96・ヤンデレに閉じ込められる生活が始まります
何言ってんだ、こいつ。
にっこりと優美な笑みで、私を攫っただの永遠に二人きりだなどと話した彼に、私は思わず眉を顰めてしまう。
「おそらくミア様は今、『何言ってんだ、こいつ』とお考えになっているでしょう」
「よくわかっているじゃない」
「私はずっと、誰よりお傍でミア様を見てきましたので。ミア様の表情は、小さな変化でも見逃さないようにしていますから」
「『何言ってんだ、こいつ』と思われているのがわかっていながら、そんな優美な笑顔浮かべていられる図太さがすごいわ」
「お褒めいただき光栄です」
「褒めているわけじゃないけどね」
「褒め言葉でないのだとしても、ミア様からいただける言葉は、どんなものでも私の糧となるのです」
「人を拘束したまま会話を進めないでよ」
「ご安心ください。食事など、ミア様のお世話は全て私が行います。何もかも、私にお任せください」
「まず事情を説明しなさい!」
強めのツッコミを入れても、ヴォルドレッドの表情が曇ることはない。彼は終始、幸福そうな微笑のままだ。
「ミア様。私はずっと言っていたではありませんか。国など捨てて逃げ、他の誰もいない場所で二人きりで暮らせば、雑音が消え静かに暮らせると」
まあ確かに、ちょいちょい言っていたな。そのたびに、ツッコんで流していたけど。
「ミア様。ここなら私達を煩わせる者どもはいません。ここで、私と二人だけで暮らしましょう」
「……まあ、旅行とかしたいと思ってたし、少しの間だけなら、いいけど」
「いえ、永遠に」
にっこり。思わず見惚れてしまうほどの顔だけど、目は本気だ。
「いや、永遠には無理でしょ」
「何故ですか? 食料も飲料も衣服も、全て私が調達します。ミア様の欲しいものは何でもお贈りいたします。どんな物でも、たとえ誰かから奪ってでも、あなたの望みは全て叶えます」
「誰かから奪ったものなんて、欲しくないわよ」
「高潔ですね。そんなところも愛おしい」
彼は、拘束されている私の手を取り、口付ける。
ここで、ぞっとするのではなくドキッとしてしまうあたり、私も相当重症だと思う。
「……ねえ、ヴォルドレッド。ちゃんと答えてちょうだい。どうして、こんなことを?」
「――ミア様」
真剣に問うと、彼も微笑を消し、答えてくれる。
「ダンジョンの魔獣の暴走を見ていたでしょう。あれは、魔王の力の影響です。いずれ……そう遠くないうちに、魔王はこの世界を滅ぼそうとするはずです。生贄を差し出せばおさまりますが、ミア様はそれをお望みにならないでしょう?」
「もちろんよ。……あ、まさか、魔王から私を隠して、守ろうとしてくれているわけ?」
「それもありますが、それだけではありません」
「それだけではないんかい」
ベッドに横たわったままの私を見つめながら、ヴォルドレッドは話を続ける。
「ミア様はこれまでフェンゼルを救い、また、魔竜を倒すことで隣国ユーガルディアさえも救いました。……考えたことはないのですか? この世界のために、何故こんなことをしなければならないのか、と」
「別に私、この世界のために動いたことは一度もないわ。フェンゼルの前王を倒したのは私がムカついたからだし、魔竜を倒したのは、メイちゃんを元の世界に帰すためよ」
「ええ、そうですね。ですが、人々はそうは思っていません」
恋人同士とはいえ、人を攫っているのだから本来とんでもないことをしていると思うのだけど、ヴォルドレッドは私から目を背けない。悪いことをしていると思っていないのか……悪いことをしている自覚があっても、全て背負う覚悟があるのか。
「人は、自分の都合のいいように考えるものですから。人々はミア様のことを、世界を救ってくださる聖女様だと思っているでしょう。ですから……『聖女様なら魔王すら倒して、我々を幸せにしてくれる』なんて思われてしまう。人々は聖女の救いに頼りきり、自分では何もしない」
「…………」
脳裏に、昨日のことが過る。
確かに最近の王都の人々は、私を美化しすぎている。「聖女様なら、どんな問題も解決してくれる」というように……。
「あなたの力は強大で、それゆえに人々に縋られてしまいます。そしてあなたは、ご自分では優しくないようなことを言いつつ、他者に縋られたら、手を払うことはできない。あなたと知り合いですらなかったフローザを、放っておけなかったように」
「……フローザの置かれていた環境は、あまりにも酷かったわ。理不尽に罵倒されたり、傷つけられたり……」
「あなたなら罵倒されたり、傷つけられたりしていいわけでもありません」
まあ、それはそうだ。私は言われたら言い返すけど、だからといって不当な扱いを受けていいわけではない。
強そうに見える相手なら何をしてもいい、なんて、そんなわけはないのだ。
