表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無愛想な旦那様は、私の『耳』を溺愛しているようです 〜機密情報を囁くだけで、甘いお菓子と安全なベッドが手に入りました〜  作者: 河合ゆうじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

102/130

第102話 灰の降る街

 私は靴底を鳴らして駆け上がりながら、背後の闇を振り返った。

 地下の禁書庫から響く轟音は、もはや爆発音だけではない。岩盤そのものが歪み、悲鳴を上げている音だ。


 「……急げ」

 レオニスが前を走るバルトロの背中を押した。

 「防火シャッターが閉まるぞ。挟まれたらミンチだ」

 「わかっておる! だが、膝が……」

 老教授は息も絶え絶えに足を動かしている。彼の白衣は汗と埃で変色し、大事そうに抱えた数冊の古書だけが綺麗だった。


 頭上で、金属同士が激突する音がした。

 ガシャァァン!

 一階フロアへの出口、鉄の扉が誰かに蹴破られた音だ。


 「……来たわね」

 私は足を止めずに上を見た。

 「足音がする。重装備の集団よ。火炎放射器のタンクが揺れる音が聞こえる」


 階段を登りきり、私たちは一階のフロアに飛び出した。

 そこは、煙と熱気の坩堝るつぼだった。

 入り口のバリケードは突破され、灰色の防護服を着た男たちがなだれ込んできている。

 彼らは手に持ったノズルから炎を撒き散らし、目につく本棚を片っ端から焼いていた。


 「探せ! 地下への入り口があるはずだ!」

 指揮官らしき男が叫んでいる。

 「隠し部屋を見つけ出せ! 証拠ごと埋めてしまえ!」


 レオニスが私とバルトロを巨大な地球儀の陰に引き込んだ。

 「……数は多いな」

 彼はスライドを引いて残弾を確認した。

 「正面突破は無理だ。裏口へ回る」


 「裏口までは距離があるぞ」

 バルトロが顔をしかめた。

 「あの火の壁を越えなければならん」


 通路の先、本棚が燃え上がり、炎のカーテンとなって道を塞いでいる。

 スプリンクラーは作動しているが、油性の火炎には効果が薄い。

 黒い煙が天井に溜まり、咳き込むような刺激臭を撒き散らしていた。


 「道を作る」

 レオニスは地球儀の台座に足をかけた。

 金属製の重い球体だ。

 「レティ、タイミングを合わせろ。奴らがリロード……いや、タンクの圧力を調整する一瞬があるはずだ」


 私は耳を澄ませた。

 炎の爆ぜる音。本の焼ける音。

 その向こう側で、放射器のバルブを操作する微細な金属音を探る。


 シュゥゥゥ……。

 吸気音。

 圧力が下がる瞬間。


 「今!」

 私が叫ぶと同時に、レオニスが地球儀を蹴り倒した。

 ゴロン、と重い音がして、鉄の球体が転がり出す。

 それはボウリングの玉のように通路を滑走し、炎の壁に突っ込んでいった。


 「なっ!?」

 焚書官の一人が気づくが遅い。

 地球儀は燃える本棚に激突し、その衝撃で棚ごとドミノ倒しになぎ倒した。

 

 ドガガガガ!


