64・勇者の婚約者は、魔竜を復活させてしまいます
●ピピフィーナside
ある日のこと。ピピフィーナが街の中を歩いていると、周囲から噂話が聞こえてきた。
「聖女様は、本当にすごいよなあ。街の皆の怪我や呪いを、あっという間に治してくださったんだ!」
「ああ。それに、この前の舞踏会でのドレス姿は、とてもお綺麗だったと噂も聞いた。ぜひ、お目にかかりたかったなあ」
「聖女様は、フェンゼルだけでなくユーガルディアにとっても救いだ。本当にありがたい!」
街では、ミアの良い噂ばかりが飛び交っていた。ピピフィーナには、それが面白くない。
(この国の英雄は、ブレードルで。ピピは、そのお嫁さんになるのに)
どうしてブレードルではなく、ミアがユーガルディアの英雄のようになっているのか。「ミアちゃんは出しゃばりだ」とピピフィーナは考えていた。
(こんなに活躍するなら、ピピ達の仲間になってくれればよかったのに。そうしたらミアちゃんが活躍しても、すごいのはピピとブレードルってことになったのに。自分の手柄を全部自分のものにしちゃうなんて、ミアちゃん、酷い)
街の人達はミアを褒めているだけであって、別にピピフィーナを貶めているわけではない。なのに彼女の中では、ミアが加害者でありピピフィーナが被害者であるような意識が膨らんでゆく。やがて彼女は、人々の噂から逃れるように「封印の門」の近くまでやってきた。
(封印の門、かあ……。早く魔竜さんが復活して、ミアちゃんをやっつけてくれればいいのにぃ)
ピピフィーナがそう思った、そのとき――
『人の子よ。我は魔竜だ』
「えっ?」
『声には出さず、頭の中で返事をしろ』
(は、はい)
魔竜? 何それどういうこと?? と混乱するピピフィーナに構わず、声は彼女の頭の中に語り続ける。ピピフィーナには不思議だったが、その声は周りの人には聞こえておらず、彼女の頭にだけ届いているようだ。
『人の子よ。この門の封印を解くのだ』
(ええ? そうしたいけどぉ、ピピ、そんな力ないよぉ)
『聖女の血縁者の、身体の一部があればいい。本当は血でも欲しかったところだが……お前は聖女の姪の、髪の毛を持っているだろう?』
(え! これでいいの?)
せっかくメイからとったのに、呪いも跳ね返されてしまい、役に立たないと思っていたもの。それがこんな形で活かせるなんて、とピピフィーナの心が一気に輝く。
(やっぱり、ピピってついてる! これも、ピピが今までいい子でいたからだよね!)
実際には、ピピフィーナがそれを持っていたからこそ魔竜が彼女に声をかけたのであり、順番が逆だ。だがピピフィーナは、「自分の日頃の行いがよかったおかげ」という思い込みを強化させた。
『お前は、皆で仲良くしたいという理想を抱いているのだろう? 我がこんな門の中に閉じ込められているのを、かわいそうだと思ってはくれないのか? 心優しき少女よ』
(ピピが、優しい……?)
『そうだ、お前は特別だ。特別だから、お前に語りかけているんだ。これはお前にしかできないことだ』
(ピピにしか、できない……!)
それはピピフィーナにとって最高に自尊心をくすぐる、魔法の言葉だった。
(……魔竜さん、閉じ込められてるなんて、かわいそうだよね? 言葉は通じるんだし、みんなで仲良くしようってこと、きっとわかってくれる。みんなが怖がってた魔竜さんとピピが仲良くできたら、みんな、ピピのことすごいって思ってくれるよね!)
