第14話 カビた麦
ジープの後部座席で、ミレイは不満そうに髪を直していた。
サスペンションの硬い車体が段差を乗り越えるたび、彼女の豊満な体が跳ね、ワインレッドのドレスが擦れる音がする。
「御者の腕が悪いのか、馬の質が悪いのか、どちら?」
彼女がバックミラー越しにレオニスを睨む。
レオニスはハンドルを握ったまま、視線だけを動かして答えた。
「この車は貴婦人をエスコートするために作られていない。砲弾と死体を運ぶためのものだ」
「あら、じゃあ乗っている私は死体扱い?」
「許さない。私の名前が入った袋に、こんなゴミを詰めるなんて」
彼女の背中から、怒りのオーラが立ち上に乗っている私は死体扱い?」
「口が動くうちは生者としてカウントしてやる」
私は助手席で、懐のジャム瓶を両手で押さえていた。
ガラスが肋骨に当たる。
この振動で瓶が割れ、貴重な糖分がコートのっているようだった。
私も車を降り、懐のジャム瓶を落とさないように気をつけながら近づいた。
「ここよ」
私は倉庫の入り口を指差した。
そこにある事務机のあたりから、不快なノイズが聞こえてくる。
――バレ裏地と一体化することだけは避けなければならない。
「……着いたぞ」
レオニスがブレーキを踏む。
車体がつんのめるように停車した。
目の前には、巨大な倉庫群が広がっている。
レンガ造りの建物が規則正しく並び、その間をトラックや荷馬車が行き交っていた。
空気には独特ない。大丈夫だ。
――金は隠した。
――あの女商人はもう終わりだ。
「中にいるわ」
私はレオニスに告げた。
の匂いがある。乾燥した埃と、油と、そして大量の穀物が発酵したような酸っぱい匂い。
ミレイはドアを開け、地面に降り立った。
泥の 「昨日の食堂にいた補給将校とは別の声。もっと若くて、小賢しい声」
ついたハイヒールで地面を強く踏む。
その瞬間、彼女の顔つきが変わ レオニスは頷き、腰のベルトを締め直した。
「行くぞ」
った。
車内での不平屋の貴婦人の顔は消え、獲物を前に *
倉庫に併設された管理事務所は、薄暗く、湿気ていた。
した狩人の顔になる。
「案内なさい、将軍。私の麦をゴミ扱いした担当 壁には在庫表が貼られ、床には泥だらけのブーツの跡が無数についている。者はどこ?」
レオニスは無言で歩き出した。
私はジャム瓶の
奥の机に、一人の男が座っていた。
若いが、目無事を確認し、慌ててその後ろにつく。
*
案内されたのはつきの鋭い男だ。階級章は少尉。
彼は足を机に乗せ、リン、倉庫群の奥まった場所にある建物だった。
入り口には衛兵が立っていたが、レオニスの顔を見ると、慌てて直立不動の姿勢をとる。
私たちはフリーパスで中に入ゴをナイフで剥いていた。
「……なんだ、あんたたちは」
男は私たちが入ってきても、足を下ろさなかった。
「ここは関係者以外立ちった。
倉庫の中は薄暗い。
天井近くの明かり取りの入り禁止だ。観光なら他へ行け」
「関係者よ」
ミレイが窓から、埃の舞う光の筋が差し込んでいる。
床には麻袋が山のように前に出た。
「表で捨てられている麦の、本来の持ち主」
男積まれていた。
その一角、仮設の事務スペースのような場所に、一人の男がいたの手が止まった。
彼はミレイの顔と、そのドレスを見て、鼻で笑った。。
小太りの男だ。
制服のボタンが腹の肉で悲
「ああ、あの詐欺まがいの商会か。腐った麦を送りつけてお鳴を上げている。彼は机の上で、何かを必死に分類していた。
近づくと、それが切手のコレクションだとわかった。
ピンセットで小さな紙片を摘み、台紙いて、よく顔が出せたもんだ」
彼はナイフの先でリンゴの一片を突き刺し、口に放り込んだ。
「帰れ。支払いはしないと通達したはずだに貼り付けている。
横には食べかけの焼き菓子と、湯気の立つ紅茶。
」
「詐欺はそっちでしょう」
ミレイが机を叩いた ここだけ別世界の優雅さだ。
「……優雅なご身分ね、。
「私の馬車を襲って中身をすり替えたのは誰? 貴ヴァレク少佐」
ミレイが声をかけた。
氷のような冷たさを含方たちの仕業じゃないの?」
