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無愛想な旦那様は、私の『耳』を溺愛しているようです 〜機密情報を囁くだけで、甘いお菓子と安全なベッドが手に入りました〜  作者: 河合ゆうじ


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第206話 変色する銀の匙

 皿の縁の冷たさが指の腹に伝わる。

 私が手を止めたまま動かないのを見て、対面に座る皇女が短く息を吐いた。

 彼女は自分の手元にあった別の皿から、私と同じ配色の焼き菓子を指先でつまみ上げた。

 絹の手袋の表面が、砂糖の層と擦れる音がする。


 「南洋の使節には、帝国の作法が少々難しかったようですね」

 皇女が菓子を口元へ運ぶ。

 彼女の指が唇に近づく。

 その動作の裏で、先ほど盆を持ってきた女官の心拍数がさらに跳ね上がる音が私の耳を叩いた。

 血液が血管を勢いよく流れる音と、喉の奥で息を呑み込む音が重なる。


 私は膝の上に置いていた扇子の持ち手を握り込んだ。

 手首を返し、テーブルの上を横になぎ払う。

 木製の骨組みが空気を切り、皇女の指先に当たる寸前で菓子の側面を弾き飛ばした。

 同時に、扇子の先端が私の前にある皿の縁を引っかけ、テーブルの下へ落とす。


 陶器が床の化粧板に激突し、甲高い音を立てて砕け散った。

 砕けた破片と、潰れた焼き菓子の欠片が床に散らばる。


 円卓を囲んでいた貴婦人たちが一斉に悲鳴を上げた。

 椅子の脚が床を擦り、いくつもの椅子が後ろへ倒れる。

 彼女たちはドレスの裾を押さえ、私と皇女から距離を取って壁際へ後ずさった。

 温室の入り口に立っていた女官たちが、顔を青ざめさせて立ちすくんでいる。


 「何をするのです」

 皇女が空のままの指先を宙に浮かせた状態から、声を張り上げた。

 「南洋の使節を名乗る者が、皇族に対して刃を向ける気ですか。衛兵を」


 私は立ち上がり、テーブルの上に並べられていたカトラリーの中から、銀の匙を手に取った。

 腰のワイヤーが肋骨を圧迫するのを感じながら、床に散らばった菓子の残骸の前にしゃがみ込む。

 銀の匙の背を、砂糖と生地が混ざり合った断面に強く押し当てた。

 スプーンの金属と、菓子に混入していた未知の粉末が接触し、微細な摩擦音を立てる。


 私は匙を手元に引き寄せ、表面の銀の光沢を照明の光に透かした。

 スプーンの金属の表面が、端の方から急速に変色し始める。

 明るい銀色が酸化したような暗褐色に染まり、金属の輝きが完全に失われた。


 私はそのスプーンの柄を持ったまま立ち上がり、皇女の目の前のテーブルに放り投げた。

 変色した匙が陶器のカップに当たり、乾いた音を鳴らす。


 皇女の言葉が途切れた。

 彼女の視線が、暗褐色に変色したスプーンの表面に釘付けになる。

 壁際へ後ずさっていた貴婦人たちの間から、息を呑む音が連鎖して聞こえた。


 私はドレスの隠しポケットから手帳を取り出し、鉛筆の芯を白紙のページに当てた。

 「皇女殿下への直接的な物理攻撃を未然に防いだ緊急警護の費用。それから、提供された茶菓子の毒物鑑定費用」

 私は鉛筆を動かし、手帳の枠に項目を書き込んでいく。

 紙の表面を芯が擦る音が、沈黙した温室に響く。

 「ついでに、床に落として割ってしまったお皿の弁償代はここから差し引いておきます。請求書は後ほど、殿下の財務官の机にお送りします」


 皇女の唇が微かに震える。

 彼女はテーブルの上のスプーンと私の顔を交互に見た。

 彼女の胸の奥から響く心音には、事前の計画を察知していた形跡がない。

 純粋な混乱と、自分に向けられた殺意に対する反応だけが鳴っている。


 私は手帳を広げたまま、温室の扉の前に立つ女官たちの列へ視線を移した。

 彼女たちの衣擦れの音の奥に、複数の異なる心拍のリズムが混在している。

 私は扇子を閉じ、革のベルトに差し込んだ。

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