そうしてピピフィーナは――封印の門に向けて、メイの髪の毛を投げた。
「魔竜さん、出てきて~! えいっ!」
それを見ていた封印の門の門番が、ぎょっと目を見開く。
「おい、何をしている!?」
「わっ、怒らないで? ピピはただ、みんなで仲良くしたいだけだから!」
「何を言って……」
門番はピピフィーナに事情を問い質そうとした。だが、それは叶わなかった。
次の瞬間――重く低く、不穏な音が聞こえてきたからだ。
それは、封印の門の扉が開く音。
そしてその扉の奥から……暗緑色の鱗に包まれたドラゴン、魔竜が姿を現した。
「え……」
門から出た魔竜は、空へ飛び立つ。
その、空を覆うような巨体に、ピピフィーナは目を見開いた。
(こ、こんなに大きいのぉ? 何これ、こわ~い……)
バサリ、と空を打つ翼の音は大きく、嵐を呼ぶ雲のような巨躯が空を覆う。ユーガルディア王都に暗い影が落ち、人々は瞬く間に混乱の渦に包まれた。
「魔竜が……! 魔竜が復活した!」
「皆、逃げろ!」
「いやああああああ、誰か、助けてぇっ!」
人々は怯え、叫び、逃げ惑う。ピピフィーナは魔竜を復活させた張本人であるにもかかわらず、「こんな大事になると思っていなかった」と、呆然と立ち尽くす。
(え? え? ピピ、悪くないよねぇ。だってピピは、頭の中の声に言われたから、魔竜さんのこと、助けようとしただけでぇ……)
「ま、魔竜さん。あなた、悪い子じゃないよね? やっつけてくれるのは、ミアちゃんやメイちゃんみたいな悪い子だけだよね? ピピとは仲良くしてくれるよね……」
「ピピフィーナ様、どいてください!」
ユーガルディア騎士団が駆けつけ、魔竜を討伐しようとする。魔法騎士が魔法を放とうとするが、その詠唱が終わる前に、魔竜が氷のブレスで騎士達を攻撃した。
「うわああああああああっ!」
騎士団は、激しい吹雪と、切れ味の鋭い氷の刃で傷つけられながら一斉に吹き飛び、建物の壁に激突した。到底、魔竜には敵いそうにない。
街の人々は魔竜から逃げるが、そんな中、意気揚々と近付いてくる者の姿もあって――
「やっと……やっと魔竜が出たんだな! 俺が、魔竜を、倒すっ!」
ブレードルだ。彼は剣を構え、目を爛々と輝かせている。
「愚かな民どもに、俺が勇者だと思い知らせてやる! ライトニングアロー!」
ブレードルは、己の力で雷の魔法を放ち、魔竜にぶつける。
しかし、全く歯が立たなかった。魔竜の鱗は硬く、まるで鋼鉄の盾のようであり、傷一つつけられない。それでもブレードルは、無鉄砲に魔法を放ち続けた。
ブレードルは光の剣を抜くまでの十八年間、自分が特別な人間であると自意識を増長させ続けた。剣の記憶で、自分の一族が勇者ではない、真の英雄は聖女であると教えられても、結局受け入れることができなかったのだ。
「何故だ、何故だぁっ! 俺は勇者なのにっ!」
ブレードルは、魔竜を前にすれば、自分は特別な力に目覚めると思っていた。なのにどれだけ魔法を放っても魔竜はビクともせず、自分の魔力が減るだけだ。思い通りにいかない状況に、彼は頭をかきむしり、地団駄を踏む。
そして、そんなブレードルに、背後から声がかけられた。
「――何故って。勇者なんて肩書に甘えて、ろくに自分を鍛えもせず驕っているような奴、魔竜に歯が立たなくて当然じゃない」
「なんだと!? この俺に向かって……!」
湯沸し器のように頭を熱くさせたブレードルが振り返ると、そこに立っていたのは――彼が憎む、聖女の姿。
「自分の無力さを思い知ったでしょう。単なる『自称勇者』は退いていなさい。――魔竜は私が倒す。この先二度と、あなたが勇者と呼ばれることはなくなるわ」
◇ ◇ ◇
●ミアside
少し前のこと――ちょうど、ヴォルドレッド達と一緒に呪いに苦しむ人々を治癒してきたところだったのだ。その帰りに偶然、空が魔竜の巨体で覆われるのを見て、一瞬目を疑った。
あまりに巨大な身体。他の魔獣とは比べ物にならない魔力量と、傍にいるだけでぞっと背筋を震わせるような、脅威の気配。
