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無愛想な旦那様は、私の『耳』を溺愛しているようです 〜機密情報を囁くだけで、甘いお菓子と安全なベッドが手に入りました〜  作者: 河合ゆうじ


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第214話 皇女の演説

 紙が擦れ合う硬い音が、部屋の空気を震わせる。

 レオニスは紙幣の束を自分のコートの深いポケットに押し込んだ。

 「偽札ではないな」

 「帝国の重鎮が隠し持つ現金よ。信用度は高いわ」

 私は手帳のページに追記し、鉛筆を走らせる。

 宰相が床に手をつき、顔を上げる。彼の銀色の髪が乱れ、額に汗が浮いている。

 「その金と書類を持って、塔から生きて出られるとでも思っているのか。このまま闇に紛れて逃げるつもりなら……」

 「逃げる?」

 私は鉛筆の動きを止め、宰相を見下ろした。

 「私たちは債権回収の正規の手続きを踏んでいるだけよ。闇に紛れる必要はないわ。この請求書は、最も明るい場所で処理するの」

 「明るい場所だと」

 「ええ。建国記念の式典が広場で開かれるわね。大勢の観衆と、他国の使節が集まる場所。そこが絶好の清算窓口よ」

 宰相の喉仏が上下に動く。

 「私を告発する気か。南洋の使者が騒いだところで、誰も信じない」

 「だからこそ、私たちが言うんじゃないわ」

 私は手帳を閉じた。

 「あなたが最も敬愛し、そして最も排除したがっていた方に言っていただくのよ」

 レオニスが宰相の襟元を掴み、床から引き剥がす。

 「式典が始まるまで、ここで眠っていてもらう」

 レオニスの手が宰相の首筋に触れ、圧力をかける。

 宰相の体が力なく崩れ落ち、絨毯の上に沈んだ。



 広場の裏手に張られた巨大な天幕。

 風が分厚い布地を叩き、低い音を立てている。

 天幕の入り口で、近衛兵が槍を交差させて私たちの行く手を塞いだ。

 奥に置かれた鏡の前に座る皇女が、手を上げて近衛兵を制止する。

 槍が引かれ、甲冑の金属板が擦れる音が響く。

 私たちは天幕の中へ足を踏み入れた。


 床には赤い絨毯が敷き詰められ、足音を吸収している。

 外からは、広場に集まる群衆のざわめきが低く反響して届いていた。

 皇女は装飾の多いドレスの襟を正し、振り返る。

 「証拠は手に入ったのね」

 「ええ。あなたの命の値段が書かれた書類よ」

 私はコートのポケットから、宰相の金庫から奪った紙の束を取り出し、テーブルの上に置いた。

 皇女が手を伸ばし、紙をめくる。

 紙面を追う彼女の瞳孔が開き、紙の端を握る指先が白く変色する。

 「宰相……」

 彼女の口から漏れた声が、天幕の空気を震わせる。

 「これを、私の口から式典の演壇で読み上げろというのね」

 「そういう契約でしょ」

 私はテーブルの横に立つ。

 「最大のスポンサーには、最も目立つ舞台を用意するわ。宣伝効果としては最高よ」

 皇女は紙の束をテーブルに置き、両手を膝の上で強く握り合わせた。

 「演壇のマイクは、中央の統制室で管理されているわ。私が予定外の言葉を口にした瞬間、音声は遮断される」


 レオニスが天幕の奥へ歩き出す。

 そこに設置されている金属の箱、配電盤の前で立ち止まった。

 彼は手袋を外し、ベルトのポーチから工具を取り出す。

 金属のカバーを固定するネジに工具を当て、回転させる。

 外れたネジが床に転がり、硬い音を立てる。

 レオニスがカバーを取り外すと、複雑に絡み合った導線が現れた。

 彼は迷いなく導線の束の中から特定の一本を掴み、引き抜く。

 「演壇のマイクから統制室へ向かう経路を物理的に切断する」

 彼は工具の刃を当てて導線の被膜を削り取り、中の銅線を露出させた。

 配電盤の別の端子を緩め、そこに剥き出した銅線を巻き付ける。

 「これで、マイクの音声は広場のスピーカーへ直接流れる。統制室からの遮断信号を受信する回路は死んだ」


 工具の金属部が端子に当たり、カチャリと鳴る。

 「電源は独立している。これで、誰かが大元の配線を物理的に断ち切らない限り、音声は広場中に広がる」

 レオニスはカバーを戻し、ネジを締め直した。


 私は再び手帳を取り出す。

 「通信設備の改修工事費も請求リストに追加しておくわ」

 皇女が椅子から立ち上がる。

 ドレスの布地が重なり合い、衣擦れの音が響く。

 「式典の開始が迫っているわ」

 「予定通りに私たちが広場の裏の警備を制圧するわ」

 私は手帳をポケットにしまった。

 「あなたは演壇に立ち、ただ事実を口にするだけでいい」


 皇女は深く息を吸い込み、ゆっくりと吐き出した。

 胸元の装飾が光を反射する。

 「未払いはないわ。全て支払う」

 「期待しているわ」

 レオニスが手袋をはめ直す。

 革が擦れる音が、作戦の開始を告げていた。

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