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無愛想な旦那様は、私の『耳』を溺愛しているようです 〜機密情報を囁くだけで、甘いお菓子と安全なベッドが手に入りました〜  作者: 河合ゆうじ


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第132話 採掘場

 砂丘の稜線を越えると、風の向きが変わった。

 熱風の代わりに、岩肌で冷やされた重い空気が足元を這い上がってくる。

 カイルが手綱を引き、獣の歩みを止めた。彼は無言で前方を指差す。


 すり鉢状の盆地の底に、岩山がそびえ立っていた。

 自然の浸食ではない。切り立った斜面にコンクリートの監視塔が埋め込まれ、鉄の扉が口を開けている。

 要塞だ。


 私は日差しを遮るために被っていた布を少しだけ持ち上げた。

 岩山の麓には、広大な採掘場が広がっている。

 大勢の人間が、ボロボロの服を着てツルハシを振るっていた。掘り出しているのは、赤黒くくすんだ鉱石だ。

 監視兵が一段高い足場から彼らを見下ろしている。


 「……休憩時間はないみたいね」

 私は砂の上に座り込み、水筒の水を一口だけ飲んだ。

 「あんな炎天下で労働させて、お茶出しのの一つもないなんて。労働基準を無視しすぎだわ」


 レオニスがレンズ越しに採掘場を観察しながら言った。

 「彼らに疲労の概念はない。北の工場にいた人間と同じだ。思考を削り落とされている」


 私は耳を澄ませた。

 距離はあるが、岩壁に反響して作業員たちの音が届く。

 ツルハシが岩を砕く音。足を引きずる音。

 だが、彼らの「心の声」は空っぽだった。

 疲れた、休みたい、という単純な欲求すら聞こえない。ただ「岩を砕く」という動作だけがループしている。


 「無給で文句も言わない労働力なんて、悪徳商人が泣いて喜ぶわね」

 私は水筒の蓋を閉めた。

 「で、どうするの。正面から乗り込んで就職希望のふりでもする?」

 「面接の前に撃ち殺されるな」

 レオニスは立ち上がり、コートの埃を払った。

 「裏へ回る。通気口か排水溝があるはずだ」


 私たちは採掘場を大きく迂回し、岩山の裏側へ向かった。

 日陰に入ると、急激に体感温度が下がる。

 湿った岩肌には、黒い苔が張り付いていた。


 「レティ」

 レオニスが顎で壁をしゃくった。


 私は手袋を外し、素手を冷たい岩の表面に押し当てた。

 目を閉じる。

 外の風音を遮断し、岩盤の奥から伝わってくる微細な振動を拾い上げる。


 モーターの回転音。

 太いパイプの中を液体が流れる音。

 軍靴が鉄の廊下を踏みしめる音。


 私は手を少しずつずらしながら、壁を伝って歩いた。

 分厚い岩盤のせいで、音の輪郭がぼやける。もっと薄い場所、外と繋がっている穴を探す。


 ――温度を保て。

 ――培養液の補充。

 ――次の実験体を運べ。


 要塞の中では、王宮の地下で行われていたのと同じことが、さらに規模を拡大して行われている。


 「……この辺りね」

 私は岩壁の僅かな窪みで手を止めた。

 「奥に排気ファンが回ってる。コンクリートの厚さがここだけ薄いわ」


 レオニスが近づき、岩の表面を素手で叩いて音を確認する。

 「発破をかければ穴が開く。だが、音が大きすぎるな」

 「手持ちの工具で削るしかないわよ。残業確定ね」


 私が壁から手を離そうとした時だった。

 排気ファンの唸り声や、軍靴の音の隙間を縫って、全く別の音が鼓膜を打った。


 ポーン。


 硬質な、弦を叩く音。

 ピアノの鍵盤が押し込まれ、ハンマーが弦を打つ振動。

 ポロロン、と短いフレーズが続く。

 滑らかな演奏ではない。

 和音の構成。左手の小指がわずかに遅れる打鍵の癖。


 私は岩肌に指先を押し付けたまま、動きを止めた。


 「どうした」

 レオニスが私の顔を覗き込む。

 「敵の接近か」


 「……ピアノよ」

 私は壁から手を離し、自分のコートのポケットを探った。

 空っぽの飴の缶を取り出し、表面のへこみを指でなぞる。

 「要塞の中から、ピアノの音がする。私が小さい頃に聞いていたのと同じ曲。弾き方の癖まで同じだわ」


 レオニスの目が細められた。

 彼は何も言わず、私の次の言葉を待った。


 私は飴の缶をポケットに戻し、大きく息を吐き出した。

 「オズワルドの奴、私の両親を勧誘したって言ってたわね」

 「ああ」

 「もし、この壁の向こうでピアノを弾いてるのが私の母親だとしたら」


 私は岩壁を睨みつけた。

 「長年放置された養育費と、私を孤児院に放り込んだ精神的苦痛の慰謝料、それに未払いのお小遣いを全部合算して請求しないと気が済まないわ」

 「……」

 「利子もたっぷりつけてやる。要塞の備品を全部売り払っても足りないくらいにね」


 レオニスは呆れたように息を吐き、自分の荷物を探った。

 「お前らしいな。取り立ての前に、これを食っておけ」


 彼が差し出したのは、船の厨房からくすねてきた砂糖漬けの果肉だった。

 乾燥した布に包まれている。

 私はそれを受け取り、遠慮なく口に放り込んだ。


 強い甘みと酸味が、砂で荒れた口の中に広がる。

 唾液が分泌され、頭の奥で固まっていた思考が動き出すのを感じた。


 「美味しいわ。これ、あとで経費に計上しておいて」

 「盗品に値段はつかん」

 レオニスは腰から『戦術開缶器』を取り出し、先端のドリル刃を展開した。


 「カイル、周囲の警戒を頼む。ここから穴を掘る」

 レオニスが指示を出すと、カイルは無言で頷き、岩陰に身を隠した。


 ガリガリと、金属が岩を削る音が鳴り始める。

 私は口の中の甘さを噛み締めながら、壁の向こうにいるはずの債務者に向けて、頭の中で請求書の項目を書き連ねていた。

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