だけど、ただ恐怖に震えているわけにはいかない。目の前にいるのは、ユーガルディアの人々にとって宿敵である魔竜であり、しかも勇者は、無駄に魔法を使い続けているだけで、役に立たない。――この魔竜は、私がなんとかするしかないのだ。
私はまず聖女の力を使い、街全体を巨大な結界で覆った。これで、これ以上街や人々に被害は出ない。
「街の皆さん。結界を張りましたが、念のため、この場から離れていてください」
「ああ、誠にありがとうございます、聖女様……!」
「よかった、聖女様のおかげで、助かるかもしれない……!」
そうして、人々が逃げていき――
この場には、私達とブレードル達が残った。
魔竜を倒すという目的自体は共通している。もしも「勇者」が本当にユーガルディアを守りたいと願う存在だったなら、共闘できたかもしれない。――だけど、こいつらでは絶対ありえない。
(……こいつが、メイちゃんを元の世界から……家族から切り離した)
その真実を知ってから、初めて顔を合わせるのだ。正直、今すぐどうにかしてやりたいが、まずは魔竜を何とかする方が先だ。
だけど――そう思っていたのは、私の方だけだったらしい。
ビュッと、空気を斬る音がした。……私に向け、ブレードルが剣を振ったのだ。
「何よ。私を、殺す気? 勇者がそんなことしていいの? ――ああ、あなたは『勇者』じゃないから関係ないのか。むしろ『罪人』なんだから、ぴったりね」
挑発するように唇の端を上げてやると、ブレードルはかっと頭を熱くしたようだった。
「俺は勇者だ! 勇者として悪に制裁を下すだけだ! それに、この状況だからな! どうせこちらを見ている人間なんていない……誰も貴様を助けないし、貴様の死も、魔竜の仕業だと思われるぞ! ざまあみろ!」
「本当に最低中の最低ね、あなた。どこが勇者なのよ、見事に雑魚の悪党って台詞じゃない」
「黙れ! いや、黙らせてやる! 最低なのは、勇者である俺に歯向かう貴様なのだから!」
ブレードルは激昂し、目が血走っている。勇者だというなら、今この状況で倒すべきは私ではなく魔竜だろうに。
「俺が勇者であり正義なのだから、世界は俺の望み通りになるべきなんだ! 俺の思い通りにいかないものは全部悪だから消えればいいんだああああああああっ!」
勇者が私に魔法を放つ。私は自分を結界で守ったうえで、能力向上の力を使って彼に肉薄し――
ブレードルを、ぶん殴った。
聖女の力を使うより先に、まずは一発、自分の手で張り倒してやりたかったのだ。
「ごふぅっ!?」
「馬鹿じゃないの? 自分が何をしているか、冷静に考えなさいよ。メイちゃんを異世界から誘拐したうえ、今度は私への殺人未遂よ? 完全に犯罪者じゃない。正義を語るなら、他人にどうこう言う前に、まず自分を見つめ直しなさいよ」
ブレードルは情けなく吹っ飛んで地面に転がり、涙目で頬を押さえていた。
「ぎゃあああああああああああああああ! 痛い、痛いぃっ!」
能力向上で腕力も上げておいたため、かなり痛いはずだ。一人の女性の力としては強すぎる剛力が発動しているし、殴った私の手は痛くない。聖女の力は強力である。
「そうよ、殴られたら痛いでしょ。剣で斬られたり、攻撃魔法を受けたりしたらもっと痛いわよ。あんたは私に、そういうことをしようとしたのよ。自分の行いが、自分に返ってきただけでしょ」
「うるさいうるさい! 俺は勇者だから、いくら攻撃してもいいんだ! だがお前は駄目だ、この暴力女めっ!」
「呆れた。自分から剣を向けてきたくせに、私を暴力女呼ばわりして被害者ぶるわけ? どこまでも都合がいいわね。大体、殴られるくらいじゃまだ罰には甘すぎるわよ。……こんな程度で終わるなんて、思わないで」
――そう、こんなものじゃまだ全く、罰には足りない。
無礼で、正義気取りの悪党で、誘拐犯で殺人未遂犯。救いを与える必要はない。
私はこいつをもう、絶対に許さないと決めている。
だからこそ、薄く唇の端を上げ、聖女ではなく死神のように告げてやった。
「ねえ、ブレードル。私、あなたやあなたの一族が今までどんな嘘を吐いてきたか、もう全部知っているのよ。……全て片付いた後が楽しみだわ。陛下にも国民達にも『勇者』の真実を知らせて、然るべき処分を受けてもらう。……覚悟していなさい」