80・雑巾がけリターンズとなります
「フローザ、よくも騎士団にチクッたわね! 信じられない、最低!」
王国騎士団が去った、放課後。ルディーナと取り巻きは、寮にある私の部屋に押しかけて問い詰めてきた。
「チクッたって何? 知られて困るようなことを、してるほうが悪いんでしょう。私に責任転嫁しないでくれるかしら」
「だって、騎士団に告げ口するなんてありえないでしょ! 卑怯者!」
「だから、告げ口されて困るようなことするほうが悪いんだって、聞いている?」
「言いたいことがあるなら、私達に直接言えばよかったじゃない!」
「今までさんざんやめてって言ってきたでしょう。あなた達が私の言葉を聞いていなかっただけよ」
「だからって、あなた、他人の口を借りなきゃ何も言えないわけ!?」
ズキン、と胸が痛んだ気がした。
これは私ではなく、この身体を通して私と精神がリンクしている、フローザの痛みだと思う。
実際、今ルディーナを責めているのは私……ミアであって、フローザ本人ではない。ルディーナはそういう意味で言ったのではなくとも、フローザにとっては突き刺さる言葉だったのかもしれない。
(でも、別に恥じることなんてないのに)
私が自分の言いたいことをガンガン言うようになったのは、この世界に来てからだ。元の世界では私も、黙って我慢してしまう性格だった。
理不尽なことに黙っていたら、事態が悪化するだけなのかもしれない。だけど、言われた瞬間は、ショックで頭の中が真っ白になってしまうことだってある。「自分が悪いのかも」と思い込んでしまって、自分を責めてしまうことだってある。
時間を置いた後なら「あのとき、ああ言えばよかった」と考えが湧いてくるのに。そう気付いたときにはもう、どうせ相手は忘れているんだろうし、昔の話を掘り起こすのも「今更?」と眉を顰められそうで、言い出すには勇気がいる。
嫌なことを言われてその場でちゃんと言い返すのって難しいし、言い返したからって、事態が好転するとはかぎらない。ましてフローザの場合、学園中が敵だったようなものだった。そんな中、一人で戦うなんて過酷だ。むしろ私がこの身体に宿るまで、本当によく頑張ってきたと思う。――だから私は、言った。
「あなた達がどれだけ言い訳しようが、『私』は悪くないわ」
それは、私の中のフローザのための言葉だった。フローザが自分を責める必要はない。騎士団からあんな注意を受けたにもかかわらず、反省もせず私を責めているこいつらがおかしいのだから。
「で? あなた達、さっきの騎士団の話、聞いていたんでしょう。賠償金と慰謝料、ちゃんと払いなさいよ」
「は、はあぁ!?」
「まあ、騎士団からあなた達の親のもとに、連絡が行くことになるんだけど。あなた達貴族なんだし、『お金がありません』なんて通用しないんだから。お金で解決できるわけじゃないけど、お金くらい払いなさい」
「ふ……ふん! そうよ、私達は高貴なんだから! お金なんていくらでもあるんだからね!」
「…………」
本当に、フローザに対して全く悪いと思っていなさそうな彼女達を見て……私は息を吐き、真剣に向き合う。
「ねえ……さっきの騎士団の言葉は、少しも響いていないの? あなた達は、国の騎士団からあんなふうに勧告され、多くの人達から軽蔑されることをしてきたのよ。その意味がわからない?」
じっとルディーナを見つめると、彼女は「?」とばかりに目をぱちくりさせていた。
「今は、あなた達にとって、これまでの行いを反省する好機なのよ。……ここまでされてもなお、自分を見つめ直そうとは思わないの?」
フローザをあそこまで傷つけた以上、反省して許されることではない。だけど少しくらい、自分達の行いを自覚してほしい。そんな思いを込めて言ったのだけど――
「あはは、何それお説教のつもり!? 反省なんてするわけないじゃない、私は間違ってないもの!」
――即答か。これは……駄目そうだな。
「ていうか、賠償金を払えとか、金に汚いわよね! これだから貧乏人は」
「私達貴族は、そんなはした金、痛くも痒くもないわよねぇ」
全く態度を改めないルディーナ達に、私は深く息を吐いた。
「そうね、賠償金を払うのも、どうせ親の金だものね。……どうせなら、自分で労働でもしたらどうかしら?」
私はドンッと、ルディーナ達三人の前に、とあるものを置く。
「何よ、これ」
「見てわからないの? 桶と雑巾よ。あなた達、この寮と学園の掃除をしなさい」
「はあ!? なんで私達が!」
「嫌なら別にいいけど。その代わり、『反省の色なし』と騎士団に報告させてもらうわ」
すっと、懐から伝令魔石を取り出して見せる。ルディーナ達は、あからさまに狼狽えた。
「今すぐ騎士団の方々と連絡がとれるけど、どうする?」
「ぐ……わ……わかったわよ! やればいいんでしょ、やれば!」