「フローザも、ジュリアも。メイと違い、あなたとは無関係の人間だったはずです。なのにあなたは見捨てられず、二人を救いました」
「……理不尽な目に遭っている人を放置するのは、後味が悪いもの。正義の味方気取りをする気はないけど、罪のない人が困窮して、悪が甘い汁を啜っているのは、見ているこっちが腹立たしいのよ。誰かのためなんて言わないわ、自分がスッキリするためにやっているの」
「私は、あなたのそういうところを清々しく思いますよ。……事実、私だって、最初はあなたと何の関係もなかったにもかかわらず、あなたに救われた人間の一人なのですから」
……そうだ。私と彼の馴れ初めも、そうだった。
「あなたは光のような御方です。だからこそ、闇の中にいる人間は、誰もがあなたに救ってもらおうとするでしょう。人々は『心優しき聖女』に無償の救いを求めているのです」
「…………」
正直、私も少し、やりすぎてしまったのかもしれない。自分とは関係ないことまで、いろいろと首を突っ込んでいたから――
(いやそれでも、フローザやジュリアのことは放置しておけなかったわよ。悪党どもを放置していたら、この国にも悪影響でしょうし、後々もっと酷い事件が起きていたかもしれない。それに、私は私の望むようにやった。後悔はないわ)
「ミア様。人々の求める救いは、いずれあなたの重荷になるでしょう。欲望というのは、際限のないものですから」
触れられたままだった手が、ぎゅっと握られる。もう離さない、というように。
「――これ以上あなたの存在を、誰にも気付かせたくない。これ以上あなたに救われる人間など、いなくていい」
……彼の言わんとすることが、少しもわからないわけではない。
最初は親切心で行っていたことだって、そこに寄生する人間はいる。アリサや真来がそうだった。
元の世界で、本来アリサがするべき家事や育児も、最初は「大変そうだし、手伝ってあげよう」と思ってやっていたけど、次第にそれが「当たり前」になって。感謝されることはないのに、手を抜けば皆から怒られるようになった。それら全部、私が完璧にやるのが「当然」だから。
人は、慣れてしまうものだ。「当たり前」のことには感謝もしないし、それで私が疲労し、心を削られたって、誰も気にかけてなんてくれなかった。父も母もアリサも、自分達さえ快適に暮らせれば、それでよかったのだから。私は彼らにとって、ただの「便利な道具」だった。
――私は「フェンゼルの聖女」として、今後この国で、似たような状況に陥らないと言い切れるだろうか。
人々は、この先何があっても「聖女様がなんとかしてくれる」と自分では何もせず救いを待って、もし私が人々を救えなかったら、「聖女なのに救ってくれなかった」と私を責めるのかもしれない。
(確かに……この国に来た当初思い描いていたのとは、少し、違うかもしれない)
私が目指したのは、私が聖女として一方的に尽くすだけじゃない、ウィンウィンな関係だ。なのに私と人々との関係性は、少しずつ崩れているのではないだろうか。
(……どうするべきなのかしらね)
ひとまず、今考えるべきは、ヴォルドレッドに拘束されているというこの状況だ。
――身体は拘束されていたって、聖女の力は使える。
正直、逃げようと思えば、逃げられる。
ヴォルドレッドも、それをわかってやっているのだろう。
(……いいわ。どうせ、しばらく二人でゆっくり過ごしていたいとは思っていたのだし。少しの間、ヴォルドレッドに付き合ってみることにしよう)
「わかったわ、ヴォルドレッド。永遠にというわけにはいかないけれど、しばらく、ここで二人で暮らしましょうか」
「……ずいぶん、受け入れるのが早いのですね」
「私を攫って拘束したのが他の人だったらぶっ飛ばしていただけど、まあ、相手があなただしね」
そう告げると、ヴォルドレッドは微かに目を見開いていた。
「何驚いているのよ。恋人同士なんだから、今更あなたのことを怖がったりしないわ」
「ミア様……」
私の言葉に、ヴォルドレッドはうっとりと陶酔するように目を細める。
そんな表情をされると、鼓動が高鳴って落ち着かなくて、どうしていいかわからない。
「……あなたの恋人、というのは。いつ聞いても甘美な響きですね」
「べ、別に……そんな特別なものじゃないわよ。真来だってそうだったんだし……」
ドキドキして、つい照れ隠しのように、そう言ってしまった。うん、こんな状況で、うっかりそんな名前を出してしまった私も悪いけど――ヴォルドレッドは笑顔のまま、尋常じゃない殺気を吹き出す。
「なるほど。では、ミア様の恋人という称号を唯一であり特別なものにするために、今すぐあの男を斬り刻んできましょう」
「前言撤回、さすがにその殺気は怖いわ」