61・温かい絆を感じます
●メイside
「ひっく……お姉ちゃんに、会いたいよぉ……」
――これは、私が幼かった日のこと。
お姉ちゃんがいなくなって最初の頃こそ、「もうお姉ちゃんがお母さんにいじめられなくなってよかった」「お姉ちゃんは異世界で幸せに暮らしているんだ」と思い、嬉しく思っていたけれど。
時間が経つにつれ、「ミアお姉ちゃんに会えない」という寂しさは次第に大きくなって、幼い私はよく泣いていた。
「メイ、元気出して。そうだ、何か食べたいものはある? お父さん、メイのためならなんでも作るよ」
「……お姉ちゃんのオムライス、たべたい」
「オムライスだね。待っててくれ。お父さん、美味しいオムライス作るからね」
そしてお父さんが、私のためにオムライスを作ってくれたのだけど――
「ちがうの~、こんなのお姉ちゃんのじゃない~!」
一口にオムライスといっても、具材や卵の焼き方はいろいろあるし、当然ながら全く同じになるはずがない。
……といっても、今思えば、オムライスにこだわって泣いたわけじゃなくて。
そもそも私は最初、お父さんとおばあちゃんに、あまり懐かなかった。
何せ、ずっと青羽家でお姉ちゃんと暮らしていたのに、急に環境が変わったのだ。住む場所も、一緒に暮らす人も変わった。そのせいもあり、私は一時期、不安定になっていた。
母親に愛されなくて、大好きなお姉ちゃんとも会えなくなって、突然、今まで離れていたお父さんと暮らすことになって……まだ子どもだったとはいえ、心の整理がついていなかったのだ。不安で、どうしていいのかわからなくて、よく泣いて我儘ばかり言ってしまった。
「お姉ちゃんのオムライスには、ウインナー入ってるもん! それにね、緑のお豆もないし、それから、それから……」
「そっか。ごめんね、メイ。次はメイが好きになってくれるやつ、作るからね」
お父さんは、怒らなかった。仕事や、弟達の世話だって忙しいのに、いつも根気よく私に向き合ってくれた。それに、同居しているおばあちゃんも、私の面倒を見てくれた。そして、後日――
「メイ、今度のオムライスはどうかな? お父さんとおばあちゃんで、メイが好きそうなの、考えて作ったんだ」
「ほら、メイちゃん。ケチャップで、メイちゃんの好きなくまさん、描いてあげようねえ」
後日、私は二人が作ってくれたオムライスを、再び口に入れた。
「……やっぱり、ちょっと違う」
そう言うと、二人は不安そうな顔をしていたけれど――
「でも……おいしい」
「よかった!」
「メイちゃん、いっぱい食べてね」
二人は、本当に嬉しそうにぱあっと顔を輝かせていた。私がオムライスを一口食べるごとに、笑顔の皺を深くして。食べこぼしても怒らず、優しく口元を拭ってくれた。
「メイ。今まで、お父さんは本当に駄目な奴だった。だからこれからはせいいっぱい、メイのこと幸せにしたいんだ」
「メイちゃん。おばあちゃんね、メイちゃんのこと、大好きだよ」
……お父さんも、おばあちゃんも。
私がどんなに二人を困らせても、抱きしめて、頭を撫でて、たくさんの愛情をくれた。
二人のおかげで、不安定だった私の心は次第に落ち着いていった。
やがて時は流れ、私は高校生になって――
「ただいま~。ねえ、お隣の佐藤さんから林檎のおすそわけ貰った!」
「メイちゃん、おかえりなさい」
「やったー、林檎食おうぜ」
「んじゃ俺切ってくる」
私は、お父さんと二人の弟、それからおばあちゃんと一緒に暮らしていた。
昔は私の面倒を見てくれたおばあちゃんも、あの頃より年をとり、少しずつ身体も悪くなってきた。
私ももう高校生だし、今までお世話になっていたお返しをしたいと思う。おばあちゃんは、何かを返してもらうことなんて、求めていないんだってわかっているけど……。私に優しくしてくれたおばあちゃんに、私が、何かしたいのだ。何かできるうちに。
人は、いついなくなってしまうか、わからないから。私はそれを、よく知っているから。……ミアお姉ちゃんが、「行方不明」になってしまったように。
(それでも私は……お姉ちゃんは異世界転移したんだって、信じてる)
非現実的であることはわかってる。
でも、そう信じていられれば、私の心に救いがあるから。
……もう、ずっと昔のことなのに。今でも目を閉じると、桜の木の下で、お姉ちゃんが私を抱っこしてくれていた日のことが思い浮かんでくるみたいだ。
「あー、なんか、桜見たくなってきたなあ」
「なんだよ姉貴、急に」
「や、なんとなく。春になったら、また皆でお花見、行きたいなー」
「いいわねえ。おばあちゃんもまたお花見、行きたいわぁ。昔メイちゃん達が、散った花びらの山に飛び込んで、全身桜の花びらだらけになっちゃって。可愛かったわねえ」
「ちょっ、いつの話してるのー」
「姉貴、『私は桜の魔法使い、マジカル・メイ!』つってはしゃいでたよな」
「昔から、異世界だの魔法だの大好きだったよなー」
「異世界と魔法はロマンでしょ! あんたらだって、落ちてた棒拾って剣士ごっこしてたくせに!」
「落ちてる棒はロマンだろ!」
くだらない会話で、いつも通り皆でワイワイ話していると。しばらくしてお父さんが帰ってきた。
「ただいま。何話してたんだ?」
「さっきね、春になったら、また皆でお花見行きたいなって話してたのよ」
「おお、いいなあ。お父さん、張り切ってお弁当作っちゃうぞ~」
「私、からあげがいい! あとハンバーグとミートボール! 私も手伝うから、大量に作ろう!」
「それ花見っつーか肉祭りじゃん。最高」
他愛ない、なんでもない私の日常。
異世界みたいな煌びやかさも、ドキドキもない。それに家族と基本的に仲がよくたって、ときには喧嘩することもある。学校でも、嫌なことがある日はある。
それでもやっぱり懐かしくて、思い出すと、無性に胸が締め付けられる。
異世界転移して――ミアお姉ちゃんに会えて嬉しかったことは、少しも嘘じゃない。
私はミアお姉ちゃんが大好き。ありがとうって伝えられて、本当によかった。
だけど元の世界での記憶が過るたび、胸が軋む。
お姉ちゃんに、心配をかけたくはない。だから笑っていようと思った。……それでも、お姉ちゃんはきっと私の寂しさを、見抜いていたんだろうけど。
元の世界の皆は、今頃どうしているだろう。元気でやっているかな。私がいなくなって、心配してくれているかな?
