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ごめんねキューピッド君

作者: 地図

ちるちるさんのハピエン・メリバ創作BLコンテストのハピエン小説部門一次通過作品です。

キューピッドが出てきたり、ファンタジー要素ありです。

 高校生の平原タケルは今日も放課後に学校近くの公園でゴミ拾いをしていた。

 陸上部がランニングでこの公園を通るのをタケルは知っている。たまたま帰り道にここで見かけたとき以来、ゴミ拾いをしながら陸上部を待つのが日課になっている。

 陸上部のジャージを着た集団が近づくのに気がつくと、タケルはさっと道を空けた。気にしていることがバレないよう、顔を伏せてゴミ拾いを続ける。その間に自身の少し癖のある茶色っぽい前髪をいじって髪型を整えた。

 ――もうすぐ、彰彦が来る。

 遠くからでも、どれが彰彦かタケルはすぐに分かる。人影が近づくたびにタケルの鼓動が速くなった。

 彰彦は二十名ほどの集団の先頭を走っている。まだ二年生だが部のエースなのだ。夏が終わりかなり涼しくなったが、彰彦の額には大粒の汗が光っている。黒髪で短髪の彰彦の顔つきは、精悍という言葉がよく似合う。横目で確認すると、タケルは視線を地面に戻した。

 いよいよ目の前を通るという頃に、タケルは顔を上げた。彰彦がこちらを見ている。

 彰彦は通り過ぎる際、にっこり笑って手を上げてくれた。

「タケル! おつかれ」

「お疲れ彰彦。がんばれよ」

 タケルはそう声をかけると彰彦を見送った。走ってもいないタケルの鼓動が早まる。

 この瞬間のために毎日タケルはここに来る。

 そして姿が見えなくなるまでずっと、後ろ姿を目で追っていた――。

「今日もかっこよかったな……」

 小さな声で呟くと、タケルはため息と共にベンチに腰掛けた。

「告白しないの?」

 突然真横から声がして、タケルはベンチから飛び上がった。

「わあっ! な、なに!?」

 見ると中学生くらいの少年が目を輝かせてタケルのことを見ている。大きな瞳にふさふさのまつ毛、カールした色素の薄い髪を持つ、場違いなほどの美少年だ。少年はシミ一つない真っ白なTシャツに真っ白の半ズボンを履いている。

「さっきのお兄さんのこと、好きなんでしょ?」

 臆面もなく尋ねられ、タケルは目を丸くした。

「いやっ、えっと……」

 しどろもどろになっていると、少年が言葉を続けた。

「告白したらいいんじゃない?」

 なんだか、「喉が乾いてるならお茶を飲めば?」くらいのノリに感じて、タケルは思わず苦笑した。

「あのね、さっきの彼は友達だよ。友達に告白はしないんだよ」

 不躾な言葉に少しだけ苛立つ気持ちを抑え、子どもの言うことだからと出来るだけ親切に聞こえるように答えた。

「友達のことを好きなの?」

 なぜこの少年はこうも確信を持って話すのか。タケルは目の前の陶器の人形のような少年を、少し不気味に感じた。

「ええと……、初対面の人にいきなりそういう話をするのはちょっとよくないんじゃないかな?」

 なるべくキツい言い方にならないよう、気を遣って伝えたが、少年が動きを止め黙ってしまったためタケルは焦った。

 しかし少年はまたすぐに口を開いた。

「いきなりはだめなのか……。ええと、僕はキューピッドなんだ」

 少年の言葉にタケルは一瞬固まったが、聞き間違いではないようだ。少年の瞳はまっすぐとタケルを見ている。

「劇か何か?」

 戸惑いつつ尋ねると、少年は首を横に振った。

「キューピッド、って知ってる? 好きの矢印を見つけて、相手に届けるお手伝いをするのが仕事なんだ。たくさんカップルを作って、世の中の愛を増やして、神様に褒められないといけないんだ!」

 キューピッド、というものについては当然知っている。西洋の絵画によく出てくる矢を持った裸の子どもの姿をタケルは思い浮かべた。

 彼の瞳はまっすぐとタケルを見つめていて、嘘をついているようには見えない。そういう遊びでも流行っているのかと、タケルはとりあえず黙って少年の話を聞いていた。

「だからさ、お兄さんの好きの矢印を見つけたから、僕がお手伝いしようと思って!」

「えっ……?」

 タケルは顔を青くした。

「僕……、そんな風に見えてた……?」

 恐る恐る尋ねると、少年は得意げに微笑んだ。

「えへへ、たぶん普通の人には分かんないけど、僕はよーく見てるから分かるんだ! なぜならキューピッドだからね!」

 タケルは複雑な思いで微笑み返した。『普通の人には分からない』という部分には安心したが、『僕は分かる』というのが勘なのか当てずっぽうなのか……。

「だから僕が両想いにしてあげる!」

 いずれにせよ、目の前の少年が変な暴走をするのだけは阻止せねばならない。タケルは気を取り直して少年の顔を正面から見据えた。

「ごめんね、君がもしキューピッドだとしても、僕はカップルにはなれないよ」

「えっ? どうして……?」

 少年は心底驚いた、という表情をしている。

「普通は男同士で付き合ったりはしないし、僕は彼と友達でいたいんだよ」

 自分が彰彦を好きではない、と言ってしまえばいいのだろうが、心にもないことは言えずに誤魔化した。

 タケルは彰彦に友人以上の好意を持ってしまっているのは事実だが、それを本人に伝える気は毛頭ない。彰彦の恋愛対象は女性だし、男同士で付き合うなんて、タケルには想像もつかない遠い世界の出来事のように思える。そんな人身近に見たことがないし、男同士仲が良すぎる場面があると同級生達にイジられる姿を何度も見てきた。

 彰彦に対する想いはこのまま萎んでいき、良き友人として付き合っていきたいとタケルは思っている。

「普通って何? 両想いになれるかもよ?」

 口を尖らせそう言う少年にタケルは苦笑した。

「両想い意外にも世の中には幸せなことがたくさんあるんだよ」

 タケルがそう言うと、少年は口を開け目をまん丸にした。

「うそだぁ……」

 まだ幼くて分からないのかな、タケルはそう思いながら少年の様子を見ていた。

 自分は恋愛以外の幸せを見つけるんだ。タケルは日々そう思って生きているのだ。

 少年は数秒悩むような表情を見せた後、眉をキリッと上げこう言った。

「僕は諦めないからね!」

 ――諦めてくれよ……!

