表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無愛想な旦那様は、私の『耳』を溺愛しているようです 〜機密情報を囁くだけで、甘いお菓子と安全なベッドが手に入りました〜  作者: 河合ゆうじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

115/128

第115話 熱帯の商戦

 麻袋の表面は粗く、素手で掴むと指の皮が削れるような感触がした。

 中身はコーヒー豆だ。

 焙煎される前の青臭い豆の匂いが、麻の繊維を通して漂ってくる。

 私はそれを肩に担ごうとしてよろめき、隣にあった木箱に背中を打ち付けた。


 「……重い」

 私は呻き声を漏らし、ずるずると床に座り込んだ。

 「ねえ、私の契約内容は『高度な情報収集と交渉』じゃなかった? これじゃただの港湾労働者よ」


 レオニスが私の横を通り過ぎ、同じ麻袋を軽々と二つ、両肩に担いで運んでいく。

 彼は帆布のエプロンを着け、袖を捲り上げている。玉のような汗が二の腕を伝い、日焼けした肌の上を滑り落ちていた。

 「労働に貴賤はない。それに、体を動かせば飯が美味い」

 「野蛮人」


 倉庫の中は蒸し風呂のようだった。

 天井のファンが回っているが、熱気をかき回しているだけに過ぎない。

 外からは、船の汽笛とカモメの声、そして荷揚げ人足たちの威勢のいい掛け声が響いてくる。


 「休憩よ、休憩」

 私は麻袋を枕にして寝転がった。

 「これ以上働くと、私がコーヒー豆みたいに乾燥して出荷されちゃうわ」


 コツ、コツ、と硬いヒールの音が近づいてきた。

 ミレイだ。

 彼女は氷の入ったグラスを二つ、お盆に乗せて現れた。

 白い麻のスーツを着こなし、この暑さの中でも涼しい顔をしている。


 「お疲れ様。サボるなら見えないところでやりなさい」

 彼女はグラスを木箱の上に置いた。

 中身は薄緑色の液体。ライムとミントの水だ。


 「生き返る……」

 私は飛び起きてグラスを掴み、一気に煽った。

 酸味が喉を突き抜け、胃袋を冷やす。


 レオニスも荷物を下ろし、グラスを受け取った。

 「……それで、本題はいつだ」

 彼は水を飲み干し、氷をガリリと噛み砕いた。

 「ただの荷運びのために俺たちを呼んだわけではないだろう」


 「ええ。人手が足りないのは事実だけど、あなたたちにはもっと『専門的』な仕事をしてもらわないとね」

 ミレイは懐から一枚の地図を取り出し、木箱の上に広げた。

 この港町の地図だ。

 港湾地区の倉庫や工場が詳細に描かれているが、その大半が赤く塗りつぶされている。


 「赤い部分は?」

 私が聞くと、ミレイは扇子で地図を叩いた。

 「敵の陣地よ。『バルド貿易』。ここ数年で急成長した新興商会で、今やこの港の物流の大半を握っているわ」


 バルド貿易。

 かつて王都で、腐った麦を軍に納品し、私たちが摘発した補給将校と癒着していた商会だ。


 「因縁の相手だな」

 レオニスが地図を睨む。

 「奴らがこの街の元締めか」


 「ええ。やり方が汚いのよ」

 ミレイは顔をしかめた。

 「買収、脅迫、放火。欲しい物件があれば手段を選ばない。おかげで私の商会も、主要な倉庫をいくつか奪われたわ」


 彼女は地図の一点を指差した。

 港の東側、埋立地にある大きな区画。

 『第4製薬工場』と書かれている。


 「ここよ」

 ミレイが言った。

 「あなたたちが持ち帰った『白い種子』。あれを量産して解毒剤を作るには、この工場の設備が必要なの。最新の抽出機と、無菌室が揃っている」


 「持ち主は?」

 「今はバルドの所有よ。でも、稼働はしていない。奴らはここをただの麻薬倉庫として使っているという噂があるわ」


 私の耳が反応した。

 麻薬倉庫。

 

