように重力を増しているように見えたからだ。

 石が唸っている。


 ――行くな。

 ――ここにいろ。

 ――我を使え。


 「……厄介な石だ」

 グレイが呻き、足をもたつかせた。

 その頭上、天井の照明器具が支えを失い、落下した。

 

 ガシャン!


 巨大な鉄の塊が、グレイの目の前に落ちる。

 彼は咄嗟にバックステップを踏んだが、その拍子に手が滑った。

 赤い石が手から離れ、床を転がる。

 コロコロと乾いた音を立てて、床に開いた排水溝のグレーチング――鉄格子の隙間――へと向かっていく。


 「あっ!」

 グレイが手を伸ばす。


 石は止まらなかった。

 まるで自ら帰る場所を選んだかのように、鉄格子の隙間へと吸い込まれ、暗い奈落の底へと落ちていった。

 カラン、カラン……。

 遠ざかる落下音が、やがて聞こえなくなる。


 「……しまった」

 グレイが排水溝を覗き込む。

 その背後で、天井の一部が崩落し、巨大な岩が降り注いだ。


 「諦めろ!」

 レオニスが戻ってきて、グレイの腕を引いた。

 「拾いに行けばお前も落ちる! 行くぞ!」


 グレイは一瞬、排水溝の闇を見つめていたが、すぐに表情を切り替えた。

 執着を断ち切った顔だ。

 「……致し方あるまい」


 私たちは再び走り出した。

 非常口の扉を蹴破る。

 そこには、錆びついた螺旋階段が上へと伸びていた。

 光が見える。

 地上の光だ。


 *


 外に飛び出した瞬間、冷たい空気が肺を焼いた。

 私たちは雪の上に転がり込み、咳き込んだ。

 背後で、山が鳴動する。

 ズズズン、という地響きと共に、廃坑の入り口があった場所が陥没し、土煙が噴き上がった。


 地下施設は埋まった。

 旧王国の悪夢も、赤い石も、そして『蛇』の部隊もろとも。


 「……危ないところだったな」

 グレイが起き上がり、コートについた泥を払った。

 彼は杖をつき、埋まった坑道を見つめた。

 「姫様の遺産は、永遠に封印されたわけか」


 「それが一番だ」

 レオニスが雪で顔を拭いながら言った。

 「あんなものが地上に出れば、血が流れる」

 「あるいは、新たな秩序が生まれたかもしれんがな」

 グレイは肩をすくめた。

 「まあいい。姫様には『保存状態が悪く、崩壊して塵になった』とでも報告しておこう」


 私は地面に大の字になって、空を見上げていた。

 曇り空から、また雪がちらつき始めている。

 生きている。

 手足は動くし、痛みもある。


 「……ねえ、紳士たち」

 私は体を起こした。

 「私の報酬は? 石はなくなっちゃったけど、契約は有効よね?」


 グレイが懐を探った。

 取り出したのは、例の恩赦嘆願書だ。

 多少皺になっているが、署名は無事だ。

 彼はそれを私に放り投げた。


 「約束の品だ。これがあれば、貴殿らの指名手配は『保留』扱いになる。王都に戻っても、即座に捕まることはあるまい」

 「保留?」

 「完全な無罪放免とはいかんよ。だが、首輪は外れた」


 「……ケチね」

 私は書類を畳んでポケットにねじ込んだ。

 「で、活動資金の方は?」


 グレイは両手を広げてみせた。

 「あいにく、財布を持っていた従者は山の下だ。手持ちはない」

 「はぁ? タダ働き?」

 「命が助かったのだ。それが最大の報酬だろう」


 食えない老人だ。

 私は雪を丸めて投げつけようかと思ったが、疲労で腕が上がらなかった。


 グレイは帽子を被り直し、私たちに背を向けた。

 「さらばだ、レオニス。剣の腕は鈍っていなかったな」

 彼は歩き出し、ふと立ち止まって振り返った。

 その視線が、私に向けられる。


 「レティ。姫様からの伝言を忘れていた」

 「何よ」

 「『会いに来なさい』とのことだ」


 彼は片目を細め、意味深に笑った。

 「『私のコートを返してもらうついでに、お茶でもしましょう』とな」


 それだけ言い残し、老騎士は雪の中へと去っていった。

 迎えの馬車が待っているのだろう。

 その足取りは、地下での激闘を感じさせないほど軽やかだった。


 残された私たちは、しばらく無言で座り込んでいた。


 「……結局、一文無しね」

 私はため息をついた。

 「明日のパン代も稼げなかったわ」

 「経費がかさむ仕事だったな」

 レオニスが立ち上がり、私に手を差し伸べた。

 「帰るぞ。店を開けなければならん」


 私は彼の手を借りて立ち上がった。

 泥だらけのコート。擦りむいた手。そして、空っぽのポケット。

 だが、不思議と気分は悪くなかった。


 「王都、か」

 私は南の空を見た。

 「あの生意気な姫様に会いに行くのも、悪くないかもね」

 「交通費を貯めてからな」

 レオニスが釘を刺す。


 私たちは山道を下り始めた。

 雪解けの泥道は相変わらず歩きにくい。

 だが、その先には私たちの「城」がある。

 暖炉と、スープと、そして退屈な日常が待っている場所。


 「レオ」

 「なんだ」

 「帰りに市場に寄って。飴が切れたの」

 「金がないと言っただろう」

 「ボリスにツケるわよ。今回の騒動の解決料としてね」


 レオニスは短く鼻を鳴らした。

 それは了承の合図だった。

 私たちは肩を並べて歩いた。

 春の気配を含んだ風が、二人の背中を押していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