70・また会える日は、きっと訪れます
私はフェンゼル王宮での自分の部屋に戻り、あらためて、メイちゃんと二人で話をすることにした。
大事な話をしたいため、魔竜のリューにも一旦退席してもらっている。
「メイちゃん。宝玉が手に入ったから、これであなたは元の世界に戻れるわ」
「……うん」
「もしもこの世界に残りたいなら、残ってもいい。元の世界に戻るか、この世界に残るか。あなたは、自分の意志で選ぶことができるの。私はそれを、誰にも邪魔させやしないわ」
メイちゃんは一度俯き、迷っていた様子だけど……やがて顔を上げ、澄んだ瞳を私に向けた。
「私、この世界も好き。だけど――」
微かに寂しさを滲ませながらも、決意のように、彼女は笑顔を浮かべる。
「やっぱり、元の世界に戻ろうと思う」
「……そうね。それがいいと思うわ」
メイちゃんには、元の世界に家族がいる。きっと皆、心配していることだろう。お父さんやおばあちゃん、弟達と再会してほしい。皆、涙を流して喜ぶと思う。
「あは。お姉ちゃんとヴォルドレッドさんの間には強い絆があるから、割って入るのは無理そうだしねー」
「ヴォルドレッドはヴォルドレッドだし、あなたはあなたよ。それぞれ、かけがえのない大切な人だわ」
心からの思いを伝えると、メイちゃんは一瞬目を見開いた後、頷いてくれた。
「……うん。私も、お姉ちゃんがすごくすごく大切。だけど同じように、元の世界の皆のことも、大切なんだ」
「ええ。わかるわ」
元の世界と、この世界。私、あなた、他の人々。比べるようなものではないし、どちらも大切。それでいいんだ。どちらかを選んだからといって、どちらかを捨てたわけじゃない。
「……でも、もう少し。もう少しだけ、お姉ちゃんと一緒にいたい」
「ええ……私もよ」
それから私とメイちゃんは、数日間、この世界での最後の時間を堪能した。
料理店でフェンゼル特有の料理を一緒に食べ、おいしいね、と笑い合った。
転移魔法陣でノアウィールの森まで行って、綺麗な森の中を一緒に散歩した。
時計塔に上り、夕陽に染まるフェンゼル王都を一望した。
二人でそんな時間を過ごすうちに、この国は美しいのだな、とあらためて気付くことができた。前国王が支配していたときは暗い空気が漂っていたけれど、今はどこへ行っても人々の笑顔が輝いていて、活気に溢れていて、瘴気が浄化されたこともあり、何もかもが生命力に満ちている。
メイちゃんは、本当に子どもの頃に戻ったように無邪気にはしゃいで、笑っていた。だから私も、つられてずっと笑顔になっていた。自分はこんなに笑えるのだということを、初めて知った気がする。
記憶に刻みつけてゆくように、一日一日を楽しんで――
やがて彼女が、元の世界に戻る日がやってきた。
私が、ワンドレアやリューから教えてもらった聖女の召喚方法を、聖女の力で鑑定・解析し、その法則を応用することで帰還の魔法を開発したのだ。フェンゼル王宮の大広間、その床に大きな魔法陣を描き、メイちゃんがその中央に立つ。彼女の手の中には、魔竜の宝玉がある。
「その宝玉には、本来なら二人帰れるほどの魔力が宿っているから、メイちゃん一人で元の世界に戻ると、少し魔力が余るみたい。だから、帰還の最中やその後で、もしも何かトラブルがあったら、残りの魔力で一度くらい連絡がとれると思うの。何かあったら、連絡してね」
「わかった。ありがとう、お姉ちゃん」
「それじゃあ……帰還の儀式を、始めましょうか」
「うん。……やっぱり少しだけ、寂しい気持ちはあるけど」
メイちゃんは一瞬目を伏せた後、湿っぽい空気を吹き飛ばすように、ぱっと笑顔になる。
「でもきっと、また会えるんじゃないかって気もするんだよね! なんかこう、ご都合主義的な力で?」
「ふふ、そうね。私の聖女の力ってチートだし、レベルが上がるごとに能力も増えるみたいだし。だから、きっとまた会えるわ」
「だよね! 次会うときは私、もっと大人になって、お姉ちゃんをびっくりさせるから!」
「ええ。……あなたがこれからも、いろいろな経験を重ねて、元気に、大人になってくれることが。私……楽しみだわ」
この子は元の世界で、一体どんな大人になるんだろう。選択肢は無限にあって、それを想像するだけで、無性に幸せな気持ちになる。
でも、どんな大人でもいい。この子が元気に笑っていてくれるなら、それだけでいい。
「……お姉ちゃん」
「……うん」
私達は、どちらからともなく抱きしめ合った。
今でも、びっくりする。あんなに小さかった子が、こんなに大きくなったなんて。
そして、大きくなったメイちゃんは、私の手を離れていく。
