邂逅
エレノアの目の前には人面の怪物がいた。
部下が女性のわめく声を聞きつけ、ローブの男を切りつけた次の瞬間だった。
階下にいる四つ足の獣がこちらを凝視していたのだ。
暗闇で光る眼光、ヤギのような巻角、猿のような前足、狼を思わせる後ろ脚、そして獅子のような尻尾…
身体を構成するすべてのパーツが不揃いであり、共通点は哺乳類ということだけのように見える。
そして異質さを極めて引き上げていること…
その怪物は区庁舎の制服を着用しているのだ。
そして顔は人間のソレである。
エレノアは生理的嫌悪感を覚える。
いや、ここにいる隊員……この城塞都市に住む人々皆がそうだろう。
怪物は我々人間を好んで襲ってくる悪魔の使い。
その怪物に人間の顔がペタリとついているのだ……。
「あ…あの……」
喋った…。
人語を喋った…。
今まで人語を発する怪物がいなかったわけではない。
奴らは獲物を呼び寄せるために犠牲者の最後の声を繰り返す種類もいる。
しかし、それはオウムが鳴きまねをするように…やまびこが声を反射するように、意味のないものに過ぎない。
だが……
「み…皆さん警備隊の方々ですよね!?あの……助けてください!気づいたらこんなところにいて…体もこんな風になっちゃって!!!!」
話している。
我々の眼をみてはっきりと、意味のある言葉を紡いでいる。
こんなことは今まで確認されてきた怪物にはなかったことだ…。
「隊長……こいつはいったい……」
周りの隊員たちも同じように困惑しているようだ…。
中には吐く者もいた。
「エレノア、この男が持っていたのは操者の水晶だ…おそらくアレの首についているモノと対の…」
操者の水晶……対となった石をもつ怪物を意のままに操ることのできる黒魔術による魔道具……。
つまりこの怪物は正真正銘、城壁外を闊歩している怪物たちと同じだということだ。
「わ…私はルカ・オルテガって言います!本当です!区庁舎に確認してもらえれば……!」
この怪物はひどく焦った表情で訴えかけてくる。
人間の顔がついているせいで表情から感情が読み取れるのが不快で不気味だ……つまりなんだ……?
攫われた人々は怪物に変えられていたというのか?
ほかにもこの考えに行き着いた者がいたようだ。
耐え切れずにまた数人吐いた。
殺すよりも余程残酷な仕打ちをしてくれたものだ……。
足元に転がっているこの男は余程イカれていたらしい……。
「助けてください!私の身体をもとに戻してください!」
目の前の怪物が必死に懇願している。
本当なら被害者の悲痛な叫びのはずなのだが、ひどく耳障りな雑音にしか聞こえない……。
このねぐらを突き止めないで、ルカ・オルテガという少女を助けていれば、あの子はこんな醜悪な姿にはならなかったはずだ……。
罪悪感が募る……しかし、この怪物が少女だとしていつ正気が失われるか把握できない。
それに、こんな姿になってまともに生活できるとも思えない……。
「ボンド……これがもとに戻る確証は……?」
副隊長のボンド・レリスに問いかける。
さすがは副隊長なだけあって他の隊員が気圧されているなか、部屋にあった資料を読み漁っている。
「駄目だよエレノア…この男、不可逆魔術を使用していたみたいだ、実験体が元に戻ることなんてはなから想定していないよ。」
予想はしていた。
当たり前だ。
こんな狂った男が他者のことなど考慮しているはずがない。
「そ…そんあ……」
怪物の顔面から血の気が引いた。
もとに戻る方法、それだけがこいつの頼みの綱だったのだろう。
……糸のようにあまりにも細い希望ではあったが……
「じゃ…じゃあ……私は………これからどうして………」
ルカは堰を切ったように泣き始めた。
無理もない……自分が同じ立場だったらどうだったろうか……
「こいつはここで処分したほうがよろしいのでは…?」
部下の一人が進言する。
最初に吐いたやつだ。
エレノアにとっても異論はないが……
(ここで堂々と言うやつがいるか)
「え…?」
エレノアは軽く舌打ちをした。
完全に聞かれてしまっている。
精神が衰弱し、絶望に浸ったやつにさらに追い打ちをかけるとどうなるか…
「うそ……なんで…?殺され…」
答えは明白。
「いや!いやいやいや!死にたくない!!」
暴れる。
「総員!防御姿勢をとれ!」
エレノアが叫ぶと同時にルカは地団太をふむ子供のように暴れだす。
動きは喧嘩などまるでしたことのない稚拙なものだが…
「ぐほぉ!?」
殺そうと進言した隊員が右手を殴られた。
ものすごい衝撃で腕はあらぬ方向へ折れ曲がっている。
「ひぅっ!」
自分の力に気圧されたのか、信じられないものを見るように折れた腕を凝視し、震えている。
折る気などサラサラなかったのだろう。
ルカにとっては微弱な抵抗だったはずだ。
そのすきにボンド・レリスは叫ぶ。
掲げられたその手の中には操者の水晶が握られていた。
『動くな!』
瞬間、ルカ・オルテガの身体はピタリと止まった。
不安定なバランスで立っていたので、そのままの姿勢で倒れこむ。
「んぐぅ…!」
悲痛な声が漏れる。
「なんで……どうしてこんな……死にたくないよぉ……」
ルカは顔を隠すことなどできないため、よだれや鼻水を垂れ流しながら泣きじゃくる…。
助けが来たと思ったら、その助けに殺されそうになっているのだ、無理もない
ルカ・オルテガの精神が限界を達し、意識が遠のいたころ、せめて痛くないように死にたいと思った。