起点
城塞都市ウォーラデミントン警備隊会議室。
重々しい空気の中顔を見合わせている人物達がいた。
その中でも特に目を引くのは赤い髪の女性。
名をエレノア・ヴァルセルク。
魔力量の極度に高い証である【髪の変色】が起こっている数少ない人物の一人である。
怪物を容赦なく始末して回ることとその見た目からついたあだ名は《鮮血》。
おおよそ女性につけるあだ名にしては適当ではない。
「ようやくだな…」
エレノアが深いため息をつく。
この数週間警備隊を悩ませていた【神隠し事件】、その解決がようやく目と鼻の先まで迫ってきたからである。
つい先日おこった、区庁舎に就職予定であった少女の失踪事件が決め手となった。
偶然付近を警邏していた警備隊員がその現場を目撃、尾行し、その犯人のねぐらを突き止めたからだ。
「これでやっと事件に終止符が打てるな…」
エレノアのつぶやきに反応する人物が一人。
「早計だよエレノア、まだ犯人を捕らえたわけではないんだから。」
副隊長ボンド・レリス、エレノアに次ぐ実力者である。
魔力量で劣りながらも戦闘訓練の際はいつもエレノアと拮抗している。
「そうは言ってもレリス、今まで尻尾を全くつかめなかった凶悪犯をあと一歩のところまで追いつめたんだ。こう思うのは仕方がないだろう?」
「だがね…」
その時、ふいに会議室のドアが開く。
「突務隊、準備整いたしました!」
編成を任せていた隊員からだった。
「では向かうか…」
本当であれば、少女が攫われた際、止めにかかれば命を助けられただろう。
しかし、誘拐から数日たった今では生存の確率はもう………
我々は事件解決のために未来ある少女を犠牲にしたのだ。
この城塞都市に住む数十万人の未来のために…
その責任として、何としても【神隠し】事件の犯人を捕まえないといけない。
それが区庁舎に入職する予定だった少女、ルカ・オルテガへの贖罪だと信じて…
暗い階段をよたよたと登っていく。
壁にもたれながらでないとうまく上がれない……
そんな歯がゆさに苛まれながら、ルカ・オルテガは歩を進めた。
あの男はこの階段を下りてきた。
つまり、この階段の続く先にこの忌まわしい身体をもとに戻す手がかりがあるはずなのだ。
「それにしてもこの階段、何段あるんだろう……」
わかっている。
階段が長いわけではない。
自分の足が全く役に立たないのだ。
まるで他人の鎧を無理やり着て歩を進める感覚……
ルカ・オルテガの歩むスピードは亀といい速さだった。
それに…
「あう!」
これで何度目の転倒だろう……歩いてはバランスを崩し、また立ち上がって歩いてはバランスを崩しの繰り返しである。
頭ではわかってる。
腕を使い、四足で歩いたほうが楽だと
しかし、それを認めてしまうといよいよ自分は獣に堕ちる気がして実行できずにいた。
そのプライドが命運を分けたといっていいだろう。
…………コツ………………………………コツ………コツ……
(嘘!下から足音が…!近付いてきてるっ!!?)
それはそうだ。
牛歩で歩いていたらいずれ追いつかられるのは自明の理。
当たり前のことなのだ。
(~~~~~っっ!もう形振り構っていられない!)
この瞬間、プライドより危機管理が勝った。
彼女は追いたてられる豚のように急いで階段を四足で駆け上がったのである。
(おかしい)
男は首をかしげていた。
(なぜ死体置き場のドアが開いている?)
実験の失敗作を置いておく死体置き場。
そのドアが開いている。
「何者かが侵入した形跡はなし……というよりも…」
なかから何かが這いずりでた痕跡。
床に汚れが引きずるように伸びている。
(死に損なった実験体がいたか…)
まずいことになった。
今まで実験は失敗に終わっている。
人間ほどの知性を持った異形の怪物なら生物兵器に転用できるという発想から生まれたこの実験…もし地上に出て暴れでもしたら…
(まずいぞ…大事になればいずれこの場所もばれる……!早くこの施設内でとらえなければ……!しかし相手は元人間であっても怪物…万全の準備をしてとらえねば…!そのためには…)
男は踵を返し、自室へ戻る。
あるものを取りに…
階段を中段くらいまで上がるとまた違和感に気づく。
(光が漏れている…?)
まずい。
外に出てしまったのか?あるいは自室に侵入されたか……?
どちらにしても最悪のケースだ。
(しかし、自室からアレを取りにいかないことにはどうにもできない…)
男は自室に向かう。
最悪なことに自室のドアは開いている。
(チっ!)
男は息を殺し、自室の中をのぞきこむ。動物を幾重も黒魔術によってつなぎ合わせた合成獣だ。気づかれているはず
しかし…
(おかしい、襲ってきてもいいはずだ…)
一向に出てくる気配はない。
恐る恐る中を確認すると、一匹の人型獣が部屋を荒らしていた。
(やはりか…)
合成獣を造るにあたって、素体として選んだのは人を孕めるまでに育った若い女だった。
これは自分以外の命をその身に宿すことができるからである。
だからこの施設に怪物は雌しかいない。
ここで違和感に気づく。
この合成獣、なにやらブツブツつぶやいている。
「どこ…?どこにあるのぉ……?身体戻す手がかりぃ…」
涙交じりに独り言をぼやいているあたり、感情が残っている。
そして何より言葉……
この実験体、知性がある!
(ついに実験が成功した!あとはあの実験体をもとに研究を進めれば…!)
そのためにはあの実験体を捕獲しなくてはならない。
男はあたりを見回す。
荒らされているのは今の男にとって好都合だった。
(……あった)
赤い宝石のついたブレスレットとソレと同じ宝石がつけられた首輪。
男はのそりのそりと実験体に近づくと、首輪を実験体につけた。
「え?」
状況を把握できていない実験体をしり目に男は言い放つ。
『待て』
________『待て』
その言葉を聞いた途端ルカ・オルテガの体は硬直する。
(なんでっ?動けない…)
意識では体を動かそうと必死に命令しているのに、体は石になったようにびくともしない。
「あせったが、それより素晴らしい進展を得た……怪我の功名というやつかな…?」
この声、下の廊下で聞こえた声…
ルカをこんな姿に変えた張本人。
「やめて!私をもとに戻してよ!」
必死に訴える。
どうやら声は出るようだ。
「戻す?それはできない…君は偉大な研究の礎になるのだよ」
「そんなのしらない!早く私をもとに戻して!家に帰して!」
怒り交じりに男に怒鳴る。
当たり前だこいつのせいで散々なめに会っているのだ。
「はぁ……まずいい、このまま君が目覚めた部屋まで戻りたまえ」
身体が四つん這いになって歩きだす…
「いや……」
いくら拒んでも自身の体は歩くのをやめない。
四つの足ですたすたと階段を下りていく。
「さて、これから忙しくなるぞ…まず知性がどうやって残ったのか……そこから調べ……
急に体の自由が利く。
何が何だかわからず、振り返り男の姿を確認すると…
男は血を流しながら息絶えていた。