だって私達はもう、離れていても大丈夫だから。
遠く離れても、今まで築いてきた想いが崩れることなんて、ないのだから。
「へへ……あんまり一緒にいると、本当に帰りたくなくなっちゃうから。このへんにしておくね」
私は頷き、宝玉の力を使って、帰還の儀式を開始する。
大きな魔法陣から淡い光が生まれ、彼女はその光に包まれていった。
「わ、すごい……」
光が強くなるごとに彼女の姿が薄れ、霞んでゆく。
悲しむことじゃない。彼女は元いた場所に帰れるんだ。それに、私はメイちゃんのことを忘れない。一緒に過ごした日々は、ずっとこの胸にある。――陳腐な言葉かもしれないけど、今は素直にそう思えた。
「お姉ちゃん、皆さん……またね!」
「さようなら」ではなく「またね」と。
彼女は最後まで、幸せを全部閉じ込めたような笑顔で、手を振ってくれた――
◇ ◇ ◇
メイちゃんとお別れして、数日。
寂しさを少しも感じないと言えば嘘になる。それでも私は、彼女は向こうの世界で幸せでいてくれると信じ、フェンゼルでの日常を取り戻していった。
「ミア様、お茶をどうぞ」
「いつもありがとう、ヴォルドレッド」
よく晴れたある日のこと。王宮の庭園でお茶をしていたときのことだ。
ふわり、と。突然私の目の前に、何かが舞ってきた。
「これは、手紙……?」
どこかから風に乗ってきたわけではなく、まだ仄かに魔力の気配がすることといい、魔法の力で意図的に私のもとへ送られてきたようだ。
「もしかして、メイちゃんから……!?」
元の世界に戻る際、何かトラブルがあったのだろうかと、急いで封を開け手紙に目を通すと――
『ミアお姉ちゃんへ
お元気ですか? 私、メイです。
私、お姉ちゃんのおかげで、無事に元の世界に帰れたよ!
こっちの世界では、私が転移してから一週間くらいしか経ってなかったんだけど、お父さんもおばあちゃんも皆心配してくれてたみたいで。皆、泣いて喜んでくれたんだ。私が帰れなかったら、ずっと心配して、悲しんでいたままだったんだと思う。……だから、お姉ちゃん。私を元の世界に戻してくれて、本当にありがとう。
私はこっちの世界で元気にやっています。
今の私があるのは、お姉ちゃんのおかげです。
時々、考えるんだ。お姉ちゃんがいなかったら、私はどうなっていたんだろうって。
多分、そしたらお母さんに育児放棄された時点で詰んでたよねえ。
……だからって、お姉ちゃんに押し付けられていいわけもなかったんだけど。
今ならわかるんだ。姪っ子の育児をするなんて、大変だったよね。
私はまだ小さかったから、困らせちゃうこと、たくさんあったと思う。
そんな大変な思いをしても、私のこと、見捨てずにいてくれたんだよね。
そっちの世界で再会して、一緒に過ごして、お姉ちゃんはやっぱり、すごく優しいって思ったの。こんな人が、子どもの頃の私を育ててくれたんだなって、胸がぎゅっと熱くなったんだよ。
私の中で、本当に朧げな記憶と、写真の中だけの存在だったお姉ちゃんが、やっと私の中で「本当に存在する人」になったんだ。一緒にご飯を食べられたこと、綺麗な景色を見られたこと、毎日お喋りできたこと、全部、全部が嬉しかった。すごく嬉しかった……ああもう、ダメだな。どんなに言葉を尽くしても足りなくて、どう書いていいのか、わからなくって。
私、本当に幸せなんだ。でも、どうしてだろうね。書きながら、なんだか泣けてきちゃった。
悲しいわけじゃないよ。お別れのときも言ったけど、また会えるって信じているから。
だって異世界モノは、ご都合主義ハッピーエンドがお約束だもんね!
だから涙が出てくるのも、やっぱり、幸せだからなんだと思う。
うん、私、すごく、すごく幸せだよ。お姉ちゃんのおかげだよ。
ねえ、お姉ちゃん。再会できたときにも言ったけど、もう一度、この言葉を贈らせてください。
私のこと、育ててくれて、ありがとう。
お姉ちゃん、大好き』
――心の奥底から、熱いものが込み上げる。やがてそれは、瞳から零れ落ちた。
私はこれからも、この世界で生きてゆく。
だけど私はあの世界で生まれたし、あの世界で生きていた。
ここではない世界。きっともう、ほとんどの人が私のことを忘れている世界。私を忘れて進んでいく世界。
だけど、それでも私のことを覚えていてくれる人は、いる。
私が元の世界で、生きた証。
次にいつ会えるかはわからない。
本当に会えるかもわからない。
それでも。
「……私も。あなたのことが、大好きよ」
暖かな日差しの下。一筋の風が、柔らかく通り抜けていった――