 タケルの願いも虚しく、口を開くより前に彼は走り去って行った。

 呆気に取られていると、足元にドンッと何かがぶつかった。

「タケル!!」

 下を見ると、タケルのおへそくらいまでの背丈の男の子がタケルの足にしがみついている。男の子は黒い前髪から除く黒いくりくりの目でタケルを見上げている。

 タケルは男の子を見て笑顔になった。

「翼! こんにちわ」

 そう言うとしゃがんでその男の子、翼と目線を合わせた。翼は満面の笑みを浮かべ抱きついてくる。タケルは転びそうになり慌てて後ろに手をついた。

「タケル! 大好き! 結婚して!」

「できないよ〜……」

 苦笑いしながら翼の言葉をやんわりと受け流す。いつものことなので翼もめげない。

 一体なぜこんなことになったのか、実はタケルもよく分かっていない。

 翼と出会ったのはこの公園だ。翼は公園の向かいのマンションの一階に住む六歳児で、いつも一人でやってきて母親が迎えにくるまで遊んでいる。

 母親はベランダから様子を見ているのだが、流石に六歳児一人は危ないのでタケルは翼が来るといつも見守っている。


 ◆

 

 タケルがこの公園に来るようになったのは高校入学して間もない頃からなので、かれこれ一年半くらいが経つ。

 翼は初めてタケルが公園に来た日に現れた。


 それはタケルが高校に入学して間もない頃の事だった。入学当初、タケルは学校から家までのルートを気分によって毎日変えていた。その日は公園を通るルートで、歩いていると後方から陸上部の一団が走ってきた。邪魔にならないよう避けて通り過ぎるのを待っていると、同じクラスの彰彦が走っているのが目に入った。

 タケルはクラスで彰彦のことを一目見た時からカッコいいと思っていたのだが、陸上部のユニフォームを着て走る彰彦は更に輝いて見えた。

 彰彦はタケルに気がつくと片手を上げてニコッと笑いかけてくれた。

 その瞬間、タケルの心臓は早鐘を打ち、頬が熱くなっていた。

 彰彦が走り去った後をいつまでも眺めていると、足元に突然衝撃が走った。驚いて下を見ると大きめのサッカーボールが転がっていた。

 ボールが来た方向を見ると、数メートル先から男の子が走ってくる。

 男の子はボールを追いかけているものだと思って見ていると、ボールではなくタケルの方に向かってくる。

 慌てて避けようとするが、男の子はタケルに飛びついてきた。

「お兄ちゃん! あそぼ!」

「え?…………僕!?」

 その男の子はタケルを見上げ、キラキラとした瞳で見つめていた。

「ぼくはつばさ。お兄ちゃんは?」

「えっ……と、タケルです」

「タケル!!」

 戸惑うタケルをよそに、翼はくるくる回ったり飛び跳ねたりと嬉しそうに動き回っている。すると背後からなにやら女性の大きな声が聞こえてきた。

「翼〜っ!」

 見ると後ろから翼の母親らしき人がやって来た。

「もう、すみません! 急に飛び出して行ったと思ったら……。普段知らない人に話しかけることなんてないのに……。すみませんね、びっくりしたでしょう」

 やはり彼女は翼の母親のようだ。

 翼はタケルの足元に隠れている。

「いや……、びっくりはしましたけど、元気でいいですね」

「タケルと遊ぶ!」

 翼はタケルの陰から威嚇するように叫んだ。

 たった今出会ったのに、自分の何がそんなに気に入られたのか。タケルは不思議に思った。

「もう! ご迷惑でしょう。遊びたいならお母さんと遊ぼう」

 翼は母親の言葉に答えず、タケルのズボンをぎゅっと掴み顔を足に押し付けていた。

「いいよ、遊ぼっか」

 タケルがそう声をかけると、翼はぱっと顔を上げた。

「やったあ!!」

 恐縮する母親に、タケルは「僕は一人っ子なのでこういうの憧れてたんです」と伝えた。

 翼はタケルと何をしても本当に嬉しそうで、初対面だったがとても可愛く思えた。

 別れ際になると翼は大号泣してしまった。

 部活に入る予定は無いし、ここに来れば彰彦にも会えるしな……、と思い、タケルは「また明日来るよ」と言って翼を納得させたのだった。

 

 それからというもの、彰彦を眺めた後に翼と遊ぶのがタケルの日課になっている。

 しばらく経った頃から翼は「タケルと結婚する」と言い出した。最初は驚いたが、きっとよく意味が分からず、気に入った相手と離れたくないという意味で言っているのだろうとタケルは思っている。

 翼は母親の前でも「結婚する」と言うので中々気まずいのだが、母親はニコニコ笑って聞いているのであまり気にしてないのかもしれない。

 ――さっきの自称キューピッドの少年が聞いたら嬉々として飛びつきそうな案件だな……。

 そう思うが、いくらなんでも六歳児相手にどうこうなど有り得ない。

「タケル、遊ぼうよ〜」

 翼に手を引かれ、タケルは今日も滑り台やブランコに付き合うのだった。

 

