第1話 目覚めは騒音とともに
うるさい。
二日酔いの朝のほうがまだ静かだ。
目が覚めた瞬間、耳元で百人が同時に会議をしているような騒ぎだった。
――痛い。俺の足、どこだ。
――寒い。誰か毛布を。
――母さん、手紙、出し忘れた。
「……はいはい、わかったから。順番に喋って」
私は瓦礫の隙間で、重たい瞼をこすった。
状況は最悪だ。生き埋めである。
普通ならパニックを起こして泣き叫ぶところだが、あいにく私の耳は「ここから出せ」という他人の絶叫ですでに満員だった。自分の悲鳴を挟む余地がない。
私はため息をつき、頭上の土砂を見上げた。
「さて、どっちに掘れば出られる?」
私は脳内のチャンネルを切り替える。感情的な愚痴はミュート。役に立つ実用的な情報だけを検索する。
――左だ。左の梁の下に、ネズミの通り道がある。
低い男の声が即答した。冷静で助かる。
「ありがとう。いい情報よ」
私は礼を言い、土にまみれた体を左へねじ込んだ。
爪が割れ、髪が泥だらけになるが、死ぬことに比べればただのクリーニング代だ。
*
モグラのように地面から顔を出すと、ひんやりとした霧が頬を撫でた。
肺いっぱいに吸い込む。泥と火薬の匂い。生きている実感が湧く味だ。
這い出した私は、すぐ横で永遠の眠りについている兵士を見下ろした。
立派な毛皮付きの外套を着ている。
「悪いけど、それもらうわね。あなたはもう寒くないでしょうし」
返事がないのを了承と受け取り、私は外套を剥ぎ取って羽織った。ぶかぶかだが、高級品だ。暖かさが染みてくる。
ついでに腰の水筒も拝借する。振るとタプンと音がした。
一口飲む。鉄臭い水だが、乾燥した喉には最高級のヴィンテージワインより美味い。
装備よし。水分補給よし。
あとは、人里へ降りて温かいスープにありつくだけだ。
そう思って立ち上がろうとした時、霧の向こうから規則正しい足音が聞こえた。
私は反射的に、枯れ木の陰にスライディングした。
現れたのは三人組。青い軍服。
敵軍のパトロールだ。身なりがいい。あっちの軍隊は食事がいいと聞く。羨ましい。
見つかれば捕虜か、最悪の場合は射撃の的にされる。
やり過ごそうと息を殺した、その時。
――そこ、踏むなよ。
私の脳内に、やる気のない警告音が響いた。
パトロールの先頭を歩く、やけに背の高い男。指揮官だろうか。
彼が踏み出そうとしている地面の下から、強烈な「仕事の記憶」が聞こえてくる。
――一週間前に埋めたんだ。最新式だぞ。踏んだらドカンだ。
私は天を仰いだ。
なんて場所に埋めるんだ。
距離は十メートル。爆発すれば、隠れている私も巻き添えを食らってただでは済まない。
「爆死」か「挨拶」か。
私はため息を一つつき、泥だらけの手をひらひらと振って木の陰から出た。
「ちょっと、ストップ」
私の声に、三人の兵士がびくりと反応し、一斉に銃口を向けてきた。
「動くな!」
殺気立った怒鳴り声。
私は両手を上げたまま、呆れたように言った。
「動かないわよ。だから、その足も下ろさないで。高い靴が汚れるわよ」
先頭の指揮官は、片足を上げた奇妙なポーズのまま静止した。
近くで見ると、腹が立つほど整った顔をしている。冷ややかな銀色の瞳。
彼は私を睨みつけたまま、微動だにしない。体幹が強い。
「……理由は」
低く、落ち着いた声だ。
「その靴の下。地雷があるって」
私は親指で地面を指した。
「踏んだら、あなたも私も空を飛ぶことになる。私、高いところは苦手なの」
指揮官は眉一つ動かさず、ゆっくりと足を引いた。
そして元いた場所へ靴底を戻す。
彼が顎で指示すると、部下が恐る恐る地面をつついた。
カチリ、と硬い音が鳴る。
「……ありました。ワイヤー式です」
部下が青ざめた顔で報告する。
指揮官は手袋をきゅっと締め直し、私の方へ歩いてきた。
足音が静かだ。育ちが良い歩き方をしている。
私の目の前で立ち止まると、彼は値踏みするように私を見下ろした。
石鹸の清潔な匂いがした。私は自分の泥臭さが少し気恥ずかしくなる。
「なぜわかった」
「地面が教えてくれたの。埋めた人が『傑作だ』って自慢してたから」
正直に答える。
彼は目を細めた。
「幻聴か、それとも狂言か」
「便利な耳、と言ってほしいわね」
彼は腰のホルスターに手を伸ばした。
処刑の時間だろうか。
だが、そのホルスターからも、別の愚痴が聞こえてきた。
――油が足りない。ギシギシする。手入れをサボるな。
私はやれやれと首を振った。
「撃つなら、別の銃を借りたほうがいいわよ」
「何?」
「あなたのその拳銃、ご機嫌斜めだって。中のバネが錆びついてる。たぶん暴発するわ」
指揮官の動きが止まった。
彼はホルスターから拳銃を抜き、スライドを引いて確認する。
排莢口の奥に、微かな赤錆が見えた。
彼は初めて、口元をわずかに緩めた。
感心したのではない。「使えそうだ」と判断した商人の顔だ。
「連行しろ」
彼は銃を戻し、くるりと背を向けた。
「縛らなくていい。丁重に扱え」
「よろしいのですか、レオニス閣下」
部下が慌てて尋ねる。
レオニスと呼ばれた男は、歩き出しながら事もなげに言った。
「地雷探知機よりは口数が多いが、性能は悪くない。テスト採用だ」
私は大きく息を吐き、泥だらけの足を一歩踏み出した。
とりあえず、今日の予定から「死ぬこと」は削除されたらしい。
就職先が見つかったと思えば、悪くない朝だ。