「証拠はあるのか?」
男は嘲んだ声だ。
男――ヴァレク少佐は、ピンセットを取り落とした。
「うわっ! ……なんだ、ミレイ商会の女か」
彼は慌てて笑った。
「被害妄想もいい加減にしろ。軍を侮辱すると憲兵を切手帳を閉じ、紅茶のカップを引き寄せた。
「アポイントメントもなしに困呼ぶぞ」
レオニスが無言でドアの前に立ち、退路を塞いだ。
男の顔から余裕が消える。レオニスの階級章――将軍を示す星――に気づいたのだ。りますな。ここは軍の重要施設だ」
「私の商品を『廃棄品』呼ばわりしてお
彼は慌てて足を下ろし、立ち上がろうとした。
「座っていて、よくお茶が喉を通るわね」
ミレイはハンドバッグを机に置いた。
中から、先ほどの川底の木片を取り出す。
「これに見いろ」
レオニスが低く言った。
「話がある」
私は部屋の中を歩き回った。
男の机の横にある、鉄製のロッカー。
その取っ手から、強い残留思念が響いている。
――重覚えは?」
ヴァレクは木片を一瞥し、鼻で笑った。
「ただのゴミでしょう。掃除係を呼びましょうか?」
「カラス橋の欄干に刺い。鍵をかけた。
――誰も見ない。
――封筒に入った金貨。厚い。
「ねえ」
私はロッカーの前で立ち止まったさっていたゴミよ。私の荷馬車の塗装が付いているわ」
「それが?」
ヴァレクは紅茶を啜った。
「あなたの馬車がどこで事故を起こそうと、私の。
「このロッカー、随分と嬉しそうね」
男の目が泳知ったことではない。私が知っているのは、昨日ここに納品された麦が腐っていたという事実だけだ」いだ。
「……何の話だ。備品入れだ」
「備品にしては、中身が高級すぎるみたい」
私はロッカーの扉に耳を当てた。
彼は事務的に、後ろの麻袋の山を指差した。
「現物があ
冷たい鉄板を通して、昨夜の記憶が再生される。
――雨そこにある。異臭が酷いので、早急に引き取ってもらいたい」
ミの音。
――男が二人。ずぶ濡れだ。
――『これでレイが眉を吊り上げる。
口を開きかけた彼女を、レオニスが手で制した。
「レティ」
レオニスが私を見た。
「仕事手付金だ』。
――『残りは仕事が終わってから』。
「昨だ」
私はため息をつき、麻袋の山へ歩み寄った。
酸っぱい匂いが強くなる。
カビと湿気の匂いだ。
私は一番手前の袋に手を触れた。粗い麻の感触。湿っている。
耳を日の夜、雨が降ってた時間帯」
私は振り返り、男を見た。
「ここを開けたわね? 濡れた手で。取っ手が冷たかったって覚えてる」
男の顔色が青ざめる。
「でたらめを言うな! 俺澄ます。
穀物の声ではない。袋に染み込んだ「水」と「場所」の記憶を聞は昨夜、宿舎で寝ていた!」
「宿舎? 嘘ね」
私はロッカーの鍵穴を指先でなぞった。
「この鍵穴がく。
――冷たい。流される。
――暗い橋の下。
――入れ替えろ。急げ。
男たちの声が聞こえる。昨日の食堂言ってるわ。『新しい鍵が差し込まれた』って。合い鍵を作ったのね? 元で聞いたのと同じ声だ。
だが、今回はもっと鮮明だ。彼らが「報酬」を受け取った々の鍵じゃなくて、渡された鍵を使った」
ミレイが反応した。
「渡された鍵? 誰に?」
私は耳を澄ませた。
ロッカーの中にある「封筒」の声を聞くために。
紙の摩擦音。コインの金属時の音が混ざっている。
――重いな。硬貨じゃない。
――紙だ。軍票だぞ。
――『特別配給チケット』だ。酒と交換できる。
私は手を離し、ヴァレクの方を向いた。
「……麦を詰め替えた作業員たち、お酒が好きみたいね」
私が言うと、ヴァレクの眉がピクリと動いた。
「何の話だ」
「報酬の話よ。金貨じゃなくて、音。そして、封筒に書かれた文字の筆跡が放つ、書き手の思考。
――この金で口を噤ませろ。
――ミレイ商会を軍票でもなくて、『特別配給チケット』で支払われたって袋が言ってるわ」
私は潰せば、次の契約はこちらのものだ。
「……『次の契約はこちらのもの』」
レオニスを見た。
「ねえ将軍。特別配給チケットって、誰が発行できるの?」
私は読み取った思考を口にした。
「差出人の名前はないけど、封 レオニスの目が細められた。
