第214話 皇女の演説
紙が擦れ合う硬い音が、部屋の空気を震わせる。
レオニスは紙幣の束を自分のコートの深いポケットに押し込んだ。
「偽札ではないな」
「帝国の重鎮が隠し持つ現金よ。信用度は高いわ」
私は手帳のページに追記し、鉛筆を走らせる。
宰相が床に手をつき、顔を上げる。彼の銀色の髪が乱れ、額に汗が浮いている。
「その金と書類を持って、塔から生きて出られるとでも思っているのか。このまま闇に紛れて逃げるつもりなら……」
「逃げる?」
私は鉛筆の動きを止め、宰相を見下ろした。
「私たちは債権回収の正規の手続きを踏んでいるだけよ。闇に紛れる必要はないわ。この請求書は、最も明るい場所で処理するの」
「明るい場所だと」
「ええ。建国記念の式典が広場で開かれるわね。大勢の観衆と、他国の使節が集まる場所。そこが絶好の清算窓口よ」
宰相の喉仏が上下に動く。
「私を告発する気か。南洋の使者が騒いだところで、誰も信じない」
「だからこそ、私たちが言うんじゃないわ」
私は手帳を閉じた。
「あなたが最も敬愛し、そして最も排除したがっていた方に言っていただくのよ」
レオニスが宰相の襟元を掴み、床から引き剥がす。
「式典が始まるまで、ここで眠っていてもらう」
レオニスの手が宰相の首筋に触れ、圧力をかける。
宰相の体が力なく崩れ落ち、絨毯の上に沈んだ。
*
広場の裏手に張られた巨大な天幕。
風が分厚い布地を叩き、低い音を立てている。
天幕の入り口で、近衛兵が槍を交差させて私たちの行く手を塞いだ。
奥に置かれた鏡の前に座る皇女が、手を上げて近衛兵を制止する。
槍が引かれ、甲冑の金属板が擦れる音が響く。
私たちは天幕の中へ足を踏み入れた。
床には赤い絨毯が敷き詰められ、足音を吸収している。
外からは、広場に集まる群衆のざわめきが低く反響して届いていた。
皇女は装飾の多いドレスの襟を正し、振り返る。
「証拠は手に入ったのね」
「ええ。あなたの命の値段が書かれた書類よ」
私はコートのポケットから、宰相の金庫から奪った紙の束を取り出し、テーブルの上に置いた。
皇女が手を伸ばし、紙をめくる。
紙面を追う彼女の瞳孔が開き、紙の端を握る指先が白く変色する。
「宰相……」
彼女の口から漏れた声が、天幕の空気を震わせる。
「これを、私の口から式典の演壇で読み上げろというのね」
「そういう契約でしょ」
私はテーブルの横に立つ。
「最大のスポンサーには、最も目立つ舞台を用意するわ。宣伝効果としては最高よ」
皇女は紙の束をテーブルに置き、両手を膝の上で強く握り合わせた。
「演壇のマイクは、中央の統制室で管理されているわ。私が予定外の言葉を口にした瞬間、音声は遮断される」
レオニスが天幕の奥へ歩き出す。
そこに設置されている金属の箱、配電盤の前で立ち止まった。
彼は手袋を外し、ベルトのポーチから工具を取り出す。
金属のカバーを固定するネジに工具を当て、回転させる。
外れたネジが床に転がり、硬い音を立てる。
レオニスがカバーを取り外すと、複雑に絡み合った導線が現れた。
彼は迷いなく導線の束の中から特定の一本を掴み、引き抜く。
「演壇のマイクから統制室へ向かう経路を物理的に切断する」
彼は工具の刃を当てて導線の被膜を削り取り、中の銅線を露出させた。
配電盤の別の端子を緩め、そこに剥き出した銅線を巻き付ける。
「これで、マイクの音声は広場のスピーカーへ直接流れる。統制室からの遮断信号を受信する回路は死んだ」
工具の金属部が端子に当たり、カチャリと鳴る。
「電源は独立している。これで、誰かが大元の配線を物理的に断ち切らない限り、音声は広場中に広がる」
レオニスはカバーを戻し、ネジを締め直した。
私は再び手帳を取り出す。
「通信設備の改修工事費も請求リストに追加しておくわ」
皇女が椅子から立ち上がる。
ドレスの布地が重なり合い、衣擦れの音が響く。
「式典の開始が迫っているわ」
「予定通りに私たちが広場の裏の警備を制圧するわ」
私は手帳をポケットにしまった。
「あなたは演壇に立ち、ただ事実を口にするだけでいい」
皇女は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。
胸元の装飾が光を反射する。
「未払いはないわ。全て支払う」
「期待しているわ」
レオニスが手袋をはめ直す。
革が擦れる音が、作戦の開始を告げていた。




