第203話 婚約の違約金
暖炉の薪が崩れ、乾いた音を立てて火の粉が舞い上がる。
私は手帳をコートのポケットに戻し、ソーサーの上に散らばった白い陶器の破片を指先で拾い集めた。
鞄の中から、小さな金属製のチューブを取り出す。
キャップを外し、分かれた破片の断面に透明な接着剤を薄く塗り広げる。
破片の断面同士を押し当て、親指と人差し指で固定する。
接着剤特有の、鼻を刺す揮発性の薬品の臭いが室内の空気に混ざり始めた。
対面のソファで、レオニスが自分の銃を分解していた。
弾倉を抜き、金属の部品を布で擦る。
布と金属が摩擦する音が、一定のリズムで部屋に響く。
「代わりの品を注文しろ」
レオニスが布を動かす手を止めずに言う。
「ホテルの備品だ。弁償代は経費に計上しておく」
「割れたのは持ち手だけよ。接着面が固まれば、また使えるわ」
私は指先に力を込め、陶器のパーツを密着させたまま答えた。
「ゴミ箱に捨てたあの封筒だって、使い方次第でいくらでも現金に換えられたのに」
レオニスが布から視線を上げる。
「俺が伴侶を迎え入れるという口約束のことか」
「ええ。正式に婚約の書類に署名して、結婚の事実を作った直後に離婚の手続きを進めればいいのよ。帝国の法律に則って、相手の貴族が持つ領地や資産の所有権をごっそり合法的に分割請求できたはずだわ」
レオニスが手に持っていた銃身を、テーブルの天板に落とす。
金属と木材がぶつかる重い音が鳴った。
彼は残りの部品を布の上に置き、背もたれに体を預ける。
「俺の戸籍を換金材料にするな」
「資産を増やすための手段の話よ。あのハゲ狸から回収する手間が省けたのに」
部屋の扉の表面が、外からノックされる。
短い間隔で連続する音。
レオニスがテーブルの上の部品を素早く組み立て、弾倉を押し込む。
金属のラッチが噛み合う音が鳴る。
彼は銃を腰のホルスターに収め、足音を消して扉へ向かった。
覗き穴から外を確認し、鍵のレバーを引く。
扉が開き、ホテルの制服を着た男が廊下に立っていた。
男は両手で銀の盆を胸の高さに掲げている。
盆の表面には、縁に金色の箔が押された封筒が置かれていた。
「大使閣下への急ぎの書状です」
男が頭を下げる。
レオニスが盆から封筒を取り上げる。
男が後ずさりし、レオニスが扉を閉めて再び鍵をかけた。
彼がテーブルへ戻り、私の手元に封筒を落とす。
紙がテーブルの木目に触れる音がする。
封筒の表面には、先ほどゴミ箱に捨てたものと同じ帝国の紋章が、蝋の封で押し付けられている。
宛名には、南洋の使節団随員という私の肩書きが記されていた。
私は固定していた陶器の持ち手から指を離した。
接着剤はすでに硬化し、白い表面に細い亀裂の線を残してくっついている。
接着剤のチューブのキャップを締め、ポケットにしまう。
テーブルの上の封筒を手に取る。
蝋の封の端に指を掛け、力を入れて剥がす。
乾いた音と共に封が割れ、中から厚手のカードを引き出した。
カードの表面に印字された文字を追う。
差出人は、帝国の皇女。
目的地は、帝城の奥に位置する後宮の温室。
目的は、使節団随員を交えた茶会。
「私への指名よ」
私はカードをテーブルの上に投げた。
「帝国の皇女様が、南洋の随員とお茶を飲みたいそうよ」
レオニスがカードの文字に視線を落とす。
「後宮は、外部の男の立ち入りが制限されている区画だ」
彼はホルスターの留め金を指で弾く。
「護衛の同行はできない。招待の形をとっているが、事実上の隔離だ」
「婚約の話をゴミ箱に捨てた直後だもの。品定めか、あるいは直接の牽制ね」
私は修復したティーカップの持ち手を指で弾いた。
陶器が濁った音を立てる。
「行くのか」
「断れば、使節としての立場に泥を塗ることになるわ。それに、皇族の茶会なら、並べられる茶器や菓子の単価は相当なはずよ」
私はコートのポケットから手帳と鉛筆を取り出す。
「皇女様が私を呼びつける移動の費用と、茶会に拘束される時間への対価。それに、出される飲食物の毒物検査の費用。すべてきっちり請求書に組み込んであげるわ」
鉛筆の芯を白紙のページに押し当て、新たな項目の枠を書き込んだ。