「補給部隊の佐官以上の権筒の紙質が良いわね。軍の支給品じゃない。手漉きの高級紙」限だ。一般の市場には出回らない」
ヴァレクがカップを置く音が、
ミレイがハッとした顔をした。
「手漉きの紙……王都でカチャリと大きく響いた。
「……子供の戯言だ。証拠にもならない」
「そうね。戯言かもしれない」
私はヴァレクの机に近づいた。それを使っている商会は三つしかないわ。その中で、私と競合しているのは……」
彼女
彼が隠そうとした切手帳の脇に、鍵のかかった引き出しがある。
そこから、強い「紙」の音がする。
束になった紙が、窮屈そうは男の机に詰め寄った。
「『バルド貿易』ね?」
男が息を呑んだ。
「な、なぜ……」
レオニスがゆっくりに押し込められている音。
――出せ。使わせろ。
――酒に変えろ。女を買わせろ。
「その引き出し」
私は指差した。
「中身、切手じゃないわよね? 未使用の配給チケットのと歩み寄る。
軍靴の音が、死刑執行の足音のように響いた。
「ロッカーを開けろ」
命令だった。
男は震える手でポケットを探った。
鍵を取り出す。
それは軍の支給品のような束が、早く使ってくれって騒いでる」
ヴァレクの顔から血の気が引真鍮製ではなく、銀色に光る新しい鍵だった。
「……違います、これはいた。
彼は無意識に引き出しの前に体を滑り込ませ、鍵穴を隠そうとした。、ただ預かっただけで……」
男は言い訳をしようとしたが、レオニスの冷ややかな視線に射抜かれ、言葉を飲み込んだ。
彼は諦めたように鍵穴に鍵を差し込んだ。
カチャリ。
乾いた音がして、扉が開く。
中には、分厚い茶封筒が入っていた。
口が開いており、中から金貨の側面が覗いている。
「あら、随分と景気がいいのね」
私は口笛を吹いた。
「私の給料の十年分くらいありそう」
ミレイが封筒をひったくった。
中身を確認し、封筒の角にある
「……憲兵!」
ヴァレクが裏返った声で叫んだ。
「この不審者たちを追い出せ! 機密情報の漏洩だ!」
入り口の衛兵たちが顔を見合わせる。
しかし、誰も動かない。
彼らの視線の先には、腕を組み、冷ややかな瞳でヴァレクを見下ろしているレオニスがいたからだ。
「機密情報の漏洩か。確かに重大な問題だ」
レオニスは静かに歩み寄り、ヴァレクの机に手を置いた。
「だが、漏れているのは情報ではなく、軍の資産のようだ」
レオニスは引き出しの取小さな透かし模様を見つける。
「やっぱり。バルドの紋章よ」
彼女は男の顔に封筒を突きつけた。
「これで言い逃れはできないわよ。私の商売を邪魔して、ライバルから金を受け取った。軍法会議と、私の個人的な損害賠っ手を掴んだ。
鍵がかかっているはずだが、彼は構わずに力を込めた。
メリメリという木の裂ける音がして、引き出しが無理やり開けられる。
中には、切手帳ではなく、分厚いチケットの綴りが何冊も入っていた。
「あら」
ミレイが覗き込み、冷笑した。
「随分と気前のいいお小遣いね、少佐。私の最高級小麦粉と引き換えにするには、少し安すぎる償請求、どっちが怖い?」
男は椅子に崩れ落ちた。
「……命令されたんだ。俺だって、やりたくなかった」
「誰に命令された?」
レオニスが問う。
「……言えない。言ったら殺される」
男んじゃない?」
ヴァレクは椅子に座り込んだまま、口をパクパクと開閉させていた。は首を振った。
「バルド貿易だけじゃない。もっと上の……管理局の人間が絡
もはや言い逃れの言葉も出てこないらしい。
私は懐のジャム瓶の位置んでる」
空気が凍りついた。
ただの商売敵のを直し、レオニスに言った。
「ねえ、もう帰っていい? ここの空気、カビ臭くて食欲が失せるの」
「ああ」
レオニスはチケットの束を掴み取り、衛兵に合図した。
「この男を拘足の引っ張り合いではない。
もっと深い、組織的な腐敗の根がここにある。
「……へえ」
私は懐のジャム瓶を握り直した。
どうやらこのジャムは、思った以上に高い代償を要求してくるらしい。
甘い蜜の先には、大抵の場合、苦い毒が待っているものだ。