 キューピッドと名乗る少年と出会った翌日も、タケルはいつものように公園に来ていた。

 飴の包み紙やタバコの吸い殻、空き缶を見つけてはゴミ箱へ運ぶ。

「どうしてゴミ拾いするの?」

「うわあっ!!」

 しゃがんだ瞬間に隣から声が聞こえ、タケルは飛び上がった。

「びっくりした……! また会ったね」

 隣には昨日の美少年がいた。タケルはまた彼が面倒なことを言い出すのでは無いかと警戒した。しかし子どもを邪険には出来ず、その気持ちを決して表情には出さなかった。

「あのお兄さんを待ってるんでしょ? 暇だからゴミ拾いしてるの?」

「え……と、ゴミ拾いはまぁ日課だよ」

「ふーん。偉いね」

 少年はしげしげとタケルの拾ったゴミを見つめている。

「……そうでもないよ」

 タケルは少年から目を逸らした。

 二人でベンチに腰を下ろす。

「いつから好きなの?」

 まだ言ってる……と思ったが、この年頃の少年には格好の話題なのだろう。

「友達だってば……。僕の態度がそんな風に見えるなら改めるよ」

 すると少年はハッとした顔をしてベンチから飛び上がった。

「ダメだよ! どうして!? 何も悪いことじゃないのに……」

 タケルは目を見開いた。少年の目は真っ直ぐで曇りがない。中学生くらいに見えるが、瞳はあどけない子どものようだ。六歳の翼の瞳もこんなふうにいつもキラキラとしている。

 少年の言葉を頭の中で反芻する。

 ――何も悪いことじゃない……。

 タケルは俯き、膝の上で手を握りしめた。

 タケルがゴミ拾いをするのは、同性を好きになることに引け目を感じるからだ。

 相手は友情だと思っているのに、自分だけ恋愛感情を持っていると知られたらきっと気持ち悪がられる――。

 思いを誰かに伝えたことは無いが、同性愛がネタにされるのを学校生活で幾度も見て来た。

 こんな感情を持ってごめん。

 自分は「普通」ではない。

 なにか一つでも良いことをすれば、少しだけ自分が許される気がする。

 贖罪のような気持ちで、いつもタケルは黙々とゴミを拾っていた。

 翼と遊ぶのも、何か少しでも世の中の役に立てればという思いがある。

 タケルは昨日から目の前の少年の追求を迷惑に感じていたが、彼は何の偏見もなく接してくれていることに、このときになってようやく気が付いた。

「……ありがとう」

 そう呟くと、ちょっとだけ鼻の奥がジンとした。少年はきょとんとしている。

「ねえ、諦めないよね……?」

 少年が心配そうに尋ねてくる。彼のブレない態度にタケルは思わず笑ってしまった。

「はは……、それはそれ、かなあ」

「ええ……、困ったな」

 どうして君が困るんだ、と思ったが、昨日言っていたキューピッドがどうのこうの、という話だろうか。

「何か賭けでもしているの?」

 もしかすると彼の仲間内でタケルをネタに揶揄っているのだろうか。それは困るな、とキョロキョロと辺りを見渡すが人の気配はない。

「賭け……? 賭けって……」

 少年は眉を顰めて考え込んだ後、ようやく意味に気がついたのかびっくりした顔をした。

「違うよ! 賭けたりしないよ! そんな風に思わないで!」

 目の前の少年が悪事を働くようには見えない。

 必死に否定する少年を、タケルは信じることにした。

 しかしだからと言って追求されるのはあまりいい気持ちではない。

「そっか。そういうことにしておくよ」

 揶揄うように微笑むと、少年は慌てた様子で否定を続けた。

「違うってば〜……」

 少年の眉が八の字に下がる。会ったときから困らされてばかりいたので、逆に困らせてやった、とタケルはちょっぴり満足した。

 そしていつも心の奥にある重石のようなものが少しだけ軽くなったのを感じた。


  ◆

 

 タケルは毎朝五時の携帯のアラームと同時に目覚める。顔を洗い、着替えて、両親が起きるまで勉強をする。

 両親が起きてくると、母と一緒に朝食を準備する。そして食後に食器洗いまで済ませると学校へ行く。

「親孝行すぎて怖い。もっと高校生らしくしろ」

 と母からたまに言われるのだが、タケルはいつも笑って受け流す。

 孫を見せることが出来ないのだから、いくら親孝行したって足りない――。


 

 同性を好きだと自覚したのは小六の時だった。

 水泳の授業中プールサイドで友人達と話している時、友達の一人が悪ふざけでタケルに抱きついて来た。

 力強く抱きしめられ、濡れた肌と肌が合わさった。

 タケルの乳首が友人の肌に擦れ、股間も友人の太ももにピッタリとくっついた。

 その友達のことは何とも思っていなかったが、突然の生々しい感触にタケルは動揺した。

 慌てて引き剥がそうとしたとき、周囲がタケルと友人を囃し立てた。

「イチャイチャすんなよ!」

「きもちわるっ!」

 数人が指を差してゲラゲラ笑っている。

 これは“笑う場面”なんだ……。

 タケルは周囲と自分の間に透明の分厚い壁を感じた。

「やめろって……」

 場を盛り下げないように、変な気を起こしたと悟られないように、出来る限り軽い口調で友人から離れた。

 タケルは自分の反応が不自然に思われなかったか気が気でなかった。

 

 その日の晩、タケルはベッドに入っても肌が触れ合った感触を忘れられなかった。

 思わず性器が反応しそうになるが、同時に周囲の好奇の目と嘲笑う顔が思い浮かぶ。

 興奮と戸惑い、自分は普通とは違うという恐怖――。

 タケルはこの事実を胸に秘め、悟られないように過ごすことに決めたのだった。


 ◆


 高校へ登校するとまず教室に行き、花瓶の水を変える。タケルより早く来る生徒はいない。

 荷物を置くと中庭に行って花壇に水を撒く。再び教室に戻ると黒板消しを綺麗にし、チョークに不足がないか確認する。

 トイレに行ったら備え付けの雑巾で鏡や洗面台を拭き上げる。ペーパーが少なければもちろん用務員室まで取りに行く。

 タケルはこれらの行為をなるべく人目につかないように行う。褒められたくてやっているわけではないし、変に目立ちたくはない。

 常にまとわりつく後ろめたい気持ちから抜け出したくて、なにか良い事をしなければ、と思ってしまうのだ。

 