ああ、帰れなくなるなら、もっと皆と、いろいろやっておけばよかったかな。親孝行みたいなこと? 約束してたお花見にも、行けてないもんね。……笑っていなきゃいけないし、こんなこと、あまり考えるべきじゃないんだろうけど。……ああ、駄目だな。
お父さん、おばあちゃん、弟達。皆の顔が、浮かんできて。
私、皆に、会いたい。
◇ ◇ ◇
●ミアside
……温かい家庭だ。穏やかで、幸せで満ち溢れている。
メイちゃんは、私を慕ってくれている。
だけどこの子には、元の世界で歩んできた道がある。迎えるはずだった未来がある。
四歳から十七歳の間、メイちゃんを育てた父親や祖母、あの子と一緒にいた弟達。学校の友達。
この子には、元の世界にも大切なものがたくさんあった。皆と生きていける未来があった。――それらは全て、理不尽に奪われてはいけなかったものだ。
母親から愛を与えられず、四歳まで一緒にいた私とも突然離れることになり、やっと穏やかな家庭で暮らせるようになったこの子が、今度はその家族と引き裂かれたなんて……あまりにも、やりきれない。
「ん……」
そんなことを考えていると、メイちゃんが瞼を上げた。
胸が締めつけられるような夢を見たせいだろう。その目には、うっすら涙が浮かんでいる。
「ねえ……誰か……」
まだ半分夢の中にいるような彼女は、今はもうないものを追い求めるように、寂しげに手をのばして――
だから私は、その手を握った。
「メイちゃん。私はここにいるわ」
「お姉ちゃん……」
メイちゃんは、手の温もりで次第に落ち着くように、我に返る。
「あ、あれ? ごめんなさい! 私、何かおかしな夢、見てたみたいで……」
「隠すことはないわ。……元の世界での夢を見ていたんでしょう?」
「……!」
私の言葉を受け、誤魔化しても無駄だと思ったようで、メイちゃんは口を開く。
「……ねえ、お姉ちゃん。私、お姉ちゃんのこと、大好きなんだよ。それは本当に本当なの」
「ええ、ありがとう。私も、あなたのことが大好きよ」
メイちゃんはいつも、言葉でも行動でも、私に大好きだと伝えてくれている。それをお世辞だなんて受け取り方をするのは、彼女に失礼だ。
「大丈夫、ちゃんとわかっているから……元の世界に戻りたいと思うことに、罪悪感なんて抱く必要は、ないのよ」
何かを大事に思うことは、別の何かを大事に思わないということじゃない。
私だって、ヴォルドレッドのことが大切だけど、メイちゃんのことだって大切なのだから。
彼女は私の妹でも、娘でもない。
それでも、この子が笑っていてくれたら嬉しいし、困ったことがあったら力になりたいし、お腹を減らしていたら美味しいものをたくさん食べさせてあげたいと思う。
「メイちゃん。あなたが元の世界に戻っても、どんな選択をしても……。あなたがどこで何をしていても、あなたは私にとって、すごくすごく大事な姪っ子なの。それだけは、覚えていて」
「お姉ちゃん……」
幼い頃よくそうしていたように、私は彼女を抱きしめ、頭を撫でる。
「あ、ありがとう。お姉ちゃん、本当に本当に、ありがとう……」
「お礼を言われることなんてしていないわ。ふふ、そうだ。今日は昔みたいに、一緒に寝ましょうか?」
「うん! お姉ちゃんと一緒に寝る~!」
今まで、元の世界に帰りたいと思うことに、メイちゃんは少し罪悪感を抱いていたのかもしれない。だけどその想いを吐き出し、彼女は憑き物が落ちたように明るく笑う。
この夜、私達はまるで親子か姉妹のように、一緒に眠りについた――
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次回は40話でリースゼルグが話していた「真相水晶」の登場です。