 「……奪えばいいの?」

 私が聞くと、ミレイは首を横に振った。

 「強盗は商人の流儀じゃないわ。買い取るのよ」

 「売ってくれると思う?」

 「向こうから『売りたい』と言わせる状況を作るの」


 その時、表の通りから騒がしい音が聞こえてきた。

 トラックのクラクション。

 そして、我が物顔で怒鳴り散らす男の声。


 「どけ! ここはバルド様の通り道だ!」


 ミレイの表情がスッと冷たくなった。

 「……噂をすれば、ね。疫病神のお出ましよ」


 私たちは倉庫の入り口へ向かった。

 通りには、派手な装飾を施したオープンカーが止まっていた。

 運転席には屈強な用心棒。

 後部座席には、白いスーツを着た小太りの男が、葉巻をふかしながらふんぞり返っている。


 男は車を降りると、汗をハンカチで拭いながら、ミレイの店の前まで歩いてきた。

 首には太い金のネックレス。指には宝石のついた指輪がいくつも光っている。

 成金趣味の塊だ。


 「やあ、ミレイさん」

 男は葉巻の煙をわざとらしく吹きかけた。

 「まだこんなちっぽけな店にしがみついているのかね。さっさと売り払って、田舎に帰ったらどうだ」


 「ガストン支店長」

 ミレイは扇子で煙を払った。

 「私の店先でタバコを吸わないでいただける? 商品に臭いがつくわ」


 ガストンと呼ばれた男は、下卑た笑い声を上げた。

 「強気だねえ。だが、いつまで持つかな。港湾組合はもう俺たちの言いなりだ。あんたの船が着岸できる場所なんて、もう残っていないぞ」


 彼は背後に控える用心棒たちに目配せをした。

 男たちがニヤニヤしながら、店の入り口を塞ぐように立つ。

 営業妨害だ。


 「……帰れ」

 低い声がした。

 レオニスが前に出た。

 彼はエプロン姿のままだが、その立ち姿だけで用心棒たちが足を止める威圧感がある。


 「あ? 誰だテメェ」

 用心棒の一人が凄む。

 「ただの荷運びだ。だが、この店の入り口は荷物の搬入で忙しい。貴様らのような粗大ゴミを置くスペースはない」


 「なんだと!」

 用心棒が胸倉を掴もうと手を伸ばす。

 レオニスは避けなかった。

 相手の手首を軽く叩き落とし、そのまま半歩踏み込んで、肩で相手を弾き飛ばした。

 

 ドン。

 

 軽い動作に見えたが、用心棒は数メートル後ろへ吹き飛び、オープンカーのボンネットに背中を打ち付けた。

 車体が揺れる。


 「……!」

 ガストンの目が丸くなった。

 「き、貴様……」


 私はガストンの後ろに回り込み、彼のスーツのポケットあたりに耳を向けた。

 金目の音ではない。

 紙の擦れる音。

 そして、彼自身から発せられる、焦燥と恐怖の思考音。


 ――まずい。

 ――ノルマが達成できていない。

 ――『上』に知られたら殺される。


 「……ねえ、おじさん」

 私はガストンの背中をつついた。

 「随分と焦ってるわね。汗の量がおかしいわよ」


 「な、何だこのガキは!」

 ガストンが振り向く。


 「懐から、カサカサ音がするわ」

 私は彼の胸ポケットを指差した。

 「手紙? それとも督促状? 『今月中に港を制圧しろ、さもなくば……』なんて書いてあるんじゃない?」


 ガストンが慌てて胸を押さえた。

 図星だ。

 彼もまた、誰かに追い立てられている。


 「ちっ……狂人どもの相手をしている暇はない!」

 ガストンは捨て台詞を吐き、車に乗り込んだ。

 「覚えていろよ、ミレイ! 来週の競売で、あんたの工場を全部買い叩いてやるからな!」


 車が急発進し、黒い排気ガスを残して去っていった。

 用心棒たちも慌てて追いかけていく。


 「……競売?」

 ミレイが眉をひそめた。

 「あいつ、何を言ってたの」


 「工場の話だ」

 レオニスがエプロンの埃を払った。

 「奴らの資金繰りが怪しいのかもしれん。焦っていた」


 「調べてみる価値はあるわね」

 私はガストンが去った方向を見つめた。

 あの男の背後には、間違いなく『蛇』がいる。

 そして、その『蛇』は今、何かを急いでいる。


 「仕事よ」

 私はミレイに向き直った。

 「荷運びは終わり。探偵の時間だわ」


 南国の太陽が、ギラギラと路面を焼いていた。

 その熱気の下で、私たちは新たな獲物の臭いを嗅ぎつけていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