 朝、全ての雑務を終えるとタケルは席に着く。彰彦がいつ来るかと心待ちにしているが、顔に出ないよう本を読むふりをして誤魔化す。

 彰彦がやって来ても気づかないふりをして、隣を通る時に「おはよう」と声をかけられてから顔を上げる。

「おはようっ」

 なるべく愛想よく短く返事を返すと、またすぐに本に目を戻す。

 そして朝礼まで彰彦との挨拶を噛み締めながら過ごすのが日課だ。

 友人と呼べる存在はクラスに四、五人いるが、遊びの誘いは二回に一回は理由をつけ断っている。彼らには極力親切に接しているが、用がなければ自分から連絡することは無い。

 彼らに性的嗜好を知られないよう、日々最大限の注意を払っているのだ。

 それから彰彦がいるグループには近寄らないようにしている。彰彦はクラス内で、運動部の背が高い男子のグループに属している。派手な女子たちと大きな声で笑い合っている様子をよく見かける。

 タケルが毎日公園にいる理由は、彰彦には知り合いの子どもと遊ぶためだと説明している。公園にいる言い訳ができて、翼にはとても感謝している。

 学校では彰彦のことを見過ぎないようにしているが、声が聞こえると意識してしまう。彰彦は時々すれ違ったときに話しかけてくれることがある。その時は心臓がうるさく鳴るが、友人相手のときと態度に差がないか頭の中で確認しながら相槌を打つ。

「今日も公園行くのか?」

 移動教室の際、背後から彰彦に声をかけられてタケルは飛び上がった。

「えっ? あ、うん! 行くよ」

 必要以上のことは言わずにニコニコしながら答える。

「タケル見ると気合い入るんだよな。今日もよろしくな」

 周囲に「いないときはやる気ないのかよ」と揶揄われ、彰彦は笑っている。

 どう答えるのが正解なのか、変に思われないか、咄嗟に分からずタケルは曖昧に微笑んだ。

「ほら、タケル君困ってんだろ!」

 彰彦の友人達にそう言われて、タケルは「困ってないよ! 部活頑張ってね」と答え足早にその場を去った。

 心臓がバクバクと動いている。

 タケルと会話できて体が浮かび上がりそうだが、さっきの返事は“正解”だったのだろうか。

 どうか変に思われてませんように、とタケルは筆箱を握る手に力を込めた。

 

 彰彦に対しての好意は、アイドルなんかに対する憧れのようなものだと自分に言い聞かせている。

 毎日推しを近くで見れるだけで満足だ。想いを伝えるなんてとんでもない――。

 今日もタケルは公園に行き、ゴミ拾いをしながら彰彦を待つのだった。

 

 ◇◇◇


 「あの子今日もいい事してる」

 キューピッドのアモはカップルを作るために人間界に降りて人々を観察していた。キューピッドは天界では羽が生えているが、人間界に降りると羽は見えなくなる。羽は見えなくても空を飛ぶことは可能で、人間から自分の姿全体を見えなくすることもできる。その能力を使い様々な場所でこっそりと人々を見ていた。


 キューピッドはキューピッド界の神様が産み出す。産み出されたキューピッド達は人間界でカップルを作りハートを集めてくる。想いの強さはそのままハートの大きさとなる。

 神様は集めたハートを基にまたキューピッドを産み出す。

 アモは生まれつき体が小さく、他の兄弟達にいつも馬鹿にされていた。

 そしてキューピッドの中ではまだまだ子供のアモは一組もカップルを成立させた事がない。

「チビのアモだ!」

「お前が集めてくるハートも、どうせちっちゃいハートだろうな」

 そう言われるたびに「僕だってでっかいハートを集めてくるんだから!」と言い返すが、兄弟達は余計に笑うだけだった。

 兄弟達が大きなハートを持って来ては神様に褒められ、頭を撫でられる様子をアモは指を咥えて眺めていた。

 

 そんな姿を神様に見られ、「早くカップルを成立させて一人前になりなさい」と言われて遂にアモは人間界にやって来た。

 キューピッドの矢があれば割と簡単に両想いにさせる事ができるのだが、それには条件がある。

 どちらか一方だけでも、もう一方を好きじゃないといけないのだ。二人ともお互いを何とも思っていない場合、矢は効果を発揮できない。

 アモはとにかく誰かに想いを寄せている人物を探していた。そこで見つけたのがタケルだ。

 最初見た時、タケルは公園でゴミ拾いをしていた。

 何をしているんだろう? と不思議に思い観察していると、ランニングをしている団体が通りかかった。タケルの視線はその中の一人に釘付けになっていた。軽く手を振ったあと集団を見送るとソファに座り込んでボーッとしている。

 これは……!

 とアモが興奮していると、タケルはまたゴミ拾いを始めた。しばらくすると今度は黒髪の小さな男の子がタケルに飛び付いて、一緒に遊んであげていた。黒髪の男の子はタケルのことを好きなようだが、タケルは子どもには全く恋愛的な興味が無いようだ。アモはなんだかタケルのことが気になって仕方なかった。

 アモはしばらくタケルの観察を続けることに決めた。数日じっくりと観察すると、見れば見るほどタケルは“いい人”だった。

 落とし物を見つけると交番まで届け、お年寄りを見かけると荷物を持ち、財布を忘れた友人にはお金を貸した上でお茶を買ってあげ、電車やバスでは必ず席を譲る。それに暇さえあれば掃除や片付けをしているし、家の手伝いや先生のサポート、花壇の世話も欠かさない。

 もしかして人間は皆そうなのかと思って他の人を見てみると全然違う。

 こんなにも毎日たくさんいいことをしているタケルが、アモは気掛かりでならなかった。

 タケルの表情はいつも何か不安そうなのだ。

 観察した結果彰彦を好きなはずのだが、彰彦と話した後嬉しそうなのは一瞬で、その後は反省するような顔つきをしている。

 友人達といるときも、常に顔色を窺っているように見える。

 アモは歯痒かった。

 タケルは周囲が快適に過ごせるよう、いつも気を配っている。それは思いやりという愛だ。家族もクラスメイト達も、もちろん公園の男の子も、タケルの周囲の人たちは皆恋愛抜きにしてもタケルのことがすごく好きなようだ。