懐かしい、雑巾がけだ。以前はフェンゼルの王女に、従属の呪いを与えてやらせたけど。その呪いはずっとヴォルドレッドが苦しめられてきたものだから、気安く使うのは抵抗がある。それに、呪いより本人の意思でやらせたほうが反省に繋がるだろうし。
三人はものすごく不慣れな様子で雑巾を水に浸し、絞る。
「もっと固く絞らなきゃ、床がビショビショになっちゃうわよ」
「知らないわよ、そんなの! 掃除なんて下賤な人間のやることでしょ!」
「掃除してくれる人達のおかげで、私達は毎日清潔で快適な暮らしができているのよ。してくれてる人達に感謝しなさい」
「く……侯爵令嬢である私に、このような辱めを……!」
「掃除は辱めなんかじゃないわ、誰でも普通にやることよ。人を見下して自分だけ特別扱いするのをやめて、こういった労働も経験してみなさいということ」
ルディーナ達は、やはり慣れない様子で床を拭き始める。本当に、今まで一度も掃除をしたことがないみたいだ。
「そんなゆっくりやっていたら日が暮れるわよ。もっと気合いを入れてやらないと」
「はあ!? なんでそんなこと……!」
私は再度、伝令魔石を取り出す。騎士団への報告を恐れたルディーナ達は、ビクッと顔を青くした。
そして彼女達は、ついに観念した様子で、雑巾を持つ手に力を入れ……。
「ああもう、やってやるわよっ! おりゃああああああああああああああああああっ!!」
――人は気合いを入れて雑巾がけをしようとすると、皆「おりゃああああ」と叫んでしまうのかもしれない――
(いや、そんなわけあるか)
廊下の向こうに消えてゆくルディーナ達を見送りながら、セルフツッコミを入れる。
すると、今度は背後から声をかけられて……。
「ね、ねえ、フローザ」
「ん?」
振り返ると、同じ学級の女子達が、こちらの顔色を伺うように話しかけてきた。
「今朝の、騎士団のことなんだけど……。わ、私達は、いじめなんてしてないわよね? 酷いことをしていたのは、ルディーナさん達だけだものね」
「そ、そうそう。私達、友達よね? 私達の場合は、ちょっとふざけてただけよねぇ」
フローザへの陰湿な嫌がらせについて、率先して一番酷いことをしていたのはルディーナ達だ。
だけどこの子達も「ルディーナ達だってやっているんだから」と便乗するような形で、悪口を言ったり物を隠したりしてきた。なのに「自分達はルディーナ達に比べたらマシなんだから」と思っている様子で……ルディーナ達のように逆ギレしてくることはないけれど、今更になって「あんなの冗談だったんだから許して」とでも言いたげだ。
「おかしなことを言うのね。私はあなた達のこと、友達だなんて思ったことはないわ」
私はフローザではないけれど、フローザの気持ちは多分、そう。
だって今、繋がっている心の奥底で、フローザが歓喜しているのがわかる。本当はずっとこう言ってやりたかったのだと、理不尽に耐え続けてきた彼女の心が叫んでいる。
「騎士団が今後、学園内であったことを調査するだろうし、私も、証拠があるものは全部差し出すわ。あとのことは、騎士団の方々、そして陛下が判断なさることよ」
女子生徒達は、泣き出しそうな顔をしていた。どうしてあなた達がその顔をするのかしら。今まで、ずっと苦しかったのはフローザなのに。あなた達は、自分達の行いの報いを受けるだけよ。
私は彼女達に背を向け、ぱたんと扉を閉じ、部屋に一人になる。
いや――「一人」なのだろうか。
「……ねえ、フローザ。あなたは、今の私のこの言葉も聞いているのかしら?」
フローザが返事をしてくれることはない。私の奥底で、なんとなくどう感じているかはわかっても、私が彼女の言葉を聞くことはできないのだ。
だから私は、独り言のように呟く。
「私、あなたのことを知らないわ。夢で、あなたの記憶を共有していただけ。……でも私、あなたに共感していたの。私も元の世界で、親や妹、恋人から、酷い扱いを受けていたから」
とくん、と心臓が脈打つ。この少女が、生きている証だ。
「あなたの痛みはあなたのものよ。だから、『わかる』なんて言葉、簡単に使うべきではないんだと思う。……でも私、あなたとお喋りしてみたい。本の好みも合うし、きっと楽しいと思うの」
もしそのときが来たら、甘いケーキやクッキーをたくさん焼いて、お茶にしよう。今まで酷い目にばかり遭ってきた子だから、辛いことを何もかも忘れて、ただ楽しく笑ってほしい。
「身体が元に戻らないってことは、あなたはまだ、満足していないのよね。あなたはこれまで散々な目に遭ってきたんだもの、無理もないわ。これからも私は、あなたを傷つけてきた奴らに、その痛みを返してやる。……けど」
私の奥の彼女へ、告げる。
「最後は、あなた自身で決着をつけるといいわ。……そこまでは私も、力を貸すから」
読んでくださってありがとうございます!
次回更新は8月22日(金)の予定です!