 崩れた本棚が炎を押し潰し、同時に敵兵たちの進路を塞ぐ瓦礫の山となる。

 煙が舞い上がり、視界が遮られた。


 「走れ!」

 レオニスが飛び出す。

 私たちは煙の中を突っ切った。

 熱い。

 髪の毛先がチリチリと焦げる感覚がある。

 だが、足は止めない。


 裏口の扉が見えてきた。

 鍵はかかっていない。

 レオニスが肩で押し開け、外の冷気の中へと転がり出る。


 *


 外は、灰の雪が降っていた。

 空から舞い落ちる白い紙片と、黒い煤。

 街のあちこちから煙が上がり、空を灰色に染めている。

 私たちは路地裏のコンテナの陰に座り込み、呼吸を整えた。


 「……ここまで来れば大丈夫だろう」

 バルトロが煤だらけの顔を拭った。

 「奴らの狙いは図書館だ。逃げたネズミを追う余裕はない」


 私は懐から、あのファイルを取り出して確認した。

 無事だ。

 焦げてもいないし、濡れてもいない。

 私の出生の秘密と、両親の笑顔が写った写真。それは私の胸元で、確かな重みを主張していた。


 「さて、ここでお別れだな」

 バルトロが立ち上がり、衣服を整えた。

 「私は戻る」

 「は?」

 私は顔を上げた。

 「戻るって、図書館に? 燃えてるのよ」


 「だからこそだ」

 老教授は眼鏡の位置を直し、図書館の方角を見つめた。

 「地下の禁書庫はまだ無事だ。入り口を内側から封鎖すれば、火は届かん。あそこには、守らねばならん知識が山ほどある」


 「死ぬ気か」

 レオニスが問う。

 「生き埋めになるぞ」


 「本に囲まれて死ぬなら本望だ」

 バルトロはニヤリと笑った。

 「それに、この街の地下水路は複雑でな。ほとぼりが冷めた頃に、別の出口から抜け出すさ」


 彼は私の前に立ち、ポケットから一枚の紙切れを取り出した。

 古地図の切れ端だ。

 「持っていけ。餞別せんべつだ」


 私は受け取った。

 地図には、国境を越えた先にある山岳地帯が描かれている。

 ある渓谷に、ペンで印がつけられていた。


 「『霧の渓谷』だ」

 バルトロが言った。

 「そのファイルの著者……君の父親が、かつて研究拠点にしていた場所だという噂を聞いたことがある。そこに行けば、更なる手掛かりがあるかもしれん」


 「……ありがとう、教授」

 私は地図をファイルに挟んだ。

 「エロ本の隠し場所、誰にも言わないでおいてあげる」


 「やかましい」

 バルトロは笑い、杖を突いて歩き出した。

 「達者でな。歴史の証人たちよ」

 彼は燃え盛る図書館の裏口へと、迷うことなく戻っていった。


 *


 駅のホームは、避難民でごった返していた。

 誰もが荷物を抱え、不安そうな顔で列車の到着を待っている。

 私たちは人混みを避け、ホームの端にある貨物用のデッキに立った。


 レオニスが懐中時計を確認する。

 「もうすぐ来る。南行きの貨物列車だ」

 「また無賃乗車?」

 「緊急避難だ。文句は言わせん」


 遠くから汽笛が聞こえた。

 灰色の空気を震わせる、太く低い音。

 レールが振動を伝え、足の裏をくすぐる。


 私はコートのポケットに手を入れ、空になった飴の缶を取り出した。

 蓋を開ける。

 中には何もない。

 だが、私はそこへ、懐から取り出したセピア色の写真をそっと入れた。

 両親の写真。

 缶の底にピッタリと収まる。


 「……これで湿気ないわね」

 蓋を閉める。

 カチリ、という音が、私の中で何かを区切った。


 「後悔はないか」

 レオニスが隣で聞いた。

 「自分が何者かを知って、それで終わりにする手もある」


 「終わりになんてしないわ」

 私は缶をポケットに戻した。

 「私は作られた兵器じゃなかった。ただの、愛された子供だった。……それがわかっただけで十分よ」


 私は線路の先を見つめた。

 「でも、両親を殺して、私をこんな目に遭わせた連中には、きっちりとツケを払わせる。請求書の宛先はわかったもの」


 列車がホームに入ってくる。

 黒い鉄の塊が、風を巻き起こして通過していく。

 レオニスが走る。

 私も続く。


 「乗るぞ!」

 彼は開いた貨車の扉に手をかけ、飛び乗った。

 すぐに振り返り、手を差し出す。


 私は地面を蹴った。

 彼の手を掴む。

 強い力で引き上げられる。

 床に転がり込むと、わらと古い木の匂いがした。


 扉が閉められる。

 車内は薄暗くなり、車輪の音だけが響く空間になった。


 「……腹が減ったな」

 レオニスがドカッと座り込み、鞄を探った。

 「ミレイから貰った乾パンが残っているはずだ」

 「硬いやつでしょ。歯が折れそう」


 彼はパンを二つに割り、片方を私に渡した。

 私はそれを受け取り、齧り付いた。

 味気ない。

 けれど、今はこれが一番のご馳走だ。


 「次は『霧の渓谷』か」

 レオニスが呟く。

 「地図を見る限り、また山登りになりそうだ」

 「靴を新調しておいて正解だったわね」


 私は壁に寄りかかり、目を閉じた。

 耳を澄ます。

 燃える街の音は、もう遠ざかっていた。

 聞こえるのは、一定のリズムで進む列車の音と、隣にいる男がパンを咀嚼する音だけ。


 旅は続く。

 私はポケットの缶を上から押さえ、小さく息を吐いた。

 その吐息は、以前よりも少しだけ、温かい気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