 それなのにタケルは周囲からの愛を受け取ろうとしない。

 唯一タケルが関心を寄せている彰彦相手ですら、タケルは一歩引いて接している。

 彰彦の方に好意があるかは正直分からないが、キューピッドの矢を使えばタケルと両想いにすることができる。

 アモはタケルの笑顔が見たかった。

「お話してみようかな……」

 アモはタケルがいつもいる公園に降り立った。


 タケルが公園で彰彦を待っているところにそっと近づく。いつも空から観察していたタケルが目の前にいる。茶色い癖毛が少し跳ねていて、少し垂れ目気味の目がとっても可愛い。

 もう少し見ていたくて、すぐには話しかけずしばらく様子を伺っていた。

 テキパキとゴミ拾いや草むしりをしているが、彰彦が来る時間が近づくとソワソワし出すのをアモは知っている。

 遠くから足音が聞こえ、彰彦達がやって来るのが分かった。

 タケルはちらりとそちらを見るとさっと道を開け、すぐに視線を地面に戻してゴミ拾いを続けた。しかしよく見ると同じ場所の草をむしってはその場に捨てている。彰彦が近づいて来るのが気になって仕方ないようだ。

 彰彦達がすぐそこまで近づいてきた。タケルは脇道に避けると、目の端で彰彦の姿を見ている。

 彰彦がタケルを見て手を挙げた。

「タケル! おつかれ」

「お疲れ彰彦。がんばれよ」

 タケルの頬が、わずかに紅潮している。彰彦が見えなくなるまでその姿を目で追っていた。

 ――可愛い。

 アモはタケルから目を離せなかった。

「今日もかっこよかったな……」

 けれどタケルはそう呟くとため息を吐き、少し哀しげな表情になってしまった。

 アモは思わず声をかけた。

「告白しないの?」

 タケルは目を丸くしていた。アモは告白しないのか何度も尋ねたが、タケルにその気は全く無さそうだった。

 終いには、「両想い意外にも世の中には幸せなことがたくさんあるんだよ」と言われてしまった。

 けれど、タケルが心から笑った顔が見たい。

 それはやっぱり誰かからの愛を受け取った時なんじゃないか。

 アモはそう思わずにいられなかった。

 

 それからというもの、アモは公園に通いタケルに話しかけることにしたのだった。


 ◇◇◇

 

 キューピッドと名乗る少年は、気づけば毎日公園に来ていた。彼が訪れるようになって二週間が経った。彼の名前はアモというらしい。どこの学校か、どこに住んでいるのか尋ねても「キューピッドだから……」と言って教えてくれない。嘘をついているようには見えないが、何か事情があるのかもしれない。タケルは深くは追求しなかった。

 アモがあまりに真剣なので、タケルはアモがキューピッドという“設定”に付き合うことにした。

 アモの話を聞くと、キューピッドはカップルをたくさん作って神様に認めてもらう必要があるそうだ。

「それなら別の人のところに行った方がいいんじゃない?」

 そう伝えたが、アモは難しい顔をしてタケルを見つめ返した。

「タケルはどうやったら笑顔になる?」

「え? 普通にいつも笑ってるよ?」

 戸惑いつつも笑って答えてみたが、アモは納得いかないようだ。

「彰彦がタケルのこと好きになったら笑顔になる?」

「あはは、それはないから」

 笑ってそう答えるとアモは膨れっ面になった。

「じゃあタケルのことを好きで好きでたまらないって人が現れたら?」

「うーん、ありがとうって言うかな」

「そうじゃなくて……。好き同士、両想いになったらハッピーでしょ?」

 アモは口を尖らせて反論した。

「そんな日は来ないよ」

 遠くを見つめてそう答えると、アモは静かになった。

「僕はタケルが好きだよ」

 突然の告白に戸惑ったが、自分が捉えた意味と違うかもしれないとアモの顔色を伺った。すると彼の頬がピンクになっている。タケルもつられて顔が赤くなった。

「え? あ……ありがとう」

 しどろもどろになりながらそう返したが、どうしていいか分からない。アモは可愛いが、一体自分のどこに惹かれたというのか、タケルは半信半疑だった。

「でも……、アモは僕と彰彦にくっついてほしいんだろ?」

 いつもタケルに告白を勧めてきたのはアモだ。やはりアモの気持ちは恋愛感情ではないのでは、とタケルは思った。

 しかし、顔を上げたアモは寂しそうに見えた。

「タケルに……いつも笑ってほしいだけ」

 その表情と言葉がタケルの胸に突き刺さった。

「なんで……」

 なんでそんなに気にかけるのか、と言おうとしたそのときだった。

「たーけーるー!!」

 向こうから全力で翼が走ってくる。タケルは慌てて身構えた。

「とうっ!!」

 そう言って飛びついてくる翼を、タケルはよろめきながらも抱き抱えた。

「タケル! 遊ぼ!」

「重たいよ翼〜」

 翼はタケルから降りるとぐいぐいと手を引っ張って遊具の方へ連れて行こうとした。

「待って! 友達がいるから」

 大切な話の途中だったが、それどころではなくなってしまった。アモが気を悪くしていないかと表情を伺うと、アモはキョトンとした顔で翼を見つめていた。

 そういえば、アモと翼は初対面だ。アモはいつも翼が来る前に帰ってしまっていた。翼の方も最近サッカーを習い始めたそうで、公園に来る回数が減っていたのだ。

「この子はだぁれ?」

 アモを見た翼はタケルに向かって問いかけた。一方のアモは翼のことをじっと見ている。

「友達のアモだよ」

「ふ〜ん、変な名前」

「こら翼……」

 慌てて翼を注意したが、アモの表情は特に変わらない。

「君はタケルが好きなの?」

 タケルは今度はアモの質問に驚く。

「あったりまえじゃん! 僕はタケルとずーっとずーっといっしょにいるもん!」

 タケルは口を挟むのを諦め、傍で苦笑していた。

「タケルのこと幸せにできる?」

「するよ! タケルのこと大好きだから!」

 本人を他所に話を進める二人に、タケルは所在なく視線を彷徨わせた。

 アモは翼をじっと見つめている。翼はアモにさして興味は無いようで、タケルの脚にまとわりついてきた。

「タケルー、遊ぼうよ」

「いや、でも……」

 アモとの話が終わっていないが、正直タケルはどうしていいか分からなかった。今から翼と遊べば一旦この場から逃げ出せるが、それは不誠実ではないか……と逡巡する。

「いいよ。遊んできなよ」

 タケルが悩んでいると、アモがそう言った。そちらに視線を向けると、なんだかアモはぼーっと考え事をしているようだった。

「えっ……」

「いいってよ! 行こうよー」

 翼にぐいぐい引っ張られ、タケルは少し離れた遊具まで連れて行かれた。タケルと遊んでいる間ずっとアモのことが気がかりだったが、遠くに見えるアモはずっとベンチに座ったままだった。


