第210話 裏街の薬局
レオニスのコートの裾が翻る。
彼は木箱の山の間へ身を滑り込ませた。
布が破れる音と、何かが木材に打ち付けられる鈍い衝突音が続く。
積み上げられた木箱の列が揺れ、隙間から緩衝材の藁が床にこぼれ落ちた。
レオニスが、宮の仕着せを着た男の首の後ろを掴んで引きずり出してくる。
男の靴の先端がコンクリートの床を引きずる。
レオニスは男を床の中央へ放り投げた。
男の体が床に打ち付けられ、ポケットから小さなガラスの瓶が転がり出た。
透明な瓶が床を転がり、私の足元で止まる。
私はしゃがみ込み、ガラスの表面に指先を当てた。
目を閉じて呼吸を止める。
周囲の衛兵たちの甲冑が鳴る音や、皇女の衣擦れの音を思考の端に追いやる。
指先から、瓶に染み付いた音の断片が流れ込んでくる。
乳鉢の中で薬草がすり潰される乾いた摩擦音。
『調合は頼んだ通りか』
『ええ。裏の運河沿いにあるうちの店から、誰にも見られずに運び出しましたよ』
声の背後に、水路に水が流れ落ちる音と、金属の看板が風で軋む音が重なっている。
私は目を開け、瓶を拾い上げて立ち上がった。
「裏の運河沿い。金属の看板が風で鳴る薬屋。この男の調達先ね」
私は瓶をポケットにしまい、皇女の方を向いた。
「実行犯の確保と調達元の特定が完了したわ。手付金を請求する段階ね」
皇女の視線が床に倒れた男から、私の手元の手帳へ移る。
「……払う。私の部屋の金庫から、見合う分の貴金属を持っていきなさい」
皇女が衛兵に顎で指示を出す。
衛兵たちが男の両腕を掴み、乱暴に立たせた。
「残りの清算は、全ての経路を潰してからにするわ」
私は手帳をコートに仕舞い込んだ。
レオニスが木箱の上に置いていた留め金を拾い上げ、ポケットに入れる。
外気を遮る扉を抜け、私たちは宮の裏手へ出た。
空を覆う雲から、細かい水滴が落ちてきている。
舗装されていない道には泥水がたまり、轍の跡が不規則に続いている。
私はレオニスが歩いた後を踏みながら、水たまりを避けて進んだ。
泥が靴の側面に跳ね返り、布地の色を濃く変えていく。
「靴が泥まみれになるわ。経費で新しいのを買うからね」
「この仕事が終わってからだ」
レオニスは歩幅を変えずに答える。
「あの小瓶の音だけで、場所が正確にわかるのか」
「水路に水が落ちる特有の反響音があったわ。それに、看板の金具が擦れる音の周期。運河の幅が狭く、風が通り抜ける路地よ。該当する場所は限られている」
運河沿いの道に出ると、水面を叩く雨の音が大きくなった。
建物の壁面に沿って歩く。
木造の建物が密集し、窓は板で塞がれているものが多い。
前方から、金属がこすれ合う高い音が規則的に響いてきた。
建物の軒先に吊るされた錆びた看板が、風に揺れている。
看板の表面には、剥げかけた塗料で植物の図案が描かれていた。
レオニスが看板の下で足を止めた。
彼は木の扉の取っ手に手をかけ、音を立てずに内側へ押し込む。
扉の蝶番が僅かに軋んだ。
店内は薄暗く、乾燥した植物の匂いが空気に混ざっている。
壁際の棚には、中身の入った瓶や袋が隙間なく並んでいた。
カウンターの奥で、作業台に向かっていた男がこちらを振り向いた。
男の手には乳鉢の棒が握られている。
レオニスがカウンターの前に立ち、ポケットからガラスの瓶を取り出して木の板の上に置いた。
ガラスが木に当たる、硬い音が店内に響く。
「この瓶の持ち主を探している」
店主の視線が瓶に落ちた。
乳鉢の棒を握る男の指の関節が白くなる。
私はカウンターの端に立ち、耳を澄ませた。
店主の胸の奥から、心臓が血を送り出す音が急激に速度を上げる。
一定のリズムが崩れ、不規則な打音に変わる。
店主の視線がレオニスの顔から、カウンターの下へ移る。
右手が乳鉢の棒を離し、カウンターの下の引き出しへ伸びる。
同時に、私は店主の足元の床から別の音を拾った。
木の床板の下、空洞になった場所から、硬貨が重なり合う音と、紙の束が木箱の底に擦れる音が響いている。
隠し場所の残響だ。
「カウンターの下の引き出しに武器があるわ。それから、店主の足元の床板の下。そこに隠し金庫」
私の言葉が終わるより早く、レオニスの手が動いた。
店主が引き出しの取っ手に指をかけた瞬間、レオニスはカウンターを越えて店主の手首を掴む。
鈍い音が鳴り、店主の腕が不自然な角度に曲がる。
店主の口から短い呻き声が漏れた。
レオニスは店主の上半身をカウンターの天板に押し付け、動きを封じた。
私はカウンターの裏側に回る。
店主の足元にある床板の隙間を見る。
板の端に僅かな段差がある。
私は扇子の先を隙間に差し込み、てこの原理で板を持ち上げた。
木の板が外れ、床下の空洞が露わになる。
暗がりの中に、金属製の箱が収まっていた。
「見つけたわ。売上の隠し場所。これで調達の裏付けと、私たちの出張費がまかなえるわね」
私は箱の蓋の金具に手をかけた。