 一時間ほど経過して、翼は母親に連れられて帰って行った。

 アモは変わらずベンチに座っていた。

 日が沈みかけて、ベンチ脇の街灯が明かりを灯した。

 空気はずいぶん冷え込んでいる。

「ごめんね、ずっと退屈だったよね……」

 タケルは自販機で温かいココアを買い、急いでアモに駆け寄ってそれを渡した。

「ふふ、ありがとう。僕が好きでここから見てただけから、別に謝らなくていいんだよ」

 アモはココアを両手で包み、笑ってそう言った。

 青っぽい街灯の光を浴びたアモは、美術の教科書に載っている彫刻のように美しかった。

 返事をしなければ……。

 タケルは唾を飲み込んだ。

 タケルは彰彦が好きだ。けれど男同士だから諦めている。

 しかし目の前のアモはタケルが好きだと言う。アモはどう見ても男の子だ。

 けれどタケルは男だったら誰でもいいという訳ではない。他の人が好きなのにOKすることはタケルには出来ない。それに男同士で付き合うなんて、タケルにはハードルが高すぎる。世間の目と戦うより平穏に生きていきたい。

 どう考えてもアモに対して前向きな答えを用意できない。何度も奥歯を噛み締めた。

 ぎゅっと拳を握りしめて、タケルは口を開いた。

「ごめんね……」

「そんな顔しないで」

 タケルが続きを言うより先に、アモが言葉を挟んだ。その顔は優しい笑みをたたえていた。

 タケルは顔をくしゃりと歪めた。

 気持ちに応えてあげられないのに、断ってしまったのに、アモは穏やかに微笑んでいる。

 自分が傷つきたくないとばかり思って、相手を傷つけてしまったのではないか……。

 目の奥が熱くなってきた。

 アモはゆっくりと立ち上がり、タケルの目の前にやってきた。微笑んだまま、アモはタケルの顔を覗き込む。

 ビー玉のような瞳がタケルの眼をとらえた。

「タケルは幸せにならないと!」

 アモはにっこりと笑ってそう言った。

 突然大きな声を出すのでタケルが吃驚していると、アモは笑顔のまま再び口を開いた。

「必ず僕が幸せにするからタケルは待っててね」

「……え?」

 アモの表情は何か確信めいたものに思えた。

 タケルが戸惑っていると、アモはタケルから一歩離れた。そしてくるりと振り返ると軽やかにその場を去っていってしまった。

「またね、タケル!」

 アモは一度だけ振り返ってそう叫んだ。

「アモ……?」

 残されたタケルは暗闇の中アモがいた場所に手を伸ばした。

「参ったな……」

 彰彦を好きなはずなのに、アモに心を揺さぶられている。断ろうとしたくせに図々しい、とタケルは伸ばした手で自分の髪をぐしゃぐしゃと掴んだ。

 

 ◇◇◇


 「神様、キューピッドの矢は自分には使えないんですよね?」

 アモは人間界から戻ってすぐ、神様のところへやって来ていた。

 神様は長い長い真っ白な髪を携えた彫りの深い顔をアモの方に向けた。神様は白い雲に覆われた部屋で、キューピッド達が集めてきた様々なサイズのハートを数えているところだった。

 アモの質問に、神様はぴくりと片眉をあげた。

「アモ、人間に恋したのか」

 何も説明していないのに、神様はやっぱり鋭い。

 神様の声がいつもより一段と低かったので、アモは黙って俯いた。

 神様は手のひらほどの大きさのハートをひとつ摘んだ。

「恋……なのかな。その人を僕が幸せにしたいんです」

 アモは顔を上げ、声を絞り出した。

 神様は黙ってアモを見つめていた。

「……人間と恋愛するにはお前も人間になるしか方法はない」

 アモはぱっと顔を上げた。

「そうすればタケルを振り向かせられる!?」

 神様は呆れた顔をした後、ふっと笑みを見せた。

「それは分からない。人間になれば矢は使えない。それに……」

 神様はアモをじっと見つめた。アモはその目を見つめ返した。少し間を置き、神様は再び口を開いた。

「お前はキューピッドの頃の記憶を失うし、生まれ変わりのタイミングはいつになるか分からないんだぞ」

 神様はアモの頬を撫で、心配そうにそう言った。

 神様や兄弟のことを忘れてしまうのは寂しいけれど、きっと彼等はアモがいなくても楽しくやっていけるだろう。

 だけどタケルは、タケルだけはアモが幸せにしてあげたい。

 アモは神様から目を逸らさなかった。

「はい。大丈夫です。どうしてもタケルの側に行きたい。猫でも植物でもいい。タケルが寂しい想いをしなくていいように。きっと生まれ変わったら会えるって、僕分かるんです」

「そうか……」

 神様は目を瞑り、数秒後にゆっくりと瞼を開いた。

「よく考えなさい」

「タケルと話すと心がフワフワして……、タケルが笑うとそれだけで胸がいっぱいになるんです。タケルにもこんな風に思ってほしい。ずっとずっと、暖かい気持ちで生きてほしい」

 アモは涙を堪えて訴えた。

「元には戻れないぞ」

 神様は心配そうにそう言った。

「このまま……このままタケルが寂しく過ごすのを黙って見てる方が嫌です……!」

「そうか……。では、周りの者に挨拶を済ませて心の準備ができたらまた来なさい」

 アモは神様にお礼を言い、頬にキスをした。神様は優しく微笑むとアモの頬を両手で包みキスを返した。


◇◇◇


「タケル」

「うわあっ! アモか……。アモはいつもいきなり現れるな」

 タケルは今日も公園のベンチにいた。アモの表情が、なんだかいつもより沈んでいるように感じる。

「どうした? 元気ないな」

「もう会えないんだ」

「え……」

 タケルは動きを止め、アモの言葉を必死に飲み込もうとした。

 アモに告白されて以来、タケルはずっとアモのことばかり考えていた。まさか、もう会えないなんて……。

 そんなこと考えもしなかった。本当に会えないのか、一体どういうことなのか。口を開こうとするとアモが先に言葉を発した。

「だけどまた会えるよ」

 アモは真剣な顔をしている。

 もう会えないけど、また会える?

 タケルは混乱していた。

「どういうこと……? いつ会えるの?」

 顔を顰めてそう尋ねた。

「分からない。けど、大丈夫」

 親の都合だろうか。こっちから会いに行けないのだろうか。タケルが懸命に考えていると、アモの目に涙がじわじわと浮かび上がってきた。

「アモ!?」

 どうしていいか分からず、とりあえず頭をそっと撫でた。アモのフワフワの髪の毛をタケルの手で撫で梳かす。

 アモの瞳からぽろりと涙が溢れでた。

 ――僕と会えないということで、アモはこんなに悲しい想いになっているのか……?

 タケルは胸の奥がキリキリと痛んだ。アモは泣きながら口を開いた。

「大丈夫だよ。僕が幸せにするからね」

「アモ……?」

 アモの方がよっぽど辛そうなのに、タケルのことを心配するアモに、タケルは言葉が出なかった。鼻がツンとする。

 アモは頭に置かれたタケルの手をそっと握って自分の頬に当てた。

 アモの手も頬もポカポカと温かい。

「待っててね」

 アモがそう言ったとき、突風が吹いて落ち葉と砂が大量に舞い上がった。

「うわっ」

 タケルは思わず腕で顔を覆った。

 再び目を開くとアモはいなかった。

「アモ? アモ!!」

 叫んだが見つからず、翼が来てから一緒に探してもらったが、アモが現れることはなかった。

 

 ◇◇◇

 

「来たか」

 アモが駆け寄ると神様は両手で抱きしめてくれた。神様の胸の中は陽の光に包まれているように心地よい。

「挨拶は済んだか?」

 アモは頷いた。まだ涙が乾いていない。

「寂しくなるな」

「……ごめんなさい……」

 神様はアモのおでこにキスをした。

「悲しい顔をするな。幸せにおなり」

「はい……」

 光る粒がアモの頬を伝って幾つも落ちていった。

 

 アモの羽がはらはらと抜け落ちていく。痛みはない。

 翼を失ったアモはキューピッドではなくなった。そしてそのまま体全体が光り輝き、その光はどんどん小さくなって最後には消えてしまった。

 ――タケル、待っててね……。


 こうしてアモはキューピッドとしての生涯を終えた。


「生まれ変わりは上手くいったみたいだが、時代の調整が難しいな……。少しずれたかもしれない」

 神様は大きな力を使ったため消耗していたが、さっきまでアモが存在していた場所を抱きしめて心配そうに呟いた。


 ◇◇◇

 

 アモが現れなくなって一ヶ月が経っていた。

 アモがいたのはたった二週間程度のことだったのに、公園に来るたびにアモのことを思い出す。タケルはベンチでため息をついた。

 タケルは心配で、知り合い伝手に近隣の中学校でアモと呼ばれる子がいないか、似たような容姿の子がいないか聞いてもらったが、そんな子はいないという回答しか得られなかった。

 会った回数は少ないが、不思議なことばかり言うあの少年のことが気がかりだった。

 変わった子だったけどちゃんと友達はいるのか、悪い人に騙されたりしてないか、それから、タケルのことばかり気にしていたけど自分のことを最優先に考えてほしい……。

 タケルは気がつくとアモのことばかり考えていた。

「僕がいるよ!」

 ハッとして隣を見ると、翼が怒った顔をしている。

「さっきから話しかけてるのに!」

「ごめんごめん、来てたのに全然気づかなかった……」

 頭をポンと撫でると翼の表情が和らいだ。

「僕はタケルのために産まれたのに!」

「どういうことだよ〜」

 六歳児とは思えないなかなか重たいセリフに思わず吹き出す。

「なんかそんな気がするんだもん」

 笑われた翼は不服そうだ。

「ごめんごめん、嬉しいよ」

 また頭にポンと手を乗せて、翼の気が済むまで撫でてあげた。

「タケルは幸せにならないと!」

「え……?」

 タケルは翼の目を見た。

 全然似てないはずなのに、アモの面影が浮かぶ。

「僕が幸せにするからね」

「翼……? 翼、キューピッドなの……?」

 翼はきょとんとしている。タケルは自分でも変なことを口走ったと思い、慌てて「ごめん、何でもない!」と取り消した。

「キューピッド? 僕は翼だ!」

「うん、そうだよね」

 翼の小さくて暖かい手に引かれ、タケルは夕焼けの照らす公園を歩いた。


 ◆◆◆


 タケルは今日も公園のベンチに座っていた。桜の花びらがヒラヒラとベンチに降り注ぐ。

「タケル、お待たせ」

 低い声に振り向くと、長身で黒髪の男子がタケルに向かって微笑んでいる。

「翼……」

 アモとの出会い、そして別れから既に十二年が経っていた。

 翼はすっかり大きすぎるほどに大きくなり、通りすがる人が思わず振り返るほどのイケメンに成長していた。

 翼は学ラン姿で、胸には赤い花を差し、手には卒業証書の筒を手にしている。

「高校卒業おめでとう」

 タケルは立ち上がり、卒業祝いの花束を手渡した。

「ありがとう」

 タケルは嬉しそうににっこり笑った。その表情は出会った頃の六歳の翼と変わりない。

 一方のタケルはと言うと、公務員としてスーツ姿がすっかり板に付いていた。地元の大学を卒業して、地元の公務員になり、実家から電車で二十分の距離に一人暮らしをしている。彰彦とは高校卒業まで友達のまま、卒業してからは疎遠になって久しい。

 来年で三十になるタケルは、肌も髪もピカピカの翼を眩しく見上げた。

 この十二年、翼とタケルは公園で会い続けた。

 もう公園の遊具で遊ぶことは無くなったけれど、タケルが大学進学する時も、翼がサッカー部のエースとして活躍していた時も、どんな時も二人は互いに近況報告をし続けた。

 こんなに長い年月を親しく過ごしているのは、考えてみると翼だけだった。

 十一歳も歳の離れた男の子との関係を、タケルはどう言い表していいか分からなかった。

「タケル、結婚しよう」

 出会ってから何万回と聞かされたこの言葉を、今日も翼は口にした。

 けれど今日のこのセリフは、いつもと重みが違う。

 翼はポケットから小さな箱を取り出し、タケルに向かって開いて見せた。中にはシルバーのリングが入っている。

「安物だけど……。毎年もっといいのプレゼントするから!」

 翼は赤くなった自身の首をポリポリ掻きながら、ぶっきらぼうにそう言った。

 タケルはそんな翼の様子をじっと見つめていた。

 今まで翼に告白されても未成年に手を出す訳にはいかず、タケルはずっと「高校卒業したら考えるよ」と言い続けていた。

 しかし遂に今日翼は高校を卒業した。

 結論を出す時が来たのだ。

「俺はタケルが好きだ」

 翼が真剣な顔でタケルにそう告げた。

 その時タケルの頭にアモから告白された時のことが蘇った。

 次の瞬間、ふわりと風が舞い翼が桜の花びらに包まれた。

 翼の背後に羽が生えたように見えた気がして、タケルは眼を擦った。

 それは見間違いだったようで、もう一度翼を見ると幻影は消えていた。

 この十二年、考え続けていたことがある。

 『タケルは幸せにならないと!』というアモの言葉。

 同じことを翼が言ってくれた。

 同姓を好きというだけで罪滅ぼしのように生きてきた自分。

 けれど翼からのこの想いまでも、果たして罪になるというのか。

 翼に好きと言われるたびにタケルの胸の奥に光が灯るのに――。これを幸せと言わずに何と呼ぶというのか。

 もうとっくの昔に結論は出ていた。

「うん、ありがとう翼。僕も翼が好きだよ」

 タケルは指輪を受け取った。

「えっ……、マジ……? マジで……? 嘘じゃない?」

 いつもしつこいくらいに迫ってくる翼が狼狽えている。

「夢じゃないよね? ドッキリとかやめてよ」

 赤くなった顔を腕で覆う翼に、タケルは笑ってしまった。

「あははっ……、待たせてごめんね。嘘じゃないよ。夢でもない」

 笑いが止まらず口を押さえると、翼の目からポロポロと涙が溢れ始めたのでタケルはギョッとした。

「つ、翼……?」

「俺、俺さ、タケルのその顔を見るために産まれたんだと思う……」

「そんな大袈裟な……」

 タケルは笑いながら眼の端に浮かんだ涙を拭った。

 それからタケルは翼の大好物のココアを自販機で買ってあげて、二人はぴったりとくっついて公園を後にした。


 ◆


 柔らかな日差しが差し込み、タケルは目を覚ました。目の前に大きな背中がある。自分より十一個も歳下のその肌はとても滑らかだ。

 時刻は六時四十二分。家を出るまではまだ充分に時間がある。まだスヤスヤと眠っている大学生の翼は、確か今日は二限からと言っていた。

 翼は週のほとんどをタケルの家で過ごすようになっていた。

 横たわる白く美しい背中に、二筋の痣があるのを知ったのはつい最近だ。肩甲骨をなぞるように、ハの字の青い痣が浮かんでいる。

 翼に聞くと生まれつきだと言う。翼の母は「羽があったのかもね」と冗談で言っていたそうだ。

 その痣を見たときタケルの脳裏に浮かんだのはアモだった。

 もうはっきりと顔を思い出すことはできない。

 最近は記憶の中のアモの姿が翼の姿に置き換わってしまいつつある。

 アモとの記憶だったのか、翼との記憶だったのか――。

 二人は確かに別々に存在していたはずなのに、タケルの中で二人の記憶が混ざり合う。

 あれは翼の分身だったのかな……。

 タケルは横になったまま翼の背中の痣を指でなぞった。

 もぞもぞと大きな背中が動き出す。

「んー……」

 くるりと寝返りを打ち、翼がこちらを向いた。

 黒い髪にはっきりとした目鼻立ち。百八十を超える長身の翼はとても人目を惹きつける。

 けれどその目はいつもタケルを真っ直ぐ見てくれる。

 出会ってから一ミリも変わらないその態度に、タケルは何度救われたか分からない。

 タケルは翼の胸に顔を埋め、すりすりと額を目の前の肌に擦り寄せた。

「ん……、タケル……? 何してんの……?」

 翼は重そうに瞼を開くと、あくびをしながら問いかけてきた。

「んー? 僕と翼を引き合わせてくれた神様に感謝してるところ……」

「何だそれ……、可愛すぎる……。俺も神様に感謝する」

 翼はそう言うとタケルの額に口付けた。

「あー、幸せだな……」

 翼がしみじみと呟く声が心に沁みた。

「うん、僕もだよ」

 ――アモ、僕は幸せだよ。

 タケルが胸の中でそう呟くと、窓は閉まっているはずなのに、カーテンが風でふわりと揺れた気がした。

 ――きっと、君なんだね。

 タケルは翼にそっと口付けた。

 アモは以前、世の中の愛を増やして神様に褒められたいと言っていた。

 ここに、確実に、ひとつの大きな愛がある。

「会いに来てくれて、ありがとう」

 不思議そうな顔をする翼を抱きしめ、タケルはそっと背中の痣を撫でるのだった。

お読み頂きありがとうございました!ほんのひと時でも、読んでる時間が楽しいものであってくれたら幸いです。


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